91.皇帝聖竜グアンロン
第4層『4分の2地点』を進んで1時間経過したときのこと。
私とシアンタの足下は落とし穴となり、果てしなく落下していった。
フィリナさんが私を呼ぶ声が頭上に響く。
あまりの急な事態に対応ができない。
「うわっぷ!」
ずいぶん深く落とされたと思う。
混乱の中、行きついた先は硬い床面じゃない。水だ。それも温水。しかも流れが急なんだ。
「シアンタ! ゴボゴボ」
「フィリナっ! ぶくぶく……」
温水の流れが早すぎる。
それに暗くて、お互いの位置、自分たちが着水してから、どういう状況なのか把握できない。
とにかく流されている。私は温水の中でもがきながら、恐竜と魔法の力を使うこともできずに気を失ってしまった。
☆☆☆
『シアンタ! フィリナ! 目を覚ませ!』
「ここは?」
聖竜剣の声で気付いたら、岸辺に流れついていた。
岸辺と行っても畳二畳分の地面があるくらいだ。
その先は絶壁だ。光る苔があるおかげで、現状が把握できる。
私は肩から上を水面から出して、足場に両腕を置き、頭を横たわらせる体勢で目覚めた。
隣を見れば、シアンタが同じ体勢で気を失っている。手には聖竜剣がある。
ここの温水の流れは緩い。
運よく、落とし穴の底は地下水脈となっていて、流れが緩い支流に行きついたみたいだ。
「シアンタ! 起きて!」
私は地面に這い上がって、シアンタを引き上げる。
「うう……?」
よかった。それにしても、ここは?
目覚めたシアンタを引き上げて、その場に座り込む。
「シアンタ、大丈夫?」
「うん……」
ケガはないようだけれど、ショックが大きいようだ。座り込んだシアンタは膝を抱え込み、黙ってしまう。
さて、ルティアさんたちと分断されてしまった。
脱出しようにも、背後は絶壁。硬そうな岩盤だ。
この場は畳二畳分の空間。目の前には地下水脈。
戻るにしても不可能だ。ルティアさんたちと合流しようにも、どうすれば?
そもそも、私たちは落とし穴のスイッチを踏んだっけ?
疑問だらけだ。この場をやんわりと照らす光る苔も心細い。
「どうすれば」
「う……ひっく。うぅ……」
「シアンタ?」
泣いていた。ケガはないのに、どうしたことだろう。
「どこか痛いの?」
シアンタは首を振った。
「じゃあ、どうして」
「そういうフィリナは、どうして冷静でいられるのさ!」
ん? シアンタは泣きながらこちらに抗議の視線を向けてくる。
「戻ろうにも地下水脈があるし、落とし穴を上ろうにも、それがどこにあるのか分からない。みんなと離ればなれになったんだよ。この先一体どうすればいいのさ。ここはもうダンジョンじゃない。死に場所だ。どうしてフィリナは平気でいられるの!」
平気ではないけれど。ルティアさんたちのことだ。私たちがいなくても、ダンジョンの深層に辿り着くことは無理でも、死ぬことはないだろう。
キメラのような魔物ならともかく、大抵の魔物にも罠にも対処ができると思う。
またキメラが出てきても、無理せず逃げてくれると思う。
別の世界から来た私にとって、仲間が同じ世界で生きているのであれば、わりと冷静でいられるのかも。
ところがシアンタは泣きじゃくる。
「ボクはみんなに会いたい。エリーは初めてできた貴族の友だちだ。これまで貴族主催のパーティーで貴族の女の子と出会ってきたけれど、仲良しにはなれなかった。ボクはキコアが作る料理が好きだ。ルティアはお姉さんみたいで、一緒にいると安心できた」
シアンタの涙は止まらない。意外だった。
シアンタはルティアさんたちのことが、こんなにも好きだったんだ。
「リナンは偉いよ。戦えないのに、仕事を全うするため、きちんとついて来ている。ボナ子は良い子。プエルタさんは優しい。いま気付いた。ボクは楽しかったんだ。みんながいたから第4層まで来ることができたんだ。でも、もう……会えないんだ!」
泣きじゃくっている。そうか。不安なんだ。まだ12歳だもんね。
たしかに現状は楽観できない。
畳二畳分の地面。この場所は明るいけれど、地下水脈は暗い。泳いでこの場から脱しようにも、方向感覚が失われるだろう。別の陸地がどこにあるかもわからない。
私だって不安だ。シアンタのためにも、この事態を打破しなくちゃ。
『良く来てくれた』
また声が聞こえた。第4層に来てから、たびたび聞こえる声だ。
落とし穴に落ちる直前も、同じ声が聞こえたんだ。
「誰なの?」
『我が名は皇帝聖竜グアンロン。我はここにいる。手に取ってほしい』
聖竜? ここにいるって?
声がしたほうは、背後の絶壁だ。この先にいるということ?
『フィリナ、俺様にも聞こえたぜ。皇帝聖竜だと。聖竜の中でも大物じゃねぇか』
「ボクには聞こえなかった」
聖竜剣にも聞こえたようだ。
「私をずっと呼んでいたのは、あなたなの? もしかして、この場所に呼んだのも」
『ウム。やっと我の力が及ぶ範囲にやってきてくれた。火急を要したのでな。縁のある者に声を届けるにも力を使う。まずは我をここから取り出してくれぬか』
声は絶壁の向こうから聞こえてくる。ここを崩した先にいるってことかな。
絶壁を壊すとなるとブルカノドン×火炎だろうか。でも絶壁は目の前だ。
魔法の火の玉が絶壁に当たれば、破片が飛び散る。
この場で魔法を使うのは危ない気がする。
「う~む」
『縁ある者よ。自分の力も把握していないのか。我が導いてやろう』
把握していない力?
竜魔人バイオンとの戦いで3つの恐竜×魔法が解禁された。『アーケオプテリクス×飛翔』以外の力は、まだ分からない。
「もしかして、教えてくれるの?」
ステータスオープン。左右に恐竜と魔法の画面を出し、視線を配る。
「フィリナ、何をしているの?」
やはりシアンタにはステータス画面は見えないようだ。
『その竜だ。その特異な竜を選べ』
二枚目の恐竜の画面を眺めていると、声の主であるグアンロンが指示をしてくれる。
グアンロンの言う特異な竜とは、リムサウルスという恐竜だ。二足歩行の恐竜で、ほっそりとしているけれど、特異という感じはしない。
それとも聖竜にとって、恐竜は特異なものなんだろうか。
次に魔法の画面に手を這わせる。
ある文字の上に手が移動したとき。
『それを選ぶのだ』
それとは、『地面泥化』という魔法だった。地面が泥になるの? こんなの自分では絶対に選ばない。
『地面泥化』に触れてみる。これで『リムサウルス×地面泥化』という組み合わせを選んだことになる。
『ガオオオン! 解禁された恐竜×魔法を選ばれました!』
当たった!
「どうしてわかったの?」
『縁のある者と我の波長が似ているからかも知れぬな。それにしても神はどうして、このような奇妙な力を、この者に授けたのだ』
「それで、この力はどうやって使うんですか」
『岩肌に触れてみよ』
岩肌って、私たちとグアンロンを隔てる絶壁のことだよね。
言われた通り絶壁に触れてみる。すると……。
ぐにゃあ。
触れた箇所が泥になったのだ。泥はべっとりと下に落ちる。
もっと絶壁に触ってみる。触った個所が次々と泥に変わる。
泥なので手で払いのければ、あっという間を掘れる。
『そうやってワシまで辿り着くのだ』
じっとしていても始まらない。魔力の消費量は4。
朝、聖竜剣に魔力を20ほど与えたので残りの魔力は76だ。まだ余裕がある。
泥を掻き分けていると、突然、硬い岩盤に戻ってしまった。
「1分経ったみたい」
手に取れる岩盤は邪魔なので地下水脈に放りこむ。足下の岩盤は蹴って地下水脈に落とした。
再び『リムサウルス×地面泥化』で岩盤を柔かくして掘り進む。
「この方向であっているのかな」
『そのまま掘り進んでくれ』
触れた箇所が泥になる。泥になった岩盤は、一分間は泥のままだ。
『リムサウルス×地面泥化』を連続使用して柔かい泥のまま地下水脈に投げ捨てる。
手や顔が泥だらけになってしまうけれど、あとで地下水脈で洗えばいい。
泣きじゃくっていたシアンタも手伝ってくれる。
その表情は暗いままだけれど、私が必死に掘っているから手伝ってくれているようだ。
5分経ったところで、背後の絶壁は深さ5メートルほどの洞窟になった。高さは私たちが立って入れるくらいだ。
「これは?」
泥を掘っていると、直径30センチメートルくらいの、いびつな多面体の石が出てきたのだ。
『これが我だ』
手にすると声がハッキリと聞こえた。
泥を払うと、キレイな表面が見えた。
『それは聖竜の魂。聖竜石だ』
聖竜剣が声を上げる。すると、聖竜剣も以前はこんな形だったのかな。
「剣を作るにしては、小さいような」
『皇帝聖竜は何十年も、この地で魔王竜の力を抑え込んでいたんだ。聖竜石もしぼんじまったんだろうな』
『…………』
とりあえず聖竜石を地下水脈で洗ってあげる。するとキレイな結晶のような外見を現したのだ。
「私をここまで導いてくれたんですね」
『そうだ。改めて挨拶しよう。我はグアンロン』
「私はフィリナ。そこにいるのは聖竜剣士のシアンタと聖竜剣のアンガトラマーです」
聖竜石のどこに目があるのか分からないけれど、シアンタたちを見せてあげた。
シアンタも聖竜石のグアンロンに手を触れる。
『聖竜剣士も、よく来てくれた』
「ボクにも声が聞こえるよ。こ、こんにちは」
『皇帝聖竜か。80年もここで魔王竜の力を封じていたんだな。恐れ入るぜ』
『ウム……』
シアンタの背中の聖竜剣の挨拶に、グアンロンは元気なさそうに答えた。
「導いてくれたということは、用事があるんですよね」
『そうだ。この地に眠る魔王竜の魂を倒してほしい。復活する前にだ』
私の質問に対し、グアンロンの説明が始まった。




