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越中侵攻の結果と皆で温泉に

 

 永禄五年(1562年)十一月、越後、青海屋敷にて

 海野幸稜



「それから、どうなったのさ」

 杏が、筆を止め、顔を上げた。

 先日の越中合戦の続きを話せと、俺を見る。それは、越中合戦の出来事を手紙に書くためだ。




 平次から近況報告の手紙が、杏に届いた。

 信濃川分水計画を始めてから早二年。いよいよ、本格的な新川の縄張りが始まったと知らせてきたのである。

 そして、雪が融けた春には、大規模な新川掘削が始まると。


 信濃川は、水量の多い川である。そのため信濃川下流域では、平野という地形と合間って水害が多く、これまで農地開発が進んでいなかった。


 信濃川分水計画は、分水路普請に費やす金で移住者を増やし、信濃川下流域を農地に変えて移住者を越後の民として生活できるようにすることが目的である。


 信濃川の分水と平野からの排水という計画によって、未開発の広大な越後平野は農地へと変わり、越後が日の本一豊かな実りの地となる。

 今の越後の石高は、四十万石程度であるが次の次の世代には八十万石を超え、やがて一国で百六十万石を収穫できる豊かな国になると予想している。

 それは、今の尾張と三河を足した石高の二倍となる規模である。


 上杉家の重臣たちは、半信半疑であるものの、開発費用を当時商家であった海野屋が負担するならばと計画を進めることになった。むろん、計画は内海屋が引き継いで行っている。


 いよいよ、燕から寺泊までの約二里に新たな川を造るための十年を超える普請が、春の到来とともに始まる。




 早く話せと、俺を見る杏には敵いそうもない。

 頬に墨で罰とでも書かれるのも嫌だが、これ以上、詳しく話すのも面倒だ。

 それに、この先は、つまらない話になる。


「寒くなったんで越後に引き上げた」

「ふざけるんじゃないよ。途中の話がごっそりと抜けているだろう。魚津での合戦で攻守が入れ替ったって処からだろう」


「それ、平次への手紙だろ。適当でいいんじゃないか」

「それと、これは、別さ。男だろ、男なら最後まで責任を持ちな」


 筆で俺を指して言う。


 止めろ、筆の先を俺に向けるな。俺は先端恐怖症なんだぞ。

 それに、平次への手紙は適当でいいのか?

 ってか、男とか関係ないし。


「つまらなくても、怒るなよ」

「さあね」


 おいっ!


「追撃部隊が鉄砲を恐れて、逃走し始めたと言っても神保勢の大部分は残っていたのさ」


「ふーん、そりゃ、そうか。相手は、最初に三千五百もいたんだし。神保勢は逃げて少し減りましたと。で、」


 杏が、つまらなそうな顔で筆を動かす。


「で、俺たちは、同じことを四回したよ。対峙して撃って、逃げて撃って、敵が引いたら挑発するように対峙する。昼から日が落ちる前まで、延々とな」


「意外とつまらないね。さっきみたいに、もっと、こう、パッとした話にならないのかね」

 夜空に花火が咲くように、両手を着けては大きく広げる。


 パッとした話ってさ。俺たちが危機に落ちた話とか、それを切り抜けた話とか、想像を超えるどんでん返しが欲しいんだよね。


 早々、そんな話あるか。それに、合戦で、そんな苦労したくもないわ。


「ない、ない。歴史に残る合戦じゃあるまいし、合戦のほとんどは勝敗のはっきりしない戦いさ。そりゃ、苦境を武勇や知恵で乗り越えるのは見栄えする話になるけどな」


「そうそう、そう言う苦境とか、武勇とか、知恵とか、逆転の展開とかは?」


 だから、筆先を向けるなよ。


「そんな苦境に陥るようだと、今頃、青海屋形には戻れず、越中を走り回っていたかもな」


「そっちのほうが、面白そうなのに」


 んな訳あるか!


「続けるぞ。それで、日が落ちる頃には、もう越後との国境近くまで後退していた。その日はそれで終わりさ。さすがに神保勢は損害も大きく満身創痍、俺たちも玉切れだったし、敵と着かず離れずを繰り返した心労がたまっていた。お互いにへとへとだったと思う」


 ふん、ふん、と杏は筆を走らせる。

 但し、俺の言ったことを正確に書いているという保証はない。


「お互い離れて野営して、日が開けた」

「そして、次の日は大決戦と」


 勝手に話を作るな。


「だから、そんなのないって。俺たちは越後に引き上げる風を装い親不知に後退。追って来るようだったら、本当に退いたかも知れないが。神保勢にも内部の突き上げがあったのか富山城方面へ後退して行った」


「終わり?」


 それでも、いいけどな。


「いや、俺たちは神保勢を追った。途中で補給を受けてな。そして」


「そして」

 そんな、座り直してワクワクした目を向けられても何もないからな。


「そして、前の日と同じことをやった」


 杏、今、「もう、いい」て言ったな。聞こえたぞ。

 おいっ、手紙に何を書いている。適当に書くつもりだろ。

 だから言っただろ。寒くなって越後に帰ったとか、適当でいいんじゃないかって。


 杏は、俺の話に興味がなくなったのか、話はもういいと言わんばかりに、手紙に筆を踊らさせている。

 別の話を書いているのか、はたまた、捏造した話を書いているのか。


 まあ、何だっていいけどな。



 杏に話した越中合戦のその後も、大した話はない。


 お互いに、追い追われ、ずるずると戦った。決定力不足ではあったが、ついには神保勢が損害に耐えきれず富山城まで撤退。


 海野勢が、数日間、富山城近辺に野営しながら城に鉄砲を撃ち込んでみたが、神保勢が城から出て合戦に応じることはなかった。


 城に出入りする商人の話では、もうこのような損害の多い合戦はできないと、神保家臣たちが神保長職じんぼうながもとを吊し上げていたらしい。


 一時的に従っていた旧椎名家臣は、すでに合戦途中から離脱していたし、神保家臣からも見放されたら終わりだとばかりに、神保長職は亀が身を守るように甲羅、いや、城に籠った。


 これ以上は、富山城攻めをしても仕方ないし、他の城や砦を落とすつもりもない俺たちは、越中一向衆の本拠地である砺波の村を回り、鉄砲を撃ち込んでから越後へと引き上げた。

 丁度、寒くなってきたしね。



 今回の越中侵攻における三つの目的は、ほぼ達成することができた。


 一つは、越後青海に近い越中敵対勢力の削減。

 これは、松倉城が空になったことで達成した。

 椎名家が松倉城を取り戻したのだ。旧椎名家臣たちが戻って落ち着くまでは、雑賀衆が拠点防衛のために残っている。

 ただし、松倉金山は根知城代預かりとなった。ゆくゆくは、海野家の物になる予定だ。


 松倉城を取り戻したのは海野勢であり、守りの雑賀衆の費用も海野持ちであるからだ。

 俺としては、金山なんかいらなかったが、宇佐美様や上杉家臣の年寄りたちが椎名家を未だに快く思っていないことが原因である。


 松倉城を引き渡した時に、椎名康胤しいなやすたねが、俺に「商人上がりの癖に、つけ上がりおって」と人が変わったように吐き捨てた。


 恐い、恐い。


 言い訳しても余計に油を注ぐだけなので、そそくさと退散したことは言うまでもない。


 ほらほら、宇佐美様。俺が金山を盗ったと思われているじゃないですか。くー、俺じゃないのにと声を大にして言いたい。



 一つは、前回の敗戦による上杉方としての汚名を返上すること。

 これは微妙だ。世間では雑賀衆の与力が大きいと見ているらしい。

 そうなるように商人経由で噂を流したのは俺なので仕方ない。とは言え、勝ったのは海野勢であり、上杉方で間違いない。

 一様、目的達成だ。


 最後の一つは、能登の七尾城を取り囲んでいる一向衆を撤退させることだ。

 ただ、これは目的達成しなくともよかった内容だ。

 なぜならば、日の本の五大山城に数えられる七尾城を一向衆勢が簡単に落とすことはできないと思われたからだ。


 能登の七尾城は、名の通り七つの尾根に跨がる巨大な山城で、無数にある砦を一つ一つ落とすとなると、いったいどれだけの損害が出るかわからない。また、巨大な山城を囲んで食道を断つなども容易ではない。

 史実、上杉謙信の包囲を受けた七尾城は、一年間も持ちこたえている。畠山家臣同士の争いの結果、内応によって落城したに過ぎない。


 現在、能登国主の畠山義綱はたけやまよしつなが七尾城に健在で、高圧的ではあるが家臣団を良く掌握している。そして、一向衆勢の包囲が始まって、まだ三カ月程度。


 おおよそ、落城するとは思えない。

 しかし、畠山氏からの救援依頼もあり、一向衆相手に共に戦っている上杉家として無視するわけにはいかない。


 そのために、わざわざ砺波の村を脅して回った。結果、越中一向衆は七尾城から撤退。それに同調して加賀一向衆も退いた。

 海野勢を脅威に感じての撤退というよりは、冬が来るからの撤退だと俺は考えている。

 一向衆勢の指導者たちは、海野勢の攻勢を撤退の名目に使っただけだ。

 余程、強力な指導者でもない限り、一向衆の農民兵を使って一年以上に渡る包囲戦を続けることなぞできない。

 本拠地に戻った一向衆勢が、松倉城や越後を攻める素振りをみせないことが、何よりの証拠だと考えている。


 未だに、一向衆勢は越後勢を脅威と考えておらず、能登に視線を向けているようである。


 一向衆勢が退いた後に、能登商人を使って七尾城に不足物資を大量に運び入れた。

 もちろん、費用の金は海野持ちで、送り主は御屋形様となっている。

 それを喜んだ畠山義綱は、御屋形様に礼状を出したらしい。


 これで、目的は達成した。


 なっ。つまらない話しだろ。



「できた」

 得意気な顔をした杏が、手紙を俯瞰して筆を置く。


「よかったな」と俺は、ため息を吐いた。

 何をどう書いたのかは、聞かないぞ。


 もう用はすんだと、俺は立ち上がった。

「杏、終わりだな。んじゃ、海岸に散歩にでも行ってくるわ」


「好きだねえ。もう、風も強くて寒いってのに。それよりも温泉に入ろうぜ。昔みたいに皆でさ」


 おいっ、こらっ、それは駄目だろ。


「福に、秋助と妙を呼んで、歌に、織ちゃん、そして、私と前と幸稜でさ」


 これまでに何度となく、いっしょに風呂を供にした者たちだ。女たちの裸なぞ見慣れたから抵抗はない。


 だが、しかし、だ。


 それは、駄目だろ。


「そうそう、濃姉さんも忘れちゃいけないな」


 濃姫様も、駄目だろ。温泉なんかもってのほかだ。


「なんだったら、菊たちも呼ぶか?」


 なにっ、菊さんを呼ぶだと!


 菊さんかぁ。

 菊さんかぁ。

 それは、迷う。


 いやいや、菊さんこそ駄目だ。


 菊さんは、俺の親鳥。

 この世界に来て始めて優しくしてくれたお姉ちゃんなんだ。

 菊さんは、俺の心のお姉ちゃんなんだぞ。


 笑窪ができる笑顔。

 頭を撫でてくれた暖かな手。

 楽しそうな笑い声。

 意外な白い肌。

 色気が出てきた首筋。

 子供を生んで豊満になった胸。


 その可愛いお姉ちゃんといっしょに風呂に入って、裸を見せ合うなどと。


 そんな、そんな、…


 そんな、不謹慎なことは俺には、できない。


 できないぞ。


 笑えば笑え。

 それは雛鳥効果だ、と言われても甘んじて受けよう。


 俺にとっては、菊さんだけは越えてはいけない一線なのだ。


「駄目だ」

「そうかい、あんたは昔から菊のことを好いていたと思っていたんだけど…」


 だから、駄目なんだよ。


「そんなに崩れ落ちるほど嫌なら仕方ないね。じゃ、他の皆でいいね」


 だ、か、ら。


 俺は、四つん這いの体勢で杏を睨み付ける。


「お前も、濃姫様も、妊婦じゃねえか。温泉は駄目だろ」

「そうかい」


 そうかい、じゃねえよ。


 妊婦に温泉は駄目だ。


 確か、駄目なはず。


 駄目だったような。


 駄目じゃなかったかな?


 ……



次回、風呂と養子(仮)


越中再戦の結果でした。松倉城は取り返しました。


(お知らせ)

連休の影響のため、今週はこの投稿と、もう一回程度の投稿となりそうです。

また、今後は不定期投稿、または書き溜めのため休止を予定しています。詳細は次話後書きにて。




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