1.異世界転生(1)
目の前でドラゴンが吠えている。
ドラゴンの傍らには、さっきまで乗っていた夜行バスが事故っている。
そうだ。夜行バスが何かを避けるように急ハンドルをきってガードレールに衝突したんだ。
たまたま同乗していた会社の男性社員が緊急時の出口を開けてくれたので外に逃げられた。
外に出た途端、この世にはいないはずの大きな生物が私たちを見下ろしていたのだ。
大樹のような四足、背中には巨大なコウモリのような翼、牙が並ぶ口。まるでドラゴン。
『人間どもめ。根絶やしにしてくれる!』
その言葉がドラゴンからは発せられたこと、その殺意が私たちに向けられていることがわかったのは、夜行バスがドラゴンの口から放たれた火球によって爆発してからだった。
バスの中には多くの乗客が取り残されたままだった。
爆発の瞬間、何人かの叫びが聞こえたような気がした。
あの人たちは、死んでしまったの?
「早く逃げるんだ!」
一緒にバスの外へ出ていた男性社員の言葉で我に返る。既にバスから脱出していた乗客から悲鳴が上がる。どうしてドラゴンがいるのか。そんな事よりも走りださなくちゃ。
ここは山奥の一本道。しかも深夜だ。助けを求めようにも通行人や民家の影もない。
皆も私も、ドラゴンと燃えさかるバスを背にして走りだした。
「きゃあっ」
足がもつれて転倒する。顔を上げると、男性社員が足を止め、私と視線を合わせた。
その直後、これまた偶然にも乗り合わせていた会社の女性社員が彼の腕を掴み、彼を引っ張り走りだしてしまった。
待って……。そんな言葉を出そうとした矢先……。
『逃がさぬぞ。人間どもは我ら魔竜に滅ぼされる運命なのだ』
見上げれば鱗だらけの巨体が、夜空を塞ぐように、私をまたぐ形で迫って来ていた。
ドラゴンの喉元が赤く光ったかと思えば、口から吐かれた火の玉が、先を逃げる人たちを炎の中に沈みこませた。
「あ……ああ……」
死んだ。死んでしまった。
そんな私に、悲しみにくれる間もなく、次の恐怖が襲ってきた。
『次はキサマの番だ』
ドラゴンは足下の私を睨むと、上下に並んだ鋭い牙で私の身体を挟みこんだ。
そして私は砕かれ、斬られ、すりつぶされて。噛み殺されて、飲み込まれて、死んだのだった。
きっとこれは、そう、私への罰なんだ。
☆☆☆
気付けば真っ白な空間に立っていた。ここはどこ? 私は死んだはずなのに。死んだんだよね。
状況を整理しよう。会社で夏休みをもらって、遠くに住むおばあちゃんに会いに行くため夜行バスに乗り込んだんだ。バスの中でたまたま会社の社員の二人と出くわした。
夜行バスは出発して、バスが山道を走っていると、運転手が急ハンドルをきってガードレールにぶつかった。
促されるまま外に出たらドラゴンがいた。そのあとドラゴンに殺された。
「やっぱり死んだんじゃん」
自分の手を見る。傷ひとつない。出血もしていない。
他の人は? そう思って周りを見れば、ほかの乗客が突然視界に入ってきた。ざっと30人。
みんな不思議そうに自分の身体を確認したり、隣の人に話しかけたりしている。ケガもしていない。
隣に目を向けると、私をバスから逃がしてくれた男性社員の三条さんがいた。その隣には女性社員の白井さんもいる。
『みなさん。今回はこのような事態を招いてしまい、大変申し訳ありませんでした』
声がしたほうへ視線を向ければ、白い衣装を着た女の人が立っていた。
『私はあなた方の言う『神』のような者です。あなた方の世界に魔竜が出現したこと、それは私の失態です』
「魔竜って、あの大きなトカゲみたいな生き物のこと? 私を焼き殺した……」
白井さんが女の人に聞いた。女の人……自称神様は静かに頷いた。
『ご存知ないのも当然ですが、魔竜はあなた方が住む世界とは別の世界に住まう生物です。その世界では人間と魔竜が戦争をしていました。追いつめられていた人間の中に強大な魔法使いが現れ、魔竜に転移魔法を行使したのです』
皆、何のことだという顔をして神様という女性の話を聞いている。私もワケがわからない。
『本来、転移魔法は生物や物体を同一世界の別の場所へ転移させるだけの魔法です。しかし魔竜の一体がこちらの世界に転移されてしまった。私はすぐに魔法式を見直しました。すると数万分の一の確率で、こちらの世界に転移してしまうという不備を見つけたのです』
そして神様は魔法式を組んだのは自分であること。私たちの死は神自身が招いたことにほかならないと、頭を下げた。
そんな。だからって、ハイそうですかって納得はできない。
ここで私は気付いた。殺されたというのに悲しみも怒りも湧いてこないんだ。もしかして、あまりのショックで脳がイカレてしまったとか。
(それはご心配なく。皆さんには、このあと冷静に判断して頂くために、一時的に感情を抑えてもらう処置を施しただけです)
神様は私に申し訳なさそうに微笑む。え? いま私の心に直接話しかけてきた?
「魔竜とかいうのはどうなったんだ。あんなのに街が、家族が襲われたら……」
そう言うのはバスに乗っていたサラリーマンだ。
『ご安心ください。事態に気付いた私はほかの神と協力し、魔竜を葬りました。既に魔竜は周辺の森や施設を襲っていましたが、それも神々の力で修復。何人か目撃者もいましたが、記憶は抹消させています。あなた方のほかに死傷者はいません』
「そうか。では早く生き返らせてくれ。アンタ神なんだろ。それくらい出来るんだろ」
サラリーマンが詰め寄るような言葉で神様に問いかけた。ところが。
『物体の修復や記憶の操作は容易でした。しかし』
しかし、なに?
『魔竜の炎に焼かれ、魔竜に飲み込まれた者は、魂さえも斬り裂かれてしまうのです。私はここにいる者の魂を、責任を持って修復いたしました。三年の年月をかけて』
「三年!」
誰かのため息交じりの声がした。
『世界は三年の時間が経過しています。いま生き返らせても、宿る肉体はないのです。魔竜の襲撃は、皆さんの世界では、原因不明のバスの炎上事故として報じられています。一部の乗客は焼死体も残らないほど焼きつくされていたと』
神様は私へ申し訳なさそうな視線を送って来た。そうか、私は魔竜に食べられたから死体がないんだ。
「神だったら時間を巻き戻すとか、それくらい出来るでしょう」
気の強そうな中年女性に問いかけられた神様は、残念そうに首を振った。
『申し訳ありません。この世界を管理している私は、あなた方が想像する全能の神とは違うのです』
「じゃあ、アンタは俺たちを絶望させるために魂を直したっていうのか」
今度はバスの運転手が声を上げた。ある意味、一番の被害者かもしれない。
『それは断じて違います。私はあなた方に選択して頂くために魂を修復いたしました』
選択?
『ひとつは、あなた方の世界で新たな生命として生まれ変わること。もうひとつは……私は別の世界も管理しています。そちらの世界で夢を叶えるため、別人に生まれ変わること』
「夢を叶える?」
三条さんがつぶやく。
『はい。夢を叶えてもらうため新たな身体には、お好きな『天職』『特技』を贈呈させていただきます。もちろん夢を叶えるためには、現在の記憶や生来の性格も保持していないといけません。よって記憶と性格は生まれ変わっても引き継がれます』
「ちょっと待ってよ」
白井さんだ。
「別の世界って、魔竜とかいうヤツがいる世界のことだよね。そんな世界で生まれ変われっていうの?」
他の人たちもザワつきだす。
神様は白井さんの鋭い眼光にも怯まずに口を開いた。
『大丈夫ですよ。人間と魔竜との戦争は人間の勝利で終わりました。あなた方の世界と違い、生活様式や生物の生態系が異なる部分もあります。文明としては劣っていると感じるも知れません。魔法だって存在します。慣れない生活を強いられると思います。それを含め、新たな人生には『天職』『特技』をつけさせて頂きます』
「それにしたって……」
白井さんは不満そうだ。
「いいか」
次に声を上げたのは眼鏡の男の人だった。私よりちょっと年齢が上くらい。大学生か、それより上かな。
「俺は医者になるのが夢だった。多くの命を救いたかった。でも死んだ。まだ何もしちゃいない。別の世界でも医者になれるのか? アンタの言う『天職』『特技』を使って」
『もちろんです。もちろん努力は必要ですが』
「マジかよ」
今度は右腕に昇り竜のタトゥーをいれた金髪の男だ。
バスの中で何人かのグループで騒いでいたヤツだった。
「ドラゴンがいて魔法がある世界だろ。おもしれぇじゃねえか。俺、俺の天職は勇者にしてくれよ。そんで有名になって贅沢な暮しをしてやるぜ」
男はグループの人たちと一緒に騒ぎはじめた。
「あの、いいですか」
おじいさんだ。たしかバスの先頭のほうに座っていた。
「記憶を保持したまま、これまでの世界で生まれ変わることは出来ないでしょうか。ワシは家族に会いたい。もうすぐ孫も生まれる。自分が生きてきた世界でなくては生き返る意味が」
『申し訳ありません。記憶を保持したまま、元の世界で生まれ変われば、色々と支障をきたす恐れがあります。元の世界で生まれ変わるのであれば、これまでの記憶を消去し、新たに赤ん坊から生きて頂くことになります』
「そんな……」
おじいさんは落胆した様子だった。それでも泣き叫んだりしないのは神様に感情を抑えられているからだろうか。
「何にしたって、これまでの世界が良いに決まっている」
「そ、そうよね。日本は治安が良いしね」
そう言うのは中年の夫婦だ。
『再び二人が巡りあえるよう配慮いたします。お孫さんのお友達になれるようにも致しましょう』
神様はおじいさんに視線を向けると、次に私たちに向き直った。
『さぁ、アナタはどうしますか?』
皆さん初めまして。
第1話をお読みいただきありがとうございます。
第2話は数時間後に投稿します。
よろしければお読みください




