恐怖心
萌希の家にインターフォンも鳴らさずに駆け込んでしまい、萌希家の人には心の中で謝っておく。夜にしか鍵をかけないタイプの家庭なことを知っていたため、この奇行に走ることができた。
俺の突然の来訪に、萌希も萌希母も目を丸くして見ている。
「どうしたの、そんなに切羽詰まって」
「ごめん、理由は聞かずに匿って」
彼女たちは数秒間目を見合わせ、俺に向き直った。
俺は制服のまま、リビングに通された。
ここが萌希家のリビングか。うちのリビングよりも荷物が多いものの、小綺麗にまとまっていた。
というか、なんでリビング?
ソファに座らされながら、俺は疑問を浮かべる。
このソファ、低反発でなかなかに気持ちが良い。俺も自分用に小さいものを買おうか悩むほどだ。
脱力していると、萌希母が俺の顔をのぞき込んできた。やっぱり彼女はどこから見ても小学女児である。
「ふむ、なるほど……」
何かを汲み取ったのか、考える素振りを見せた萌希母は、完全にくつろいでいる俺の脇に手を突っ込み。
「え、あ、えっ!?」
「随分軽いわね」
何が起こったのか、一瞬理解できなかった。
自分よりも小さな女の子に身体を持ち上げられている。
「何してるのお母さん!」
「何でもいいでしょ。少し鳴海さんに聞きたいことがあってね」
だからって人のことを持ち上げる必要があるのか、と問いただしたいところだが、今はそれどころではない。
全く、この親子は揃ってアグレッシブだな。
「俺に料理を?」
俺の返しに、萌希母はうんうんと頷く。
でも彼女は娘に弁当を作っていたような。普通に美味しそうだったけど……。
「あ、この娘にね」
彼女は萌希を指差したので、俺は納得した。
「なに! 私は食べる専門なの!」
「そんなこと言ってたら嫁いだときに後悔するわよ」
「じゃあ一生独身でいい!」
なんて勿体無いことを叫んでいるのだろうか。
萌希は美人だ。入学当初の周りの反応からも、その容姿は男子を惹き付けていた。
相手には困らなさそう、などという不埒な考えは捨てた。失礼極まりない。
「あー、俺は別にどっちでもいいけど……」
「いや、いいよ! 蓮ちゃんはお母さんにでも教えてあげて! 私が弁当いらないって言ったとき、結構ショックだったみたいだから」
「神奈子!」
母娘ってこういうものなのだろうか。
俺も母が生きていたら、なんて想像してみるが、俺の性格的にありえなさそうである。
母さん、どんな人だったんだろう。
─────────
結局、俺が料理を教えたりすることはなかった。
しばらくの間、萌希宅で駄弁らせてもらった。今までの授業のお浚いや、ノートを写させてもらったりもした。
父が帰ってきたらしく、俺の身を案ずるメッセージが届いていたので、俺は帰ることにした。
「じゃあ、ありがとうございました。お邪魔しました」
「またいつでも来ていいからね。私は蓮ちゃんの味方だから!」
笑顔で手を振る彼女に、俺も笑みで返した。
今思えば、俺もこんな顔ができるようになったんだなぁ、としみじみ。昔では考えられない。
身近に頼れる人がいる、というのは安心できる。
家に戻ってみれば、玄関先にはあの男性はいなかった。まぁ三、四時間も経っていれば当たり前か。
俺は気兼ねなく玄関を開ける。
「ただいまー」
「「おかえり」」
俺は父に対して言ったはずなのに、なぜか声が二重に聞こえた。
気になってリビングに行ってみれば、そこにはダイニングに腰掛ける、父と男性の姿があった。
俺は思わず硬直した。
父は難しい顔をしている。男性の方も、同じような顔をしていた。
状況が呑み込めないので、とりあえず手洗いうがいをして荷物を部屋に置いた。
制服を脱ぎながら、俺を思考を巡らせる。しかし何も思いつかない。父と男性の関係性は一体。
適当にその辺の上着を着て、俺はリビングへ戻った。
よくわからないけど、夕飯を作らなくては……。
無言のまま、俺は夕飯を作っていく。余計なことは考えずに、今は目の前の料理のことだけを考えた。
「遅くなりました……はい」
完成した料理をテーブルに置く。一応、三人分作った。
「僕の分まで? ありがとう」
「……どういたしまして」
俺も椅子に座り、揃って食べ始める。
俺は無言で食べ進めていたが、父が俺の方を小突いてきて、彼は席を立った。
着いてこい、という意味と解釈し、俺も続けて席を立つ。
俺の部屋で待っていた父に、要件を訊く。
「お前は、あの男に見覚えはあるか?」
「え、うーん。見覚えというか、見たことはある、ような気がするだけっていうか」
「そうか、無理もないな。あとは直接あいつの口から話させる。戻るぞ」
これを訊くためだけに、俺は呼び出されたというのか。
わざわざ部屋を変えてまでのことだから、大事なことなのだろうが、大袈裟に感じる。
「席を外してすまなかったな、お前から説明してくれ」
「わかった」
食事に戻るなり、父が男性に示唆する。
男性は食事の手を止め、俺に向き直る。
「僕の名前は大賀といいます」
短い自己紹介ではあったが、俺の思考回路を止めるには充分だった。
脳が勝手に過去の映像をフラッシュバックさせる。
俺の顔から血の気が引いていき、やがて体も震えだす。
「僕は君について何も聞いていないけど……その様子だと……いや、でも……」
大賀、と名乗った男は、俺の態度で何かを感づいたようだ。
俺は必死に自制しようとするが、どうしても体がいうことをきかない。
気づいたときには、俺は大賀を思いっきり殴っていた。




