32.SIDEルティア、再会
騎士団本部の応接室。
ルティアは上等な椅子に座り、兄のウィナミルを待っている。
ウィナミルとルティアはガストン男爵家に仕える騎士の子として生まれた。
兄は剣士の天職に恵まれ、特技も持っている。
将来は騎士になることを望まれ、本人も騎士になるべく、幼い頃から貴族の子と共に剣術に励んでいた。
数年前、兄は騎士になった。
だが、同時にオスニエル子爵の街へ出向するよう命じられていた。
下位の貴族は上位の貴族を助けるべく、有望な人材を送り出さなければならない。
ガストン男爵は援助の一環として、将来有望であるウィナミルを騎士としてを送りだしたのだ。
ルティアは兄と共に働きたい、自分も連れて行ってほしいと、父に懇願した。
当然、父は許さなかった。ルティアはまだ幼い。
たとえ幼くなくても、娘には騎士という職にはついてほしくないと考えていた。娘を武の道に進ませたくはなかったのだ。
ルティアは出立前の兄に泣きついた。どうか行かないでほしい。行くのなら私も連れて行って騎士にしてほしいと。
「ルティアは妖精とともに、父上と母上、そして男爵の街を守ってほしい」
兄は大きな使命感を胸に、子爵の街へ旅立ってしまった。
「きっと私が弱いからだ」
10歳になったルティアは男爵の街で冒険者登録をすると、妖精使いの特技である妖精憑依を駆使して魔物を狩り始めた。
その鮮やかな戦いぶりは噂になり、中級冒険者のパーティに迎え入れられ、ルティアは3年でDランクまで上り詰めた。
Dランクという文字が冒険者証に刻まれた翌日。
ルティアはガストン男爵の街を出た。
冒険者仲間に別れを告げ、母と友人に見送られ、父には呆れられ。
目指すは兄のいるオスニエル子爵の街。夢は兄と同じく騎士なのだ。
ルティアはテーブルの上のお茶を飲んだ。すっかり冷めてしまっている。
この部屋に通されてから、ずいぶん時間が経つ。
今日も、会えないのだろうか。そんな不安がよぎったときだった。
部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
扉を開けてやって来たのは兄、ウィナミルだった。
数年前よりもたくましくなっていた。
幼さが残っていた顔は、精悍な大人のものへと成長している。
ルティアは思わず立ち上がった。
「お兄さま、立派になられた」
抱きつこうかと思ったが、ここは交渉の場だとルティアは留まる。
「オマエも大きくなったな」
ウィナミルはルティアに着席を促した。
自身もテーブルを挟んだ椅子に腰をかける。
「ルティアはずっとお会いしとうございました」
ルティアがこの街にやってきたのは四日前のことだった。
街に着いた当日に、騎士団本部へ行き、兄との面会を願った。
しかし兄・ウィナミルは多忙だからと、受付係に断られてしまっていた。
それから連日、兄と面会するため騎士団本部へ赴いたルティアだったのだが、やはり断られてしまっていた。
本日、ようやく面会叶ったルティアである。
「仲間が噂している。私に面会を求めてくる少女は何者なのかと。これ以上、断ることはできん」
「貴重な時間を割いていただきありがとうございます」
「構わん。今は祝勝会に参加していたところだったからな」
「祝勝会?」
「街の東側に魔物の大群が現れたのだ。騎士団は魔法士とともに、これを迎え撃った」
「お兄さまのことですもの、さぞかしご活躍されたのでしょうね」
「いや、私は街の守りを任されていた。戦場には赴いていない」
「まあ」
「普段は大勢の騎士で街を守っているのだが、皆が討伐に出ていってしまった。そこで私と少数の騎士だけで留守を担っていたのだ。とてもオマエと会っている時間はなかった」
もし兄が魔物の討伐に出向いていたら、どれだけの輝かしい功績を残していたのだろうとルティアは考える。
どうして留守なんか任されたのだろう。兄の天職と特技があれば魔物なんて恐れるに足らないというのに。
いや、逆か。実力があるからこそ街の守りを任されたのだ。
そう考えると、ルティアの心は高揚していった。
「ルティア、父上や母上は元気か」
「はい。とても。街の者も男爵様の庇護の下、不自由なく過ごしております。街の平和もお父様たち騎士や、冒険者たちが守っております」
「冒険者……。ルティア、ただ私に会いに来たわけではないのだろう」
「はい。お願いがあって参りました」
「お願いか。だいたい想像がつくが……」
「え?」
ここで応接室の扉がノックされ、男性がお茶のおかわりを持ってきてくれた。
ウィナミルのぶんもティーカップに注がれる。
リオハ村ではお目にかかれなかった陶器のティーカップである。
男性が応接室から出ていくとウィナミルは話を再開させた。
「事前に届いた魔空船からの手紙によれば、一ヶ月は早く街に到着する予定とあったが」
「申し訳ありません。旅の途中、魔物の脅威にさらされていた村がありました。問題が解決するまで冒険者である私が駐留しておりました」
「冒険者……。それで問題は解決したのか」
「はい」
ウィナミルは視線を落とす。
「お兄さま、お疲れで? 騎士というのはそれほどお忙しいのですね。なにかお手伝いできることはありませんか」
「たしかに騎士の仕事は多忙だ。しかし大きな使命がある。疲れてなんかはいられない。疲れてはいないのだが……」
顔を上げ、ルティアへ強い視線を注いでいたウィナミルだったが、再び視線を落とす。
「お兄さま、もしやお悩みでも?」
「悩みか。悩みといえば、悩みか」
「私でよろしければ話を聞きます。さぁ、お兄さま」
「向こう見ずに突き進む、身の程知らずな者がいてな」
「そんな方がお兄さまの近くに。さぞかしご心労が多いことでしょう」
「まさか冒険者になっていたとは」
「え?」
ウィナミルはお茶に口をつける。そして溜息を吐いた。
「時おり父上から手紙が来るのだ。手紙の中で、父上は愛娘が騎士になる夢を諦めていないことを憂いていた」
「はい。私は冒険者となり、実戦で剣の腕を磨き、仲間と共に困難を乗り越える術を学びました。全ては騎士になるためです。そこでお兄さまにお願いがあります。私を騎士に推薦して頂きたいのです。本日はそのために参りました」
ウィナミルはお茶に口をつける。今度は一気に飲み干した。
「お兄さま。喉が渇いていらっしゃるのなら、私のお茶も。あ、街で手に入れた果実水を持っています。よろしければ」
「やめておけ」
「果実水は美味しいのですよ」
「そうではなく。騎士になることを、だ。オマエには向いていない」
「私はこれでも冒険者ランクがDなのです」
「これは性分の問題なのだ」
どういうことだろうか。
天職が剣士でなくとも騎士になった人間は大勢いる。
むしろ貴族の息子たちは天職もなく騎士になっている。
その点、ルティアは妖精使いだ。戦いにおいてもほかの天職と引けを取らない。
「はっ! 私が女だからですか。女性騎士ならガストン男爵領にも」
「かつて、いた。しかし……いや、よそう」
「私はお兄さまのお力になりたい。ともに働きたいのです。騎士がダメなのなら兵士でも」
「兵士でも、というのは失礼なモノ言いだな。子爵領の兵の仕事は甘くないのだ。冒険者から登用されるにしても……少なくともCランクであることが条件だ」
冒険者でDランクにもなれば、兄は認めてくれると思っていた。
ルティアは13歳。同じ世代のDランク冒険者は、男爵の街では存在しない。
Dランクはベテランが到達できるランクなのだ。
仲間と共に多くの魔物を倒してきた。
犯罪者を仕留めたこともある。一人で旅もできる。
自信があった。胸を張って兄に会いに来た。騎士になるためにここに来た。
まだ実力不足だというのか。
「ルティア、冒険者から騎士になるのなら、Bランクでないと登用されないのだ。諦めて父上の下へ帰れ。騎士の娘としてやれることがあるはずだ」
「ならば、この街でランクを上げてみせます!」
半ば呆然としていたルティアは宣言する。強い意思を声にあらわす。
ウィナミルは落ちついた声で応えた。
「できるかな。この街では父上の後ろ盾はないぞ。知り合いもいない。土地勘もない。この街でランクを上げることなどオマエにできるか」
「やってみなければ……」
そのとき、応接室の扉の向こうから足音が近づいて来て、止まった。
ウィナミルは扉を見やるが、誰もやって来ない。
「……やめよう。私はそろそろ戻る」
ウィナミルは立ち上がり、共に退室を促す。
ルティアは仕方なく兄と共に廊下へ出た。
「お兄さま。私は」
「会いに来てくれてありがとう。ルティア、大きくなったな」
まだ兄を説得していない。
自分は騎士になるためにここに来たというのに。
けれど兄とて暇ではない。いつまでも引き留めることはできない。
ウィナミルは笑顔でルティアを送り出す。
その笑顔には兄妹ともに暮らしていたときの、少年時代のウィナミルの面影があった。
どうすればいのだろうか。
ルティアは先行きが見えない不安を胸に秘め、街に戻るために出口へと足を進める。
せっかく会いに来たのに、このまま帰って良いのだろうか。
私は絶対にBランクになって、お兄さまと共に……
そう言おうとして振り返ったところ、ウィナミルは廊下の端に立つ騎士のもとへ歩いていくところだった。
兄よりも少し若く見える男だ。後輩だろうか。先ほどの足音の主なのだろうか。
「何か用か」
ウィナミルは騎士に声をかける。
ルティアは立ち止まり、思わず聞き耳を立てた。
「はい。今回のストレンジゴブリン討伐においては、我が騎士団は冒険者ギルド、傭兵ギルドの協力を得ていたことはご存知ですよね」
「もちろんだ。それがどうかしたか」
「冒険者の中に強力な魔法使いがいたそうです。火炎魔法と凍結魔法を同時に使いこなす冒険者。足も速いとか。その者はまだ10歳ほどの少女だというのです」
どこかで聞いたことのある人物だなと、ルティアは思った。
若い騎士は続ける。
「祝勝会では騎士団長と魔法士長、二人揃ってその少女を誉めていました」
「そんな少女がいるのか。お二人ともお酒を召し上がりすぎて、話を誇張しているのではないか。本当ならば逸材だが」
「魔法士の噂ですと、なんでも先代の魔法士長も少女の実力を認めていたとか」
「魔法士長と偏屈婆さんの意見が一致したというのか。これは本物だな!」
「ええ。そこで例の子爵令嬢の護送に、その少女を引き入れてはどうかと、騎士団長がおっしゃっていまして」
ウィナミルは顎に手を当て、考える。
「なるほど。10歳といえば御令嬢と同い年か。騎士といえども男ばかりに囲まれては、御令嬢も心苦しかろうと考えていたところだ。よし、女性冒険者を同行させる予定だったのだ。その者に声をかけてみよう」
「はい。その少女なのですが、ただ今、魔法士団の本部にやって来ているらしいのです。できるだけ早くお伝えしたくて」
「そうか! 祝勝会なんぞ所詮は酔漢の巣窟。出ていられるか。早速、その少女を誘いに行くぞ!」
ウィナミルと若い騎士は立ち止まっていたルティアを追い越して、出口の方へ向かって行ってしまった。
「お兄さま、なんだか燃えていましたね」
なんだか分からない話だったが、兄は仕事熱心らしい。
兄は逞しくなり、騎士の仕事も板についているようだ。
最後に見たのは、妹を無視して仕事に走る姿であった。
こうして、兄弟の再会は幕を閉じたのだった。
★★★
「一体どうすればいいのだろう」
ルティアは今、庶民街の広場の長椅子に座りこんでいる。
騎士になるためには冒険者としてさらなる活躍をし、Bランクになる必要があるようだ。
しかし、兄の言うとおり、この街にルティアの知り合いはいない。
一人でランクを上げるのは難しい。
FからDランクに上がるのに3年もかかった。困難も多かった。
DからBランクに上げるには、さらなる困難が予想される。
一人では、到底無理だ。
騎士になる予定が、完全に潰されてしまった。
なんだか心細くなった。男爵の街の先輩冒険者たちが恋しい。
ルティアは広場を行きかう人々の姿を、ぼんやりと眺めた。
まるで自分だけが浮いている気がする。
それもそうだ。自分はこの街にとって部外者なのだ。
「とりあえず、冒険者ギルドへ行ってみましょうか」
冒険者は世界中で活躍することができる。
男爵の街で冒険者登録をしたルティアでも、子爵の街で冒険者活動はできるのだ。
できるのだが、不安なのだ。
心が押しつぶされそうになり、悲しくなる。
そんなとき、忘れもしない声が聞こえた。
声がしたほうへ顔を向けると……。
「あの? ルティアさん」
数日前まで寝食を共にしていた少女がいた。
「フィリナさん!」
ルティアは人目をはばからず、フィリナに抱きついたのだった。




