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矢の雨と入城

 

 永禄六年(1563年)三月、越後、糸魚川、青海にて

 海野幸稜



 鉄砲の玉が、今まで立っていた場所を通過していったのを感じた。

 海野勢、椎名勢合わせて十数発の鉛玉が柵を越えて相手の大将を狙って飛び交ったのだ。

 続いて「矢を射ち込め」と椎名勢の声が届く。


 蛸壺の中には、俺を含めて四人。

 蛸壺の中には、竹の盾が三つ。

 盾が、一つ足りない。


 予定にない俺が、蛸壺に飛び込んで来たからだ。


 困惑した顔で俺を見る兵たち。


「遠慮するな、盾を並べて皆で隠れるぞ。すぐに矢が降ってくる」


 慌てて四人とも蛸壺に足を抱えて寝転がり、三つの盾を天に向けて並べる。その影に四人が押し合って隠れた。


 な、何でだよ。

 急いでいたとはいえ、何で俺が端なんだよ。

 殿様を守るために俺を真ん中にするのが、普通なんじゃないのか。


 慌てて並んで寝たために俺が端となり、体が盾の影からはみ出ているのではと不安になる。

 並んで寝るんじゃなくて体育座りの方が良かったのかとの思いも浮かんでくる。

 しかし、そんな不満と不安と後悔は、盾に降り注いだ矢に打ち消された。


 ガツ、ガツと矢が盾に突き刺さるたびに、「うっ、うっ」と情けない声を漏らした。


 信虎様、光秀、早く何とかしてくれ。


「隠れて見えん、鉄砲でなく矢だ。もっと矢を射ちかけろ。海野を討ち取れ」

 味方である海野勢の叫びは聞こえず、敵の椎名勢の叫びだけが、蛸壺のすぐ近くから聞こえる。


 椎名勢との間には柵がある。気のせいだ、すぐに海野勢が追い返す。


 早く、早くしてくれ。


 矢の雨が降る中、少しでも盾に隠れようと隣人を押したり盾を引っ張ったりするが、どちらもびくともしない。


 身分の上下に関わらず、皆が死にたくはないのだ。

 死を目の前に、遠慮などなくなっていた。


 くー、許すまじ、椎名康胤。

 この仕打ち、忘れないからな。


 そんな鉄砲の音や矢の雨も徐々に減り、ある時ピタリと止まった。とは言え、誰も盾の影から出る者はいない。


 矢の雨が止んだ。

 盾の影にから出るか?

 ない、ない。


 角雄、段蔵、いないのか。

 俺は、ここだ。




 集団が、蛸壺を取り囲こむ足音が聞こえた。そして、蛸壺を完全に取り囲み、中を見下ろす気配。


「月さん、蛸壺を囲んだ者を狙撃してくれ」と叫ぶ直前に上から声が降ってきた。


「小僧、さっさと出てこんか」


 信虎様の声だった。


 信虎様だ、海野勢だ、味方だ、助かった。


 月さんに狙撃を頼もうとしたことなど瞬時に忘れ、盾を下ろして立ち上がろうとした。しかし、体が固まって動けない。声さえ出せない。


「仕方ない奴だの。角雄、段蔵、助けてやれ」

 信虎様の声が、ため息とともに再び降ってきた。


「殿様、大丈夫ですか」と蛸壺に降り、竹の盾の下を覗き込んできた段蔵が、盾を離そうとしない俺を見て、「怪我がないようで良かったです」と言いながら盾から俺の指を一本一本外してくれる。


 意識はあるのに指も腕も、さらには足も、まるで自分のものではないように、言うことを聞いてくれない。固まったまま、俺の意思を拒絶する。


 俺といっしょに隠れていた兵たちは、信虎様の声で、いそいそと蛸壺から出ていったが、俺だけが未だに寝ており、角雄と段蔵に引き起こされてなんとか立ち上がることができた。

 だが、蛸壺から出ることは当分叶いそうもない。足が、まだ動かせそうもないからだ。


「初めてか」


 信虎様の問いに、なんとか頷く。


 今まで、刀や槍を向けられたことはある。切りつけられたこともある。だが、抵抗できないまま、直接な攻撃に身をさらしたのは初めてだった。

 唸りともに降ってくる矢が、体に刺さるのではないかと、心底、怖かった。


「初めてでは仕方あるまい。だが、これが本当の戦じゃ、早よう慣れぬと首を獲られるぞ。儂と光秀は椎名勢を追う。お主は屋敷に戻っておれ。何、椎名康胤は鉄砲に当たり怪我をしたようだからの、直ぐに追い付いて首を獲れるだろう」


 なんと、鉄砲の打ち合いは俺の勝ちだった。

 逃げ込める先の有無が、そのまま怪我の有無となった。


 うけけ、康胤め、ざまを見ろ。


「信虎殿。椎名勢は退いたと」

「なんだ、体はともかく口は訊けるのか」

「やっと正気に戻りました。で、椎名康胤が鉄砲で怪我をしたから椎名勢は退いたと」

「お主の言う通りよ。家臣どもに抱えられた椎名康胤が下がると、椎名勢は波が引くように逃げていったわい」


 うしっ、勝った。


 拳が握れた。


 角雄、段蔵、もう大丈夫だ。手を離しても一人で立てそうだ。


「信虎殿っ」


 柵から光秀が呼ぶ。

 通行口を塞いでいた柵を壊し、海野兵たちが椎名勢を追撃できるようになったのだ。


 信虎様が、手を越中に向けることで光秀に応えると、頷いた光秀が兵たちに整列を叫んだ。


「小僧、吉報を待っておれ」


「角雄、糸魚川の船を押さえろ。具足と食糧を集めろ。段蔵は、信虎様の追撃に加わって船と合流できるよう手配せよ」


「はっ」

 角雄は、蛸壺から出て数人の兵を率いると糸魚川へと駆け出して行った。


「兄貴、浜で手旗を振る。見逃すなよ」と段蔵が叫ぶと、走り去る角雄が右腕を上げる。


「ふん、段蔵、行くぞ」と信虎様が、鼻息を吐くと柵に向かって歩き出す。


 信虎様の背は、そのような無用なことと言っているような、俺の手配を喜んでいるような、そんな様子に見えた。

 信虎様が光秀と合流すると、海野勢による椎名勢追撃が始まった。






 しばらくすると、親不知の越後側には、俺と家人たちが残っていた。

 伝令を終えて俺のもとに集まっていた家人たちだ。

 俺の護衛として地に膝をついている。俺が、蛸壺から出るのを待っている。


 家人たちは、決して俺の顔を見ることはない。それは、俺の気持ちを察してのことなのだろう。

 俺が、自分のことを情けないと思っていると考えているのだ。


 そんな風には、考えていないけどね。


「皆、ご苦労だった。だが、もう一走りしてほしい。青海屋敷、内海屋、外海屋、近隣の村々、糸魚川の町、織田の姫様たち、根知の河田殿に、椎名勢は越中に退いたと伝えてほしい」


 家人たちが、心配そうに俺の顔を見る。


「俺は少し海を眺めてから屋敷に帰る。屋敷で報告を聞く。さあ、行ってくれ」


 家人たちは、返事とともに頭を下げ走り去っていく。


 そして、俺は、独りとなった。


 蛸壺から這い出て、誰もいない戦場を見回す。


 海があり、山があり、風がふく、雲が流れ、鳥が鳴き、波音が聞こえる。


 ふー、疲れた。


 固まった体を解すように、ゆっくりと波打ち際まで歩く。


 そして、浜辺に座った。


 押し寄せては退き、退いては押し寄せる波。いつまでも、いつまでも繰り返す。


 さてと。


「月さん」

『受信した』


「椎名勢は?」

『現在、椎名勢と推測される集団は、海野勢と推測される集団の2キロメートル先を越中に向かって移動中だ。移動速度は、およそ時速5キロメートル。親不知を抜けるまで2時間と予想される』


「2キロ差か。潮の状態を教えてくれ」

『満潮は、90分後だ』

「ありがとう、月さん」


 椎名勢が、潮を意識して速度を上げたら満潮までに親不知を抜ける。その時、海野勢はまだ親不知。満潮では難所で手間取り、椎名勢に追い付くことは難しい。

 そして、椎名勢が堅城の松倉城に入ったら、いかに戦上手な信虎様や光秀でも短期で落城させるのは難しく越後に退かざる得ない。

 それでは、去年、松倉城を神保勢が占拠した時と、なんら変わらない状態となる。


 それは、面倒だ。できれば、松倉城を押さえたい。


 松倉城を獲っても、松倉城より西に進まなかったら、一向衆の目が越後に向くことがないのは実証済み。

 覇気のない海野勢は神保に任せて、一向衆本隊は能登攻めを行うだろう。

 一向衆としても能登を獲った方が、越前を攻めるにしても、越後を攻めるにしても、背後に敵をかかえる心配がなく戦えるのである。

 さらに、能登を落としたら次の狙いは越前だ。

 今の上杉の状況では、越後から攻められることがないのを、一向衆もよく理解している。


「月さん、星を落として、親不知の越中側で崖崩れを起こしたい。椎名勢撤退の障害となるようにしたいんだ」

『どの程度を障害とするかは不明だが、隕石の衝突による崖の崩落は可能だ』


「崩れた岩や木々が、満潮時の波打ち際まで到達して、それを乗り越えるには少しだけ時間がかかる程度で十分さ」

『他に制約はあるか』


「それを30分以内で、なるべく越中寄りで。できれば人に見られないこと」

『問題ない、可能だ。現時点で、落下予定地点に人の存在は観測されない。また、歩行速度で移動した場合となるが、30分以内に予定地点へ到達できる人もいないと予想される』


「いいね」

『開始するか』


「始めてくれ」

『了解だ』


 見上げる空で、キラリと何かが光ったような気がした。

 まあ、おそらく気のせいだろう。




 俺ができることは、これぐらいだ。


 あまりに海野家に都合の良い星降りばかりでは、俺が星降りを起こしているなどと噂され、人外能力者だと異端認定されかねない。

 異端と認定された後に待っているのは、排斥や死。それも、家族を、一族を巻き込む。


 人は、異端を認めない。

 異端を理解して許容するより、敵として排除する方が楽だからである。


 異端には、異端のやり方があるがな。うけけ。


 海に向かって立ち上がる。そして、腰に手を当て仰け反って笑い声を上げる。

 もちろん、笑い声を上げるのは、周りに誰もいないことを確認した後だ。

 自分の目と、月さんの衛星で確認を怠ってはいけない。


 海野の殿様が狂ったなどと、近隣の村人にネタを提供する訳には行かないのだ。


 俺も大人になったものだ。うん、うん。


 よし、後は、果報は寝て待てだ。屋敷に帰ろう。



 ん?


 親不知の彼方で土煙が上がっているように見える。

 いや、あれは、きっと目の錯覚だ。あれは、低い雲に違いない。

 気のせい、気のせい。


『幸稜、隕石を地表に着弾させた。想定された崖崩れ結果を引き起こした』


 隕石かよ。


「月さん、土煙上げるのは、派手過ぎないか」

『問題ない。派手の定義にもよるが、自然現象の発生範囲だ。通常、土砂崩れは土煙をともなう』


 え、そうなの?


『他に依頼はあるか?』


「い、いや。ありがとう、月さん」

『問題ない』


 いや、問題が大ありだ。


 俺に問題ありだ。俺の無知で、いつか自業自得な目に会いそうだ。

 これが、フラグとならないように、日の本では少し自重しよう。




 海野の青海屋敷に帰る途中、逃げた山から家に帰る農民たちに声をかけられた。俺は、それに応えて手を上げる。


 ここが戦場にならなかったことを俺に感謝して声をかけてくれるのであるが、むしろ逆だ。そんな礼を言う必要はない。越後青海にいる武家に力がないから、海野のような弱者だから攻められる。


 弱き者は、侮られる。それが、世の中である。


 御屋形様のような強者が春日山にいたら、敵は越後に侵攻しようなどとは、思わなかったに違いない。



 青海海屋敷に帰り、歌や織に椎名勢は越中に退いて合戦は終わったと伝えて安心させた。


 しかし、俺といっしょに戻らなかった光秀を心配して、光秀の妻であるひろの顔が雲っている。それを感じた娘たちも不安そうな顔になっていた。


「煕、心配するな。光秀は無事だ。今、武田信虎殿と家臣たちとともに椎名勢を追撃している。無理はするなと言ってあるからな」


「気をつかって頂き、ありがとうございます。大丈夫でございます。明智も武家でございます」


 そう言って、煕は頭を下げた。

「覚悟はできています」との意味なのだろうなと思った。

 信虎様や光秀といっしょに追撃をした方が良かった。どうもこういった話は苦手だ。


 各所に知らせを出さねばならないと、そそくさと自室に退散して、今回の椎名勢との顛末を紙に落とす。

 こんなことが、続くのは面倒だなあ、と思いながら。



 合戦から五日後の夕方、信虎様の伝令が青海屋敷に駆け込んできた。

 それは、なんと退却中の椎名康胤を捕らえ、海野勢は松倉城に入城したとの知らせだった。


 早すぎだろ、信虎様。


次回、陪臣と合戦処理(仮)



信虎、光秀コンビは優秀です。


(お知らせ)

ついに、ストック尽きました。次回以降は、不定期投稿になります。

難しいようであれば、また期間を空けようかと検討しています。

遅筆&新作活動のためで申し訳ないです。


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