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一人の男と月

 

 永禄五年(1562年)八月、越後、青海海岸にて

 海野幸稜



 佐吉たちとの密談を終え、糸魚川から青海屋敷までの帰り道は、海岸を通る道を選んだ。

 もちろん、誰もいない海岸で閻魔様と密談するためである。


 護衛たちには、浜辺に佇み一人でゆっくり考え事をしたいと伝え、距離を開けてもらっている。


 晴れた青空の日はまだ高く、波打ち際では穏やかな波が行ったり来たりと繰り返す。

 夏の日差しが強いものの、弱い風があり、暑さも和らげてくれている。


 気持ちいい夏の日である。


 玉砂利の海岸に寝転ぼうと、頭の位置の石を均らした。すると、透明感のある緑色の小石を見つけた。

 その小石は、他の石と違い丸みがなく角ばっており、手に取ってみると見た目より重く感じる石だった。


 翡翠ひすいだ。


 強い日の光に反射する翠色冷光すいしょくれいこうの石は、なんとも神秘的で綺麗な輝きを放つ。

 翡翠は、古代に勾玉として珍重された石であるが、時代を下る奈良の世ではその意味も失われ、そのまま数百年が過ぎた。


 今では海岸に打ち上げられた翡翠を見つけても、それを拾う者は誰もいない。

 明人相手ならばまだしも、今の日の本では翡翠に価値を見いだす人はおらず、石を拾い集めても売れる物品にはなり得ないからである。


 翡翠の価値と意義は、時代とともに他の物に取って変わられたのである。

 稀少性や交換価値といった点では金銀に変わり、厄を祓い繁栄を願うという点では仏像や経典に変わった。

 しかし、時代とともに翡翠から金銀や仏像などに変わっても、変わらないものがある。


 それは、願いだ。人の願いである。


 食べる物がなくてひもじい思いをしなくても良いように、病気や怪我にならず安らかに健康でありますように、不条理な争いに巻き込まれないようにと人は願うのである。

 その願いは、自分を思ってのことであり、家族を思ってのことであり、そして、大切な人々を思ってのことである。


 そして、その願いが続くようにと物に託す。




 俺は、浜辺に寝転がる。


「月さん」

『受信した』


「これ、見えるかな」

 翡翠を握った手を開き、遥か天空の彼方から石が見えるようにする。


『緑色のナトリウム珪酸塩鉱物でよいか』

「なるほど、よく分からん」

『異なる鉱石の意味か』


「いや、月さんが言うことで多分合っていると思う。でも、俺たちは、この石を翡翠と呼んでいるんだ」

『了解だ。では、翡翠と呼ぼう』

「それで、今、俺がいる場所から青海屋敷までの海岸に落ちている翡翠を探して欲しい」

『了解だ。基準は提示せよ』


「基準?」

『そうだ。精査には基準が必要だ。どのような翡翠が精査対象に該当するのか。翡翠の大きさ、翡翠の色の基準が必要となる』


「なるほど。じゃあ、この手にあるぐらいの石で」

『了解だ』


「よろしく」

『ところで幸稜、翡翠の用途とは何だ。翡翠という鉱物に利用価値があるとは思えない』

「価値か。そうだな、この石に価値を感じるのは俺だけかも知れないな」

『幸稜だけが?』


「月さんが言うように、この石に価値はないかも知れない。でも、価値はなくても願いはあるんだ」

『願い?』

「この石、翡翠を小袋に入れて大事な人たちに守りとして渡そうと思っているんだ。守り石が、その人を災いから守ってくれますようにと願ってね」


『幸稜は、石が人を守ると言うが、そのような石に防御効果は期待できない。金属を加工した鎧の方が、多少ではあるが防御効果が期待できる』


「ははは、確かに」

『では、なぜ、翡翠なのだ』


「石は関係ないよ。これは願いなんだ。石でも、札でも、髪でも、何もなくても。無病息災を願う気持ちの問題だからね。ただ、物に表した方が分かりやすいからだよ」


『それは、非科学的である』

「まあね。その通りの非科学的な話さ。でも、人はそれでも非科学的な物にすがって祈る。自分の非力では、どうしようもない病や災いを少しでも避けられるようにね。それだけ、相手を大切に思っているって事さ」


『内容は理解した』

「しかし、それでは人類を知的生命体とは認められないとか?」

『その通りだ』


「ねえ、月さん。人が、何かに、願わなくてもよい時代はくるのかな。五百年先か、六百年先か、はたまた千年先か。そうなったらいいな」

『それは予測できない。人類自身が決めることである』


「そうだね。俺も未来の心配をしても仕方ない。今は難しくても未来に生きる者たちが、考えて決めればいい事だ。俺は、今できる御膳立てをするだけだし」


『知的生命体への進化を祈ると言うことか』

「まあね。よし、月さん、石の話はこれぐらいで、本題にかかろう」

『了解した』

「まずは、東ヨーロッパの状況を教えてくれ」

『ヴォルガ川を塞き止めて約3ヶ月。東ヨーロッパ平原には水没した町や村が出始めた。それに合わせたようにモスクワ大公国の軍事行動が増加している。公国軍が西進しリトアニア軍と軍事衝突したことは数度確認している。だが、その後の軍事行動の状況からリトアニア全土の占領には至っていないと推測される』


「なるほど、征服はできず膠着状態だということだな」


 もっと簡単にイワン雷帝がリトアニアを征服するかと思っていたが、意外とリトアニア軍が優秀なようである。


 この時代のリトアニアは、リトアニア大公国のことで、21世紀のバルト海沿いの小国リトアニアとは異なり、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナに跨がる広大な領土を誇るヨーロッパ最大の国であった。

 しかし、広大な領土を治めている割に人口は少ない。

 人口が少ないと言うことは兵力も少ないと言うことで、東から侵攻してくるモスクワ大公国に徐々に押されているのが現状であった。


 数年後、ウクライナ大公国は、度重なるモスクワ大公国の侵攻に対抗しきれなくなり隣国ポーランド王国との併合で対抗していくことになる。


「雷帝さん、早くしないとポーランドとリトアニアが一つになって対抗してくるぞ。母国が水没する危機意識が足りないんじゃないのか。急がないとモスクワが水没するからな」


『モスクワ公国軍は西進を止め南進している』

「南進?」


『そうだ、幸稜が言うウクライナ、クリミア地域への軍事行動を確認している』

「と言うことは、クリミアを巡ってオスマン帝国と激突しているのかな」


 オスマン帝国はスレイマン一世が治めている時代。

 スレイマン一世と言えば、オスマン帝国の全盛期を築いた人物である。


 13世紀末に現れたオスマン勢力は、当時トルコ東部に存在した小領主に過ぎなかった。だが、歴代のオスマン領主たちは徐々に周囲の勢力を飲み込み、領土を勝ち取っていった。

 常備歩兵軍イエニチェリの創設も大きかったと言われている。


 そして、16世紀のスレイマン一世の時代には、中央ヨーロッパ、小アジア、北アフリカ、アラビア半島、メソポタミアを領土とし、周囲の国々を臣従させている超大国であった。


 クリミアも大国オスマン帝国に臣従している国の一つ。

 そこに攻め込んだモスクワ公国軍に対抗すべくオスマン帝国が介入してくるのは目に見える。


「こりゃ、面白い。ロシアとトルコの因縁の対決の始まりかね」

『引き続きの観察でよいか、それとも介入するか?』


「現状のまま観察しててくれ」

『了解だ』


 雷帝は領土より食糧を優先した。まあ当然だ。

 食い物がなければ人は生けていけない。

 そして、ウクライナ、クリミアは穀倉地帯。

 先に、食い物の実る地を占領してロシア人を移住させるのがイワン雷帝の計画だろう。

 だから、雷帝はリトアニアからウクライナを取っただけで西進を止めて、さらなる穀倉地帯を求めて南進した。


 もしかしたら、水没しだした領地を持つ貴族たちに突き上げを食らったのかも知れない。

 まずは様子見とするか。


「ウクライナはともかくクリミアでは雷帝と壮麗帝のどちらが勝つかね」


 雷帝はモスクワのイワン帝、壮麗帝とはオスマンの皇帝スレイマン一世だ。


『予測はできない』

「まあ、勝つのは、どちらでもいいんだけどね。勝つにしろ敗けるにしろ、イワン雷帝の公国軍はモスクワを捨て、新天地を目指すしか手はないからな。いずれにしてもウクライナだけではやっていけない。騒動はこれからだ」

『では、その騒動を見逃さないよう観察していよう』


 どうやら、当初の目的は達成できそうだ。ロシア人の目を西に向かわせ、コサックの東進を防ぐ。そのために、ヴォルガ河を塞き止めた。


 よし、よし。


「月さん、観察よろしく。次に東の明はどうかな」

『幾つかの城塞都市の大火を観測している。大集団同士による戦いの余波による火災と推測される』


「想定通りに反乱か一揆が起きたんだろうな。さすが、悠久の歴史を誇るだけあって王朝の崩壊パターンから外れないね。これからもっと反乱とかは増えるだろうな」


 外海屋の交易を通して伝え聞く処によると、明朝は第12代皇帝の嘉靖帝かせいていが治めている。

 この皇帝は、すでに還暦を迎え在位40年を越えるという長い期間の統治者らしい。


 即位した頃は、前帝時代の悪習や専横する家臣たちを一掃したらしいが、その後、明朝後期の皇帝たちと同様、朝政に関心がなくなり家臣たちに丸投げしているとのことである。

 では、丸投げした皇帝が何をやっているかと言えば、道教に熱を上げているらしい。

 さらには道教に通じる者たちを高官に登用して、政に当たらせるまでになっている。

 皇帝は表に一切顔を見せず、居城である紫禁城にはいないのではないかとまで噂されているのだ。


 上が不在であれば、下が勝手をするのは世の常。


 明朝もその例に漏れず、高官たちはお互いの足を引っ張り合い、役人たちは私腹肥やすことに余念がない。

 国中に不正が蔓延している状態である。


 切っ掛けさえあれば、反乱や一揆は起こる。


 先日の星降りといった凶事で、不満の蓋は開けられた。散発的に反乱や一揆が起こっていると思われた。


 高官や役人の腐敗で国政が坂を転がるように悪化していく中、軍事を任された将軍たちがそれに手を貸すことはないようだ。

 将軍たちも私腹を肥やしたかったのかも知れないが、できなかったと言うのが正しい。


 明朝は、北虜南倭ほくりょなんわと言う強力な外敵が存在しているからだ。


 北虜とは、モンゴル系の勢力で度々、長城を越えて明朝に侵入を繰り返した。明朝はその圧力に敗け、朝貢ちょうこうを認めることで懐柔を図っている。


 明朝がモンゴル勢力を認め貢物を受け取り、膨大な返礼品を返す。それが、朝貢だ。

 モンゴル勢力から明朝への朝貢には臣属するという意味はなく、実質的には明朝が損をする交易でしかない。朝貢という名のみかじめ料を払っているに過ぎないのである。


 一方、南倭とは倭冦のことだ。

 一世紀前の倭冦は日の本の人間だったが、今時は明人が主体となっている。


 こちらも倭冦と戦いながら、倭冦の黒幕である日の本には朝貢をちらつかせて懐柔を図ろうとしているのだ。

 と言っても倭冦の黒幕を日の本と思っているのは明朝の妄想だ。


『こちらはどうする』

「こっちも、しばらく様子見で」


『了解した。では、観察を続ける』

「月さん、よろしく」


 こちらも想定通り。さて、次の一手を打つとしたらどこだ。


『幸稜、例の小惑星はどうする』

「例のあれか。…別のよい考えが浮かばないから今のまま移動させてくれ。できれば手荒な真似はしたくないんだけどな」


次回、姫様と侍女


さて、日本はどうでも良いが、世界をどう変えようかな。(幸稜談)

次回投稿は月曜日予定。

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