本心
何が起こっている? 俺は今、何をされているんだ?
否、頭では何をされているのか、しっかり理解はできていた。理解できているはず、なのだが。
惚けて冷静な判断ができない。
それはすぐに俺から離れたが、俺にはその短時間が、何時間にも思えた。
呆然としたまま、自分の口を手でなぞる。その手をじっと見てみるが、それはここ一ヶ月で見慣れてしまった、白く小さな俺の手。
早まる鼓動に息が荒くなりながら、どうして俺にこんなことをしたのだろうかを考える。
彼には、既に想い人がいたはず。その人を差し置いて、俺にこんなことを……。
──まさか。
「っ、すまない!」
己の仕出かしたことの重大さに我に返った篠宮は、慌てて俺から距離を取る。俺も距離を取りたい気分だが、全身が完全に固まってしまい、動くことができない。
体中から発火しそうなほどの体温の上昇を感じる。第一、俺は生まれてから一度も、キスなんてしたことがない。
初めてが、こんな形で失われることになるなんて。それも、相手が男で。
俺はもともと男だったのだ。そんな気持ちの悪い人間相手に、篠宮という男は口づけを交わした。その事実が、俺の意識を遠ざける。
「鳴海ッ!」
篠宮の必死な呼び声で、俺は意識を手放さずに済んだ。意識が離れるような原因を作ったのは彼本人なのだが。
「……あの、さ」
「鳴海?」
「お前……自分が何したかわかってんの……?」
今にも消えそうな声を振り絞り、どうにか言いたいことは言えた。今、意識を保っていることが奇跡と呼べるほど、俺は消えたい気分である。
「わかっている」
そう、彼は堂々と言い放った。
そうだよな、篠宮って、もともとはそういう性格だもんな。今までの挙動不審な態度が不自然だっただけで、本来はこうでなくては。
「つまりその、篠宮は俺のことを……?」
「あぁ、好きだ。一人の『女性』として」
嗚呼。
恐れていたことが現実になっているような。俺はどう応えたら良いのだろうか。
篠宮は男として、女である俺を好いているらしい。でも俺は完璧な女ではないし、俺自身も、心に男が残っている。それに、俺は篠宮のことを、そんな目で見たことがなかった。
好意は素直に嬉しいのだが、それの正体が恋愛感情となると話は変わる。
さっきしていた会話を思い返し、俺が勘違いして「付き合う」などと言ってしまったから、篠宮も動いたのだろう。
……どうしよう。勘違いしていたとはいえ、俺が言ってしまったことだ。今から断っても、罪悪感で死にそうだ。
だからって、篠宮をそういう目で見るのは無理だ。どうしても、心の男の部分が邪魔をしてくる。
どうして俺はこんなにも中途半端な人間なのだろう。人生初の告白だというのに、それに対する解答を持ち合わせていないとは。
「……あの、篠宮」
「大丈夫だ。お前の気持ちは汲んでいる。あくまでも俺の勝手な想いであって、お前はいつも通りにしてくれれば良い。お前だって嫌だろう、相手が男なんて」
篠宮の勝手な言い分に、俺の感情は爆発する。
「じゃあ何でキスなんてしたんだ! 嫌がってると思うならやめろよ!」
「それは、その、な。今まではどうにか自制できたが、今回ばかりは出来なかった。すまない」
綺麗すぎる土下座を見せつけられた。ちょっと面白かったので笑いそうになってしまったが、この空気ではさすがに笑えなかった。
感情が爆発したついでに、今まで言えなかったようなことを言ってやろうと思ったが、浮かんできたのは感謝の言葉ばかりだったのでやめた。
そのせいで、複雑な感情は一気に冷め、完全に冷え切ってしまった。
徐々に体温も下がり、冷静さを取り戻した俺は考え込む。
唇を奪われたことを思い返すとすぐに恥ずかしくなってしまうので、このことには蓋をしておく。
俺は篠宮のことを友達としか思っていなかったが、こんなことを言われては少なからず意識してしまう。
ふと視線を落とすと、自分の着ているワンピースが目に入る。部屋に立てかけてあった姿見を見ても、そこには真っ白なワンピースを着た少女の姿が映る。
どうして俺はこんな服を着たのだろう。
見られても恥ずかしくない格好をしたかったからだろうか。篠宮は俺の普段着を知っているので、わざわざこんな服を着ていく必要はなかった。
なら、どうして?
──そんなの、決まってるじゃないか。
「篠宮」
「な、鳴海? どうした?」
立ち上がり、自分からゆっくりと篠宮に近づいていく。突然の俺の行動に、篠宮は思わず息を呑んだ。
「この服、どう?」
「……駅前でも言ったが、似合ってる」
「似合ってる以外に、なんかないの?」
薄い笑みを浮かべながら、悪戯っぽく質問する。内心はかなり恥ずかしいのだが、意外と様になっているような気がする。
「……可愛い」
「ふふ、ありがと」
今までにないほどの微笑みで、篠宮の隣に座り、彼の大きな手に自分の指を絡ませてみる。
恥ずかしさで死にそうである。篠宮も驚きすぎてまた顔が恐ろしくなっている。赤い顔で恐い顔をするものだから、余計に恐怖心を煽ってくる。
でも、俺もいい加減に、自分の気持ちに素直になったほうがいいのかもしれない。
篠宮と一緒にいることは楽しい。もちろん、萌希や有村などと話したりすることも楽しい。皆は俺の大切な友達だ。
まだ俺には恋愛というものがわからない。
「篠宮の気持ちには応えられない」
「……そうか」
「でも、俺はもう自分の心に嘘はつかない。だからお前も頑張れ」
「お、おう……?」
あまり伝わっていないように思えるが、今はそれでいい。
俺はもう、心の中の私を仕舞い込むことはしない。いつか、俺と私が一つになる日が来ると信じて。
補足)
作中ではまだ一ヶ月経っていませんが、精神的な変化は徐々に進行しています。神崎からの警告や細谷先生との面談で少しは決心していましたが、篠宮からの告白により、完全に踏ん切りがつきました。蓮が恋心に気づくのは、まだまだ先になりそうです。




