DAY3:【神を召喚する魔法】
「神を呼ぶぞ」
〈レクモサクソス教〉の総本山。高い天井が灰色の影を振りまく下で、長い壁が〈レクモサクソ神〉が描かれた風変わりな絵画を誇示する横で。教祖氏はそう言った。
〈レクモサクソス教〉は新興宗教団体だ。教義は簡単に言うと、『【究極魔法】の正体は"神を召喚する魔法"に他ならず、またその神とは偉大なる〈レクモサクソ神〉に他ならない』というものである。なぜこのようなでたらめな集団が跋扈しているのかと言えば、やはり300年前に死んだ〈大魔導士〉バルヴェールが、死に際に【究極魔法】とは何なのかを言いそびれたのが原因だろう。
正確な彼の"最後の言葉"は、比較的まともな文献にあたればすぐにわかる―――『一般的に、魔法は大なり小なり、世界に本来あり得ない影響を与える存在だ。であるなら、もしも【究極の魔法】と言えるようなものがあるとするなら―――』。以上だ。「するなら」まで言ったところで、彼は大きな咳を何度かしてそのまま死んだ。「〈大魔導士〉でも肺炎には勝てなかった」と言うものもあれば、「彼を妬んでいた〈魔法使い〉が、重い代償を払ってでも【疫病精霊】を使ってみせた」と言うものもある。いずれにせよ確かなのは、バルヴェールは最後の言葉を伝えそこね、後から出てきて「もしも伝えられていたらこうだったに違いない」と主張する謎の集団を大量に生んだということだ。
教祖氏もその一人である。
「しかし教祖様」
彼の前に並ぶ百数人の信徒のうち、一人が口を挟んだ。
「何だね?」
「はい。教祖様は恐らく……【言葉で伝えた〈魔法陣〉を自動生成する精霊】を使って〈レクモサクソ神〉を〈レクモサクソ界〉から呼び出そう、と考えているのですね?」
「いかにも」
「しかしながら……あの〈精霊〉は確か、既存の〈魔法陣〉を大量に学習して、与えられた指示文をもとにそれっぽい陣を生成する、というものだったはずです」
「技術的なことは詳しく知らんが、まあそういう物らしいな」
「しかし……それでは、既存の〈魔法陣〉に出てこない概念は使えないということになりませんか」
「何が言いたい」
「【〈魔法陣〉自動生成精霊】は、〈レクモサクソ界〉のことを知らないのでは?」
「君」
「はい」
「破門だ」
教祖氏は端的にそう言った。
信徒は項垂れると、厳かな装飾に身を包んだカーペットの上を、とぼとぼと歩いて帰っていった。
改めて、自分の前を埋め尽くす信徒の頭部の群れを見て、反対意見が聞こえなくなったのを確認すると、教祖氏は言った。
「よし。それでは、神を呼んでいこうではないか」
◇
【〈魔法陣〉自動生成精霊】の存在が明らかにされて三日。街を包む混乱は未だ収束を見せないが、とはいえ最初期ほどではなくなった。【〈魔法陣〉自動生成精霊】は思ったより危険ではなく、自由ではなく、全能ではないということに人々が気づき始めたからだ。人々は徐々に……単に騒ぎまわることをやめ、〈精霊〉の使い方について検証し始めている。
一人あたり一日一〈魔法陣〉という制限により、研究を進めるのは少し難しい。とはいえ……例えば10人で集まれば、〈魔法陣〉を生成する速度は10倍になる。100人なら100倍だ。一部の人々が団結を始め、効果的な指示文の探求を始めているのだ。……まだ形になっているとは言い難いが、そこにはいくつかのノウハウが生まれている。
ところで宗教というのは、団結に打ってつけの口実だ。
「えー、巷の情報からわかる、指示文を書く際のコツについてお話ししたいと思います」
魔力照明に照らされながら、数多い信徒から抜擢されたことを誇りに思いつつも、男はそう切り出した。
彼は噂好きなだけの一般人だ。【〈魔法陣〉自動生成精霊】に特別入れ込んでいるわけではないし、入れ込むような人間は〈レクモサクソス教〉など信じない。入れ込むような人間は〈レクモサクソス教〉など信じないため、この熱気の満ちた広い空間には、実のところ魔法のプロフェッショナルが一人も存在しない。だからこそ、噂好きなだけの一般人である彼でも、『信徒の中で最も詳しい』と言う肩書きを得ることができるのだ。
「ええと……まず。指示文の長さに制限はないと言われていますが、それでは長い方が良いのかというとそうでもないらしいです」
敬虔なる信徒たちはいっせいに手帳を取り出し、『指示文の長さに制限はないと言われているが、それでは長い方が良いのかというとそうでもないらしい』と書き込んだ。彼らの利き手が揃って動くさまは、水溜まりに広がる波紋に似ていた。
「それで、次に」
「ちょっと待ちたまえ」
「なんでしょう?」
「指示文が長いほどいいわけではないのはわかった。その理由は何だね」
「……? 存じません」
「破門だ」
噂好きの男は破門された。
敬虔なる信徒たちはいっせいに手帳を取り出し、『破門だ』と書き込んだ。
出口へと歩いていく彼の背中を見送りながら、教祖氏は「次は誰に解説させたものか」などと考え始めていた。
◇
「えー、聞いた話によると。『反・なんとか』みたいにやるとなんかいい感じらしいです」
「なんかとは具体的に何だ?」
「え? なんかですよ」
「破門だ」
十六人目の破門者となる女が出ていったあたりで、教祖氏は「そろそろいいかな」という気になり始めた。具体的な説明をしてくれる人間は特に出てこないし、具体的でない説明なら十分集まったからだ。
教祖氏は話を進めようと思ったが、よく考えてみると破門相手たちが何を話していたか覚えていないことに気付いた。そこで、
「よし諸君、勤勉な君たちなら、きっと手帳に話を書き留めているだろう。改めて、それを読み上げてくれたまえ」
そう呼びかけた。
信徒たちは各々の帳面に目を落とすと、言われた通りに読み上げ始めた。
「「「「「「指示文の長さに制限はないと言われているが、それでは長い方が良いのかというとそうでもないらしい。破門だ……」」」」」」
教祖氏はなんだか楽しくなってきた。目の前の大人数が自分の意のままに行動しているというのはやっぱり充足感があった。しかしそうして人間の海を眺めているうちに、何人か仲間外れがいることに気付いた。彼は苛立ちを覚え、半ば反射的に指さして言った。
「君と君と君と君。読み上げていないな?破門だ。あ、君と君も。それと君と……」
「「「「「「何かを生成するタイプの魔法はあんまりよくないらしい。破門だ。『教科書から抜粋』と入れると良いことがあるらしい。破門だ……」」」」」」
時間が流れていく。
◇
いよいよ〈魔法陣〉の生成である。
五十人ほどが間引きされたことで少しばかりまばらになった信徒たちを見ながら、教祖氏は壇上で胡坐をかいている。基本的には信徒たちの自由にやらせ、自分の〈魔法陣〉ができた物から持ってこさせる形を取ることにしたのだ。
今までにないレベルの大人数を破門にしたことで、教祖氏の精神はかなりの高揚に浸りつつあった。今、破門の判定はかなり緩くなっている。
「教祖様、また【神を召喚する魔法】の情報量が多すぎて気絶した奴が出ました」
「またか? もういい。今後、同じことをしたものはすべて破門とする」
「教祖様、【幻覚魔法。半径2メートル圏内に作用。発動時に〈魔法陣〉に接触していた絵画。人間対象。反・無機物対象。反・動物対象。】で生成したところ」
「幻覚を見せろと言っているのではない、召喚しろと言っている。破門だ」
「教祖様、【〈レクモサクソ神〉を召喚する魔法。教科書から抜粋。業務用。反・精神作用魔法。反・創造魔法。反・情報処理魔法。】で〈魔法陣〉を作ったところキュウリが出てきました。食品創造魔法の生成は発展途上と聞いていますが、このキュウリはかなりキュウリらしいキュウリです。これは革命というやつではないでしょうか」
「〈レクモサクソ神〉はキュウリではない。破門だ」
教祖氏は完全に楽しくなっていた。破門された信徒たちはみんな同じようなペースで総本山の出口へと歩いていくため、どこか統一感が生まれており、洪水に流木が押し流されていくような爽快さがあった。
「教祖様」
「破門だ」
「教祖様」
「破門だ」
「教祖様!」
「破門だ! 信徒諸君、手が遅いぞ! ここまでに持ってこなかった者をすべて破門とする!」
◇
「……はっ」
目覚めた教祖氏は独りだった。
大人数の収容に耐えるよう広めに設計された総本山はもぬけの殻で、そよ風が吹くような様子もなかった。壁に遮られていたのである。
「……ふむ」
教祖氏は寝ぼけ眼をこすりながら、何が起こったのかを考え始めた。そう―――そうだ。自分は神を呼ぼうとしていたのだ。自分ででっちあげ、信徒たちを騙して信じさせた〈レクモサクソ神〉を。でも、信徒たちはいなくなってしまったらしい。
「……あれ?」
それじゃあ、〈レクモサクソ神〉は今、誰にも信じられていないということになるのだろうか?
彼は完全に寝ぼけていて、寝ぼけたまま、壁を見た。そこには〈レクモサクソ神〉が描かれた風変わりな絵画が掲げてあった。誰も信じていない、ほかならぬ虚構としてそこにいる神だ。神は存在しない? 別にそれが立証されたわけではなかったのだが、何せ教祖氏は寝ぼけていて、記憶の整理がついていなくて。『【ヴィル・テル・プル】の〈詠唱〉』とか、『『反・なんとか』みたいにやるとなんかいい感じらしい』とか、『【神を召喚する魔法】の情報量が多すぎて気絶した奴』とか。そういう断片をたくさん思い出していて。意識の外で、彼はこう呟いた。
「……【ヴィル・テル・プル】。【反・神を召喚する魔法】を作れ」
『【反・神を召喚する魔法】ですね。承りました』
眩い光と共に現れ、直後に消えていった〈精霊〉が彼の頭に残したのは、とんでもなく簡素な〈魔法陣〉だった。
信徒が置き忘れた手帳を借りた彼が、その〈魔法陣〉が世界に何の影響も与えない事を知るまで。……そして、自分は破門されたのだと悟るまで、そう長い時間はかからなかった。