謎テンション
何とかその場から離れることには成功した。お手洗いと言って教室を抜け出したが、実際は何も催していないので階段の踊り場にいる。そこで朝礼のチャイムが鳴り響く。
「……しまった」
ギリギリ登校は間に合ってはいるが、朝礼開始時に着席していなければ出席していないということになる。つまり、結局は遅刻である。
いや、リュック等の荷物は机に置いてあるので大丈夫かもしれない。
少しの不安を胸に教室へ戻ると、出席確認の真っ只中だった。
「おはよう鳴海さん。お腹の調子は大丈夫?」
「え……だ、大丈夫です……おはようございます……」
出席の確認を終えた細谷先生が訊いてきた。実際はトイレになど行ってすらないが、お腹の心配をされた。俺の去り際の台詞を聞いたクラスの誰かが先生に伝えたのだろうか。
そんなことはどうでもいいが、このまま嘘を貫いていても罪悪感が湧き上がってくる。朝礼後、俺は細谷先生を追いかけた。
「せ、先生! 待ってください!」
「ん、鳴海さん。どうしたの?」
細谷先生は目を丸くして俺を見た。まるで珍しいものを見る目である。
「その、さっきの朝礼の遅刻の件なんですけど……」
「お腹痛かったんじゃないの?」
先生の素直な疑問が俺に投げられる。疑問が矢となって俺に突き刺さるが、それに耐えながら、経緯を話した。
先生は最後までしっかり聞いてくれたが、俺の話が終わると、手を口に持っていった。
「……ふふっ」
「な、なんで笑うんですか……! 死活問題ですよ、学校生活の」
「いや、あの、鳴海さん、今日は元気だなって思って」
「いつも元気ですよ」
「そうじゃなくて、生き生きしてるというか。鳴海さんっていつもほとんど無表情だから」
俺は自分では結構表情を動かしているつもりだったのだが、他から見ればあまり変わらないようだ。俺は篠宮に対して無表情だと思っていたが、俺も人のことは言えないのかもしれない。
篠宮と同じ、か。
「……鳴海さん?」
「はい?」
突然、怪訝な顔で名前を呼ばれ、すぐに返事をする。すると先生は何かを考える素振りを見せ、俺を訝しむ。
「何かいいことでもあった?」
「特に何もないですけど……どうしてですか?」
少なからず、俺の生活に特に何かしらの変化はなく、いつも通りに過ごしている。
「うーん、声も普段より明るいし、表情も豊か……だからかな」
特に意識しているつもりはないが、自然とそうなっているらしい。ひょっとすると、これがいわゆる『深夜テンション』というものなのかもしれない。でも俺は夜通し起きていたわけでもない。
「返却始まるよ。それと、鳴海さんは臭くないからね。むしろ良い匂いだから」
俺が考えていると、腕時計を確認した先生から忠告された。確かに、結構話したので時間が経っているだろう。一限目は教室で行うため移動教室の必要はないが、そろそろ戻るべきだろう。
俺が心配していた体臭も、心配する必要はないらしい。それなら良かった。
─────────
今日も下校時にそのまま篠宮の家に行き、夕飯を作る。先日結構な量を買ったので、大きな冷蔵庫の中身は豊かになっていた。
今日はエプロン持参である。正直、なくても料理には困らないが、あるとやる気が出る。それだけだ。
完成した料理を昨日と同じくテーブルへ運び、早速食べてもらう。
「……鳴海」
「ん、どうした」
今の篠宮の顔は、朝に細谷先生にもされた、俺を訝しむ表情である。
「何か変なものでも食べたのか?」
「なんで!?」
「いや、不自然なくらい笑顔だぞ、お前」
そんなことを言われては、自分でも気になってしまう。俺はすぐさま洗面所へ行き、鏡に映った自分を見る。まったく笑顔ではない。むしろ焦ったような表情が見て取れる。
「全然笑顔じゃないけど」
「……本当に大丈夫か? 頭でも打ったのか?」
篠宮が呆れたように言う。なぜこんなに馬鹿にされているのかわからなかったが、それを理解した瞬間に、猛烈に恥ずかしさが込み上げてきた。
「俺、疲れてるのかもしれない……」
「かもしれないな……」
久々に、俺と篠宮の間に気まずい空気が流れた。




