93.聖竜剣士シアンタ
声に導かれ、地層から取り出したのは、かつての皇帝聖竜であり今は聖竜石のグアンロンさんだった。
はなしによれば、まもなく深奥にて魔王竜が復活してしまうという。
私は深奥に向かうべく、グアンロンの頼みを聞き入れたのだけれど。
「フィリナ、地上に戻ろう。そのほうが良いよ」
シアンタは今にも泣き出しそうな顔で、私に訴えた。
「え? シアンタ、あれだけ深奥に行きたがっていたよね」
ところが、シアンタは首を横に振る。
「ボクが最初、第2層の『4分の4地点』まで行ったことは伝えたよね。あのとき、タイラントタウラスに遭遇したんだ。小型だったから亜種だったと思うけど。それでもボロ負けして命からがら逃げ出したんだ」
「そうだったんだ」
「ダンジョンを攻略するには、特技を修得するしかないと思った。ボクにも街にも時間がないことは分かってる。だから、とにかく魔物と戦って特技を修得しようとした。戦い続ければ特技を使えるようになるって信じてた」
それが、あの無謀な戦いかただったんだ。
これまでシアンタは一人で戦っていた。ときには、とにかく魔物に突っ込んでいくようなスタイルだった。
焦っていたんだね。
「ダンジョンに潜入するたびに、第2層の『4分の3地点』まで行っては、怖くなって引き返していたんだ」
「でもシアンタは特技を修得できたんだよ」
「あれは違うんだよ!」
シアンタの目から涙があふれた。
「一度だけ父さんたちの魔物退治についていったことがあるんだ。父さんの特技はボクと同じ『魔竜討滅斬』。父さんが繰り出した技は、突風のような斬撃が地面を這って、魔物を呑み込んでいった。ボクがバイオンを倒したときのような、強化された斬撃ってものじゃなかったんだ」
「うん」
「ボクはまだ特技を修得していない。アンガトラマーは言っていた。聖竜剣士でもダメなヤツはいるって。ボクはなれない。フィリナが思っているような名誉侯爵家の娘じゃないんだ!」
ここに来て、再びシアンタが自信を失くしてしまった。
でも、地上に戻るって。それは聖竜剣士になることをあきらめ、聖竜剣をお祖父さんに返上すると言うことだ。
とりあえずルティアさんのもとへ戻ろうか。聖竜石に視線を落とす。
『もう時間がない。人間か魔竜か分からぬ者が、魔王竜石に良からぬことをしている。いや……もしや既に』
既に!? もう復活しているかもしれないってこと?
それほど時間がないのなら私たちだけでも深奥に向かうべきだ。
でも泣きじゃくる子を戦地に連れていくわけにはいかない。
鈍色の竜魔人はスイルツだ。きっと苦戦を強いられる。
私一人でスイルツを撃退して、魔王竜石を砕けるだろうか。
やっぱりシアンタの力が必要だ。もう一度、シアンタに私の思いを伝えるべきか。
「ねぇフィリナ、帰ろう」
「ごめんシアンタ。時間がないみたい。私たちだけでも戦うべきだと思う」
シアンタの表情が一層の悲しみに染まってしまった。
「フィリナはずるいよ。だって特別なんだもん。特技の魔法、たくさん持っているんだもん。魔物なんて怖くないよね」
ずるい。そんなふうに言われるなんて、この世界に来る前は想像もしていなかったな。
「フィリナがボクを剣術の先生に選んでくれたとき、思い出したんだ。子供の頃、父さんはボクに剣術を教えようとはしなかった。女の子だから。でもボクは習いたくって。何ヶ月も頼んで、やっと教えてもらえたんだ」
涙を拭いながら、シアンタは続ける。
「子供の頃のボクと、あのときのフィリナが重なった。フィリナの剣の腕はまだまだ伸びる。こんな所で死んじゃダメだ」
どうする? もうすぐ魔王竜が。
『仲間を死なせたくないのなら、泣いてないでテメぇで決着つけろよ』
シアンタが背負っている聖竜剣だ。
『今なら復活する前かもしれない。もしや復活の途中なのかもしれない。最悪、復活していても寝起きだろうよ。倒せる機会があるのであれば、その場にアルバレッツの者がいるのであれば、討滅させるのが筋ってもんだ』
するとシアンタは沈黙した。
そして背中の聖竜剣を抜き、正面にまわす。しっかりと見るために。
「ボクのはなし、聞いてたの? ボクは弱い子。みんなの助けがなくちゃ戦えない。バイオンのときだって、そうだった!」
せっかく涙を拭ったその目は、再び決壊してしまった。
シアンタは聖竜剣を足下に落とした。そして膝を崩して蹲ってしまう。
「ルティア、キコア、エリー、リナン、フィリナ! みんながいたから戦えたんだ。ボクは弱い。一人じゃ無理だって分かったんだ。こんな怖いところで、もう戦いたくない!」
『それでいいんだ、シアンタ!』
「えぇ?」
ボロボロと溢れる涙が、聖竜剣の刀身を濡らしている。
そんな聖竜剣をシアンタは不思議そうに見下ろしていた。
『それでいい。仲間の協力を必要としない聖竜剣士なんていないんだよ。自分一人で全てを解決できると思い込んでいるヤツは、聖竜の力も必要としない。俺様だって力を貸さない。天職が聖竜剣士だろうが、聖竜は助けはしない』
「アンガトラマー?」
『今、オマエは自分の弱さに気付いた。やっと80年前の俺様の相棒に一歩近づけた。強いだけのヤツは相棒には向いてない。弱さを知っているヤツが相棒になれる』
シアンタは嗚咽を殺しながら聖竜剣のはなしを聞いている。
『ルティアたちに会いたいか。仲間と過ごせる平和な街がほしいか。だったら弱くても戦ってみろ。アイツらと再会するために、もう一度、共に歩むために』
「……ムチャ言わないでよ! ボクだって、戦って、勝ってもう一度、みんなと一緒に。……でも分かるもん、本当の気持ち。怖いんだ!」
『ならば人間よ。弱さを自覚し、強大な敵に恐怖をし、それでもなお平和な世界を望むのであれば、聖竜アンガトラマーが力を貸そう。オマエの天職は聖竜剣士。俺様を手に取れ。立ち上がれ。相棒になってやる!』
「ううぅ……」
「ねぇシアンタ」
私は彼女を真っ直ぐ見つめた。
「たしかに私はずるいよ。神様からたくさん特技をもらったんだもん。でも、このずるさでみんなを、神様から紹介された仲間を守れるというのなら、ずるいって言われてもいい。このずるさでシアンタも守ってみせる。だから戦ってみよう。聖竜剣士になるために」
泣いて、涙を拭い、嗚咽を飲み込み、それでも溢れてくる涙に、歯を食いしばり。
シアンタは聖竜剣を手に取った。
★★★
時間は少し前に戻る。
ここは第4層『4分の2地点』。
皇帝聖竜グアンロンにより、フィリナとシアンタが落とし穴に落ちた場所である。
「フィリナさーん!」
「シアンタぁぁぁ!」
エリーとキコアが落とし穴の底に向かって呼びかけるが、応答がない。
落とし穴は光りがささない暗闇だ。相当深いことがうかがえる。
「フィリナさん……そんな」
ルティアはショックのあまり、その場で膝が崩れてしまった。
「誰も罠、気付きませんでしたね」
「はい。それどころか、落とし穴の上はリナンたちも通過したはずです。どうして後ろを歩いていた二人だけが落とし穴に」
プエルタとリナンが顔を見合わせる。
ボナ子は落とし穴を覗き込むが言葉も出ない。
「どうする。穴を下りようにも、縄はあるけど長さが足りないぜ」
「装備なしで降りられる深さでは、ありませんものね」
キコアとエリーは頭を抱えた。
「助けに行くにも、この深さでは……これが第4層。あ、ごめんなさい」
プエルタは失言を謝罪した。この場にいる者たちはフィリナとシアンタの生存を信じている。
沈黙が続く。考える者。誰かの答えを待つ者。
そんな中、ルティアは立ち上がると、落とし穴の前に立った。
「ルティアさん?」
穴を覗きこんでいたボナ子は、ルティアのただならぬ気配を感じ取る。
「リナンさん。縄、カバンにありますよね。貸して下さい。助けに行きます。早く!」
「ま、待てよルティア。俺たちのはなし聞いていたかよ。ここから助けに行くなんて無理だって」
「キコアさん。フィリナさんはケガをしているハズです。助けを待っているハズです。それなのに、私が助けに行かなくて、どうするんですか!」
「冷静になって下さい。ちゃんと考えましょう」
ルティアは止めようとするプエルタを睨んだ。
あまりの気迫にプエルタは縮みあがってしまう。
「私は妖精使いです。こんな穴なんて」
ルティアは妖精猫ミックを出すと妖精憑依した。
まずは落とし穴の縁に座り、中をよく観察する。
猫の妖精と憑依したルティアの視力は上がっている。
暗闇でもよく見える。落とし穴の内部の壁。どこかに手をかける場所はないか、足場となる突起はないか、入念に観察する。
「そこまでですわ」
「ひゃっ」
エリーは、そんなルティアを担ぎあげた。落とし穴から距離を取る。
「な、何をするんですかエリーさん。下ろして。ひっかきますよ!」
「だから冷静になって下さいまし。ほかのパーティの冒険者が落とし穴に落ちたところに遭遇した場合、あなたは今のような行動は取らないのではなくて?」
「うぅ……」
「落とし穴を下りて助ける手段はあり得ませんわね。ほかの手段を考えますわ」
「……」
大人しくなったルティアを、エリーはそっと下ろした。
「先に進みましょう。下階に下りる階段が、この先にきっとあるはずです」
落ちついたルティアは通路の先を見る。
「この落とし穴、これまでのモノと違うように思えます。普通の罠ではありません。下階に下りれば、何か分かるはずです」
「私も同じことに気付きましたわ」
エリーが頷く。
「では、先に向かいましょう。二人は絶対に生きています。フィリナさんは、勝手に私の前からいなくならない。そう信じていますから」
一行はダンジョン潜入を再開する。
「少しは冷静さを取り戻したみたいだな……おっ、なにかある!」
キコアは通路の脇にある小部屋を見つける。
「この部屋は。おい、下に続く階段があるぞ」
一行はさっそく階段を下りてみる。幸いにして罠も魔物も出てこなかった。
そして、下りた先にあった光景は。
「これは……」
プエルタは立ちつくす。
いつかルティアたちの前に現れたオーガ村。同じ規模の村が、ここ第4層にも存在したのだ。
村の入口は100メートルほど向こうにある。それでも何体もの巨大なオーガが闊歩しているのが見てとれる。
その場のほとんどの者が立ちつくす中、ルティアが一歩踏み出した。
「ここを、抜けます」
「抜けるって、フィリナさんとシアンタさんがいない状況ですのよ。この先に出口があるとも限らないのに」
「エリーさん。フィリナさんは、もっと過酷な状況に身を置かれているかもしれません。私にはフィリナさんの泣き声が聞こえるんです。オーガと戦う必要はありません。皆さん、駆け抜けましょう」
「ここを、通るんですか!?」
ボナ子は震えあがる。
ルティアは黙って、村の入口へ歩いていく。
「こりゃ、まだ冷静じゃねぇな。もう引き返せないか」
キコアが嘆きながら鋼鉄の槍を強く握る。
オーガの何体かはルティアたちに気付き始めた。
一行は全速力で村に突入するのであった。




