大賀の趣味
突然のことで何が起きたか理解できなかった。
とりあえず、今はこの男の手から解放されたことに安堵する。
体当たりしてそのまま走り去ったものを探してみたが、図書室の入り組んだ構造と人の多さから見失ってしまった。
目の前から呻き声が聞こえた。見れば、男が震えながら立ち上がろうとしている。
これは、本を借りるのはまた今度になりそうだ……。
俺は急いで本を元の位置へ戻し、図書室から抜け出した。
こんなことになるのなら、来なければよかった。あの紙の数々をビリビリに破った萌希は正しいことをしていたのかもしれない。
男は仮にも制服を着ていたので、この学校の生徒であることは間違いない。これから学校内で動くことが少し怖くなった。
誰かは知らないけど、助かった。
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帰り道、時刻は午後の五時。
まだ四月なので、日はそこそこ長い。まだ明るいので、特に不安もなく帰れる、はずだった。
図書室の件で、通りすがる男性に見られるだけで嫌悪感を抱くようになってしまった。俺もその『男』であったのに。
あの男が異常なだけであって、篠宮や有村のような人間もいるのだ。
変なトラウマを植え付けられてしまった。あの男、許さない。
いざというときのために、自己防衛できるようにしておかねば。
携帯で調べていると、男にとっては痛々しい内容のものが多かった。たまに背負い投げなどをしている記事もあったが、俺にはとても真似できそうにない。
家に帰ると、まだ誰も帰ってきてはいなかった。
大賀はこの家に帰ってきてからも、仕事はしている。何の仕事をしているのかは知らない。
父と大賀はほぼ同時刻に帰ってくる。だいたい、七時から八時までの間に帰ってくることが多い。
俺は早速、三人分の夕飯を作った。気に食わないが、大賀も社会人としてお金を稼いでいるのだ。働きもせず、学費や趣味などでお金を使い続ける俺には、このくらいしかすることがない。
二人が帰ってきて、俺と父はすぐに食事にした。大賀は謎の荷物を携え、部屋に篭ってしまった。冷めて味が悪くなる上に、洗い物もさっさと済ませたいので早くしてほしい。
大賀が部屋から出てきたのは父が食べ終わってからだった。
「早く食えよ。せっかく作ってやってるのに……」
「あはは、すまない。ちょっと準備に手間取っちゃってね。ありがたく頂くよ」
俺は予め食べ始めていたので、当然大賀よりも早く食べ終わった。俺と父の分の食器だけ洗い、再び自席へと戻る。
苛つきながら大賀の食事を眺めていると、不思議そうな目で見つめられた。
「部屋には戻らないのか?」
「お前が食ってるからだろ……俺も早く戻りたいよ」
「いや、僕の分は自分で洗っておくよ」
「駄目だ、任せられない。早く食え」
「優しいんだか厳しいんだか……」
文句を言いながらも、大賀の手は先程よりも速く動いていた。
彼も食べ終わったので、俺は全ての食器を洗い、さっさと部屋へ戻った。
二連休明けの月曜日であり、図書室での精神的ダメージから、このまま布団に入ったら寝てしまいそうだ。
さすがに風呂に入らないのは衛生上あまりよろしくないので、すぐに風呂を沸かした。あの男に触られたところを洗いたい、という気持ちもある。
九時には風呂に入り、いつもより入念に体を洗った。湯船にも、いつもより長く浸かった。
気持ちが良くて、ついウトウトとしてしまう。寝落ちてしまう前に、風呂から上がった。
上気しながら部屋に戻ろうとすると、ドアを閉め切った大賀の部屋から笑い声が聴こえる。共に、コントローラーの操作音。
明らかにゲームをしていて、何をやっているのか気になりもしたが、今日はもう眠気に勝つことができない。
俺はフラフラしながら、自室のベッドに潜り込んだ。
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それから金曜までは特に何事もなく過ごした。またあの男に接触されたら嫌なので、一人では行動しないようにしていた。あれから遭遇することはなかった。そのおかげで、図書室から本を借りることもできた。
そして金曜日の夜。翌日が休日なこともあり、家族たちは羽を伸ばしている。俺も、例外ではない。平日が忙しいかと言われれば、特にそういうわけでもないが。
この日も俺はさっさと風呂を済ませていた。大賀の部屋からは笑い声とコントローラーの音が響いてくる。ただ、先日と違う点が一つ。
声が大きい。
俺は部屋で一人、図書室で借りた本を読んでいたのだが、大賀がうるさすぎていまいち集中できずにいた。
文句を言いに行こうと、大賀の部屋の扉を勢い良く開ける。彼はパソコンの前に座り、楽しそうに笑っていた。
思いっきり叫んでやろうかと思ったが、置いてある備品を見て声が出なかった。
高そうなヘッドフォンに高そうなマイク、高そうなゲーミング用のパソコンと俺のものと同じくらいの大きさのパソコン、四つのモニター。
なんというか、圧巻だった。
大賀は俺に気づかない。扉に背を向けるようにゲームをしているからなのだが、相当熱中しているようだ。
そろりそろりと、四つある画面のうち、大賀が見ている画面を覗き込んでみる。画面が暗すぎてよくわからない。
目を凝らして眺めていると、突然画面に何かが映った。
リアルな、ボロボロの人の顔のような物、だった。
「ひぁぁぁぁっ!?」
ビクッと体が跳ね、尻餅をついてしまう。
大賀がやっていたのはホラーゲームだったようだ。俺はビックリ系には弱いので、驚くのは仕方のないことだ。
情けないことに、腰が抜けて立つことができない。
「なっ、れ……ンッ! みんなちょっと待ってて!」
俺の悲鳴により、ついに大賀に気づかれてしまった。大賀はマウスを操り、何かをした後に、俺に手を差し伸べた。
彼に助けられるのは癪だが、自分では動けないのだから、大人しく手を借りた。いや、違うな。全てはホラーゲームをやっていた大賀が悪い。
「蓮、どうしてここに……?」
「ど、どうしてって、お前がうるさいから……!」
「あ、あ~……。ごめん、完全に熱中しちゃってた。声は絞るよ」
彼は俺を立たせるだけ立たせると、再びパソコンに向き合い、マウスを操作し、ヘッドフォンを装着した。




