動揺
翌朝、俺はいつもの時間になっても布団から出なかった。大賀に起こされるまでは、完全に眠ってしまっていた。
大賀に持ち上げられ、リビングへと運ばれ、食卓に座らされる。テーブルには簡素な朝食。
「父さん、蓮がおかしいんだ」
「見ればわかる」
この朝食は誰が作ったのだろう。俺はまだ寝ぼけていて、まともに頭も回っていない。ろくに力も入れられぬまま、朝食へと手を伸ばす。
素朴な味。正直、俺好みの味である。
俺は寝ぼけたまま、朝食を終え、身支度をして外へ出る。今日も学校だ。
エントランスに行くと、珍しく、俺より先に萌希がいた。それと、篠宮。
「蓮ちゃん遅いよ……って、どうしたのその格好!?」
「……うん?」
萌希が慌てて俺の前に立ち塞がった。こうも至近距離だと、俺の視界は完全に塞がれる。
「ごめん篠宮くん、ちょっと先に行ってて!」
「……わかった」
萌希は篠宮に指示を出すと、俺に連れて物陰に移動した。意図がわからず、俺には首を傾げることしかできない。彼女は何をそんなに焦っているのか。
「どうしちゃったの蓮ちゃん、酔ってるの?」
なぜか冷や汗が止まらない様子の萌希に、俺は首を左右に振る。俺はまだお酒を飲める年齢ではない。
「……とにかく、これ着て!」
そう言いながら、萌希は着ていた上着を脱ぎ、俺に渡してきた。訳もわからぬまま、とりあえず着た。思いの外スムーズに着られたのが不思議だったが、袖が長く、指先しか出ない。
「……ベタだけど、中々の破壊力だよ、蓮ちゃん」
「何が?」
萌希は俺に親指を立てる。どういう意味なのかわからないので訊き返したが、答えは得られなかった。
「とりあえず、一回家戻ろ? ね?」
「学校は……」
「遅刻してもいいよ。なんなら休んだほうがいいかもしれない!」
息つく暇も与えられぬ間に、俺の家まで連れてこられた。
萌希はチャイムも押さずに、家に入る。人の家なのに遠慮がないと思いながらも、俺は自室へ連れ込まれる。
「……やっぱり!」
俺の部屋を眺めた瞬間に、萌希は合点がいったように声をあげる。
「蓮ちゃん、下着!」
「……あれ?」
萌希が指を差した先には、俺が着けていたはずの下着。そして、俺はようやく目が醒めた。
恐る恐る、萌希の上着を脱いでみると、俺はワイシャツしか着ていなかった。先ほど、思ったよりも上着をスッと着られたのも、このためである。
さっきまでのことがフラッシュバックし、萌希が俺の前に立ち塞がったところまで戻る。あの場には篠宮もいた。
「……萌希」
「何、蓮ちゃん」
「あいつ、見たかな」
「…………若干声が上擦ってたような気はする」
少し間があったが、萌希はそう答えた。
篠宮のほどの身体能力、動体視力ならば見られてもおかしくはないだろう。ただ、この場合は完全に俺の自業自得なので、篠宮を理不尽には責められない。彼からすれば不可抗力だ。
その後、しっかりと着替えた。学校にはギリギリ間に合ったのだが、篠宮とは余計に顔を合わせづらくなってしまった。
そんな俺の気持ちは露知らず、篠宮は普通に話しかけてくる。
「さっきはどうしたんだ?」
「ん! 何でもないが!?」
「……酔ってるのか?」
萌希と同じことを言われ、全力で首を横に振る。髪がファサファサと揺れる。
そこで、先日はお風呂に入っていないということを思い出す。もしかしたら臭いを振り巻いて、周りの人に不快感を与えているかもしれないと思い、咄嗟に教室の端で縮こまる。
「……なんか今日のレンレン、すごい表情豊かだな」
「なんか朝からおかしいんだよね」
有村からも変な物を見る目で見られている。クラスメイトからの目線も集まる。
そんな中、高梨と神崎が俺に近づいてくる。俺は慌てて両手を前に突き出す。
「待って、俺に近づかないで!」
「昨日は普通だったのに、何があったのよ……」
いくら俺でも臭いと言われたらショックを受ける。ジリジリと近寄ってくる高梨に恐怖を感じながら、俺はさらに縮こまる。
「瑠璃、レンレンが待ってと言っているんだ。そっとしておいてやれ」
「和翔……でもこのままじゃテスト返却できないわ」
高梨の下の名前は神崎が呼んでいるので聞き覚えがあるが、有村の下の名前を聞くのは珍しい。この二人、いつの間にか名前で呼び合う仲になっていたようだ。
確かに、高梨の言う通りだ。いつまでも隅で丸くなっていても、授業、もといテスト返却に支障を来すだけである。
「お、お手洗いに……」
小声でそう言い、俺は速やかにその場から逃走した。




