秋晴れと越中再戦
永禄五年(1562年)九月、越中にて
鈴木重秀
俺たち雑賀衆を含めた海野勢は、親不知を越えて越中に侵攻した。
その数、約四百。ほぼ全員が鉄砲方である。
親不知を越えている最中、幸稜は、越中に入ったらすぐに神保勢と一戦になるかも知れんと言ってきた。
そのことは、上杉方である海野勢の越中侵攻の動きが、越中松倉城を占拠している神保勢に漏れていると考えるのが普通だ。
海野勢の動きが漏れているのは危険だと答えると、幸稜は、うけけと気持ち悪く笑うだけ。
侵攻早々、それに合わせて敵が動くことに危うさを感じないとは、やはり戦いを知らぬ残念な奴だと思ったのだが。大丈夫だと自信ありげに笑う幸稜を見ているうちに、もしや敵方にわざと海野勢の動きを漏らしていたのではと勘繰ってしまう。
まあ、良い。いずれ敵とは戦うつもりだった。
時より、幸稜が独り言を呟き、敵の動向を確認しているような口調が聞こえた。
敵神保勢の動きは、海野家に従っている忍びによって探られているようだ。
忍びとしては、かなり優秀な者たちのようで、影、形は見えないが海野幸稜には絶えず知らせを上げている。
金のある幸稜のことだ。かなりの人数の忍びを越中に潜り込ませているのだろう。ひょっとしたら侵攻した海野勢を越える人数かも知れない。
そして、いよいよ越中に入ると、幸稜が松倉城の神保勢千が動いたと言ってきた。
越後より侵攻して来た海野勢が寡兵であることから、その出鼻を挫こうと神保勢が松倉城を出たのだ。
城を出撃した神保勢の兵千は、海野勢の二倍強となる。弱くて少ない海野勢など一蹴できると思っているのか、ゆっくりとした行軍であるとの報告が続く。
対する海野勢は、俺と幸稜で越中の絵図を見ながら奇襲ができそうな場所を戦場に設定。走って先回りし神保勢が来るのを隠れて待った。
そして、悠長に歩いている神保勢に二射を加えた。神保勢は、奇襲に対応できず潰走。
立派な具足を着た足軽大将や武将が、真っ先に撃ち取られたことも、態勢を持ち直すことが出来ずに潰走した原因だろう。
生き残りの神保兵を問い詰めると、神保長職はおらず、松倉城を預かる家臣が神保軍を率いて来たようだった。
ちなみに、その神保家臣の武将は、最初の一射目で倒れ、すでに冷たくなっている。
幸先の良い話であった。
越中への入り口での一戦の後、松倉城に向かって前進し数射を浴びせる。そして後退。敵の後詰めが来るのを期待しながら、一旦、海岸に出て補給した。
敵も現れないとのことで、鍋汁に塩鮭の握り飯と言う贅沢な食事を取ってのんびり過ごす。
敵が現れなければ、補給の南蛮船は沖合に移動はしない。そのお陰で温かく贅沢な飯にありつけるので、兵たちの士気も高く維持できた。
海野幸稜は飯には異常に拘る奴で、戦場であると言うのに、今までにない贅沢かつ旨い飯を取ることができた。
いつもの地獄のような戦場、人の食い物とは思えない不味い飯とは、雲泥の差である。
逆の意味で、これに慣れるなと兵たちを諭すことになった。
戦場に似合わないゆったりした時間。
だが、そのような時は長く続かないもの。
幸稜が、神保勢千五百が富山城を出たと言った。
二戦目の戦場を想定して移動。一戦目のようには上手くいかないだろうと予想していたが裏切られた。
縦隊で街道を進む神保勢に対して横隊で奇襲。難なく敵を潰走に至らしめた。
あまりにも無警戒な敵が、あり得ない。
あまりにも手応えがない戦が、あり得ない。
そして、そのような敵の知力の無さを大丈夫かと心配してしまうその自分の心情が、あり得ない。
勝って兜の緒を締めよとは、勝った後は相手の敵を甘く見てしまい、その油断により次の戦いで大敗してしまうので気を引き締めよとの教えだが、神保勢の敗け方に触れるとその教え以前のような気がしてならない。
富山城の神保勢には、すでに海野勢が鉄砲隊であることは伝わっているはずなのにも関わらず、物見を使い警戒して進むということをしていない。
何と言う、浅はかな者たちであろう。
はたと、俺は思い出した。
その神保勢に、隣で高笑いしている幸稜は戦いもせずに敗けたのだった。
神保勢、海野勢とは。
言葉も見つからない。
首を振る俺に、幸稜は「どうした。気になることでもあるのか」と尋ねてきた。
「気になることと言うか、俺には信じられないことなのだが。敵は一度目と同じように奇襲を受けるとは思わぬのかとな。神保勢とは物見を使う知恵もないのかと」
その敵に一戦もせずに敗けた幸稜のことは触れずに返した。
すると幸稜は再び、うけけと笑い「全くだ。敵の物見はどうしているんだろな」と気持ち悪い笑顔を作る。
「お前、気持ち悪いから、その笑い方を止めろ」と言うと、幸稜は、なぜか悲しい目でじっとりと俺を見る。
何かに敗けて「好きにしろ」と手を振った。
幸稜の態度から、敵の物見に手を打っているのは明らかだ。大量に雇った忍びか、小飼の忍びを使って敵の物見たちを狩っているのだろう。
前回越中で散々に敗けた幸稜に、知恵がついたのだと思ってやることにする。忍びのことは、その家の秘中であり尋ねる訳にもいかない。
二戦目を終えて、再び松倉城に移動。
富山城からの後詰めが敗れたと知った城兵は、松倉城から出て来ることはなかった。
仕方ないとばかり、城に向かって数射を行う。
玉と火薬がもったいないと進言したが、幸稜は海野家持ちだから気にするなとと言う。どうにも、その金銭感覚に慣れない。
いや、慣れぬようにしなければならない。いつも海野のような雇い主とは限らないのだから。
松倉城に鉄砲を浴びせた後は、再び海岸まで移動して補給。
その後、天気が崩れそうだと幸稜が言って親不知の隘路口まで後退。いつでも越後に逃げ帰られるように待機。
仕方ないことである。雨が降っては鉄砲隊である海野勢は無力なのだ。
秋晴れとなった数日後、再び越中に進軍。
松倉城に進めば神保勢が出て来るかと期待したが、そのような抵抗はなかった。
それ以前に松倉城は、もぬけの殻だった。
城を守ることよりも、海野勢に勝つことを優先させたのだろう。
おそらく、海野方は四百とは言え鉄砲戦力であり一撃一撃の被害が大きい。それも小兵力の軍では、士気を維持できなくなり潰走するほどに強力である。
このまま、戦力の逐次投入していては勝てないと考えたのだ。
案の定、神保勢は富山城に集結していると幸稜が言う。忍びの報告だろう。
いよいよ、正念場が来た。
神保勢は、大兵力で海野勢を踏み潰すつもりなのだ。
侵攻前の予想では、一向衆が抜けた神保勢の最大兵力は、椎名家の旧臣たちを入れて五千ほどと予想されていた。
その数は、海野勢のゆうに十倍を超える。
松倉城を占拠し籠って戦うかの問いに、幸稜は否と答えた。
普通の鉄砲隊であれば籠城戦を選ぶ。鉄砲によって敵に損害を与え、退却まで待つというのが順当な作戦である。
だが、それでは今の海野勢の長所を殺しかねない。
城や砦を拠り所としない補給手段。
海野の目であり、相手の物見を潰す忍び集団。
それが、奇襲と遠慮ない連射に繋がっている。
籠城しては、それを活かせず十倍の兵力によってじり貧になることは想像に難しくない。
松倉城の占拠と籠城に否と言った幸稜に、俺も賛成だと答えた。
俺の答えに幸稜も頷く。
決まりだ。海野勢は、神保勢と野戦を行う。
幸稜と野戦の作戦を確認していると、海野の忍びからの知らせがあったようだ。
突然、幸稜が、神保勢は三千五百で富山城を出たと言った。
相変わらず、忍びの者は顔を見せないが、知らせを持ってきたらしい。
想像したより神保勢が少ない。
二手にわかれて進軍しているようでもなく、挟撃の可能性はない。
単純に、二度の敗戦の影響で武将や兵が集まらなかったのだと思われた。
となれば、神保勢も背水の陣で向かってくるとなる。これ以上は、神保勢力の維持のために、敗けられないからだ。
俺と幸稜は、決戦の場を松倉城の北にある魚津を戦場に設定。神保勢がやって来るのを待ち構えた。
神保勢は、奇襲を警戒した方円陣形で、魚津方面へ前進。さすがに二度の敗戦から学ばない訳にはいかない。
部隊を小分けにして、奇襲されても被害を最小にする工夫さえしているようだ。
だが、方円陣は防御陣のため、奇襲には有効的であるが攻めには向かない。全方位に戦力を分散させているからだ。
魚津の起伏のある草地に横一線で潜んでいる海野勢の前に現れたのは、そのように戦力を分散させている状態の神保勢だった。
秋晴れの昼。
鳶が鳴きながら、大空を優雅に舞っている。
そよ風が、西から東に流れ、草木を揺らす。
人と人の欲望のぶつかり合いなど、我関せずと自然の営みは続く。
静寂。
警戒しながら歩く集団が、草を揺らす音。
草影に潜んだ男たちの獲物を狙う虎のような目。
一人の男の手が、一言とともに振り下ろされた。
轟音。
草むらに隠れていた鳥たちが、大きな音に驚き慌てて飛び立つ。
拡がる硝煙の香り。
敵が、四十間(約70メートル)に近づいた所で三百丁の鉄砲の火が吹いた。
俺の合図による一射だ。
敵を薙ぎ倒そうとする轟音であり、合戦の始まりを告げる鐘の音でもあった。
神保勢は、前線部隊に多数の損害が出た。しかし、神保勢の歩みは止まらない。
海野勢に近い部隊には突撃を命じ、残った部隊で陣形を魚鱗に変化させながら前進を計る。
鬼の形相で、海野勢に迫る兵たち。
何としても海野勢を討ち倒そうとする気迫が伝わってくる。
雑賀衆には、早合による玉詰めを指示、越後衆には、撃ち方と詰め方で鉄砲を交換させる。
すると幸稜は、越後衆百人の詰め方とともに後退した。
事前に決めていた策の通りだ。
敵は、十間ほどを走り寄る。
俺たちと敵の間は、あと三十間。
「てぇっ」
越後勢百による二射目を敵に浴びせる。
「越後衆は、退け」
越後勢に幸稜を追いかけるように命令。
敵には、兵たちが勝手に敗走しだしたように見えるだろう。
海野勢は逃げ始めた。追撃しろと士気も高くなる。一層、敵兵たちの迫る勢いが増す。
すでに雑賀衆は玉詰めを終えて、立ち構えの姿勢を保つ。
我慢だ。引き付けろ。
「てぇっ」
二百の火と轟音。
十間先の敵兵たちが、崩れるように倒れた。
「退け、退け!」
かけ声で一斉に後方に向かって走りだす。
敵に背を向け逃げることに、恥も外聞も感じない。そこは、幸稜と同じだ。
生き抜いてこそ、勝ちなのだ。
逃げ始めた雑賀衆は、神保勢を徐々に引き離して行く。
四十間走ってきた者と走り始めたばかりの者の体力の違いであり、持っている物の重さの違いである。
海野勢は、鉄砲が一貫強で荷物を入れても二貫(7.5キロ)程度の重さだ。
対する神保勢は、長槍は一貫強、武将の具足は四貫ほど。足軽の具足でも一貫もあり、槍と合わせると二貫を超えるのである。
それに、ただでさえ長槍を持って走るのは容易ではない。
神保勢は、海野勢に比べて重い装備なのである。追いつける道理などない。
海野勢に追いつける可能性のある者もいる。だが、彼らが追撃の先頭に立つことなどあり得ない。
その者たちとは馬上の武将と、防具など身につけず長槍だけを持つ雑兵たちだ。
片や、馬上のために目立ち真っ先に狙われる者である。それに、騎馬武者とは言え、戦う時は、馬から降りて戦うのが常である。
残念ながら日の本の国には、敵味方が入り乱れて騎馬戦を繰り広げられるほどの騎馬も場所も多くない。
片や、雑兵はと言うと、武者狩りであればともかく、鉄砲の前面に立ってまで戦う気合いはない。彼らの気持ちも、雑賀衆と同じ傭兵なのだ。
生き抜いてこそなのである。
神保勢を引き離して雑賀衆は後退。
六十間(約100メートル)ほど走り、六十人の越後衆が鉄砲を構える第二陣横隊の間を通り抜ける。
手を上げたまま、迫る敵を凝視している幸稜に合図を送ると頷き返してきた。
雑賀衆に「走れ、走れ」と声をかけながら予定地点まで急ぐ。
六十間先には越後衆四十人が第三陣の横隊を作り始めており、さらにその先には詰め方が走っている。
予定地点は、越後衆の詰め方が向かっている場所、百二十間(約200メートル)先の地点である。
幸稜のかけ声。
轟音。
幸稜の退却の叫び。
立て続けの音が、背中から聞こえた。
雑賀衆は、第三陣である越後衆四十人の横隊を抜き去る。六十間先で第四陣を作るためだ。
そして、息を切らしながら越後衆の詰め方かいる場所に到着。ここに第四陣を作る。
「玉詰め、急げ」と声を上げる。と同時に轟音。
第三陣も鉄砲を放ち、すぐさま後退をし始めた。
ここが、勝負処だ。
敵は、第四陣まで来る。
それは敵の中で最も士気の高い者たちである。鉄砲を物ともしない強者たちだ。
しかし、鉄砲で撃たれて崩れるのも、先頭を走る強者たちである。最も健脚で士気の高い強者たちから倒れていくことになる。
そして、強者たちが倒れて追撃が止まるのである。追撃の士気は落ち、誰も鉄砲の前に出ようと思わなくなる。
これが追撃ではなく、誘われているのではないかと疑念となり、追撃の心が折れる。
轟音。
第四陣にいる雑賀衆だけの斉射。
二陣、三陣と小さくなっていた鉄砲の轟音が再び大きくなった。
海野勢は、逃げてなどいなく、誘い込んでいると思えるほどに。
雑賀衆と越後衆の詰め方に、再び後退の指示を出す。俺と幸稜と越後衆百の撃ち方を残して。
二百の轟音により海野勢を追撃してきた者たちの足が止まった。そして、幸稜がゆっくりと手を上げると、潮が惹くように下がった。
後退りが、やがて振り返っての走りに変わり、後続の神保勢を巻き込んで逃走となる。いくら武将たちが怒鳴ろうと流れは変わらない。
この瞬間、攻守が逆転した。
追う者と追われる者が、入れ替わったのだ
次回、越中侵攻の結果と皆で温泉に
戦いは今回まで、次回は結果報告となりますが、誰に?
次回、月曜日投稿予定。