迷い
篠宮によって義乃は引き剥がされ、俺は九死に一生を得た。義乃は抱きしめる力が強く、俺の首が締まって苦しかった。
自由になった俺はササっと篠宮の後ろに逃げる。ここなら安全だ。
「ちょっとぉ! 兄貴くっつき過ぎ!」
「不可抗力だろう。お前が悪い」
ぷくーっと頬を膨らませる義乃は非常に可愛らしいのだが、俺としてはもう抱きしめられるのは御免だ。
義乃が落ち着いたところで、ようやく俺は自己紹介をする。落ち着いたとはいえ、またいつ暴走するかわからないので、篠宮の側は離れない。
「鳴海蓮です。こいつと同い歳だから、今年で十六」
「蓮さん、兄貴から離れて!」
名乗った瞬間に、すごい剣幕で叫んできた。そこにすかさず、篠宮がツッコむ。
「お前も名乗れ」
「あいたぁっ! うぅ、篠宮義乃です……中学二年です……」
篠宮の剛腕に叩かれた頭を抱えながら、涙目で簡潔に自己紹介する義乃。篠宮から手をあげられたことはないが、痛さはだいたい想像がつく。たぶん、やばい。
しかも、結構遠慮なく叩いていたような気がする。いくら妹と言えど、少しは手加減してやったほうがいいと思うのだが。
その後も度々、義乃の魔の手は俺に伸びてきたが、それを全て篠宮が撃ち落とす。最初は止めるだけだったが、後半になるにつれて、完全に引っ叩いていた。もはや、義乃の手は真っ赤である。
さすがにガードが硬過ぎて諦めたのか、義乃は部屋から出て行った。
俺は一安心して、篠宮から離れようとした。しかし、篠宮が俺を離してはくれなかった。
「あの」
「すまなかった。事前に説明しておけばよかったな」
「いや、そういうことじゃ……」
ない、と言おうとして、俺の口は言葉を失う。
今度は、篠宮が俺を抱きしめ始めた。義乃とは違い、とても優しいものだった。篠宮の匂いで少しクラクラする。
胸筋が硬い。逞しい。
「あらら、熱々じゃないの」
「「っ!?」」
突然聞こえた女性の声に、俺も篠宮も驚いてお互いを突き放した。
見れば、締まっていたはずのドアが音もなく開いており、義乃と同じく高身長な女性が立っていた。
「そんな焦らなくても……私は仁と義乃の母です。よろしくね、鳴海さん」
「は、はぁ、よろしくお願いします……」
俺は彼女には名乗ってすらいないはずなのだが、なぜ俺の名前を知っているのだろう。
不思議に思いながらも言葉を返すと、篠宮母はゆっくりと俺に近づいてくる。先程の義乃のこともあり、少しだけトラウマになりかけている俺は軽く身構える。
「……仁、義乃が何かした?」
「あぁ、まぁ、色々と」
「そう……後できちんと叱っておくわ。鳴海さん、ちょっと仁借りますね」
彼女は優しく微笑むと、篠宮の手を引いて部屋から出た。つまり、俺は今一人である。
部屋を見渡してみて、あるのは筋トレ器具。篠宮の勉強法が気になったりして机を覗いてみたりもしたが、驚くほど荷物が少なかった。必要最低限なものだけが入っている、と言った具合だ。
魔が差して、俺は篠宮のベッドにダイブしてみた。俺のマットとは違う材質で、いわゆる低反発というやつか。俺の軽い体でも簡単に沈んで、よくわからないけど気持ちがいい。
そのまま布団にも潜ってみたのだが、この布団がまたなかなかの曲者で、肌触りが良すぎる。
このままだと寝てしまいそうで、俺は慌ててベッドから飛び降りる。
でも、ここで寝たら相当気持ちが良いんだろうな。
「……よし」
俺は覚悟を決めて、再び布団に潜り込んだ。
─────────
俺は母に引っ張られ、隣の部屋に移動した。
何の用か、と訊ねると、母は直球に返してきた。
「あんたとあの娘の関係は?」
その問いに、俺はすぐには答えることはできなかった。
彼女は、俺のことをどう思っているのだろうか。
この前、彼女の家に泊まった際に、危機感が足りないとしっかり告げたのだが、今日は俺の手を、その小さな可愛らしい手で自ら握ってきたり、義乃から逃げるためとはいえ、俺の腕にしがみ付いてきたり。
俺も我慢できなくなって抱きしめてしまったが、それを母に見られるとは。
「……友達、だと思ってくれてると良いんだが」
「ふぅん……あんたはそれで良いの?」
「……」
その質問は……今の俺ではとても答えられたものではない。
彼女は、鳴海は、元々男だったのだ。俺は男の鳴海をあまり知らないが、彼女は確実に、十五年間は男として生きていたのだ。
そんな彼女に、男の俺が近づいたらどう思うだろうか。
俺のこの気持ちは増していく一方だが、それを彼女にぶつけるのは違う。
俺の気持ちを素直に伝えてしまうと、優しすぎる彼女を傷付けて、苦しめてしまうかもしれない。
「俺は……」
篠宮は既に惚れていました。




