会遇
翌朝、平日のように早朝に目が覚めると、俺はしっかりと布団を被っていた。寝ぼけていたので反応が鈍ったが、間違いなく篠宮の布団であり、俺は飛び起きた。
俺の寝相で自ら布団に入っていったのか、それとも誰かが俺を運んでくれたのかはわからないが、どう考えても後者が有力だろう。
ちら、と床で寝そべる男を見ると、昨日と変わらぬ姿勢のままであった。ここまで姿勢が変わらないというのもなかなか無い。
自分の家ではないので、勝手に彷徨くのは畏れ多いが、さすがにお手洗いくらいは行きたい。部屋を出て、左にある小さな部屋がトイレである。小さいとはいえ、うちにあるものとは比べ物にならない。トイレがこうも広いと、落ち着いて用を足すことができない。
壁にテレビのような黒いものが取り付けられていて、洗面台も鏡もあり、収納もそこそこの間取りであった。俺のような庶民なら、このトイレでも生活できそうだ。
今日はゴールデンウィークの二日目であり、窓から眺めた早朝の風景には、犬の散歩をしている人しかいなかった。
完全に目は覚めてしまったが、人の家で、家主は寝ているのだ。変に音を立てて起こしてしまっても悪いので、俺も散歩に行くことにした。
静かに、音を立てぬよう、玄関から外に出る。暑すぎず寒すぎず、心地の良い天気だ。
左右を見渡せば、広大な庭とプール。相変わらず圧巻であり、目頭を押さえながらも、門の外へ向かう。
思いつきで散歩に出かけたが、俺はこの周辺の地理に詳しくない。早速、一人で出てきたことを後悔した。
とりあえず、マップのアプリで篠宮の家を登録しておいたので、帰る際に迷うことはないだろう。気分でブラブラしよう。
十分ほど歩くと、遊具が特にない公園にたどり着いた。ベンチと鉄棒だけが存在しており、周りに木が数本生えている。
そのベンチには、見覚えのある人影があった。ゆっくり近づいていくと、彼女は俺に気づき、驚きの声を上げる。
「な、ななっ、鳴海さん!?」
「おはよう、高梨」
動きやすそうな服を着た少女は高梨であり、首からタオルをかけていて、汗をかいていた。
「ランニング?」
「そ、そうだけど……まさか鳴海さんにこんなところを見られるなんて……」
「見ちゃまずかった?」
「そういうわけじゃ、ない、けど……」
歯切れが悪いが、あまり深くは聞かないようにする。
上下ジャージ姿の高梨は、よろよろとベンチに座り込んだ。具合が悪いのか、と俺が駆け寄ると、手で静止されてしまった。別に具合が悪いわけではないらしい。
少し不満に思いながらも、俺も高梨の隣に座った。公園の草原の上を、小鳥たちが飛び回っている。
「家、この辺なの?」
俺の問いに、高梨はこくりと頷く。
「鳴海さんは、確かこの辺じゃないわよね。どうしてここに?」
「篠宮の家に泊まってて。あいつん家、この近くなんだ」
「篠宮君!?」
瞬間、俺は激しく揺さぶられ、最近伸びてきた髪が荒ぶった。特にセットしていたわけでもないし、髪質的にすぐに戻るので問題はないが、顔にバシバシ当たると結構鬱陶しいので、切ることも視野に入れておこう。
篠宮という単語に過剰に反応したように思えたが、何か変なことでも言っただろうか。
「あっ……と、ごめんなさい」
高梨は俺の肩から手を離し、綺麗な45度の謝罪をして見せた。彼女のこのような作法は相変わらず美しい。
大丈夫、とだけ言って髪を軽くとく。
「というか、鳴海さんのそれって、私服?」
高梨に言われ、自分の服装を見直してみる。昨日の白いワンピースではなく、黒いシャツにホットパンツである。誰とも遭遇しないだろうと、何も考えずに選んできたものだ。
……変だろうか。
「萌希のお古」
「へー、萌希さんの。篠宮君には見せたの?」
ここでなぜ彼女の口から篠宮の名前が出てきたのかわからないが、ありのまま話す。
「あいつ今は寝てて、俺はさっきまで寝間着だったから見せてないけど」
「そう……」
「……変?」
高梨の反応があまりにも薄かったので、俺の不安は募るばかりで、思わず訊き返す。
すると、高梨は弱ったように顔を押さえ、小さく息を吐いた。
「あー、鳴海さんって、そういうの気にしないタイプだと思ってた」
そういうの、とはどういうのだろうか。俺は首を傾げながら空を仰ぐ。
「待って待って! 大丈夫よ! バッチリ似合ってるわ!」
何か焦った様子の高梨は必死で俺の服装を褒めた。この調子で言われると、本当にそうなのか余計不安になる。
意味もなく自分の手や腕をじっくりと眺める。女みたいだった。
「うぅ〜っ、鳴海さんを見ているとこう……」
高梨も背が低いとはいえ、俺よりは高いので、ほんの少しだけ顔を上げる。
「着飾りたくなるわ!」
彼女は俺の手を引き、勢いよく走り出した。




