95.迎撃戦準備
バナバザール侯爵が治める街。この街にはダンジョンがある。
ダンジョンの入口には冒険者ギルドの職員が立っており、ダンジョンに挑む冒険者たちの入場を管理している。
現在の時刻は正午すぎ。
冒険者は朝早くからダンジョンに潜入するため、この時間、ダンジョンの入口前の広場には数人のギルド職員と、情報交換のためにやってきた冒険者、ダンジョン内から転移陣を使って戻ってきた冒険者しかいない。
この場で露店を構える商人たちも、そろそろ店じまいしようかと考えている時間帯だ。
そんな入口前の広場の脇には転移陣がある。ダンジョン内の各所に設けられた脱出用の転移陣の出口だ。
そしてもうひとつ、転移陣がある。
その転移陣が光ると、疲弊しきった冒険者一行が姿を現した。
ルティアたちだ。
この転移陣は特技を転移魔法とするボナ子が作ったものだった。
「どうして! どうして戻って来てしまったんですか!」
「ボナ子を責めるなよ。あそこで戻らなくちゃ全滅していたぜ」
その場で膝をつき、ボナ子を睨みつけるルティアをキコアが諌める。
一行はオーガ村を走り抜け、ダンジョンの先を目指していた。
下階への階段を見つけ、落とし穴に落ちたフィリナとシアンタを救出しに向かうためだ。
ところがオーガ村の中ほどで、オーガたちに囲まれてしまった。
そんなとき、地震が発生した。ダンジョン全体を揺るがすような、大きな揺れだ。
オーガ村はダンジョンの中にある。天井が村の直上にもある。
この天井が、激しい揺れによって落ちてきたのだ。
ルティアたちを襲おうとしていたオーガに、天井が次々と降り注ぐ。
落盤事故はオーガ村全体に及び、逃げ場はなかった。
ボナ子は急いで転移陣を作り上げ、意を察したエリーたちが、抵抗するルティアを担ぎあげて、転移陣に飛び込んだ。
こうして一行は地上に逃れてきたのだ。
「私たちはフィリナさんを見捨ててしまったんですよ!」
「ルティアさん。だからと言ってオーガ村に留まるわけにもいきませんでしたわ。何なんですの、あの揺れは」
エリーはダンジョンに詳しいリナンに視線を向けた。
「はい。これまでダンジョン内であのような揺れがあったという報告はありません。今回が初めてだったと思います」
「これも魔王竜の魂の力の影響でしょうか」
転移魔法を使い、ことさら疲弊したボナ子が答える。
この広場にいる冒険者やギルド職員も、揺れのことを話題にしていた。地上でも揺れがあったようだ。
「だからって、フィリナさんが……」
「装備を整えて再び第4層の落とし穴があった場所に向かいましょう。今度は長い縄をたくさん用意して」
「でも、あそこに到達するまでに何日かかると思いますか!」
入口から第4層『4分の2地点』まで2カ月と10日もかかったのだ。
プエルタが声をかけるが、ルティアは焦りと不安で座り込んでしまった。
絶望と無力感が心と頭を支配していく。
「フィリナさん。フィリナさん。フィリナさん」
口が勝手に動いていた。心が無意識に呼んでいた。
止まってなんかいられない。そう自分に言い聞かせたルティアは、なんとか立ち上がろうとする。
もしも二度と会えなかったら。そんな恐怖という感情が目の前を埋め尽くす。重くのしかかってくる。
それらを振り払うように、ルティアは立ち上がり、ダンジョンの入口に足を向けた。
「フィリナさん、いま行きます」
「ん? あんなところに転移陣なんてあったか?」
キコアが異変に気付いた。
広場の片隅に転移陣があるのだ。転移陣は光っている。目立つ物なので見過ごすはずはない。
「リナンも初めて見ました」
このダンジョンで案内人をしているリナンも、初めて見る転移陣だと言う。
これまで転移陣がなかった場所に、転移陣が現れた。
「ここは? 地上だ!」
入口を目指していたルティアの耳に、ずっと聞きたかった声が響く。
転移陣から現れたのは、行方不明になっていたフィリナとシアンタだったのだ。
☆☆☆
「地上だ! どうして」
聖竜石のグアンロンが作ってくれた転移陣。そこを抜けて出てきた先は地上だった。
『魔王竜は地上を目指していた。地下を上昇する魔王竜の目前に転移陣を張り、ここに誘導して迎え撃ってやるのだ。魔王竜の魂の力が渦巻く地下に比べ、地上ならば多少は戦いやすい』
迎え撃つって言っても私とシアンタだけでは無理なはなしだ。
魔王竜を誘導できるのであれば、強い人たちがいるところにしてほしい。
例えば騎士団本部は……ダメだ。街の中にある。そんなところに魔王竜が出現したら被害甚大だ。
冒険者ギルドも街の中にあるからダメ。
そうなると、ダンジョン入口広場。ここなら街から離れていて冒険者も何人かいる。ここが妥当か。
「私とシアンタにできることといえば、騎士団や上級冒険者が駆けつけてくるまで、魔王竜を足止めすることくらいだよね。ねぇグアンロン。戦力が欲しいの。ダンジョンに残してきたルティアさんたちも、地上に戻すことはできないかな?」
『それは何者だ』
「何者って……」
『地下には多くの人間が潜入している。特徴を教えてほしい』
私が落とし穴に落ちたとき、私の前を歩いていた人だよ。
「特徴か。ルティアさんっていうのは、えっと」
「ここにいます!」
「え?」
「フィリナさぁぁぁん!」
「ぐはぁっ!」
いきなり誰かに体当たりされた。さらに身体を強く絞め上げてくる。
竜魔人? 違う。この抱きしめかたは。ほっぺの擦りつけかたは。熱いほどの涙は。
「ルティアさん!?」
「フィリナさん。ずっと会いたかった。ケガはしていませんか。痛いところはありませんか。寂しかったでしょう。辛かったでしょう。大変だったでしょう。でも、もう大丈夫です」
大変だったのはシアンタのほうだったけれど。
そんなシアンタは。
「みんなぁ! 良かったぁ!」
キコアとエリーに飛びかかっていた。
二人の真ん中に入り、腕を広げて抱きついている。
「シアンタ、抱きつくとか嫌いじゃなかったのかよ」
「どうでも良いんだ。また会えて、すごく嬉しい!」
「一体なにがありましたの?」
シアンタの歓喜の言葉に、キコアとエリーは困惑気味だ。
「ところでルティアさん、どうして地上に」
「えぇ、それが」
それから、お互いの身に起きていたことを伝えあった。
☆☆☆
「皇帝聖竜グアンロンさん。それに魔王竜の復活。これまでの揺れは魔王竜の魂の力……いえ、魔王竜の仕業だったんですね」
ルティアさんが表情硬く、頷く。
キコアたちは絶句している。
今からここでグアンロンの転移陣を使って、魔王竜を地上に移動させて、迎え撃つ。
放っておけば、地面のどこから出てくるかわからないんだ。
それに魔王竜はダンジョンの天井を破壊しながら上昇中らしい。
事情を知らない冒険者と遭遇させるワケにはいかない。
「この広場が戦場になるっていうのかよ」
キコアがやっと口を開いた。
この場にいる人たちにも迷惑がかかる。
シアンタは先ほどからギルド職員に状況を説明している。
私たちはシアンタの様子を見に行った。
「お願いだよ。ここに冒険者と騎士団を集めて!」
「5日前にバイオンのパーティが地上に戻ってきた。キミが深奥に向かったことも聞いている。だが魔王竜が復活だって? しかもこの場所に現れる? 本当なのか」
シアンタは頭を下げてお願いするものの、ギルド職員はなかなか信じてくれないようだ。
「さっきから地震が起きているよね。今までこんなことあった? 魔王竜が地上に向けて飛んでくるんだよ!」
「しかし……」
シアンタは食い下がるけれど、職員の反応は変わらない。
このままでは埒が明かないか。
そんなとき。
「はなしは聞かせてもらったぜ。俺はシアンタの言うことを信じる」
声をかけてきたのは、この場にいた冒険者たちだ。あ、思い出した。
シアンタと初めて会った飲食店で、酔っぱらったシアンタと口論していた人たちだ。
「あのシアンタが頭を下げて頼んでる。最初は、あのシアンタが潜入記録を更新したって聞いて自分の耳を疑ったが。今日久しぶりに見かけて、信じることにした。そいつの目は本物の冒険者の目だ。ウソは言えねぇよ。なぁ、みんな」
まわりの冒険者も、そうだ、そうだと頷いてくれる。
冒険者の男性は続ける。
「これから魔王竜が出てくる。それを冒険者ギルドと騎士団に伝える。そして引っ張ってくる。それでいいんだな」
「うん。みんなありがとう!」
「シアンタが礼を言うなんてな。ギルドの職員さんよ、馬を借りるぜ」
冒険者たちが騎士団本部と冒険者ギルド、傭兵ギルドへ向けて馬を走らせた。
広場で露店を開いていた店主たちも、急いで街に戻り、休暇中の冒険者たちに、この事態を伝えてくれると言う。
「わかったよ。キミを信じよう」
この場にいたギルド職員たちは武装し、魔王竜に備えてくれる。
この広場には職員用の小屋があり、もしもダンジョンの入口から魔物が出てきたときのために、多くの武器を保管しているという。
入口の監視は24時間体勢のようだ。
「グアンロン。魔王竜は今、どこに?」
『入口から4つ目の転移陣。その少し下あたりだ』
4つ目? それって第2層と第3層のあいだってこと?
第2層では多くの冒険者が活動中だ。第2層を壊されるワケにはいかない。
「急いで魔王竜を誘導して。みんな、準備はいい?」
「ポーションは飲みました。いつでもどうぞ」
ルティアさんは頷いてくれる。
「魔王竜相手に準備なんて、一生しても、しきれないけどな」
キコアは額に汗をにじませながら、槍を構えている。
ほかのみんなも緊張している。
『ならばフィリナ、手を地面に置いてくれ。80年前の決着をつけるため、全力を使ってやろう。転移陣!』
グアンロンが、私の中で叫んだ。
私たちから少し離れた場所。広場の開けた場所に大きな転移陣が浮かぶ。
そこから現れたのは巨大な黒い竜。
『グロォァァ! 地上だと!』
死の魔王竜が地上に現れたのだ。




