忸怩たる思い
挿絵なども描いてみたいなと思ったり、描けないな、と思ったり。
言っている意味がよくわからず、キョトンとしてしまう俺。
そして次の瞬間、俺は萌希に水をかけられた。
「ひっ」
俺の口から短い悲鳴が漏れる。
「あーあ、服どころか、全身が濡れちゃったなぁ、風邪引いちゃうなぁ、これはもう、お風呂に入るしかないなぁ」
わざとらしい棒読みで、彼女は俺を引っ張っていく。
……風呂?
「わああああまてまてまてまて心の準備が」
風呂、すなわち、裸。
一応、覚悟は決めたが心は男な訳で。
「大丈夫大丈夫、気にしないで!」
気にする気にしないの問題ではないのだが。
風呂場に着くなり、彼女は服を脱ぎ始める。
思わず目を逸らすが、顔を無理矢理向けさせられた。
「ほら、ちゃんと慣れないと!」
「待って、どうして君は知り合って数日の異性に裸を晒してるの」
「異性じゃないよ同性。ほら、蓮ちゃんも脱いで!」
呼ばれ方が変わったことなんて考えられないくらい、俺は恥ずかしかった。
ぐずぐずしてると私が脱がせるよ、と脅され、俺は渋々着ていたぶかぶかのパーカーを脱いだのだった。
「はえー、蓮ちゃんってば、それ一枚しか着てなかったの? 危機感足りてないなぁ」
顔が燃えるように熱いが、そればかりは仕方ない。着るものがないのだから。
「後で私のお古あげるね。今はお風呂に入っちゃおう」
萌希に肩を掴まれ、風呂へと押し進められる。
同じマンションなので、うちの風呂と同じ構造をしている。
「……せ、狭くない?」
「あはは、まぁ私達くらいの歳の子が多人数で入るように作られてないからね……」
「というか、風呂入るつもりなら最初から訊いてくれればよかったのに。わざわざ水をかけてくるとは」
「ごめんごめん、でもきっと蓮ちゃん入ってくれなかったでしょ?」
そりゃそうだ。俺は健全な男子高校生の心を持っているのだ。
俺は必死に目を瞑ったまま、萌希に座らせられた。
「ひっ、つめたっ!」
お尻にダイレクトに伝わるイスの冷たさ。視界がない分、神経が集中して余計に冷たく感じる。
「あぁ、ごめんごめん、温めるの忘れてた」
悪戯っ子のような謝り方だが許してやろう。
「それにしても、綺麗な肌してるねぇ、男だったなんて信じられない」
「お、お前は男と一緒に風呂に入っているんだぞ、わ、わかってるのか?」
「えー、でも蓮ちゃん女の子だしぃ〜」
そんなことを言いながら、俺の体に何が触れる感触がした。
「っ……」
「やーん背中すべすべ! なんて羨ましい」
こっ恥ずかしいので今にも逃げたいところだが、生憎この狭いバスルームの中だ。下手に体を動かしては、萌希の体に触れてしまう。そのせいで、俺は体を動かせずにいた。
遂には、萌希の手が背中から前に流れてくる。
「まっ、前は自分で……」
「だめ、どうせ無神経にガシガシ洗うのが目に見えてるんだから。女の子は繊細なんだよ?」
否定できない。
胸の前で交差させている腕が、いとも容易く萌希によって剥がされる。力ではとても抵抗できないことを痛感した。
それもそうだ、こんな細腕じゃ抵抗なんてできるわけもない。
……筋肉つけよう。
「ほら、目、開けて?」
「ぐ、ぐおお……」
言われるがまま、ゆっくりと目を開けていく。
うちのマンションの風呂には大きな姿見が一枚ある。立ったときに全身を見渡せるほどの大きさのものが。
「ーーーー!」
俺は恥ずかしさのあまり、全身から力が抜けて倒れてしまった。
「おっ、とと。あぶないあぶない。大丈夫……ではなさそうだけど」
萌希に倒れ込む形になってよかった。いや、よかったのか?
俺が今、どんな顔をしているかだなんて、聞くまでもないだろう。
「いやー、それにしても軽いねぇ。あの時は制服が水吸ってたからかなり重かったけど」
そうだ。思えば、彼女が俺を病院まで運んでくれなければ今の俺は無かったのかもしれない。
「……そういえば、まだ礼を言ってなかった。助けてくれてありがとうな」
「お礼を言わなきゃいけないのは私の方だよ……! ありがとう!!」
彼女の目から涙が溢れる。
全裸で涙を流すその姿を見ているのがいたたまれなくなって、俺は風呂場から逃げ出そうとした。
しかし肩を掴まれて引き戻される。
本当に力弱いな、俺。
「まだ前も髪も洗ってないよ?」
「勘弁してください」
「仕方ないな、じゃあ目は瞑ってていいよ。その間に私が洗っちゃうから」
言われたとおりに目を瞑る。
お腹辺りに何かに触れられる感触がある。
そこからどんどん上に滑ってきて……。
そこからはよく覚えていない。
気づいたら、萌希の部屋のベッドで横になっていた。
バッと飛び起きて、体を確認する。
真っ黒なTシャツに青っぽいジーンズを着ている。当然、これは俺のものではない。
「あ、蓮ちゃんおはよー」
横を見ると、萌希がお菓子を食べながらくつろいでいる。
「蓮ちゃん寝ちゃったからさー、とりあえず私が髪も体も洗っておいたよ。寝てる子のこと洗うのって結構難しいね」
ということは、俺は彼女に体の自由を明け渡してしまったのか。
顔が熱い。
「んで、服着せるにも、あのパーカーはサイズ合ってないしびしょびしょだしで、私の服着せちゃった。まだスカートは嫌そうだったからとりあえず、だけどね」
それはありがたいのだが、下半身が妙な安心感に包まれている。
恐る恐るジーンズを下を覗いてみると、そこには光り輝いて見える白色の布が。
冷や汗をかきながら萌希を見つめる。
「あぁ、無理矢理下着着せちゃった。蓮ちゃん意外と着痩せするもんだから、上は私のじゃ合うのなかったんだけど、着けないのもあれだからね。苦しかったらごめんね」
そっかぁ。
極力意識しないようにしていたが、これはもう逃れられない。
今穿いている布は、もともと彼女が穿いていたもの。当然、女物。
でもこれ、トランクスなんかより断然安心感がある。面積は明らかに少ないのに、不思議だ。
上にはブラジャーが着けられていた。サイズが合わなかったのは本当なのだろう。少し苦しい。
上について確認していると、萌希は口をとがらせた。
「私だって小さくないし、むしろ大きい方なのになぁ……」
俺には彼女が何を言っているのか聞き取れなかった。
女性下着について抵抗と快哉を感じながら固まっていると、萌希が、時計を見ながら言った。
「ところで、結構長いこと寝ちゃってたけど時間大丈夫?」
またそんなに寝てしまっていたのか。
俺は萌希が見ていたところを見た。針は午後の八時を指している。
「……やば、帰らないと」
「そう、明日も暇なら来てね。待ってるよ」
萌希の目を見て、感謝の意を伝えると、俺は足早に自分の部屋番号へと戻った。
家へ戻ると父がオロオロしていた。
俺が帰ってきたことを確認するなり、抱きついてくる。
おかしいな、父さんはこんな積極的な人ではなかったはずなのに。
俺が無言を貫いていると、父はハッとして、慌てて俺から離れる。
「す、すまん。お前は母さんではないのにな……」
「いいよ、大丈夫」
父さん、本当に母さんのことを好きだったんだな。
母が亡くなった時、父は俺に何を思っていたのだろうか。兄に暴力を振るったあたり、少なからず俺にも何か思っていたはずなのに。
結果、兄は完全にやさぐれてしまった。
間接的に、父から兄については聞いている。かなり遠方で仕事をしているようだ。
兄は俺に対して、申し訳ないことをした、と謝ってきているそうだが、俺の心の傷は消えない。本当にそう思っているのなら、直接俺に連絡してくれればいいのに、とつくづく思う。許せるかどうかは別の話だが。
突然抱きつかれて、急いで帰ってきた理由をすっかり忘れていた。
「ご飯、作るね」
俺は厨房へ向かった。