鉄砲衆と遭遇戦
永禄五年(1562年)九月、越後、青海海岸にて
鈴木重秀
俺と並走しているのが、今の雇い主だ。
歳の頃は、十五、六だろうか、まだまだ幼さが顔に残っているほどの若い男である。
この若者は、若い癖に金だけは持っている。
雑賀衆の中でも一番金のかかる鉄砲集団二百名を、苦もなく一年間の契約で雇い入れたぐらいの金を持っている。
知行地は猫の額ほどなのに金だけはあるのだ。
石見で我ら雑賀衆を雇っていた内海屋から矢銭でも無心しているのだろう。
この若者、金以外のことはどうかと言うと、武勇に勝る訳でもなく、知略が優れている訳でもないと聞く。
この海野幸稜と言う若者は、金以外に得意はないと噂されている男だった。
石見から越後に来て早十日。この若者の指示で毎日毎日、鉄砲を担いで走り、止まっては撃ち、そして、また走る。それをひたすら繰り返す日々だ。
日が照りつけようが、雨の中だろうがひたすら走る。これが、一体何になるのか分からないために不満となるが、走って金がもらえるのならばと雑賀衆の皆が我慢している。
それに、我らと共に戦う越後衆も同じことをしているのだ。雑賀衆の我らが先に音を上げたと思われるのも癪に障ると皆が口を閉じている。
越後衆たちは、我らと同じ二百人ほど。間即衆と同じで二人で一組だ。二丁の火縄銃を扱い、撃ち係と詰め係に別れている。
最初は、使い物にならない腕だった越後衆も、試し撃ちを重ねるうちに雑賀衆の足元程度までは腕が上がってきていた。
日頃、高価であるために試し撃ちなどできない雑賀衆も、遠慮するなと海野幸稜から大量の火薬と玉をもらっている。
お陰で、不満を的にぶつけられる。
本当に、金だけはある若者のようだ。
「幸稜殿、そろそろ、我らがどのような戦いをするのか、教えてもらえるか。このままでは腐る者が出よう」
走りながら、海野に声をかける。
雑賀衆にあってそのような者を心配することは不要なのだが、そうでも言わないと話が始まらない。
はっ、はっ、と苦し気な息を吐くだけの海野は、顔を向けて頷いた。
これぐらいの走りで声も出せなくなるとは、更に評価を下げざる得ない。
全く、仕方ない若造だ。
「止まれ」
手を上げた合図で、後ろについて来た雑賀衆と越後衆の四百人が足を止めた。
「北に横隊」
さらに掛け声を出すと、すぐさま海に向かって横一直線に並び、次の命令を待つ姿勢を取る。
雑賀衆はもちろん、越後衆にも足手纏いとなる者はいない。
「息を整えた者から撃ち方を初めよ。十射した者から、その場で休みに入れ」
すると、雑賀衆は一人一人、玉込めした後に撃ち始めた。対する越後衆は、初弾こそ一人一人玉込めするが、鉄砲を撃ち始めたのは撃ち方役の一人だけ。もう一人は、撃ち方役の後ろに下がり、玉込めに専念する態勢になった。
波打ち際に立てられた的に向かって、三百の鉄砲が火を吹き始めた。
この訓練を始めた頃、鉄砲の轟音を聞きつけた近くの村人が恐る恐る見物に来ていたが、音に慣れた今となっては見物人の姿はない。
今にも倒れそうな若造に視線だけで、鉄砲の音がうるさいこの場を離れて話をしようと促した。
「重秀、さん、ありが、たい。本来、なら、俺が、声を、かけねば、ならぬ、のに、はっ、はっ」
俺の後ろから若造の苦し気な声が聞こえた。
「気にしないでくれ。俺の役目だと思っている。それよりも、俺たちはどこを守る。これほど走り込む必要があるだけの城など、想像もできぬがな」
「守ら、ない、攻める」
「攻めだと」
これだから、戦を知らぬ者は困る。
「幸稜殿、知らぬようだから教えよう。鉄砲衆だからと言って、どのような戦場でも戦える訳ではない。鉄砲衆は、言わば静の集団、城や砦で敵を待ち構えて戦うことを得意としている。それに対して、足軽衆は、動の集団だ。自ら動いて敵の弱いところを叩くことができる。覚えておいてくれ」
「試して、みた」
「試してみた? 何を」
「どれだけ、走れるか。その後に、どれだけ、撃つことができるか」
次第に息が整ってきた若造が、妙な事を言い出した。
「この走り込みと撃ち込みのことか?」
「そうだ。これだけ走れたら足軽と変わらない」
「ちょっと待ってくれ。合戦をするつもりじゃないだろうな。鉄砲衆が二撃している間に足軽衆に囲まれるぞ」
「一撃したら逃げればいい」
おいおい、この若造は、何を言い出すんだ。
「幸稜、一から教えてくれ。俺たちは、越後を守るんじゃないのか。お前、どこを攻めるつもりだ」
舌打ちをしたかった。
若造が、笑ったからだ。
海野幸稜は、初めて会ったときに自分に敬称は不要だと言った。共に戦う者だし、戦場では呼び方は短い方が有利だろうと。
だが、そう言われたからといって雇い主を呼び捨てはできないと意地を張っていた。
海野幸稜の訳の分からぬ話に、思わず若造と思っていた心が出てしまったようだ。それが、見透かされたようで癪に触る。
「重秀さん、俺たちは越中を攻める」
「俺にも敬称はいらん。一撃で逃げるのは分かった。越中攻めの拠点はどうする。まずは、どこかの城を取るのか」
「城は取らない。秋晴れが続く間、絶えず越中を動き回って戦うつもりだ。寒くなったら越後に引き上げる」
幸稜は、「これからは、重秀と呼ばさせてもらうよ」と付け加えた。
名のことはどうでもいい。だが、城や砦の拠点がないとすると、不足する。
「野営するのは良いが、それだと乱取りなるな……玉や火薬が問題だ」
「乱取りはしないし、玉や火薬の補給も心配ない」
「まさか、荷駄隊か。荷駄隊を連れたら足が遅くなる。それに、荷駄隊が襲われたら終わりだ」
「荷駄隊もなしで」
「おいおい、勘弁してくれ。俺たちに一秋分の荷を持って戦えと言う訳ではあるまいな。そんなことでは、逃げて走れんぞ。それに撃って当てられるかどうか」
「大丈夫、背負う荷は今の通りで」
今の荷とは、水の入った竹筒、二日分の不味い食糧、同じ二日分だと支給された大量の玉と火薬、野営のためのぼろ布。それらが、背負袋に入っている。
背負袋の横から伸びる紐を腹に巻いて結べば、走るときも、撃つときも邪魔にはならない。
幸稜は、雑賀衆も越後衆も、その荷だけ持って越中の中を走り回って敵と戦えと言う。明らかに、足りない。
「話にならん。背負袋だけでは数日しか戦えん。越中を走り回るのだろう。食糧は乱取りで何とかなるが、玉や火薬はどうにもならんぞ」
「何とかなるさ。ほら」
幸稜が、海を指差した。
何だ?
海に枯れ木が立っていた。
いや、違う。
水平線に現れた立木は、見る見る間に本数を増やして帆に変わる。ついには、幾つもの帆を張った大船の本体が現れた。
「船、南蛮船か」
「そう。船から食糧、玉、火薬の補給を受ける。今日は、その訓練で。どれだけ早くやれるか時を計るつもりだ。目標は一刻」
「一刻……敵が現れる前に補給できるようにだな。船と落ち合う時と場所は、どうやって決める」
「あらかじめ、決めておく」
「落ち合う場所に敵がいたらどうなる」
「船は何もせずに沖に引き上げるだけだ」
「補給は」
「翌日、同じ場所、同じ時に船は現れる」
「それでも敵が動いていなかったら」
「場所を、変えるだけさ」
「どうやって」
「こうやって」
幸稜が、護衛の男に旗を振って落ち合う場所を北に一里ずらせと指示した。
護衛の男は、背負袋から赤と白の旗のついた棒を取り出して、船に向かって不規則に振る。すると、真っ直ぐ向かって来ていた大船が、急に進路を北に向けた。
「符丁か」
「そう言うこと。浜で待つ俺たちが海野だと船に伝えられるし、都合が悪ければ落ち合う場所を変えればいい。船には目のいい連中が多いから、敵から離れた遠くの場所からでも伝えられる」
「なるほど」
「さあ、船を追いかけよう、重秀」
幸稜は、休憩している兵たちに、「立ち上がれ、船を追いかけるぞ。俺についてこい」と命じ、隊を先導するように走り始めた。
体力も無いくせに面白い奴だ。
俺は、若造の評価を見直すことにした。
「若造」から「幸稜」に格上げだ。
停泊している大船の場所にたどり着くと、すでに数隻の小舟によって荷が陸揚げされていた。
浜には数多くの木箱が置かれ、雑賀衆や越後衆の兵たちに一列に並べと船員たちが大声で叫んでいる。
並んだ兵には、次々と木箱から布袋が渡され先に進めと促される。
もたつく者は「動け、動け」とさらに大声で怒鳴られた。
渡された布袋の中には、食糧、玉、火薬が入っているそうだ。四百人の兵たちに袋を渡すのに半刻もかからなかった。
兵たち全員に布袋が行き渡ったことを確認した船員たちは、空になった箱を小舟に乗せ南蛮船へと帰って行く。
無駄口もない手際の良い連中だ。
船員たちの滞在時間が、短くなる工夫に感心する。浜にいる時間が、短ければ短いほど敵に襲われる危険度は少なくなるからだ。
「どうだった」と幸稜が護衛の一人に尋ねた。訊かれた護衛は「現れて、ちょうど一刻ぐらいかと」と答えた。
「上出来だ。今日は、これで走り込みは終わりにしよう。よし、例の奴をやってくれ」
幸稜の命令で、再び護衛が南蛮船に向かって旗を振った。
少し待っていると、数隻の小舟が浜に着ついた。
何が始まるのだと見ていると、小舟の船員たちは、浜に簡易のかまどを造り、そこに大鍋を置く。それが三つ。
どうやら、鍋料理をここで作るらしいことがわかる。
色々な意味で、幸稜は読めぬ奴だ。
鍋料理を始めた船員たちの手際も良い。
洗った里芋、茸、大根、そして、身欠き鰊を食べやすい大きさに切って大鍋に入れ、少し炒めてから水を入れて煮始める。
灰汁を取りつつ、具材が煮えるのを少し待ち、最後に味噌を入れて出来上がりであった。
辺りに、何とも言えぬ良い香りが漂う。
その香りに釣られて腹が鳴った。
最初の一杯は、俺と幸稜に渡された。
一口啜る。ん、旨い。
ねっとりとした里芋、茸の出汁、鰊の旨味、何とも言えぬ。旨い。
「皆に、振る舞え」
幸稜の命に、兵たちが沸き立った。
船員たちが、兵たちを並ばせ、一人一人に芋煮汁を盛った木碗と木匙を渡す。
雑賀衆、越後衆の皆が嬉しそうな顔だ。
芋煮汁をもらった兵たちは、てんでんばらばらの場所に陣取り食べている。
雑賀衆と越後衆がいっしょに食べている場も少なくない。
なるほど、上手いやり方だ。
食い物は、人を仲良くさせる。
これで、雑賀衆と越後衆の垣根が消え、一体感がでる。
それを狙ってやっていることが、幸稜の顔で分かる。
幸稜は、金だけは持っている若者との噂だが、それには理由があるのだと妙な納得を感じた。
俺の視線に気づいて、幸稜は「どう、思う」と尋ねてきた。
おそらく、船を使った補給をどう評価するか、これで鉄砲衆が越中を走り回って戦えるかと尋ねているのだ。
悪くはない。誰が船から戦うための荷を受け取っているなどと考えるだろうか。
非常に面白い発想だ。
だが、しかしだ。それは面白い話だが、そもそも大きな問題がある。
「走り回るは良い。具足がなければ槍を持つ足軽とたいして重さは変わらん。船からの補給も良しとしよう。だがな、どうやって敵を見つける。俺たちが奇襲されるかも知れんし、敵を求めて越中をさ迷うかも知れん。それは遠慮したい」
幸稜が、俺の問いに気持ち悪い笑顔を返してくる。
もう、いい、十分だ。その顔で分かった。
俺の問いにも対策があるのだろう。
だが、その顔と笑い方は駄目だ。
俺は、幸稜の評価を見直すことにした。
「幸稜」から「変わり者」に格下げだ。
次回、秋晴れと越中再戦
雑賀衆が越後に。幸稜、越中に攻め入ります。