DAY0:【入力された音声を範囲内に放送する魔法。傑作。高度に動作する。矛盾がない。魔力燃費が良い。大魔法。範囲は魔力量に依存。低音質。できる限りの低音質。発話による音声入力。反・高音質。(略)】
「いやはや―――」
つかつか、と。【研磨精霊】の力でぴかぴかに磨かれた大理石の上で、足音たちが響き渡る。それらの周期はバラバラで、靴底の材質の違いにより、音の聞こえ方も画一的とは言い難い。しかしながら―――確かにそこには、どこか統率の取れたリズムがあった。
エリシア王国第四特殊精霊研究所所長であるところのリドリーザ博士は、そんな足音の中に説明の声を投じる。
「王属調査官の皆さん。今からお見せするのは、この研究所でも最大の極秘研究なわけでして。助手の一人も雇わずに単身で進めていたのが、ついに他の方々の目に触れると思うと……感無量ですな、ええ」
彼のしわがれた声が言葉を紡ぎ終えるや否や、また別の声が、すかさず博士の発言に釘を刺す。
「世辞は不要だ、博士。そもそも感無量というが、我々は君に一切連絡せずに押し入った形になるのだぞ」
これまた別の調査官が、追随して言葉を付け加える。
「極秘研究に押し入られた者が『感無量』などというはずがないだろう。やはり、君は何か企んでいるな?」
「……さあ。何のことやらわかりませんな」
リドリーザ博士ははぐらかした。
調査官たちもそれ以上の追及は行わず、足音の群れは再び押し黙る。研究所は照明に乏しく、彼らは薄闇の中を進んでいくことになる。しかしある程度進んだ先には、ひときわ明るい空間がある。
書庫だ。
「こちらに、使用済み〈魔法陣〉が掲載された書籍、巻物、書簡……その他諸々。とにかく、過去に使われた〈魔法陣〉関連の情報に【複写精霊】の力を行使し、片っ端から集積してあります」
一瞬の沈黙。その間に、調査官たちのうち幾人かが息を呑んだのは明らかだった。実際のところ、圧巻たる光景ではある。魔力照明の紫がかった光のもとでは、結構な大きさの箱がいくつも影を落としていて、その側面にはいくつもの引き出しが備えられている。その一つ一つに……誰かがかつて作った〈魔法陣〉や、それに付随する情報が、ぎっしりと詰め込まれているのだ。
「そもそも、〈魔法陣〉を作るというのはとても面倒な行為なのです」
しわがれた声が調査官たちに説明を行う。「まるで見学ツアーだ」なんて考えた者が、果たして調査官の中に何人いたことだろう。
「面倒―――そう、本当に面倒だ。まず前提として〈魔法理論〉に極めて精通している必要がありますし、精通してさえいればポンポン作れるというわけでもない。大変な集中力、胆力……そして、時間が必要になるのです」
博士が箱たちにちらりと視線を向けて、調査官たちの視線もやはりそこに向く。収納された〈魔法陣〉の一つ一つが、その集中力、胆力、時間を捧げて作られた、結晶というべきものなのだ。
「しかもいざ〈魔法陣〉が完成しても、たった一度使えば効力を失ってしまう。実際、ほとんどの〈魔法使い〉は自分で〈魔法陣〉なんか描かず、無制限発動が可能な〈精霊〉たちに頼んでいるはずです」
博士はちらりと、調査官に同伴している数人の〈魔法使い〉の方を見た。博士の予想は的中しており、彼らも大部分の例にもれず、汎用的な魔法を代行発動してくれる〈精霊〉を利用している。もちろん〈精霊〉も、種類によってそれ相応の難易度というものがある。しかし、〈魔法陣〉をゼロから描くのに比べれば、〈精霊〉の扱いに習熟する方が間違いなく簡単だ。
「次に進みましょう」
博士は歩き出した。
◇
しばらく集団が研究所内を歩くと、さらに光景が変化した。
「こちらが『学習室』です」
床を走る魔力伝導線が放つ光に囲まれ、【造形精霊】の助力による複雑なシルエットを纏って、椅子と机が置かれている。
博士は意気揚々と、この空間の意義について解説する。
「人工〈精霊〉技術には色々なアプローチがありますが、今回は『学習』の手法を取りました。先ほどの『書庫』に存在する様々な文献を、〈精霊〉の……『型』とでもいうべき存在に読み込ませるのです」
魔力照明の冷たさもあって、空間が纏う雰囲気は無機質なものだ。
「より具体的には、人為的なノイズの付加とその逆算であったり、敵対性を有する二つの学習者であったり……まあ、細かい話は良いでしょう」
それを前にした調査官たちの間に、何か……騒めきとでもいうべき空気が生まれる。
「……博士」
一人の調査官が、手を挙げた。
「何ですかな?」
「君は何をしようとしているんだ?」
「……それはもう。アリシア王国に忠誠を誓う全ての魔法研究者の例に違わず。【究極魔法】を発見しようとしているのですよ」
「そういうことを聞いているのではない。そもそも、この研究所における資金使途はあまりに不透明で―――」
「もう少し」
博士は、いやに重い声色で言った。
「奥に行ってから、お話ししましょうか」
◇
「博士、どういうつもりだ」
歩みを追い越し、追及の声が走っていく。
「先日……というか、昨夜。この近辺で『異音が聞こえた』という報告が相次いだ。老人の声のようだったという話だ」
足音。博士は答えない。
「報告のあった地点を地図上にマークしてみると、どうやら円を描いているらしいことが分かる。中心は、この研究所だ」
足音。博士は答えない。
「確かに、君は王国から人工〈精霊〉の研究を任されている。しかし……何か、聞いていた話と違うぞ。そこまでの汎用性を持たせる予定はなかったはずだ」
足音。博士は答えない。
「博士―――」
「皆さん」
自分を追いかける声を遮ると、博士は立ち止まって紹介した。
「ご覧ください。巨大な〈魔力結晶〉でしょう?」
それは透き通るような紅だった。
台座の上に乗せられて、空間に散らばる光を反射しながら、博士の歓喜の表情を映し出しながら。……そのすぐ近くに掲げられた、複雑な〈魔法陣〉が描かれた巨大な幕と共に、研究所の最奥に鎮座していた。
「待て、博士」
静止の声が響く。博士は止まらない。
「待てと言っているだろう! やれ!」
「【ポル・リ・ヤ】!」
護衛役の〈魔法使い〉が〈詠唱〉を行い、【石礫精霊】を召喚する。眩い光と共に発生した人類ならざる小躯が、魔力を消費しながら小さな岩塊を創り出し……飛ばす。ひゅん、という音とともにそれは飛翔して、博士の脇を掠める。
博士は流石に立ち止まり、振り返った。その口角は、明らかに上がっていた。
「いい加減にするんだ、博士。次動けば躊躇なく心臓を狙うぞ」
「……まったく、物騒なことですな」
「物騒だって? 物騒なのは君だ。この〈魔力結晶〉は何だ? こんなものは予算報告書に記載されていなかったはずだぞ」
「……」
「確かに、君は……『特定の〈魔法陣〉を作り出す〈精霊〉』、それを研究していたはずだ。しかしあの膨大な資料は何だ?」
「……」
「〈精霊〉の目的はあくまで『特定の』魔法陣。あれだけの資料を『学習』する必要はないはずではないか」
「……」
「そして……昨夜の異音。あれは、君が魔法を使って引き起こしたものではないのか?」
「……」
「答えろ! 答えるんだ博士!」
そこで言葉は遮られた。
博士は床の魔力伝導線を介して、予め仕掛けてあった【火炎魔法】の魔法陣を発動した。そして、調査官たちの前方に炎の壁を作り出した。〈詠唱〉の一つもありはしなかった。当然の話だ、〈魔法陣〉に詠唱は必要ない。調査官たちがざわつくのを背中で聞きながら、彼はゆっくりと〈魔力結晶〉へと歩いていき、その表面に描かれた自分の鏡像を、いっそうくっきりしたものへと変じさせていった。
「……少々邪魔が入ったが、おおむね予定通りだ。やろう」
彼がそう呟いたところで、
「やめろ! 【ポル・リ・ヤ】!」
〈魔法使い〉のうちだれかが、炎に阻まれているのも厭わずに、石の礫を放って見せた。
声が炎の向こうで響き、ものすごい速度で石ころが飛ぶ。
「がっ」
そして、博士の心臓が一部穿たれる。穿たれただけであるということもでき、実際、博士は生きていた。
もうすぐ死ぬと分かっていながら、だくだくと流れる血液を床に残し、〈魔法陣〉へと這い寄った。
そして傍らの〈魔力結晶〉を、すべてその〈魔法陣〉に注ぎ込んだ。
「おい博士! 何をする気だ! 博士!」
幕に描かれた陣が、起動する。より具体的には……【入力された音声を範囲内に放送する魔法。傑作。高度に動作する。矛盾がない。魔力燃費が良い。大魔法。範囲は魔力量に依存。低音質。できる限りの低音質。発話による音声入力。反・高音質。反・聞き取り不能。反・駄作。反・矛盾。反・雑音。】の陣だ。つぎ込まれた膨大な魔力は、魔法が及ぶ範囲をおそろしく広げる。具体的には、エリシア王国をすっぽり包むほどだ。
博士は口を開いた。彼はとっくに狂っていたので、胸部に潜む痛みや熱も、大した障壁とは感じていなかった。
「エリシア王国の諸君!」
〈魔法陣〉が光っている。
「簡潔に伝える!私は【言葉で伝えた〈魔法陣〉を自動生成する精霊】を完成させた!」
〈魔法陣〉が光っている。
「王国内であればどこだろうと、【ヴィル・テル・プル】の〈詠唱〉で出現させられる!ただし、一日に使用できるのは一人一回までなので注意せよ!」
〈魔法陣〉が光っている。
「後は……そうだな」
博士は逡巡した。好きな魔法陣と言っても実行には相応の魔力が要るとか、『傑作』と入れるとちょっとクオリティが上がるとか、伝えた魔法内容が同じでもよっぽどのことが無ければ被りは出ないとか、色々と伝えたいことはあった。しかし彼がここ数日で完成させた【入力された音声を範囲内に放送する魔法】は……伝えられる情報の少なさと引き換えに、どうにか魔力の燃費を確保している。彼自身ももうすぐ息絶えるだろうし、あまり長い言葉は込められない。
彼は思案して、口を開いた。
「どうか【究極魔法】を見つけてくれ」
そして、博士は息絶えた。
【火炎魔法】が晴れる中、慌てて駆け出す調査官たちの足音は、まったくもって不規則で、統率の欠片もないものだった。