人生の転機
風邪が一ヶ月くらい続いていて苦しいです。
俺は一人で帰宅し、昼食の準備をする。
父は仕事でいないので、一人前作る。
外食をしても良かったが、俺はこれからアルバイトを始めるつもりもないし、ただ単に父の負担が増えるだけなので自炊する。
昼食を済ませ、特にすることもないのでとりあえず携帯を開く。
携帯を開いたところで何かをするわけでもないのだが、暇つぶしにSNSを眺めたり、動画を見る。
タイムラインを眺めていると、仲の良いネット友達も今日が入学式で早帰りだった、と呟いている。
俺は彼に『俺も早帰りで暇なんだ、なんかしようぜ』と送信した。
返信は早く、そこには『いいぜ!なにする?』という短い文章。
とりあえず……FPSかな?
ネッ友とゲームを楽しんでいると、知らないうちに夜になっていた。もうすぐ父が帰ってくる時間だ。
ちなみにゲームを切り上げたタイミングは、ネッ友が夕飯に呼ばれたときだ。俺はそこで夜だと気づいた。
夕飯の支度をしよう。
「あ、父さんおかえり」
「あぁ、ただいま」
父が帰宅し、俺は早速食卓に皿を並べる。いつものことなので手慣れている。
「「いただきます」」
二人同時に手を合わせ、礼をする。
「蓮、高校では友達できそうか?」
「どうだろう、わからない」
「そうか……」
俺は小中学校で、教室の端っこで目立たないように生活してきた。
理由は簡単で、人付き合いが苦手なのだ。
その結果、当然リアルの友人などいない。
隅で読書中にチラチラと聞こえてくる会話には、俺のことを指していることもあったが、興味がないので内容は覚えていないし、聞く気もない。
一人でいるほうが気が楽だ。
─────────
翌日からは普通に午後まで授業があるので、弁当を二人分作った。
前日とは違い、朝早い登校だ。俺が一番乗り、と思ったら、二番手だったようだ。
あの少年、かなりの長身だ。俺が170センチあるが、明らかに彼のほうが高そうである。それにかなりの筋肉質。間違いなく強い。
話したこともないので、俺たちの間には会話はなく、遅刻ギリギリに皆が登校してくるまでの間、気まずい空気が漂っていた。
「はーい、みなさんおはようございます! 早速なんですけども、みんなに自己紹介をしてもらいます。出席番号順に、前に出てきてね」
細谷先生が出席簿を眺めて、一番の名前を呼ぼうとした時、男子の声が響いた。
「まず先生からお願いします!」
元気なやつもいるもんだな。俺はそんなことを言う勇気はとてもない。
「そ、そうね。昨日少し話したけど、まだ足りないか」
細谷先生は姿勢を正し、柔和な笑みを浮かべながら語り始めた。
「私の名前は細谷沙由、年齢は今年で二十四です。趣味は……観光地巡りかな。と、こんなところでいい?」
二十四か。随分若いな。
「はいはいはい! 結婚はしてるんですか?」
お調子者であろう男子が勢い良く質問を飛ばす。こういうやつ、本当にいるんだな、と感心する。
「結婚は……してません……」
していないのか。考えてみれば、それもそうだろう。大学生の頃に教員免許を取ったのだろうが、二十四ということは、まだ大学を出たばかりだろう。
細谷先生の未婚発言に沸き上がる男子。本当に元気だ。
「っ、先生ばかり恥ずかしいので、みんなも早く、ね!」
少し赤くなった細谷先生は名簿の名前を読み上げていく。俺の名字は『な』で始まるのでそれなりに後半だ。
「俺は篠宮仁。剣道をしている。中学生の頃に全国で優勝したのは俺の誇りだ。よろしく」
彼は朝一番に来ていた大きな男子だ。
立っているところを見ると、ますます迫力が増す。
渋くて格好良い顔をしている。女子受けは良さそうだ。
剣道の全国優勝者か。俺はそういうことには疎いので知らなかったが、知っている人もいそうだな。
しかしまぁ、でかいな。190センチくらいだろうか。十五歳でこれなら、将来どうなることやら。
そして俺の番が来た。
とはいえ、特に話すこともないが、男子は大体『趣味はゲームです』と述べていた。現代っ子だ。
「はい、鳴海蓮といいます。趣味は読書です。よろしくお願いします」
非常に素っ気ない自己紹介だが、これくらいが丁度いい。変に絡まれたりもしないだろうしな。
俺の番が終わり、その後も次々も自己紹介を終えていく。
次は昨日のタピオカ女子だ。
「萌希神奈子です! 趣味は走ることですが、泳げません! 得意科目は体育です! よろしくお願いします!」
勢いの良い自己紹介に、教室は沸いた。まぁ美人だしな。このクラス女子少ないし。
男子が八割方を占めている。なぜこうなったのか。
ぼーっと彼女を眺めていると、彼女は可愛くウィンクを決めた。
なぜか、クラス中の視線が俺に集まる。
「……ん?」
俺が何かしただろうか。
男子から異様なまでの妬みを感じる。
まぁ、何かをやらかしていても俺は気にしないのだが。
「さて、みんなの自己紹介も終わったところで! もっと交流を深めるために、二人一組になってください。それで、色々話し合ってください!」
エッ。
やっと一人で自分の世界に入れると思ったのに、細谷先生の言葉でぶち壊された。
というか、クラスの人数は奇数だ。確実に一人余る。
どうせ俺か。
そんなことを考えていると、制服を引っ張られていることに気がつく。
「ねー鳴海くん、私と組も!」
笑顔でそう言ってくるのは、萌希神奈子。あのタピオカ女子である。
「……別にいいですけど、なんで俺なんです?」
周りの目を気にしてみると、とんでもなく睨まれている気がする。
そうか、彼女が美人だから、皆羨んでいるのか。
「何でもよ。それと、敬語やめて」
「あ、うん」
俺は周りからの視線を遮断し、彼女との会話に集中した。
─────────
帰りのホームルームが終わり、いつも通りに帰路に着こうとした。
「鳴海くん、一緒に帰ろ!」
「……」
萌希だ。
こいつ、何かと俺に絡んでくるな。何か企んでるのか?
先程の会話で、中学が同じであり、同じクラスになったこともあること、家が同じマンションであることを告げられた。
俺には全く記憶になく、心の中で謝りながら、彼女の問いに、無言で頷く。
「やった!」
「俺と帰っても良いことないぞ。あんま喋らないし」
「私がいーの! さ、帰ろ帰ろ!」
彼女に押されるように、俺は校舎を後にした。
「鳴海くんってさぁ、不思議だよねぇ。ずっと教室の隅っこで本読んじゃってさぁ」
「人と関わるの、苦手だからな」
「でもどこか神秘的〜、って女子からの評価良かったんだよ?」
「えぇ……」
ただの根暗に惹かれる女子はどうかと思うが。
「でもこうして話してたら、意外と普通だなって思った! カフェでは冗談とかも言ってたし!」
散髪料がない、という話だろうか。それならば、冗談ではないのだが。
家が近いと言っても、徒歩だと三十分程かかる。自転車だと十分かからない程度なので充分近い。
やけに上機嫌な萌希を尻目に、俺は空を眺めていた。
雲行きが怪しい。
「雨降ってきた」
「えーやだ、傘持ってきてない」
やだと言われましても。俺も傘はない。
天気予報だと降水確率は0%だったはずなのに。
「急いで帰ろう。ほら走って」
「あっ、ちょっと、そこ川だし危ないよ。先は滝だし……」
大丈夫だって、と彼女の手を引く。
やはり彼女は運動系、俺の走りに着いて来ている。
くそ、雨がかなり強くなってきた。川の流れも速くなっている。
「なにがどうなってんだ……」
その瞬間、辺り一面が光に包まれた。
落雷だ。
「きゃっ!」
萌希は驚いて勢い良く躓き、俺の手を離してしまった。
そしてその勢いのまま、氾濫しかけている川に落ちた。
まずい。
彼女は確か泳げないと言っていた。しかも、川の流れている先には二十メートルほどの滝がある。岩肌も隆起していて、落ちたりしたらひとたまりもない。
無性に、助けなければならない、という感情に襲われた。
俺はリュックをその場に投げ捨て、川に飛び込んだ。
見た目以上に、その川は強大だった。
猛スピードで流される彼女に、俺は全力で手を伸ばす。
「ッ! 届けぇぇぇぇぇぇぇッ!」
我武者羅に、俺は彼女の腕を掴み、陸に放り投げた。
これが火事場の馬鹿力というものか。制服が水を吸って、相当重かったはずなのに軽々と投げ飛ばしてしまった。
萌希が無事に草むらに落下したのを見て、手荒で申し訳ないことをしたな、と思いながら、力を使い果たした俺は流されていく。
あぁ、だめだ、意識がーー。
段々と大きくなる水の音を聞きながら、俺は意識を手放した。