37.子爵令嬢
子爵様の街を出て8日目の朝が来た。
「とっても助かったのです。マリッパはとても感謝しているのです。このご恩は一生忘れないのです。御隠居様にも全て報告するのです。アリガトウなのですよ!」
マリッパさんは手を振って駆けて行った。
ここは三叉路。
私たちは東から来た。西に行けば伯爵の街。北に行けば別の貴族領に辿り着くという。
マリッパさんは北に向けて駆けて行った。
「あの人、嬉しそうにしていたね」
「人助けができてよかったです」
私とルティアさんは笑いあった。
私たちは昨晩、マリッパさんと野宿した。
彼女に任務は、仕えている貴族が子爵様の街に出向くに当たり、道中に危険なモノはないか調査する仕事。
本来なら街まで行き、すでに貴族のもとに戻っていなければならない時期なのだという。
ところがマリッパさんはドン臭かった。街まで辿り着けていない。
けれど時期的には貴族のもとへは戻らなければならない。
私たちは子爵様の街から来たんだ。
これまでの道中の様子をマリッパさんに教えてあげたのだ。
「これなら、今から急いで戻っても怒られないのですよ!」
マリッパさんは大喜び。
今朝、貴族の下へ戻ったのだ。
貴族の人、すでに出発していなければいいけれど。
「なぁ……」
キコアが私とルティアさんに不安げな顔を向けてくる。
「あの人、御隠居さんにも全て報告するって言っていたよな。俺たちのことを報告したら、自分の失敗も報告していることにならないか?」
「あっ!」
そして子爵様の街を出て15日目の昼すぎ。
ついにピアノニッキ伯爵様の街に到着した。
「最後に出た魔物はマリッパさんを襲っていたオークだったね」
「伯爵領に入ってからというもの、魔物には遭遇しませんでした。それだけ治安の維持に努めているのでしょうね」
ルティアさん伯爵領に感心している。
私たちは貴族街に入り、お屋敷の前にやってきた。
子爵様の街でも大きなお屋敷を見かけたけれど、この屋敷は一段と大きい。
門番は私たちが護送の騎士隊だと確認すると、門を開けて中へ入れてくれた。
お庭に馬車を停められるほどの広い庭だ。
「子爵様のお手紙どおり、日を違わず到着しましたね」
お屋敷の門を開けて出てきたのは、目つきの鋭い女性だった。50代くらいかな。
騎士や兵士は女性の前に整列した。
ここは空気を読み、私たちも彼らのうしろで背筋を正して並んでみる。
「私はオスニエル子爵様の騎士、ウィナミルと申します。エリザベス嬢の護送のため参りました。今回の護送の責任者を務めさせていただきます」
「私はエリザベスお嬢様に仕える侍女でございます。お嬢様からは『ばあや』と呼ばれております。よろしく」
ばあやさんは私たちに鋭い視線を送ってきた。
「騎士が三人、兵士が三人ですか。まぁ、いいでしょう。伯爵領は安全ですからね。そして後ろの三人は?」
「今回雇った冒険者です」
「冒険者? まだ子供ではありませんか!」
すごく睨まれている。
冒険者は10歳から登録できるというのに、何がいけないの?
「ご安心を。あちらにいるルティアという者は13歳にしてDランク、私の妹でもあります。護衛が必要といえども、半月も男に囲まれていてはお嬢様も心苦しいかと思いまして、同じ年頃のはなし相手として連れて参りました」
「まぁ。お心遣いありがとうございます。少しは配慮のできる騎士が子爵領にはおられるようですね」
そう言いながら、ばあやは全然喜んでいるようには見えなかった。
「ばあや?」
元気のない声とともに、屋敷の扉が開き、女の子が姿を見せた。
手入れの届いた長い髪。緩やかなウェーブがかかっている。
ふんわりとしたスカートがよく似合う。
お嬢様って感じだ。でも、なんだか暗い。
「お嬢様。丁度良いいところに。彼らは明日からお嬢様の護衛を務める騎士隊の皆さんです。これで伯父子爵様や従兄妹殿とお会いできますね」
「うん、皆の者、よろしく頼みますわ」
騎士たちが恭しく頭を下げる。ここは真似しておこう。
それにしても、なんだか元気のないお嬢様だな。
☆☆☆
御令嬢を連れて出発するのは明日の朝だということで、私たちは使用人が普段使っている、屋敷の離れに泊めさせてもらった。
では屋敷の使用人たちはというと、ほとんどいないのだそうだ。
御令嬢の父親の葬儀があり、ご遺体が子爵領へ移送されると、多くの使用人が別の貴族のもとへ引き取られた。
今いる使用人も御令嬢が出立したのち、別の貴族のもとへ向かうんだという。
御令嬢は親を失い、使用人とも離れ、生まれ育ったお屋敷からも旅立つことになる。
「そりゃ元気も出ないよね」
私はこの世界に来て初めてのベッドに潜り、眠りについた。
翌朝。
屋敷の庭には御令嬢の荷物を載せる幌馬車と、上品なつくりの箱馬車があった。
「あの箱馬車にお嬢様が乗るんだね」
「きっと魔法金属のマジリル製なんだろうな」
魔法金属は軽くて頑丈なんだそうだ。
騎士団の荷馬車にも使われていて、魔剛馬に引いてもらうには丁度いい。目的地まで早くつける。
でも乗り心地は悪いのだ。
ここに着くまでの長距離を、わずか半月でやって来られたのはスゴイのだけれど、快適な旅とは言い難かった。
帰りも半月で戻る予定だという。
するとお嬢様も快適ではない旅路に赴くということだ。なんだかかわいそう。
キコアと二人で箱馬車を眺めていると。
「いかがしました?」
ばあやだった。笑ってない。
昨日からずっと真面目な表情だ。
「私に話しかける分には遠慮は無用です。何か気になることがあったらどうぞ」
「いえ、その、お嬢様にとって魔剛馬による馬車旅は大変じゃないかなって、思いまして」
「心配ご無用。あの馬車は王国の北側にあるテンダクル皇国の職人が作ったもの。馬車の下部に工夫が施されているため、乗り心地はよろしいのです」
へぇ。それなら安心だ。
「本当だ。なんだか見たことのないマジリルのクルクルした物がくっついてるぜ」
キコアは箱馬車を下から覗きこんでいた。
なんだろうかと私も覗きこむ。
車輪の近くに金属状の大きなスプリングが見えた。
ほかにも色々くっついている。どこかで見たことがある。
子供の頃見た自動車の図鑑。クルマの裏側の写真。テレビ番組の技術者のインタビューとか何とかで……。
「思い出した。サスペンションみたいだ」
揺れを抑える緩衝装置だっけ。あと色々な機能が……。
「キコア。サスペンションってこの世界にあるの?」
「なんだよ、そのサスぺって」
「スプリングは? 金属のクルクルしたものは?」
「見たことねーよ。どうしてクルクルさせるんだ?」
この世界の技術じゃない?
やっぱり私の世界の技術だ。
私と同じように、この世界に来た人がテンダクル皇国にいるんだ。
「ばあやさん。皇国の職人は天職・特技を持っていますか。私と同じで黒髪の黒目ですか」
「さ、さぁ? そこまでは存じませんが」
きっと私と同じ人がいるんだ。
ばあやさんは御令嬢の出発準備があるからと屋敷に戻った。
何人かの使用人が荷物を荷馬車に詰めていく。きっと御令嬢の荷物だ。
しばらくすると、御令嬢が使用人を引き連れて屋敷から出てきた。
「お嬢様。準備はできております」
「はい。皆さん、お世話になりました。新たな職場でもお元気で」
御令嬢は使用人に挨拶をする。
「お嬢様。あなたは我々の新たな勤め先が決まるまで、この屋敷に留まってくれた。早く伯父様のもとで安心したかったでしょうに」
「これまで世話してくれた使用人を路頭に迷わせるわけにはいきません。それは貴族の務めでもありますわ。これまで、ありがとう」
「もったいなきお言葉です……」
使用人の中には泣き出す人もいた。
どうやら着いていくのは、ばあやさんと馬車の御者を務める使用人だけのようだ。
「おお、間にあったか」
門から大きな箱馬車が入って来る。
出てきたのは白い歯を輝かせた背の高い男の人だった。
整った口ひげ、上等な服。
外国の役者みたいに顔が濃いけど、きっと貴族だ。
「ピアノニッキ伯爵!」
御令嬢が男の人に駆け寄る。
すると、この人が伯爵領の偉い人か。
「エリー、キミまでいなくなってしまうなんて僕はさびしいよ」
「伯爵、親子ともども、これまでお世話になりました」
「キミの御父上にはとても助けられた。ゆえに僕の力の及ばなさが情けない。僕自らが指揮し、増援を送っていれば」
「父は戦いの中で死にました。本望だったはずです」
「キミは親友の娘だ。いつでも相談に乗ろう」
伯爵は腰をかがめ、御令嬢を抱きしめた。なんだか良い人そうだ。
「伯爵ぅ、僕にも挨拶させて下さいよ」
箱馬車から声がした。
その途端、御令嬢の表情が歪む。怒っている? 怖がっている?
様子がおかしいことが容易に伝わってきた。
箱馬車から出てきたのは癖毛で目玉の大きな男だ。花柄のスカーフを首に巻いている。
「マルネス子爵……」
「エリザべスお嬢さんが伯爵領から出ていくと聞いて、僕も悲しくなってねぇ。お母上が亡くなり、今度は魔物にお父上が。そして身寄りのなくなった娘さんまでいなくなってオスニエル家は空っぽ。いやぁ悲しくてショウガナイ」
「私も悲しいですわ。お世話になった方々と別れなくてはならなくて」
すでに伯爵から離れている御令嬢はマルネスという男を見上げた。
悲しそうだけど、目が相手を睨んでいる。
それはマルネスも同じだった。
「いやぁ。でもさ、いつまでも貴族一人が死んだからって悲しんでいられないからね。これからは僕一人で伯爵を支えなければ。伯爵領の安全も金の力で維持してみせよう。でもお嬢さんと会えなくなるのは悲しいな」
御令嬢は、それ以上何も言わず、頷いて答えた。
御令嬢が箱馬車に向かう。そのとき彼女は。
「マルネス子爵。私だって悲しいですわ。あなたとの決着がついていなくて」
すごく小声で、偶然近くにいた私くらいしか聞き取れない声で、そう言っていた。




