02 再婚相手のお子さんは……
昼休憩を告げるチャイムが鳴る。
教師が出て行くのと同時に生徒たちが騒ぎ始め、あっという間に教室はお昼の喧騒に包まれた。
隣の席の冬月ひと花も、友人たちと連れ立って学食へと向かったようだ。
彼女が教室から姿を消すのを横目で見送ってから、俺は机に突っ伏した。
「はぁぁぁ……。
もうだめだ……」
盛大にため息をつく。
昨日フラれたばかりの相手と、こうして机を並べて授業を受けることが、こんなにも居た堪れないなんて……。
もう、本当に息苦しくてたまらない。
「ぁぁぁぁ……。
俺は早まったかも知れない」
「よう。
なにが早まったんだ?」
背後から声がかけられた。
気楽な調子のその人物は、うしろから俺を追い越してひとつ前の空き席に腰掛け、こちらを振り向いた。
「珍しく落ち込んでるじゃないか。
どうしたんだ?」
コンビニのレジ袋からサンドイッチを取り出して、頬張る。
この男の名前は鈴木天彦。
俺の友人である。
見た感じは茶髪で若干チャラいが、付き合って見れば案外いいやつだ。
ちなみにこいつは、顔がいいから結構モテる。
「ああ、なんだ天彦か……」
俺は机に投げ出した身体を一旦持ち上げて、天彦の顔を眺めたあとに、もう一度突っ伏し直した。
「はぁぁぁ……」
「おいおい、ほんとにどうしたんだよ?
辛気臭いため息ばかりついてると、女運も逃げちまうぞ」
「……はっ、女運ねぇ。
いいんだよ、どうせ俺なんか……」
「ほら、とにかくわけを話してみろよ。
なんか力になれることもあるかもしんねぇだろ?
あれか?
どうせお前のことだ。
冬月ひと花がらみの悩みだろ。
つーか、そろそろ告白する気になったか?
なんなら俺が冬月を呼び出してやろうか」
「…………フラれた」
「……は?」
「だから、昨日フラれたって言ってんだよ……」
「お、おう。
そっか……。
って、はぁあッ⁉︎」
天彦が大声を出した。
教室中の注目が、俺たちに集まる。
天彦は愛想笑いで場を誤魔化してから、俺の肩をぐっと引き寄せた。
「……どういうことだよ。
詳しく話せ」
顔を寄せてのひそひそ話だ。
「どうもこうもない。
昨日の放課後、冬月を校舎裏に呼び出して、告白してフラれた。
それだけだ」
「えっ⁈
ちょ、マジで?
フラれたって、お前、優希が⁉︎
なんで?」
「なんでってお前なぁ」
「いやおかしいだろ。
絶対冬月ひと花はお前に惚れてるって。
なのにどうしてフラれるんだよ?」
「そんなこと俺が知る訳ないだろ。
大体、俺がフラれたのはお前が……」
喋りかけて口をつぐむ。
いま一瞬俺は、自分がフラれたことを天彦のせいにしようとしてしまった。
けど、これは誰のせいでもない、俺のせいだ。
たしかに告白しろとけしかけてきたのはこいつだが、決断したのは俺なのである。
自分で決めた選択の結果を、誰かに責任転嫁してはいけない。
「……っ」
押し黙った俺をみて、天彦が苦虫を噛み潰したような顔をした。
けどすぐにいつものヘラヘラとした表情に戻る。
「なに、心配すんな。
冬月ひと花にもなんか都合があったんだろ」
「いや単純に俺のことが嫌いなだけだって。
天彦も言ってただろ。
冬月はいつも、俺にだけはやたらと当たりがきついってさ。
はぁぁぁ……」
「嫌い?
んなわけねぇと思うがなぁ……。
とにかくまだ諦めんな。
俺も応援してやっからよ!」
バンバンと背中を叩かれる。
応援もなにも、もう終わった話なんだと、俺は内心でもう一度ため息を吐いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
告白から数日が経った。
いまは日曜日の夕方で、俺はひとり、リビングでごろごろして暇を潰していた。
親父の帰りを待っているのだ。
なんでも今日、再婚相手の女性をうちに連れてくるのだそうだ。
お相手は巴さんという、40手前の女性。
以前親父に引き合わされて、食事の席をともにしたことがあるので、俺も面識はある。
どこかおっとりしていて、柔和な笑顔の似合う美人だった。
まったく親父も隅に置けない。
うちの家庭は、俺が小学校に上がる前に母親を病気で亡くしてから、ずっと父子家庭だ。
だが親父はまだ40過ぎだし、もちろん枯れてもいないだろう。
だから俺は再婚について、特に反対するつもりはなかった。
むしろ新たな幸せを掴んで欲しいと願っている。
とはいえ……。
「失恋したばかりで、親父の再婚を応援せにゃならんとはなぁ。
はぁ……」
なんとも遣る瀬無い。
◇
ところであれから俺は、まだ冬月とは一度もまともに会話できていなかった。
フラれたと言っても、あいつとは同じクラスで、さらに言えば隣の席なのだ。
これからずっと会話がないままだと気まずいし、何度か俺のほうから挨拶をしたり、話し掛けたりはしてみたのだが、その一切のコミュニケーションを彼女に拒絶されていた。
話しかけようとすると、顔を真っ赤にしながら瞬間湯沸かし器みたいに、一瞬で頭から湯気を立ててそっぽを向く。
最近ではもう、目も合わせてくれない。
この辛い状況に、俺はため息ばかりが増えていた。
「はぁぁ……。
いつの間に俺、冬月にこんなに嫌われていたんだろう……」
あいつと出会ったのは高校に入ってからだ。
第一印象は、一言で言えば『女神』だった。
入学から少しの間は、冬月は俺に対しても優しかったから、しばらくはその印象が崩れることは無かったのだが、いつからかあいつは俺にだけは冷たく当たるようになっていった。
「特に嫌われることをした覚えは、ないんだけどなぁ……」
ぶつくさ呟きながらあれこれ考えていると、ドアの開く音がして、玄関から話し声が聞こえてきた。
「戻ったぞお」
「お邪魔しますぅ」
ソファに寝そべっていた俺は、体を起こして立ち上がり、玄関に向かう。
親父がひとりの女性を連れていた。
「お帰り親父。
あと、いらっしゃい巴さん」
挨拶をかわす。
「優希くんお久しぶりぃ。
今日はお邪魔させて頂きます」
「邪魔だなんてとんでもないさ!
さぁ優希。
巴さんをリビングに案内してくれ」
言われた通り、彼女をうちに招き入れようとする。
「あ、寛さん。
待ってくださいな。
まず優希くんに、娘を紹介しないと」
「おっと。
そうだった、そうだった。
喜べよ、優希。
お前に同居人ができるぞ!
しかも巴さんに似た、黒髪美人だぞぉ」
「……は?」
娘を紹介?
いったいなんの話だろう。
そんな話は特に聞いていないが……。
軽く困惑していると、巴さんが開けっぱなしの玄関扉に声を掛けた。
それでようやく俺も気付いたのだが、ドアの裏に何者かが身を隠している。
巴さんはその誰かの腕を掴んで、物陰から引っ張りだそうとしている。
「なに隠れてるの。
出てらっしゃい」
「いやっ。
い、や、だ!
お母さん、離して!」
「ちょっと、ひと花。
いまさら怖気付いちゃったの?
お母さん、ちゃんと前もって説明してたじゃない。
今日は寛さんの息子さんを紹介するわよって」
…………ん?
ひ、と……花……?
まさか、な。
「で、でも、こんな⁉︎
私、こんなの聞いてない!
聞いてないわよぉ!
こ、心の準備がっ」
「お母さんはしっかり言いました。
あなたも納得してたじゃない。
ほら。
隠れてないで、出て、き、な、……さいっ!」
巴さんが嫌がる人物を無理やり引きずりだした。
姿を見せた彼女は、勢いあまってつんのめり、成り行きを見守っていた俺に、トンッとぶつかる。
「きゃっ。
も、もう、危ないじゃないお母さん!
転んだらどうするの。
って……。
――はわぁ⁉︎」
咄嗟的に支えた彼女が、顔を真っ赤にして飛び退いた。
あわあわしながら、さっと母親の背に隠れる。
というか、いまのは⁉︎
「な、な、な……」
俺は目をぱちくりさせてから大きく見開き、驚愕の表情で彼女を見遣った。
「お、お前!
お前は、……冬月ぃ⁉︎」
親父の再婚相手、巴さんの連れ子。
これから俺と暮らすことになるかもしれない相手とは、なんとあの冬月ひと花、そのひとだった。