27 土曜も臨時営業しております
喫茶店の売り上げが、本格的にやばい。
平日の客数は、良くて7、8人。
悪ければ0人だ。
いくら平日は放課後からの営業といっても、これはさすがにないだろう。
今のところ平均すれば粗利でプラスマイナスゼロにはなっているが、これでは生活費は到底捻出できない。
俺はひと花に相談して、休みと定めていた土曜日も臨時で開店することにした。
◇
「なぁ、ひと花。
お客さん、こないなぁ……」
カウンターの中からガラガラの店内を見回す。
梅雨の長雨が続く店舗前の通りは、いつにも増して人通りが少ない。
「あー。
せっかく今日は土曜でも開けてるってのに、これじゃあ逆に光熱費の無駄になっちまうな……」
まぁ店の光熱費は親父持ちだから、別に俺たちの懐が痛むわけではないのだが。
「はぁ……。
もし今日もお客さんゼロだったら……。
どうすりゃいいんだ。
このままだと、月曜からは日の丸弁当だぞ」
「私は別にそれでも構わないわよ?」
「……いや、さすがにひと花まで日の丸弁当ってわけにはなぁ。
それじゃあ俺が不甲斐なさ過ぎる」
「そんなこと気にしなくていいのに。
そ、それにほら!
今日だってお客さんが来ないって決まった訳じゃないし」
そうは言っても午前中は誰も来店しなかった。
ため息で返事をすると、ひと花は殊更に明るい口調で話を続ける。
「き、きっと来るわよ!
……最低ふたりは」
「ふたり?
ずいぶん具体的な数字だな。
なにか根拠でも――」
そのとき、話を遮るようにカランコロンとドアベルが鳴った。
反射的に入り口を振り返ると、傘を畳んでいる若い女性のシルエットが目に飛び込んできた。
待望のお客さんだ!
しかもふたりもいっぺんに!
「いらっしゃいませー!」
明るい声で迎え入れる。
「ふぇー。
新しく買った靴が濡れちゃったぁ」
「雨だってわかってるのに履いてくるからじゃない」
「だって、履きたかったんだよぉ」
打ち解けた雰囲気の女性客たちは、扉脇の傘立てに濡れた傘を入れて、店内に入ってきた。
……ん?
こいつら、もしかして。
「やっほー、ひと花ちゃん。
――って、あいたぁ⁉︎
な、なにするのよ裕子ちゃん⁉︎
いま、頭叩いたよね⁉︎」
「このバカッ。
やっほーじゃないでしょ!」
「――あ⁉︎
そ、そうだった!
あ、あれぇ?
ひと花ちゃんじゃない!
こんなところで奇遇だねぇー」
やっぱり!
こいつら、山田亜美と豊崎裕子だ!
俺は手近にあった丸いトレイで咄嗟に顔を隠した。
なんでこいつらが店に来るんだ?
まさかひと花が呼んだのだろうか。
ウェイトレスの制服姿でホールに立っている彼女に視線を投げかけると、さっと顔を逸らされた。
「あ、あらぁ?
亜美と裕子じゃないー。
ど、どうしたのかしらー?
珍しいわねー」
棒読み口調だ。
「ぐ、偶然だねぇー。
ひと花ちゃんー。
たまたま通りかかって、喫茶店があったから入ってみたんだよー」
カウンターの中で身を隠しながら、聞き耳を立てる。
どうやら山田や豊崎が来たのは偶然らしい。
しかし『たまたま通りかかって』って、こんな人通りも少ない閑静な住宅街に、女子高生ふたり組がどんな用事があって通りかかったのだろうか。
疑問は残るが、いまそんなことを考えても仕方がない。
とにかくピンチだ。
ここで山田や豊崎に俺の存在がバレたら、やばいかも知れない。
先日のサンドイッチ事件を思い出す。
あの時は天彦の機転のおかげでなんとか事なきを得たが、クラスのみんなに俺とひと花の関係がバレたら、非公認ファンクラブの男子たちにどんな目にあわされるかわからないのだ。
「とにかく座りましょうか。
ひと花。
席を案内してくれない?」
「ええ。
見ての通りガラガラだから、どこに座ってもらっても大丈夫よ」
「はいはーい!
だったらわたし、カウンターがいいなぁ!」
げぇ⁉︎
なんだそりゃ!
どこでも座れるんだから、カウンター以外に座ってくれよ!
俺はカウンター内にしゃがみ込んでひと花を見上げ、必死のアイコンタクトで『テーブル席にご案内してくれ!』と訴えかけた。
目配せを受けたひと花は、顔を赤くしつつも覚悟を決めた表情で頷き返してくる。
「じゃ、じゃあ、亜美、裕子。
カウンター席に案内するわねっ!」
俺は白目を剥いた。
そうじゃない!
そうじゃないんだ!
ここに俺が隠れているのが、どうしてわからない!
見ればひと花は、やり遂げた顔をしている。
まったく俺の意図は伝わっていなかった。
「ひと花ちゃん。
わたし、タピオカミルクティー!」
「こら亜美。
メニューにないものを頼まないの。
ひと花、あたしにはブレンドコーヒーもらえる?」
「ぶぅー。
じゃあわたしはカフェラテぇ」
「はーい。
ブレンド1、カフェラテ1お願いしまぁす!」
……ぐっ。
こいつら完全にカウンター席に腰を落ち着けてしまったぞ。
どうする?
ひと花に任せて逃げるか?
……いや、ひと花はコーヒーを淹れられないし、喫茶店の沽券にかけても頼まれたオーダーには応えねばならない。
仕方あるまい。
俺はトレイで顔を隠しながら立ち上がった。
コーヒーサイフォンを手繰り寄せ、ヒーターに熱を入れる。
「はわぁ……。
やっぱりひと花ちゃんは美人さんだねぇ。
その制服、すっごい似合ってるよ!」
「ふふ。
ありがと亜美」
「たしかお客さん少なくて困ってるんだっけ?
こんな美人のウェイトレスさんがいるってわかったら、男子たちなんてすぐに集まりそうだけどなぁ」
「こら亜美!
シーッ!
お客さん少ないなんて、どうしてあんたが知ってるの!」
「あっ、そうだった!
これも知ってちゃいけないんだっけ!」
女子たちは3人揃って姦しく騒いでいる。
だが会話の内容など、まったく頭に入ってこない。
とにかくさっさと通されたオーダーを作り終えて、この場を離脱しなければ。
「……ところで、店員さん。
どうしてお盆で顔を隠してるんですか?」
豊崎がポツリと呟いた。
「そうそう!
すっごい気になるよね!
なんで、なんで?」
山田も乗ってくる。
これはやばい……。
額から冷や汗が、ダラダラ流れ出した。
俺はひと花だけに見えるようにトレイの角度を調整して、必死のアイコンタクトを送った。
頼む!
誤魔化してくれ!
目配せを受けたひと花は、顔を赤くしながらも覚悟を決めた顔で頷く。
「あ、あれぇ?
気づかなかったかしらー。
このひと、クラスメートの春乃優希くんなのよー」
俺は白目を剥いた。
なんでだ……!
なんでそうなる……!
見ればひと花はやり遂げた女の顔をしていた。
いや、それまったく何も成し遂げてないからな!
「へぇー。
春乃くんだったんだー」
「そ、そうなのよー」
もうこれ以上隠し立てするのは無理だ。
俺は顔を隠していたトレイを、ゆっくりと下げていく。
せめてちゃんと口止めをして、クラスに噂が拡散されないようにしよう。
「……よう。
いらっしゃい」
「あれぇー。
ホントに春乃くんじゃーん。
どうしてひと花ちゃんと一緒に、喫茶店なんてしてるのー?」
「た、たまたま親同士が知り合いで、手伝ってるだけだ」
「そうなんだー。
へぇー。
知らなかったよー!
ねぇねぇ、ひと花ちゃん。
ひと花ちゃんと春乃くんって仲良いのー?」
「そ、それはその……」
「ふたりで喫茶店してると、まるで夫婦みたいだね!
ねぇねぇ。
ふたりは付き合ったりしないのー?」
「つ、付き合っ……⁉︎
バ、バカ言うんじゃないぞ、山田!」
「ええー?
そんなバカなことかなぁ?
お似合いだと思うんだけどなぁ。
ね、ね?
春乃くんはひと花ちゃんのこと、好きじゃないの?」
ひと花はこくこくと首を何度も縦に振りながら、頼もしげな顔を山田に向けていた。
山田はひと花に向けてグッと親指を立て、力強く頷いてから、またずけずけと聞いてくる。
「春乃くんは、ひと花ちゃんのことどう思ってるのー?」
豊崎は薄く笑いながらカウンターに頬杖をついて、成り行きを見守っていた。
俺がひと花のことをどう思っているのか。
そんなのは決まっている。
俺はひと花のことが好きだ。
でももう俺は、彼女に告白して手酷く振られてしまったんだ。
「じゃあさ、じゃあさ。
ひと花ちゃんは春乃くんのこと、どう思ってるのー?」
それだ!
ナイスだ山田!
ずっと俺は、ひと花に嫌われているものだとばかり思っていた。
だけどふたりで暮らし始めてから、もしかすると嫌われてないんじゃないかと思い始めている。
ただ環境の変化もあって、自分からはもうひと花の気持ちを確認する勇気が持てなくなっていたのだ。
「わ、わわ、私の気持ち?
そ、それはっ。
それは……!」
ひと花が激しくキョドり始めた。
「わ、わわわ、私は……!」
俺はゴクリと喉を鳴らす。
「わ、私は春乃くんのことが……。
――やっぱり、無理!
みんなの前で言うなんて無理よぉ!」
「って、ひと花!
ここであんたがヘタレてどうすんのよ!」
頬杖をついていた豊崎がずっこける。
そのときコーヒーサイフォンから、熱湯が吹き溢れた。
「熱っつ⁉︎」
「きゃ⁉︎
優希くん!
だ、大丈夫⁉︎」
「……痛ぅ。
しまった。
サイフォンをヒーターに掛けてたこと、すっかり忘れちまってた……」
「わ、私、救急箱持ってくるから!」
ひと花が慌てて更衣室へと駆けていく。
「あー。
いいところだったのに、ひと花ちゃん行っちゃったぁ」
「………はぁ。
まったく、あの子ってば」
俺は山田と豊崎と一緒に、流水で火傷を冷やしながらひと花の背中を見送った。




