嫉妬
山梨県 南都留郡
富士山が見えて河口湖や山中湖がある辺りと言えば分かりやすいだろうか、運動部に所属していた人なら中学や高校の合宿で訪れたことがあるかもしれない。
今回ご紹介するのは、そんな場所で起きた事件である。
ある大学のテニスサークルのグループが、大会前に合宿でこの場所を訪れていた。
合宿といっても、仲の良い友人だけで適当な宿を見つけ、練習がてら楽しく遊ぼうという第二の目的もあった。サークルの仲間は男3人、女2人だった。名前はカズヤ、ユウマ、ショウ、エリ、レン、である。
ちなみに、カズヤはエリに恋心を抱いていたが、彼女にそのことは打ち明けていなかった。
日差しが強く、頭のてっぺんが焼けてしまうのではないかと思える朝のことである。
テニスコートでダブルスの練習試合をしている際に、審判台にいたカズヤがスズメ蜂に刺されてしまったのである。
刺されたのは首元で、ハエかと思って振り払おうとしたら刺されてしまったのだった。
急いで準備の良かったエリが応急手当をし、ユウマが念の為と救急車を呼んだおかげで、アレルギー症状が出たものの、アドレナリン注射が間に合い、カズヤは事なきを得た。
意識を失っていたカズヤが目を覚ましたのは、その日の午後であった。カズヤが寝ているベッドの周りにはユウマとエリがいて、部屋を仕切っている白いカーテンの中でカズヤが気が付くのを待っていた。
最初にカズヤの目に入ったのはエリだった。
エリは右側にいて手を握り、じっと心配そうにカズヤのことを見つめていた。カズヤが気がつくと、直ぐに声を掛けたのが彼女だった。
「カズヤくん! よかった、気がついたのね」
「……うん」と言って、カズヤは体を起こそうとした。
「まだ安静にしてないとだめ、またアレルギー症状が出るかもしれないし」
「そうなんだ……いや、その……ごめんね」
「なんで急に謝るの?」
「いや、せっかくの練習が……」
「何言ってるの、そんなこと誰も考えてないよ、とにかく、安静にね、皆そう思ってるから」
「本当にありがとう」
次にユウマが目に入った。ユウマはカズヤの左側に居り、椅子に座り、イヤフォンをしながらスマホゲームに熱中していた。
《あの……親友がピンチなんですけど!》とカズヤは心の中でツッコミを入れた。
すると、心の訴えに気が付いたのか、片方だけイヤフォンを外し、
「お、カズヤ、生きてたか、よかった、よかった」感情のない淡々とした口調で返事した。
「うん、生きてた、救急車呼んでくれてありがと」
「おう」とユウマは頷いた。
マイペースなユウマは、イヤフォンを付けて再びスマホゲームを始めるのであった。
ショウとレンは病室に居なかった。
「あれ、ショウとレンは?」カズヤがエリに聞いた。
「ん? 二人は先に戻ったよ、宿の人に今頃会って、今日あったことを話してるんじゃないかな」
「そうか」
カズヤはある大病院に運ばれた。医者の話では、長くて二週間は入院する必要があるとのことだった。
ただ、そんなに長い間、動き回れる人を置いておけるほど余裕のある病院ではないらしく、たまたまベッドが開いていた二日だけ様子を見ることになったのだそうだ。
自分で打つ薬の入った注射器だけ用意してもらい、またアレルギー症状がでたら自分で太ももにブッ刺すらしい。
しばらくすると、日が完全に落ちて、窓の外は暗くなった。
ユウマが「そろそろ、宿に戻ろうか」と言ったので、エリも「そうね」と椅子から立ち上がった。
カズヤはそれを見て、「今日は本当にありがとうね」と、病室を出て行く二人を見送った。
その後、ポケットに入っていたスマートフォンを取り出し、ゲームに勤しんだ。
プニプニのブロックを指でなぞって、連続で壊す何とも奥深いあの有名なゲームである。
このゲームの特に最高なところが、いわゆる《連鎖》というやつで、ブロックを一気に《ドドドドドーン》と壊せるのだ。
《お! 連鎖キタコレ! 連鎖♪ 連鎖♪》と、頭の中で連呼するほど今日は調子が良かった。
ゲームの途中、ふと気になってカズヤがユウマのアカウントを確認した。
《あれ? ユウマのやつ、今日はもうログインしてないのか……》
ゲームのプレイヤーランキングもユウマより上になり、満足したところで夕食の時間になった。
『白米、野菜がたっぷり入ったクリームシチュー、蓮根が入った肉団子、トマトにキャベツ、パプリカが入ったサラダ、海藻のお浸し』
病室食は美味しくないと言うが、カズヤにとってはそうでもなかった。
一人暮らしで外食も多かったこともあり、バランスの取れた食事は本当に久しぶりだった。
特に、蓮根の入った肉団子がカズヤのお気に入りだった。
カズヤは食事を10分足らずで済ませ、飲み物を買おうと、立ち上がった。
病院には売店があるらしいので、そこに向かおうとした。
売店に到着し、品物を眺めていると、
「あっ……しまった!」と声に出して、カズヤは立ち止まった。
《お泊りセット一式、宿に置いてきたままだったよ……》
カズヤはスマートフォンを取り出し、皆がいるチャットルームにお泊りセット一式、誰かに持ってきてほしい旨を書き込んだ。
自分のベッドに戻ったカズヤがスマートフォンの画面を見ると、
「私が行く! (≧▽≦)b 」とエリから返信が返ってきた。
カズヤはこのとき、彼女が自分に好意を寄せているのではないかと思った。
ベッドに座り、静かにしていると、自分の心臓の音が聞こえてきた。
《いやいや、何考えてんだ俺!》
自分が特別な気持ちを抱いているということを、彼女に悟られないようにしていたのだが、想像が膨らんでしまうと、その膨らみをもう止めることができなくなっていた。
《そ、そうだ! ゲ、ゲームをして一旦落ち着こう――ほかのことを考えればいいんだ、よし! そうしよう、連鎖だ! これからずっと連鎖を出すことだけ考えるんだ! 全集中だ!》
その日の夜、エリがもう一度病院に来た。
「おまたせ、持ってきたよ」
「あ、あ、その……ありがとう」カズヤは一瞬、エリと目が合ったが、恥ずかしくなって視線を逸らした。
「どうしたの? そんなよそよそしくしちゃってー」エリがカズヤの横に座った。
「あ、その、あ、ありがと、また何かあったら連絡するから!」
「えーそんなのあり? せっかく、来てあげたのに……」
「えぇ、何が?」弱気なカズヤ。
「ねぇ、とぼけてるでしょ?」エリは甘えた声で、手を握ってきた。
「いやだなーもう、とぼけるって何……」
「……」
――沈黙――
特に何も話していなかったが、握り具合を変えることで会話らしいことをしていた。彼女が《ギュッ》と握ってきたら、自分も同じように握り返すのだ。
エリが耳元で囁き「ねぇ、カズヤ? カズヤは、私のこと好き?」とカズヤに聞いた。
カズヤは「うん……」と彼女に返した。
「そう……嬉しい……じゃあ、キスしてもいい?」エリが恥ずかしそうに、ニッコリ微笑んだ。
「え、ここで?」カズヤは平静を装っていたが、頭の中は歓喜や驚きが入り混じったパニック状態だった。
そして、これ以上、ヘタレなところは見せられないと思ったカズヤは勇気を出して、エリに顔を近づけた。
「わかった……」とカズヤが言うと、
彼女は「うん……」と言って、目を閉じ、唇に触れる程度のキスをした。
「……」
「今日はね、本当に怖かった。カズヤくん死んじゃうかと思った。あんな風にお別れするのはやだ……だから、もう二度と離れたくない」
「うん……」
「ねぇ、カズヤ」
「なに?」
「私が先に言うから、同じように続けて私の名前を呼んで……」
「うん、わかった」
「大好きだよ……カズヤ」
カズヤは心臓の高鳴りを抑えるために、頭の中でゲームのブロックが上から下に落ちていくのを想像していた。すると、頭の中で、最高の形が出来上がり……
《連鎖連鎖連鎖連鎖連鎖連鎖連鎖連鎖連鎖連鎖……》
「うん、大好きだよ……レン……サ、あっ!」
「わたし、エリなんだけど」虚ろな目のエリ。
「うゎ、ごめん……間違えた!」
「間違えたって何? レンさんが一番で、私は二番目ってことなの? それなのにキスしたんだ……」
「いや、違う! 本当に間違えただけなんだって!」
「ひどい、なんでよ! レンはカズヤくんが倒れたとき、何もしてくれなかったのに!」
「うぅ……」カズヤの額からは朝、蜂に刺されたときを超える量の汗が噴き出した。
「何かいいなさいって!」
すると、カズヤの体調が急に悪くなり始めた。目の前がだんだん白く変わり始め、意識が遠のいてきた。
《これは……ヤバイ!》と思ったカズヤは注射器を探したが、見つからない、仕方ないので、ナースコールのボタンを押そうとした。
――しかし、
「話をうやむやにしようったって、そうはいかないわ!」と言って、エリがボタンを奪った。
「違う、エリ、そうじゃない……違うんだ」必死で、訴えるカズヤだったが、彼女は聞く耳をもたなかった。
そうしている間にも、意識は遠のいていき、カズヤは意識を失った。
意識を失う前、彼女は見下ろしながら、こう言っていた……
「でも、ゆるしてあげる、だって今はもう――
私が一番目――」