不機嫌と梅雨
永禄五年(1562年)六月、越中、富山城近郊にて
海野幸稜
「殿、不機嫌ですね」
大股を拡げて床几に座る俺は、若い家臣の問いに「うむ」と偉そうに応えた。
重い鎧を着こんで天幕に囲われた中にいる俺の機嫌は悪い。
口をへの字にして、目の前の二人を睨む。
目の前の二人とは、俺の家臣となった諏訪勝頼と真田昌幸だ。
俺と二人の家臣たちの歳は近い。
俺と真田昌幸は同じ歳で、数えで十六。諏訪勝頼は一つ上の十七になる。
俺の応えの何が面白いのか、笑顔の真田昌幸が言葉を続ける。
「奥方様と会えないのが酷だと言うことなのでのしょうか?」
「うむ」と、再び偉そうに頷く。
それも、ある。
それも、機嫌が悪い理由の一つだ。
中身は中年でも、外見は少年だ。元服して大人の扱いは受けるが、まだまだ子供の体である。
嫁をもらうには早いと思っていたのだが、武田との川中島の大戦に従軍するとのことで急遽、可愛い嫁をもらうことになった。
戦が終わり家に帰って来て、その可愛い嫁とイチャイチャしたいと思うのは、若い男の性。
うん、俺じゃない。
俺の若い体が、可愛い嫁とのイチャイチャを欲しているんだ。決して俺ではない。
だが、違う。俺の不機嫌は、それだけじゃない。
「違うと。では、根津と望月ですか?」
「うむ」と再びつまらない顔で返す。
昌幸の言う根津と望月とは、滋野一族である根津家と望月家のことだ。
滋野姓が歴史に登場するのは延暦十七年(798年)といわれている。
延暦十七年とは、桓武天皇によって平安京に都が遷されて五年目にあたる年。それは、平安時代の始まりの頃である。
そのような古い時代からの由緒を誇る滋野一族は、時代を経て東信濃に移り住み、やがて海野氏、根津氏、望月氏に代わって行った。
その根津と望月の者たちが、上杉家による甲斐信濃占領の後、俺のもとに馳せ参じて家臣にしてくれと渇望したのだ。
ひとえに、俺が、滋野一族の嫡流である海野姓を名乗っているからに他ならない。
海野、根津、望月、の滋野一族は、今から二十年前の海野平の合戦に敗れた者たちである。
海野家は離散し当主は行方不明。
根津家と望月家は、甲斐武田家に仕官した。その後、二家は名家ということもあり婚姻により武田一門衆に組み込まれていった。
そして、この度の川中島合戦での出来事により武田家は没落。
武田一門衆となっていた根津や望月も働き盛りを失い、家に残るは年寄りと子供、そして、女たちとなった。
戦に敗れた者は、勝った者に従うのが一族復活の早道なのではあるが、今回は相手が悪かった。
北信濃を除いた信濃統治が、村上義清に預けられたからである。おりしも、二十年前の海野平の合戦で戦い敗れた相手の村上義清なのだ。
海野平合戦の勝者は、武田家、諏訪家、村上家なのだが、盛者必衰は世の常。
その後、諏訪家も村上家も武田家に敗け、諏訪家は武田家に飲み込まれ、村上家は長尾景虎を頼り信濃から越後に逃げた。
そして、今度は、武田家が没落した。
従う相手が、上杉家であれば納得したかも知れない。だが、信濃は村上義清に任された。
根津家も望月家も、二度も自分たちを没落に追い込む相手に頭を下げてまで従臣することは、名家としての矜持が許さなかったのだ。
だが、それでも生きて、生き残っていかねばならない。それが、家を守る者たちの努めである。
そこで、目をつけた相手が俺だ。海野姓である俺だった。
自称海野である俺のことを滋野一族である海野家の嫡流と認めているかは定かではないが、勝頼と昌幸のつてを頼り、俺の家臣にと集まって来たのだ。
俺が、村上義清の家臣であるということは、この際どうでもよいことらしい。
根津家と望月家の者たちには、滋野一族の頭領である海野家に従うという形が、大切らしいのだ。
俺は、根津家と望月家を家臣とした。
俺としても家臣が増えるのは、やぶさかではない。
根知の城代として人手は、いくらでも欲しかったからである。
根津家は諏訪勝頼の配下とし、望月家は真田昌幸の配下とした。
根津家は、諏訪明神の氏人であり勝頼の配下であれば納得するだろうとの読みだ。
それに、根津氏の支族である真田家配下にした場合、昌幸に反発することが目に見えていたこともある。
望月家は、真田昌幸の前代とは深い縁がある。前代の勧めで、望月家は武田家に仕官したからだ。望月家と昌幸は知らない仲ではない。
それに、今では望月家も武田一門衆なので勝頼に預けるのが一番よさそうだが、勝頼に力が集まり過ぎるため昌幸に預けることにした。
昌幸に問われて不機嫌な応えはしたものの、根津と望月には不満はない。強いて言えば両家ともに働き盛りの男たちも少ないので、今後に期待ということぐらいになる。
ん、武田遺臣たちを勝頼と昌幸に預けても大丈夫かって?
二人が力を合わせ、武田再興を企んだらどうするのだと。
そうだな、その時は天罰が下るさ。
文字通りの天からの罰がな。うけけ。
「では、祖父に不満でも」
勝頼が、上目使いで俺に尋ねた。
「うむ」
それも、ある。
勝頼が俺に言った祖父とは、勝頼の祖父の武田信虎のことだ。
武田信虎は、乱国の甲斐を統一した傑物である。
しかし、あまりにも傑物過ぎたため周りの者たちがついていけず、若い信晴を君主に担いだ家臣たちによって駿河に追放されてしまった。
それは、受け入れた今川家にも好都合であったのだろう。今川義元は、甲斐を取り戻そうとする信虎に助力はしなかった。
早々に甲斐への復権を諦めた信虎は駿河に居を構えた。
甲斐に戻ることもなく、京都や高野山、奈良を遊歴している。何かの画策なのか、単なる物見遊山なのか。それは、わからない。
いずれにしても内に籠ることもない前向きな性格だ。
川中島に星が降った時は、信濃の伊那にいた。娘婿の家である根津家を訪れていたのだ。
信虎は、川中島合戦での武田勢の消息不明と上杉勢の信濃侵攻に怯え、統制のきかない根津家中をまとめあげた。そして、勝てない戦を避けて上杉への恭順を示した。
その後、同じような状態だった望月家を引き連れて根知に来た。
ひとえに、根津家と望月家が俺の家臣となったのは武田信虎、この人がいたからだ。
明応年間(1490年代)の生まれというから、齢七十近い。
眼光鋭い爺に見つめられた俺は、家臣にしろと言われて「はい」としか返事ができなかった。恐ろしい爺様だ。
そして、「安心しろ、儂も手伝う」と言って不敵に笑う信虎に、全くもって安心できなかった俺は、心が狭いのか?
って、この爺様は、いったい何を手伝うつもりだ。
海野家を担いで何かやらかすつもりじゃないよな。いつの間にか、俺が引けなくなる状況ができているんじゃないかと心配になる。
…大丈夫だよね。
この爺様は、上杉勢の目をくぐり抜けて根知に来た可能性もあったので、御屋形様と村上様に手紙を出したら、二人とも「面白い」の返事で終わりだった。
おいっ、俺は、どうすればいいんだ?
「では、我らですか」
「うむ」
俺の家臣となった諏訪勝頼と真田昌幸。
二人に不満がないわけではない。
将来の猛将である諏訪勝頼、そして、知将である真田昌幸の能力は買っているが、今はまだ若い。二人とも潜在能力を引きだせるだけの経験値がないのだ。
このまま、俺の家臣でいても二人が猛将、知将となるか怪しいところだ。
勝頼にも昌幸にも模範となる師がいない。
武田信玄という武も知も兼ね備えた超人は、もういないのだ。
今後、海野家臣として東奔西走の活躍をしてもらうには、二人が今のまま俺の家臣ではいけない。
うん、とても悩ましい。
話してみたら二人とも良い奴なんだ。
諏訪勝頼は、見た目は陰のある奴だが真面目の一言に尽きる。
武田家復興には興味はなく、自分は諏訪家の人間だと割り切っている。ただ、強い者でありたいと考えているようだ。
おそらく親父の武田信玄や祖父の武田信虎のような合戦に強い武将になりたいのだろう。
真面目に取り組む故の視野の狭さが気になる。一歩引いて物事を見ることができれば、勝頼が望む強い武将となることだろう。
真田昌幸は、いつも笑顔だ。
だが、昌幸の笑顔は人を計るための仮面だ。時より笑顔の裏にある苦悩が垣間見られる。
武田信玄に信頼された父や兄たちは、その主君とともに忽然と姿を消した。文字通り、家族に遺言を残すことなく消えたのだ。
武田家臣として確固たる地位を築いた真田家はなくなった。今から二十年前に海野平の合戦に負けた父親が味わった苦境と同じ状態に戻ったのだ。
それは、一からの出直し。
自分は、父のように真田家を再び盛り立てられるのか?
海野家の下について、それがなされるのか?
葛藤しているのがわかる。
若い昌幸に集まる真田家の期待は大きい。
それは、昌幸の父親が成し遂げた故に、大きいのだ。
こいつも真面目だ。だからこそ、いつも俺を計っている。背にした期待を成し遂げるために。
一家一族の望みを叶えることは、大切なことだ。だが、もっと大切なことがある。
それは、己の望みを持ち、そして、その望みを叶えようとすることだ。
己の目標ができれば、至る道が見える。道が見えれば、創意工夫で一歩一歩、前に進むだけだ。
そこに、人を計る笑顔はいならい。
昌幸には、己の野望を持ってもらいたい。
しかし、それも、これも、今を生き残ってからだ。
「うむ、昌幸、勝頼。戯れ言は終わりにしよう。本題に戻すぞ」
「「はっ」」
今、俺たちがしていた話は、俺の独り言から始まった。
「問題は他にもある」と機嫌悪そうに吐いた俺の独り言を、二人が聞き漏らさなかったのだ。
俺が、悪かったのであり、二人に戯れ言を言うつもりはなかっただろう。
すまん、時間もないことだし、本題に戻そう。
「昌幸、もう一度、この状況を説明してくれ」
「はっ、それでは。二日前、我が海野勢千五百は、椎名康胤救援のため、松倉城に入りました」
昌幸は、越中を簡略化した地図にある松倉城を示す。
俺たちの目が、盾を平らに並べた簡易机の上に置かれた地図に向けられる。
「そこに、神保長職率いる一向衆千五百が、富山城を出て松倉城に向かったとの知らせがありました」
昌幸の手が、富山城から松倉城に向かって流れた。
「そこで、海野勢の兵数をかんがみ、椎名方五百を借り受け、二千の兵にて野戦を挑まんと我らは城を出ました」
俺は、大きく頷いた。
城から出て野戦をすることは、俺が決めたことだった。
合戦などしたくなかったが、勝頼、昌幸、そして、椎名康胤たちが言う「簡単に勝てる」「相手は烏合の衆」「数はこちらが多い」に乗せられて城を出た。
それに、村上義清様が簡単に織田勢を蹴散らした印象が強く、上杉勢であれば合戦に勝てるのだと勝手に思い込んでいた。
「ところが、神保勢は、我らの兵を見て逃げるように退却」
昌幸が、悔しそうな顔をする。
そう、この時、何かおかしいと気がついていれば、こんなことにはならなかった。
「我らは、神保勢を追撃して富山城近くまで来た次第…そして、我らは、今、包囲されつつあります。どうやら、謀られたようです」
昌幸と勝頼が、俺を見る。
昌幸による海野勢の現在状況の説明は終わった。
俺たち海野勢は、敵に包囲されつつある。
もちろん、敵とは、神保長職と一向衆のことだ。
まったく、なんてこった。
今は、梅雨の季節。
この越中に、厚い雲と雨をもたらしている季節である。
それは、月さんの全波長での電磁波による地上観測を不能にする季節なのだ。
可視光線も赤外線も、厚い雲によって遮断されてしまう。これこそが、俺たちにとっての大問題なのだ。
これじゃ、敵軍の動きが全然わからないじゃないか!
どうしよう。どうしたらいいんだ?
「うむ」と、口をへの字にして、俺は昌幸に頷いた。
次回、質量とエネルギーの等価性
幸稜が、敵に包囲されつつあります。
梅雨の雲で月さんの力も借りることができません。さあ、どうする?