DAY2:【相手が自分を好きになる魔法。好きなタイミングで解除できる。発動時に指をさしていた対象を「相手」とする。】
「ところで」
向かいの席に座る青年がそう切り出したので、乙女はぎくりとした。
【言葉で伝えた〈魔法陣〉を自動生成する精霊】の存在が公にされた日、王国は大混乱に陥った。多くの人が「世界が終わりそう」とか、「世界が終わる」とか、「今日中に世界が終わる」とか、「実はすでに終わってる」とか言い出した。しかし―――実際のところ。前者二つについては未だわからないが、後者二つは既に否定されている。理由はというと、生成される〈魔法陣〉が、思ったより雑なものだったからだ。
「な……何かな?」
木漏れ日がガラスを突き抜けて、喫茶店の中に射し込んでくる。
一人につき一日一回という制約、そして伝えられた〈詠唱〉が本物かわからないという留意事項の中。昨日……言い換えれば初日の時点で人々が生成した魔法のうちほとんどは、次の三カテゴリのどれかに該当すると言える。
第一カテゴリ、何かを出現させる魔法。
「君さ。昨日、何か……おかしくなかった?」
青年はそう聞いた。
何かを出現させる魔法については、生成されたうちほとんどすべてが失敗したと言っていい。キャベツの生成を命じられて小石が出てくる、といった具合ならまだ良い方で、ほとんどの場合は名前を付けることも困難な謎の物体が出現する。原理的に言えば当然の話で、「何かを生成する魔法」を更に「精霊に生成させる」というのは、単純に考えて二重の創造を経ている。指示文を相当工夫しなければ、すぐに脇道にそれた物体が生み出されてしまうのだ。
第二カテゴリ、物理的な現象を引き起こす魔法。
「な……何のこと、かな?」
乙女ははぐらかした。
物理的な現象を引き起こす魔法には、成功したものも失敗したものもあった。【火炎魔法】などは極めてポピュラーで、それゆえに【〈魔法陣〉自動生成精霊】が『学習』を行った際のサンプルにも多く、比較的安定した出現を見せた。一方、【世界を終わらせる魔法】といった身も蓋もない内容の魔法陣を生成することを試みたところ、流れ込んでくる陣の情報量が大きすぎて気絶し、そのまま診療所送りになったような者も存在する。驚くべきことに、複数だ。
第三カテゴリ、精神に干渉する魔法。
「なんか、自信で満ち溢れてるみたいな感じがしたけど……」
「き、気のせいだよ! うん!」
乙女は慌てて否定した。嘘である。昨日の自信は紛れもなく存在していた。そしてそれは紛れもなく、彼女が昨夜生成した『精神に干渉する魔法』の作用によるものだ。『精神に干渉する魔法』カテゴリは、発動者の意図に反することはあっても、三つの中では特別に成功していた。精神干渉は、現象改変としてはもっとも楽な部類に入るのだ。―――もっとも、発動者のほとんどは大した魔力ソースを持っていなかったため、社会的影響を及ぼすことはほとんどなかったが。
「こう、『どうして私ってこんなに美しいんだろう』みたいなこと言ってたような」
「聞き間違いじゃない!? きっとそうだよ!」
「……そうだっけ? そうかもしれないなあ」
実のところ、聞き間違いではない。
乙女は昨日―――確かに自分で魔法を生成し、それを使用することで自身に満ち溢れた。『どうして私ってこんなに美しいんだろう』みたいなことも言った。そして、その事実を現在も覚えている。覚えていながら、青年に悟られまいと嘘を吐いているのだ。
乙女が現在考えていることと言えば、「ああ畜生」とか、そういう感じだ。「不用意によくわからない魔法生成なんて使うべきじゃなかった」。「おかげで警戒されてる」。「でも、今回は大丈夫」。なぜなら、前回の指示文を改良してもう一度生成した〈魔法陣〉を、小さな紙片に書きつけ、懐に忍ばせているから。
結局のところ、乙女が何をしようとしているのかといえば―――昨日使用した指示文が、まるで鏡のような鮮明さでもって、彼女の欲望を映し出し、何をしようとしているのかを的確に表現している。彼女が作ろうとしたのは、紛れもなく、他でもなく、間違いなく。【相手が自分を好きになる魔法】だった。
「まあ、いいや。……このお茶、おいしいね」
「そうだねっ」
青年が特に意識せず、端正な顔に浮かべた何でもないような微笑み。そのわずかな一瞬に、乙女は混沌とした……崇拝、支配欲、渇望、そのほかもろもろの感情を向けていて、それは総称すれば『恋』だった。そうなのだ。乙女は恋をしていた。
しかも、見境無き恋だった。
彼女は既に、診断のときなんかに「人より少々多い」と言われがちな蓄積限界に達するまで、体内に魔力を貯め切っている。
前回の魔法で発生した「"相手"とは具体的に何なのかを指定していなかったせいで、〈魔法陣〉の最も近くにいた自分が対象になってしまい、しかも解除条件を入力していなかったから、魔力が切れるまで典型的な自己陶酔者として、想い人に醜態をさらし続けてしまった」という問題も、指示文の改良により解決した。すなわち、
【相手が自分を好きになる魔法】
だったのが、今回は
【相手が自分を好きになる魔法。好きなタイミングで解除できる。発動者が指をさしていた対象を「相手」とする。】
に変わったのである。
恐るべきことに、あとは発動するだけだったのだ。
「あ、あれって何かな?」
乙女はさっそく、茶を啜る青年の背後を指して言った。当然、彼の背後に何かがあるわけではなく、強いて言うなら同じような客が、同じようなテーブルを囲んで同じような飲み物を飲んでいる。目を逸らさせたいにしても稚拙な策であり、しかし稚拙だからと言って失敗するとは限らなかった。
「えっ?」
哀れな青年はころりと騙されると、乙女の指に愚直に従い、首と胴をひねって背後の虚空を見た。
「何も―――」
乙女は突き出した人差し指をそのままにしながら、無言で〈魔法陣〉を起動した。同時に心中で勝利を確信した。ついに彼を自分のものにできると、そう思った。
「―――無いみたいだけど」
青年は僅かに発生した魔力光に気付かず、向き直って続けた。
「え、そうかな? 見間違いだったかも、ごめん!」
「そっか。……ところで」
「なぁに?」
乙女はそこで、自分の頭部に熱が宿っていることに気付いた。そして、それは恋の熱なのだろうと思った。実際のところ彼女が目論んでいるのは、「〈魔法〉で他者を洗脳したうえでそれを利用して恋愛関係を結ぶ」という相当に邪悪な行為だったのだが―――本人としては、それらの全てを『恋』と名付けた箱に押し込んでいた。
そして、青年は言った。
「どうして僕ってこんなに美しいんだろう?」
「…………」
乙女は―――色々なことを考えた。「相手が自分を好きになる」というのは解釈の余地が残っていて、相手が相手自身を好きになってもおかしくないこと。「発動者が指をさしていた対象を「相手」とする」って、考えてみるとかなりの魔力を使いそうだなということ。
乙女はこの後魔力切れにより気絶して、机に突っ伏すことになる。しかし彼女はただ一つ、自分の頭部に宿った熱だけは、魔力不足により体が危険信号を出しているのではなく、純粋な『恋』によるものだと思い続けた。本当のところは誰にもわからない。
ただ一つ確かなのは、恐るべきことに、彼女の恋はまだ続くということだ。