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愚か者と師(前)

 

 永禄五年(1562年)八月、越後、青海屋敷にて

 海野幸稜



 まさか、敵を欺くにはまず味方を欺くの策の当事者になるとは思わなかった。

 まったく、恐ろしい爺様たちである。


 使えるものは、何でも使えである。


 仲良くなったと思っていたのに、うっかりすると本人も知らないうちに策に使われてしまう。


 本人も踊らされていると知らなければ、それは、偶然であり、運命だと受け入れられる。

 しかし、裏にいる者によって踊らされていると知れば、それは、必然となり、運命ではなくなる。


 自分で道を選べないようでは運命とは呼べない。自分の意思で選んでいるからこそ、運命なのである。


 いやはや、爺様たちを見習わねば。


 人を操るためではなく、人に操られないために。




 河田長親との顔合わせの後、村上様に槍稽古に付き合わされた。

 深志城から離れた所にある開けた野原で、護衛たちが見守る中、二人だけで稽古をつけた。

 と言えば聞こえは良いが、一方的に俺が打ちのめされただけ。


 その稽古の間に村上様が言った。


「よく、やった」と。


 くー、そんな一言だけで納得すると思うなよ。納得なんかしないからな。


 と心で叫んだものの、かなり嬉しかったようで顔に出ていたらしい。

 槍稽古で打ちのめされているのに、だんだんと笑顔になっていく俺の様子が気味悪かったと、鳶兄弟に言われた。


 今、思い返しても解せぬ。


 村上様からは誉めの言葉の他に色々認めてもらったことがある。


 だから、家臣たちを交えて今後の対策を伝えねばならない。


「これから、評定を始める」


 おれは、青海屋敷に集まった海野家臣団の顔を見回した。


 集まったといっても五人ほど、うち一人は家臣と呼べるかどうか。


 鳶角雄

 鳶段蔵

 諏訪勝頼

 真田昌幸

 武田信虎


 五人は、上座の俺の目の前に並んでいる。


「さて、このほどの越中戦は、まったく不甲斐ない敗け方であった。援助を乞うてきた椎名殿を助けることもできず、敵の策略にはまり、一戦もする事なく越中から逃げ、上杉の名を辱しめた。我ながら情けないかぎりである」


 勝頼だけが悔しそうにうつむき、握った拳に力が入ったのがわかった。

 鳶兄弟と昌幸は、終始、能面のような表情でこちらに目を向けている。

 一人、信虎の爺様だけが、これから俺が何を話すのかと興味ありそうな目をしている。

 武田信虎は、俺の家臣という訳ではないが、意見が欲しいと勝頼経由で頼み、この評定に参加してもらっていた。


「不幸中の幸いだったのは、一向宗勢の目先が能登に向かったことだ。武器具足の売買で和睦になれば良いと思っていたが、上出来である。昌幸、よくやった」


「はっ」


 昌幸が俺に頭を下げた。そして、昌幸の頭がもとに戻ったのを確認して、俺が頭を下げる。


「信虎殿、助かりました」

「なんの、なんの」


 内海屋の佐吉とともに一向宗との交渉内容を考えていた昌幸に知恵をつけたのは、信虎だった。


 武器具足を高値で取引するだけでは、神保一向宗勢の足止めは難しいと考えた昌幸は、信虎を頼ったのである。

 既成概念に捕らわれ、俺が考えたような撤退策を思いつかなかったことに、己の能力を下方修正したらしい。


 昌幸の問いに信虎は、「先の利を付け加えるのが良い」と助言した。


 上杉勢から得た銭で寺を作るだけでなく、一向宗を拡げるための戦いの資金にするのである。そのためには、上杉を攻めるのではなく、能登、越前を攻める。

 たまに、越後を攻めるふりをして、弱い上杉勢を呼び寄せ打ち負かし銭を得る。

 上杉の銭を使って、北陸に覇を唱える。


 一向宗は、商人との取引に応じた。

 上杉方、越後商人、越中商人を跨いでの取引が実った結果である。


 俺が頭を上げると、信虎が顎を擦りながら言い始めた。


「面白き考えは、深き者より出、つまらなき考えは、浅き者より出るもの。各々方は、若い、精進されよ」


「はい」とは答えたものの、信虎の言葉の意味はわからない。しかし、信虎の忠告に便乗してかねてからの計画を実行することにした。


「勝頼、昌幸、お前たちには失望した。期待した俺が愚かだった」


 痛い。


 勝頼と昌幸の二人の視線が痛い。「急に何を言い出すんだ、こいつは」という視線である。

 俺の言葉は、上司が部下に敗戦の原因を擦り付けるように聞こえたのだろう。


 勝頼なぞは、一瞬にして顔を赤くし怒っているのがわかるほどで、先ほどまでの一向宗勢に敗けたことを悔しがる顔なぞどこへやらである。


 二人の怒りの眼差しを無視して、自分に言い聞かせるように続けた。


「勝頼がもっと優秀であれば、出張ってきた敵に一撃を食らわせて、松倉城に戻れたかもしれん」


 声を出そうとした勝頼を無視して、畳み掛けるよう昌幸に言葉を投げる。


「昌幸がもっと優秀であれば、敵の策略に気づき反対に罠を仕掛けられたかもしれん」


 初めて昌幸が、悔しそうな目になった。そして、拳が握られた。


「しかし、もっとも愚かなのは俺自身だ。お前たち二人がいれば戦に勝てると都合よく考えていた。上杉の名があれば誰もが怯み、簡単に勝てるものだと思っていた」


 勝頼を見た。

 昌幸を見た。


「俺たちは、三人揃って愚か者である」


 な、そうだろ。勝頼、昌幸。


「俺たちに、もっと武略があれば。俺たちが、もっと思慮深ければ。これほど、情けない敗け方はしなかった。海野の名も、諏訪の名も、真田の名も、嘲りを浴びることはなかっただろう」


 違うか。


「俺は、愚かだった。だが、お前たちにすまんとは言わない。勝頼、昌幸、お前たちも俺にすまないと思うな。そのようなことは不要だ」


 勝頼と昌幸の顔から怒りはなくなっていた。


「なぜなら、俺たちは生きて、今、ここにいる。だから、俺たちは次にやることがある。お互いにすまないと思っている暇などない」


 わかるか、二人とも。

 俺たちが、次に何をやらなければならないか。


「そうだ。俺たちは若い。だから、精進せねばならぬ」


 さて、ここからが本題だ。


「お前たちが、本来、師として仰ぎ、教えを乞う相手はもうおらぬ」


 信虎が、つまらぬ顔になった。


 勝頼、昌幸の本来の師とは、武田信玄である。合戦に、内政に、武略に、知略に、敵う相手なき武将だった。

 しかし、その目標とすべき人物はもういない。教えを乞う相手はもういないのである。その人物は、星降りとともに消えた。


「師がいなくとも己を鍛えることもできよう。だが、師がいれば、より強く、より高く、自分を鍛えることができる。お前たちには、師が必要だと俺は考えている」


 だから


「勝頼、もっともっと強くなれ。日の本一の強者と呼ばれるように強くなれ」


 だから


「昌幸、もっともっと賢くなれ。日の本一の策士と呼ばれるように賢くなれ」


 勝頼、昌幸、お前たちならできる。


「お前たちに、師を用意した。二年間、師のもとで精進せよ。よいな」


「はっ」と言って昌幸は頭を下げる。勝頼は黙って頭を下げた。


 俺は二人の前に書状を差し出した。

 むろん、二人の師なる者たちに宛てた挨拶文である。二人をよろしく頼みますと書いてある。


「昌幸、お前には、俺が知っている当代一の賢き者に師をお願いしてある。配下二十名を引き連れ、賢き者の高みを知ってこい。お前がいるべき高き場所を見てこい」


「はっ」


「お前の師は、美濃にいる竹中重治たけなかしげはる殿だ。美濃でお前を待ってくれている」

「はっ」


 昌幸の良い返事があった。


 信虎が、竹中重治と聞いて「ほう」と洩らす。活動的な信虎のことだ。まさか本人と面識があるわけではなかろうが、噂を聞いたことがあるのかも知れない。

 また、忍びを使う者である昌幸も、重治のことは聞いたことがあるかも知れない。


「さて、勝頼、お前には、俺が知っている当代一の強き者に師をお願いしている。配下二十名を引き連れ、強き者の戦いを見てこい。相手は戦の天才だ。その高みに登れずとも、高さを知ることはできる」


 頷く勝頼。


「お前の師は、武蔵の江戸にいる軍神上杉政虎様だ。相手が御屋形様だからと、お前に武田の血が入っているからと遠慮するな。御屋形様は、そのような些細なことを気にするような方ではない。遠慮するとお前が小さくなる、遠慮せず大きくいけ」


 再び頷く勝頼の横で、信虎が驚いた顔をした後でニヤリと笑った。


「勝頼、昌幸、早速、準備し出立せよ。お前たちの二年後の姿、期待している」


「「はっ」」


 勝頼と昌幸は、揃って頭を下げると文を携えて評定の間を後にした。

 下がる二人は、ともに首筋が赤くなっていた。興奮しているのがわかる。


 上出来だ。





「海野幸稜、面白き小僧よ。儂にも言いたいことがあるのだろう」


 評定の間、ずっと顎を擦っていた武田信虎が俺に尋ねた。


 もちろんですよ。だから、この場に来てもらうように声をかけたのです。


「信虎殿に、お願いしたいことがあります」

「聞こう。面白き話でなければ断るぞ、言うてみよ」


「はい。勝頼、昌幸は見所ある者たちを連れて武蔵、美濃へと行くことになりましょう。根知に残った者たちの面倒をお願いしたく」


「うむ、儂は構わぬが。それでは、お主が困ることになろう。口さがない者たちは、村上義清が海野に武田の遺臣を集めさせ、よからぬことを企んでいると言っているようだが」


 さすが、武田信虎、耳がいいな。


「それは、おそらく、北条、織田あたりの揺さぶりです。村上様は、御屋形様からの恩を仇で返すような方ではありません。忠義の厚い方でございます。そのようなことは考えておりません」


 信虎は、「ふん」と鼻から抜けるような息をすると凄みのある笑顔を俺に向ける。

「世の中、どうなるかなど、わからぬぞ」と信虎の目が言っている。

 息子や家臣から国主の座を追われた信虎ならではの凄みが伝わってくる。


「ですが、信虎殿の言うことも一理あります。ですから、勝頼も昌幸も外に出すことにしました。また、無用な疑いを避けるため、信虎殿を客将や海野の家臣とすることもできないのも事実です」


「つまらぬのう。儂が残った者どもの面倒を見るとして、いかがする」


「先日、根知城代を河田長親殿に引き継いできました。根知に残る諏訪、真田、根津、望月の者たちは、役人として河田殿に鍛えてもらいます。半分は、直臣にも取り立てくれるとのこと」


「河田長親とて上杉家中では、臣もなく味方も少ない。臣が持て、海野や村上に恩が売れる。無欲と言う訳ではあるまい」


「正に、ですが、それは、海野も同じです。長親殿とは同じ家の者たちを家臣とする伝ができ、信頼できる味方となりましょう。欲なくして長親殿に頼んだ訳ではありません」


「喰えぬ奴だ」


「まだまだ、ですよ」


「ふん、まあよい。であれば根知に残った者たちは、儂が面倒をみることなど不要であろう」

「いえいえ、信虎殿に面倒をみてもらわねば困る者たちがいます」


「ほう、誰じゃ」


 俺は、信虎に向かってニヤリと笑った。

 俺が何を頼もうとしているかは、さすがの武田信虎でもわかるまい。



次回、愚か者と師(後)



長くなったので前編、後編に分けました。

勝頼、昌幸の成長が楽しみです。

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