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織田屋敷と四十八

 

 永禄五年(1562年)八月、越後、根知城下、織田屋敷となった新居の別邸にて

 海野幸稜



 織田家からの人質である市姫と犬姫の様子伺いを済ませ、織田屋敷の隣にある別邸に移った。

 この別邸は、織田の姫様やその侍女の世話人たちの屋敷である。


 世話人たちは、織田屋敷全体の管理はもちろんのこと、食事の手配や屋敷内の清掃、果ては、内庭の植栽の手入れまで行っている。そして、世話人は人質の監視役でもある。


 織田屋敷は、根知城下より一里ほど糸魚川寄りの平地に作られた。

 姫川沿いの約二百間(約360メートル)四方の土地に本邸部と庭園部で構成される巨大施設として計画されたためだ。

 根知城下は谷間のため、大きく開けた土地を確保するのが困難だったので糸魚川寄りになった。


 第一期工事では本邸部が作られ、第二期工事では庭園部が作られる。


 本邸部には、姫様たちの住居となる屋敷と、世話人たちの屋敷、小さな庭、菜園、広めの空き地、それらを取り囲む塀と二つの門がある。

 広めの空き地には、今後、講堂兼書庫と多目的道場などが建設される予定だ。


 そして、第二期工事では、回遊式庭園、護衛屋敷、馬屋、多目的広場、本邸部のものより大きな講堂、書庫、多目的道場、演芸場、本格的な畑、その全てを囲む塀と掘が造られる。


 多目的広場の周辺には桜が植えられ春を彩り、回遊式庭園には紅葉が植えられ秋を彩る計画だ。

 さらに、庭園にある茶亭や東屋から見える景色の土地は、全て織田屋敷の土地となるよう交渉を始めている。京より呼び寄せた庭園技師が、敷地の東に広がる山麓を借景にと重要視したためである。


 庭園回廊のテーマは、越後から尾張までの街道である。二つの大きな池は、日本海と太平洋に見立てられ、一角には尾張に因んだ風景を作る。


 夏には畑をいじり木陰で汗を拭くのもよい、冬には広場に作ったかまくらの中で雑煮を啜るのもよい。


 四季折々の色々な催しを開き、尾張の姫様たちが、寂しさを感じる間もなく楽しめるようにする。

 桜と紅葉の季節には、短い期間となろうが庭園や広場の一般公開も検討する。さぞ、景勝地として賑やかになるに違いない。


 姫様たちが、気に入ってくれると嬉しいのだが。


 第一期工事が終わった八月に、織田家の市姫様と犬姫様が、青海屋敷から織田屋敷へと居を移した。

 濃姫様は、訳があり青海屋敷に残留している。


 本邸部の屋敷に住むは、織田家の人質である女たちのみ。だから、基本的に織田屋敷内の本邸部は男子禁制である。そのため本邸部内の世話人たちも女のみとした。


 その世話人統括を、望月千代もちづきちよに任せたのだ。


 千代は、七十近い老婆だが、未だ背筋のしっかりした女である。

 滋野一族である海野、根津、望月が東信濃を治めていた時代を知る人間で、村上義清様、武田信虎殿と同世代。両爺様のことを良く知っている。もちろん、憎き敵方の当主としてだ。


 望月家が、真田家の斡旋で武田信玄の家臣となってからは、歩き巫女たちを使った諸国の情報収集で信玄に貢献してきたのだが、その歩き巫女を統括してきたのが千代である。


 千代ほど、織田屋敷の世話人統括にふさわしい人物はいない。



 俺は、その千代と、同じく歩き巫女から世話人となった一女ひとめと会っていた。


「幸稜様、織田家の姫様方はいかがでございましたか」

「大福を喜んでくれたよ。千代ちよたちには世話になったな。礼を言う」

「いえ、礼を言わねばならぬのは、私どもでございます。貴重な食材や作り方まで教えて頂き」


「いいよ、いいよ、大福も他の菓子も作りたてが旨い時がある。そんな時は、お前たちの力を借りねばならないからな。また頼む」

「何時なりとも」


「今後、たまには菓子を作って姫様方に振る舞ってくれ。もちろん、織田家の侍女やお前たちの分もだ。この屋敷で働く下女に至るまで配ってくれ」

「下女にまでですか」

 千代が、怪訝な顔を見せる。


「ああ、下女までだ。何、けちることはない。食材が足りなくなったら内海屋に使いを出せ」


「幸稜様、そのような事をしていては、銭がいくらあっても足りなくなります。私は反対です」

「大丈夫さ。内海屋も無料ただで材料を出す訳じゃない。俺が内海屋に前もって預けてある銭を越えたら、いくら使いを出しても食材は手にできないようになっている」


 とは言え、佐吉との交渉に敗けた結果、内海屋に入れている預け金は、相当な金額になっている。早々、尽きることはないと思う。


 尽きた場合、屋敷からの使いが内海屋の店内で騒がないか心配だが、内海屋は俺の身内も同然だと千代も知っているから、内海屋に出す使いには無茶しない者を選ぶだろう。


「それで、あれば…」と千代は言うが納得していない。


「いいんだよ。これは夢なんだ」

「夢でございますか」

「千代、一女ひとめ、大福は食べたか」


「ええ、頂きました」

 千代は返事をしたが、一女は頷いただけ。


「感想は?」

「大変甘く、美味しい菓子だと思いました。ただ、高価な砂糖を使った菓子を我らも頂いてもよいのかと」

 一女は再び頷き、千代の言葉を肯定するのみ。


「織田屋敷に勤めれば、読み書きや料理、裁縫を習える上、他所より高い給金をもらえる。しかも、たまに珍しい高価な菓子を食べることもできる。奉公任期は二年と短いが、毎年働く者を募集している。どうだろう、織田屋敷で働くことに憧れはしないだろうか」


「女たちが目指す場所を作りたいと」


「諏訪、真田はもちろんのこと、望月も根津も男衆は少ない。後家の再婚先を探そうにも越後でもそう多い訳でもない。各家の男子らが育つまでは、女たちが家を盛り立てねばならないのが現実だ」


「十年は、かかりましょう。それまでの間、家臣たちが困らぬように、矜持が保てるようにとの配慮でございますね」


「俺には家臣たちに与える知行地はない。だが、幸いにして金だけはある。家臣たちに金を渡して家を維持してもらうことも考えたが止めた。家臣たちのためにならぬと思ったからだ」

「私も、それがよろしいかと思います。働くこともなく金だけもらっては、怠惰となります。そして、それを当たり前と思うようになり傲慢となりましょう。望月がそのような家となるのは見たくはありません」


「だから、夢を持って女たちが働いてもらうことを考えた。織田屋敷で働くことを誇れるようにな」


「幸稜様、この年寄りに何を求めておりますか」


「千代には、三つほど頼みたい」

「はい、何なりと」


「一つ目は、世話人を厳しく管理して欲しい。身内だからと言って甘やかすことのないようにお願いしたい」

「もちろんでございます」


「だが、厳しいだけでは駄目だ。優しくもしてもらいたい。我が子を躾るように道を示してもらいたい。十年後に皆が自立した家になるようにな」


「幸稜様、残念ながら、それは難しいでしょう。私も歳です、二、三年ならばともかく、十年となると…」


「それが二つ目の頼みだ。千代の後任の育成だ。織田家の姫様たちが、いつまでも屋敷にいるわけではない。俺は、姫様がいなくとも屋敷は維持するつもりだ。少なくとも、家臣たちが知行地を得るまではな。それも踏まえた上で後任を育てて欲しい。とは言え、千代には望月や他の家のため、まだまだ長く元気でいてもらわねば困るからな」


「はい。幸稜様が、そう仰せになるならば」


「女たちのためだ。自分を年寄りと思わず、いつまでも元気でいろ」

 千代の皺の刻まれた顔が、少しだけ微笑んだ。


「でだ、三つ目だが、一女たち、歩き巫女たちのことだ」

「歩き巫女のことでございますか?」

「歩き巫女の修行を積んだとは言え、旅は過酷だ。旅先で怪我をすることもあれば、病気になることもある。それに、盗賊に襲われることもある。命がけだ。これまで多くの者が命を落としてきたのではないか?」


「しかし、それが、歩き巫女の仕事です。命がけでない仕事などありません。武家であろうと、商家であろうと、農家であろうと、皆が命をかけて生業を行っているのでございます」


「千代の言うことを否定するつもりはないよ。ただ、女たちに道を選ばせたいんだ」

「道でございますか?」


「武田のときのように、歩き巫女たちが諸国を調べたり噂を流す必要はもうない。上杉には上杉の、海野には海野のやり方がある」


 俺の言葉が歩き巫女の否定に聞こえたのか、千代は目を落とし、一女は俺を睨み付ける。


「歩き巫女は役に立たぬと、幸稜様はそう言われるのですか。ですが、幸稜様の頼みで織田の忍びである侍女を見つけたのは私たち歩き巫女です。それでも役に立たぬと」

 胸に手を当て、怒りを俺にぶつける一女。


「一女、織田の侍女の件、世話になった。改めて礼を言う。だが、それとこれは別だ」


「幸稜様は、小飼の忍びが大切なのでしょう。だから、武田の者であった歩き巫女を気にくわない」


「これ、一女、言い過ぎです」

「ですが、千代様。幸稜様は歩き巫女を不要だと…」


「千代、一女の言う通りだ。俺は、武田の歩き巫女は気にくわない。直ぐに、皆を止めさせたいぐらいにな」


「もうよいです。幸稜様、私はあなた様の配下ではありません。昌幸様の配下です。昌幸様の命で、この屋敷にいましたが、不要だと言うのであれば昌幸様のもとに行かせてもらいます」

 一礼して間を下がろうとする一女。


「一女、待ちなさい」

「千代様、申し訳ありません。ここでは必要とされていないので昌幸様のもとに行きます」


 一女は、千代に一礼して躊躇することなく間を出ていった。

 千代がため息を吐いた後、身を正すと俺に頭を下げる。


「幸稜様、申し訳ありません。一女が勝手をしまして」


 頭を上げた千代が手を打ち、家人を呼ぶと一女を一日引き留めるように申し付けた。

 一日引き留めて頭を冷やさせるつもりなのだろう。


「すまないな。俺の方こそ、もう少し言葉を選べば良かった」

「一女を可愛く思ってくださるのは分かりますが、苛めてくださいますな。この年寄りとは違って、まだ若いのです」


 一女を見ていると、どうしても年の近い歌と重なってしまう。


 歌は、奉公の話から逃げた娘だ。奉公に出ることが怖かったのだ。

 奉公と言っても実態は身売りであり、奉公先の主人が善良とは限らない。また、奉公と偽って遊女に落とされることもある。

 もちろん善良な主人もいる。

 それは、奉公人が選ぶことのできない運だ。


 それに、金が得られるからと言って家族のために娘が犠牲になることが正しいことなのか。

 犠牲になることから逃げるのは悪いことなのか。

 だれが、不幸を引き受けるのが正しいことなのか。


 俺にとって、そんなことはどうだってよかった。縁があり知り合った歌を助けたいと思っただけだから。


 一女のこともそうだ。


 浅間の温泉で、一女がもう一歩近づいて来ていたら、俺は一女を殺していた。

 越中で戦から逃げた俺に、悪意があったら一女の身はどうなっていたかは分からない。


 一女は、両側が崖になっている尾根を歩いているに過ぎない。いつ、そこから転げ落ちるかは分からない。


 残念ながら、世の中には悪意が存在する。


 縁があり知り合った一女に危険な場所を歩いてもらいたくないと言うのが正直な気持ちだと、俺は千代に話した。


「幸稜様の話はわかりました。ですが、歩き巫女の女たちを不要だと言うだけでは、一女のように納得できぬ者もでましょう」


 千代は、一女と違い目に怒りがない。

 おそらく、俺の考えが分かっているのだ。

 しかし、それを間違いないように言葉を求めているに過ぎない。


「千代、そもそも、なぜ、歩き巫女だ」


「女たちが生きるためにでございます。夫が亡くなった女、親が亡くなった娘が生きていくためです。歩き巫女は祈祷や託宣を通して、訪れた村に注意や目標を与えるのです。それは村人から感謝され、巫女たちの誇りともなります」


「だが、今では、見た目の美しい若い娘を集め、忍びの真似事をさせている」

「はい」


「それは、歩き巫女などでは、ない」

「そうでございますね」


「歩き巫女を生業とする者を否定はしない。だが、武田が望んだように忍びの真似事をしてまでの歩き巫女であれば他の働く道を用意したい。そして、その道を用意できるのが、海野だ」


「具体的には、どのような道でございましょう」

「織物、染色、紙漉、はもちろんのこと、織田屋敷の世話人、学舎の師や世話人、主計、物書き、絵描き、猿楽、田楽、踊り、唄、吹物、弾物、打物、考えられるもの全てだ」


「それで、女たちは生きていけるでしょうか。男衆の仕事もあったように聞こえましたが」


「俺が生きている間は金を出す。その間に生きていけるだけの高みに登ればよい。その働く道が残るようにな。それに、男にできて女にできぬことなどない。男だ、女だ、と誰が決めたか分からぬ括りなど捨ててしまえ」


「…」


「土地を奪い合うなどと下らない事は、男どもにやらせておけ。女は世の先を見よ。必ずこの乱世は終わり、太平の世がくる。その時、必要なのは戦う力ではない、文化を担う力だ。俺は、それを歩き巫女たちにやって欲しい」


「…」

「どうだ、千代、手伝ってくれないか」


「幸稜様、どうか弱い者たちに力をお貸しください。この老い先短い者も頑張りますゆえ」


 頭を下げる千代に「ありがとう」と答えた。






 よし、これで、目麗しい歩き巫女たちをアイドルグループにできそうだ。


次回、鉄砲衆と遭遇戦



春の桜祭り、夏の盆踊り、秋の収穫祭、冬の年越し

もちろん、歌って踊ってもらいますとも。


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