困惑する者たち
意外にも評価を頂いていて、感謝しかないです。ありがとうございます。
篠宮の顔が一瞬だけ強張る。
だがそれも束の間、彼はすぐに表情を戻した。
「そうか、鳴海か。元気そうで何よりだ」
そう言いながら、再びラーメンに視線を戻す彼。
思っていたよりも反応が薄い。いや、薄いどころではない。こちとら性別が変わっているというのに。
これにはさすがの萌希も驚いている。
「……食べないのか?」
「え? あ、あぁ、食う……」
促されるがままクレープを一口食べたが、俺の頭は疑問符でいっぱいだった。
もしかして、最初から俺のことを女だと思っていたのか?
そんな馬鹿な。あの頃の俺はどこからどう見ても男だったはずだ。前髪は長かったが、男子制服を着て男声で身長も普通にあった。
沈黙が続く。
篠宮がラーメンを食べ終わり、荷物を置いたまま食器を片しに行ったので、俺と萌希はその間にクレープを楽しんだ。
「さっきまで全く味わからなかったけど、これ美味いな」
「でしょ〜! しっかし篠宮くん、何考えてるのか全然わからないなぁ」
篠宮が戻ってくるまでの一分ほどの時間だったが、俺は確かな幸福を感じていた。
甘いものがここまで美味しいとは。今後も気分が乗れば食べよう、と決めた。
パシャッ!
「うぇっ!?」
突然萌希の携帯から音が鳴り、俺は驚いて素っ頓狂な声を上げてしまった。
写真を撮ったのだろうが、カメラの向き的に明らかに自撮りではないようだ。
「いやー失敬。あまりにも幸せそうに食べるもんだから、つい」
「すっかり大丈夫そうだな」
いつの間にか戻ってきていた篠宮にも見られていたらしく、声にならない叫び声が喉元まできていた。
いや、俺は覚悟を決めたんだ。こんなことで負けるわけにはいかない。
必死に我慢して、ようやく落ち着いた。
俺が平常心を取り戻したところで、篠宮が口を開く。
「ところで鳴海、明日からは学校に来るのか?」
「あ、うん。そのつもり」
「そうか」
それだけ言うと、彼は黙ってしまった。地雷でも踏んでしまったか?
萌希曰く、彼はそういう人、とのこと。
不思議な男だ、と思いながらクレープを完食する。もう味がわからないなんてことはなく、甘さの中にある酸味を深く噛み締めた。
食後、萌希からこの後の予定について訊かれたので、何をしようか考えた。
夕食の食材でも買おうか。金はきっと萌希が出してくれる。
それを伝えると、彼女は意外そうな顔でこちらを見つめてきた。
「篠宮くんはこれからどうするの?」
「俺か? 特に何もしないが……」
「じゃあ、ちょっと付き合ってくれない?」
アグレッシブ・モエギが篠宮を誘っている。これからすることは買い物するだけなのに。篠宮も二つ返事で了承してるし。
というわけで、俺と萌希と篠宮の三人で食材売り場に来ている。どうしてこうなったのだろうか。
それにしても、篠宮は本当に大きい。
さっきまで座っていて、それでも大きいと思うくらいだったから、立ったらそりゃ圧倒されますよ。
俺が背伸びしても、彼の胸までしか届かない。
「……何をしてるんだ鳴海」
呆れたような声で言われて驚いて上を見上げると、渋いイケメンと目が合う。
「ごめん、馴れ馴れしかったわ」
「いや、俺は別にいいんだが……視線が痛くてな」
「まぁ、こんな美男美女がいたら注目もされるよねぇ、にしし」
この視線、俺も浴びたことがある。
入学二日目の萌希の自己紹介の後に感じたものと同じだ。
無理もない、萌希は美人だし、篠宮はイケメンだからな。
「あ、そうだ篠宮。連絡先交換しないか?」
「唐突だな。構わないが」
俺の中で、彼のランクが勝手に友人にまで上がった。彼はそう思っていないかもしれないが、これから仲良くなればいいのだ。
理由は、俺は人見知りで話すことが苦手だが、彼の寡黙な性格上、似た何かを感じたからである。意外と話しやすかったし。
喋らないだけで本当はコミュ力魔人だったりするかもしれないが。
お互いに連絡先を登録したところで、今晩のメニューを考える。
「なぁ、お前らなら夕飯何食べたい?」
「む、俺は肉だな」
「私は野菜とかかなぁ。さっきから気になってたんだけど、もしかして蓮ちゃんって料理できたりするの?」
言っていなかったな。先程の意外そうな目はそういう意味か。
料理といえば、男性よりも女性の方がイメージを持たれやすいから仕方ない。
「するよ、毎日三食」
「毎日!? ほんとにどんな生活してるの!?」
「そんなに驚かなくても……」
軽くショックを受ける。
「もしかして……あのお弁当作ってたのって……」
「俺だよ」
「えええええええええええええむぐぐ……」
萌希からとんでもない声が発せられた為、俺は慌てて彼女の口を塞いだ。
周囲の人もこちらをチラチラと見てくる。
萌希が落ち着いて、ごめん、とだけ言ってきたので手を放した。
篠宮は我気にせず、といった表情だ。いや、ただ真顔なだけかもしれない。
さて、肉と野菜か。それぞれ別に分けて作ってもいいが、なんなら一緒にしてしまうか。
今夜はカレーだな。
─────────
「荷物持ちありがとね、篠宮くん」
「あぁ、このくらい、構わない」
いろいろしていたら、気がつけば午後の四時になっていた。
篠宮を長時間拘束したことを謝らなければならない。
彼は口では問題なさそうに言うが、俺は一応謝っておいた。元はといえば、萌希が誘ったことが原因だが。
篠宮と別れ、マンションへと帰ってきた俺は萌希とも別れ、鍵を開けて、ただいま、と呟く。
それに返答はなかった。
リビングを見ると、父が昼寝をしていた。枕元には大きめの段ボールが置いてある。
何の荷物かわからないが、とりあえず手洗いうがいをして部屋に戻った。
「それにしても、不思議なやつだな、あいつ」
ベッドに転がりながら、篠宮のことを思い出す。
そういえば、謝るだけ謝って、感謝の意は伝えてなかったな。
携帯から、彼にメッセージを送る。
『今日はありがとな、助かったわ』
返信は早く、すぐさま返ってきた。
『あぁ。しかし、今日は驚いたぞ』
『え、お前驚いてたの?』
『驚かないわけがないだろう。男が女になるなんて』
それにしてはかなり落ち着いていたような気がするが。彼は感情を表に出すのが苦手なのかもしれない。
『俺も未だに信じられないよ、こんなこと』
『だろうな』
『明日、不安だけど学校頑張るわ』
『あぁ』
そして俺は携帯を閉じる。
明日はほぼ一週間ぶりの学校だ。授業は普通に始まっているし、初っ端から出遅れてしまった分、頑張って勉強せねば。
教科書類をリュックにぶち込み、筆記用具も入れて準備は万端だ。あとは制服か。
夜になり、俺はカレーを作って父と一緒に食べる。
「そういえば蓮、制服届いてたぞ」
父がおもむろに指差した先には大きめの段ボール。あれが制服だったのか。夕方前には届いていたようだし、かなり早い。
「食べ終わったら着てみる」
黙々と食事を進め、食器を洗い、段ボールを持って部屋へ戻った。