★変貌
今後の予定は毎日更新、とかではなくまったり更新していこうと思っています。書きだめもあまりないし、遅筆なので……。
─────────
目が覚めた。
開いたばかりの目には、少し刺激の強い真っ白な光。
随分、長い夢を見ていた気がする。
ゆっくりと上体を起こす。
はらり、と髪の毛が垂れてくる。
こんなに伸びるまで、寝ていたのか。
でも不思議と、前髪は短くなっている気がする。
腕を動かそうとしてみたが、力が入らず、首を動かした。
驚くほど白く、やせ細った腕からは、点滴のチューブが伸びている。
白いベッドの上で寝ていたし、ここは病院か。
声を出そうとしてみるが、なぜか出ない。
発声の仕方すら、忘れてしまったというのか。
俺は、何をしていたんだ?
確か、急な大雨に巻き込まれて……。
そうだ、萌希は。
萌希は無事なのか。
今すぐにでも探しに行きたかったが、体が思うように動かない。
それほどまでに、衰弱しきってしまったのか。
なんと情けないことか。
辺りを見回し、窓から光が差し込んでいるのでまだ日中のようだ。
体への違和感がすごいが、きっと虚弱になって感覚がおかしくなっているだけだ。
「……」
どれだけの時間、寝ていたのだろう。
なにか、自分の大切なものがすっぽりと抜けてしまったような気がして、目頭が熱くなる。
この感覚は何だろう。
何もわからない。わからないはず、なのに。
「……おじゃま、するね」
「っ!」
ガラガラ、という音が聞こえ、続けて少女の声が聞こえた。
驚いて咄嗟に動けなかった俺は、声の主とばったり目が合ってしまった。
彼女は、俺を見るなり、目を見開いたかと思えば、涙を流しながら抱きついてきた。
「……ぅ」
俺の口から空気の漏れるような音が発せられる。
「うああああああ! よがっだ! ほんとうに!」
この声は。
というか苦しい。
「私のことわかる!?」
俺は今声が出せないので、首を縦に振った。
良かった。彼女、萌希は無事だった。
なんか一気に力が抜けてしまった。
ようやく動くようになってきた腕で、ベッド横においてあった俺の携帯を手に取る。
ロックを解除し、メモ帳で言葉を打ち込み、それを彼女に見せた。
『俺どのくらい寝てた?』
俺の奇行に萌希は驚いた顔を見せるが、すぐに答えてくれた。
「……五日って、とこかな。ところで、声が出ないの?」
『あぁ、そうみたいだ。俺に何があった?』
たったの五日ではこんなに髪は伸びないし、痩せたりもしないはずだ。
「えっと、大雨のあの日、川に落ちちゃって……もう無理かもって思ってたら、あなたは私のことを陸に上げて……あなたはそのまま……」
『滝に落ちた?』
「……うん。それで、私、滝の下まで行って必死に探したんだけど、鳴海くんはいなかった」
『ん? じゃあ俺はどこにいたんだ?』
「……どこにもいなかったの」
どういうことだ?
話が見えない。
「立てる?」
不意にそう訊かれ、首を横に振る。
肩貸すよ、と言われ、彼女の首に腕をまわす形で立ち上がった。
あれ、萌希ってこんな大きかったか?
いや、大きいとは思っていたが、俺がほぼ直立なのに対して、彼女はかなり屈んでいる。
謎に思いながら、歩かされることたったの十歩。部屋を出ただけだ。
「こっちを見て」
そう言いながら彼女は壁を指差す。
そこには、俺のことを指差している私服姿の萌希と、パジャマを着た見知らぬ少女が佇んでいた。
俺の脳がそれを理解するまで、さほど時間はかからなかった。
体の違和感の正体。それは衰弱がどうの、などというものではない。
俺はーー。
─────────
「ええと、確認しますが、貴女は鳴海蓮さん、でよろしいですか?」
「……はい」
ようやく出るようになった自分の声があまりにもか細く、弱々しいもので、俺自身が驚いてしまう。
「萌希さんの話によると、滝の下に明らかに大きな男子の制服を着た女の子が倒れていたそうで。どうしてこんなことになってしまったのか、皆目見当もつきません」
医師からそう告げられ、鳴海くんはいなかった、というのはそういう意味か、とやっと理解した。
「原因がわからない以上、元に戻る方法なんてわからないし、もしかしたらある日突然元通りになるかもしれない」
「……大丈夫です」
口ではそう強がるが、体は小刻みに震えてしまう。特に何かに怯えているわけでもないのだが。
酷く険しい顔をしている医師を元気付けようと、笑顔を作る。
やべ、普段あまり笑わないからこういうときすごい不器用な顔になる。
俺のその姿を見て、医師は微かに笑ってくれた。
─────────
体も動くようになり、退院が認められたので、早速家に帰った。
帰り道は萌希に送ってもらった。
うちの部屋番号の前で彼女と別れ、玄関を開ける。
「……ただいま」
「……おかえり」
今日は土曜日で、父は家にいた。
顔を背け続ける彼はいつになく、厳格な雰囲気を漂わせていた。
「はは、父さん、俺、こんな姿になっちゃったよ」
「……」
父は一向にこちらを見ない。
重い空気に耐えられなくなり、俺は自分の部屋へと逃げるように入っていった。
ベッドに倒れ込む。
疲れた。
その一言に尽きる。
「現実味ないなぁ」
実感が無くとも、明らかに体は女そのものだし、頬をつねれば当然痛い。夢なんかじゃない。
というか、なんで俺はこんなにナーバスになっているのだろうか。ただ性別が変わっただけじゃないか。
俺は俺だし、強く生きよう。そう決意した。
場所は変わって洗面所。
改めて、自分の姿を確認する。
細く流れるような、真っ直ぐなナチュラルブラウンの髪。後ろ髪は肩にかかるほどまで伸びていた。
顔は綺麗に整っていて、とても優しそうな少女だ。
目はクリクリとして大きく、それでいて、少しだけ気が強そうな印象も受ける。長い睫毛が女性であることを強調させる。
スッキリとした、高すぎず低すぎずな鼻。
仄かに紅に染まる、小さな唇、薄く紅潮した頬。
こんな少女が現実にいたら、思わず見とれてしまうだろう。その少女が自分でなければ、だが。
不思議と、俺はこんな女性を見たことがあるような、どこか、懐かしい気持ちがした。
「蓮」
ふと振り返ると、そこには顔をぐちゃぐちゃにした父が立っていた。
「本当に、蓮、なんだな」
「……やめろよ父さん。らしくないな」
「あ、あぁ、すまない」
父は涙を拭き、ぐちゃぐちゃの顔を正す。
「蓮、お前に見せたいものがある」
こんな時になんだ、と思ったが、黙って頷く。
父は箪笥の中を漁り始め、やがて一冊の本を取り出した。
「それは?」
「いいから見なさい」
彼はその本を捲り始める。
そこには、昔の、色味の薄い写真がたくさん並んでいた。
これはアルバムだ。
「これは大賀の赤ん坊の頃の写真だ」
大賀。
それは切っても切れない、俺と血を分けた唯一の兄弟。
今となっては、彼がどんな人物だったのかも、思い出せない。記憶にあるのは恐怖だけ。
ページを捲っていくと、若き父と女性のツーショット写真を見つけた。
俺は衝撃を受けた。
この女性の顔が、今の俺の顔とそっくりなのだ。俺のほうが幼さは残るものの、成長していけばこの顔になるに違いない。
「この人って……」
「……そうだ、俺の妻であり、お前の母親である、鳴海百合子だよ」
自然と俺の頬を熱い液体が伝った。
なぜだかはわからないけど、亡き母さんの血が流れているんだとわかると、悲しい気持ちと嬉しい気持ちが混ざり合って、無性に泣きたくなった。
そんな俺を、父は優しく撫でてくれた。
─────────
しばらく泣いてスッキリしたので、これからについて考えることにした。
「学校、続けるのか?」
まぁ、当然の質問だろう。
不幸中の幸いか、まだ高校に入学して間もなく、友人と言える友人は今のところ、萌希のみだ。他の生徒とは話してすらいない。
友好関係を築くことができるかは置いておいて、これからでもどうにでもなる。……たぶん。
「うん、続けるよ」
「となると、戸籍の変更とか、学校への手続きとか、色々必要になってくるな」
戸籍ってそんな簡単に変えられるものなのだろうか。俺にはわからないが、そこは父に任せよう。
父はすぐ実行に移すタイプの人間で、あの後すぐに手続きをしに行った。
その間、俺は暇なので携帯を眺めていた。
相変わらずネッ友は暇を持て余している。
でも今はあまり遊ぶ気分ではないな、と流した。
目的もなく眺めていると、携帯と画面が一瞬固まったので驚いた。故障かと思ったら、ただ電話がかかってきただけだった。
そこに書いてある名前は萌希だった。
そういえば、二人で話し合う時間のときに連絡先交換したっけ。
「もしもし、どうしたんだ?」
「あ、もしもし鳴海くん? その様子だと大丈夫だったみたいだね」
「まぁ、一悶着はあったかなぁ。それで、何か用?」
「あ、うん、用件なんだけどね。鳴海くん、これから女の子として生きていくことになるんだよね?」
「あー、うん……」
「だからね、ちょっと教えたいことがあって。今暇かな?」
めちゃくちゃ暇だ、と伝えると、萌希は自分の家に来てほしいとのことだった。
教えられた部屋番号の通りに行くと、確かに表札には萌希と書いてあった。
近いな。まさか同じ階だとは。
インターホンを鳴らすと、玄関が開いて萌希が出てきた。
あがってあがって、と言われるがままにお邪魔した。
萌希の部屋に通されて、待ってて、と言われた。
萌希が行ったのを確認すると、俺は辺りを見回した。
これは……女の子の部屋だな。
パステルカラーを基調とした家具たち。たくさんのぬいぐるみ。ドレッサー。どれも可愛いものばかり。
まさに、THE・女の子、といった感じだ。
こんな形で女子の部屋に上がることになるなんて、誰が予想できただろうか。
「おまたせ〜、よっこらせっと」
おっさんのような掛け声とともに、萌希が大きな籠を置く。
籠の中にはたくさんのお菓子が入っていた。
「さて、女の子の生活に慣れるために鳴海くんを呼んだ訳だけど……」
彼女は、無意識にチョコレート菓子に手を伸ばしていた俺の腕を掴み、こう言った。
「ちょっと冷たいけど我慢してね」
2019/11/6 挿絵挿入