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半手と奇策、奇策

 

 永禄五年(1562年)六月、相模小田原にて

 北条氏康



 評定の間には北条家配下の主だった武将が集まっていた。そこに、最後の人物として北条氏康が現れ、上座に腰を下ろした。


 氏政が、評定の進行役に頷く。

 進行役は、北条方の諜報役の者だった。評定に集まった武将たちに顔を一巡させると話始めた。


「各々方、評定を始めまする。まずは、氏照うじてる様、綱成つなしげ殿、政繁まさしげ殿は上杉方の備えとして各々の城におりますゆえ不在でございます」


 進行役が不在と言った三人は、北条方の主要な人物たちである。


 北条氏照は、北条氏康の三男。北条家の主な合戦に主将として北条勢を指揮してきた男である。

 北条綱成ほうじょうつなしげは、北条五色備ほうじょうごしきぞなえの一人。数多の敵将の首を討ち取ってきた剛の者。

 大道寺政繁だいどうじまさしげも北条方の重要人物。三家老衆の一人であった。


 不在の三人は、関東に居座る上杉政虎や上野から武蔵攻略を狙っている上杉勢の備えとして、最前線の城で指揮を取っているのである。


「さて、始めの議事は江戸の事でございます。江戸城に近いところで半手に応じる村が現れました」

「なんと」

「その村はどこだ」

「仕方なかろう。半年以上も上杉勢は江戸を押さえているのだ。今頃とは、遅いぐらいではないか」

「いいや、見逃すことはできん。見逃せば他の村にも拡がろう」

「拡がったとて、せいぜい江戸周辺よ。それほど恐れることはあるまい」

「数の大小ではない。上杉方になびく村が武蔵にあることが問題なのだ」


 進行役の議事により、評定衆の荒立った声が飛び交う。


「各々方、結論を急がずともよいであろう。先を続けよ」

 氏政が、声を上げる評定衆を静ませ進行役を促した。


 その氏政と評定衆の様子をじっと見る。


 進行役が評定衆に話している内容は、すでに、儂や氏政には上がっている話だ。

 忌々しい話だが、儂も氏政もよい策を思いつけなんだ。


 進行役は、氏政に頭を下げると話を先に進めた。


「はっ、上杉方は、江戸近くの村々には半手も二重成ふたえなしも迫ってはいないようです」


 半手や二重成しとは年貢の徴税方法のことである。

 戦国時代に敵味方の勢力に挟まれた村では往々に存在した徴税のやり方なのだ。

 半手とは両勢力に年貢の半々を納めることを言い、二重成しとは、両勢力に二重に年貢を納めることを言う。


 争いの境目にある村の悲劇であろう。二重成しなどは略奪に近い。しかし、村が生き残るためには、従うしか仕方ない道であった。土地を持って逃げる訳にはいかない。


 だがこの時代、村は悲劇に甘んじてはいない。いよいよの時は一揆で領主たちと戦う気概を持っている。

 だからこそ、村々が半手や二重成しで敵味方の両勢力に年貢を納めることは、領主からは黙認されていた。


 敵たる相手に年貢を納めぬように言うことは容易い。だが、それを言うと同時に、相手の敵を追い払うだけの力が領主に求められたからである。

 力なき者に、年貢をとやかく言う資格はない。誰に年貢を納めるかは、村々が決めることなのだ。


 ゆえに、北条方に年貢を納めていた村が、その年貢の半分を上杉方に納め出したということは、珍しい考え方ではない。

 しかし、村がそう決めたということが問題なのである。

 北条勢では、村を守ってもらえないと村が考えたのに他ならないからである。


「なんと、まさか、村が勝手に」

「北条方より上杉方が勝ると考えたのか」

「近隣の村を引き締めねばならぬのでは?」

「いや、待て。それは、おかしかろう。上杉方が求めておらぬのに、なぜ、村が半手を選ぶ。半手を選ぶ必要などあるまい」

「なるほど、そうだのう」

「どういうことだ。子細があるのだろう」


 進行役は、評定衆たちに深く頷いた。


「各々方が考える通り子細がありまする。皆様がご存知の通り、上杉方は江戸城を大きく作り変えています。新しく堀を作り、櫓を建て、塀を並べ、それは山を削り海を埋めるがごとくの作り変え」


 評定衆も進行役に頷く。上杉方の噂を皆、聞いている様子である。


「では、村の者たちは江戸城が大きく拡がっているから半手を申し込んだと。上杉方の江戸城を北条方は落とせないと見込んで」

「待て、待て、まだ話の先があるのだろう。最後まで話を聞こうではないか。今、急いても仕方あるまい」

「…続けてくれ」


「そして、江戸城の普請での上杉方の銭払いは気前よいとのこと。そのため、その銭欲しさに江戸近郊の村の者たちのみならず遠く離れた村から次男や三男といった男たちが、江戸まで出て雇われております」


「うむ、それで」


「さらには普請に集まった者相手に商売をする者や女たちも集まって、江戸の村は町といったほどの賑わいとのこと」


「北条と上杉が合戦の最中だというに。欲深い者たちよのう」


「しかし、上杉方は無秩序に江戸の町が大きくなるのを嫌い。町割を行い、普請の雇い方を変えました」


「雇い方?」


「はい。上杉方に半手や二重成しを行う村の出の者であれば、さらに追加で雇い銭を出すと触れを出したようなのです」


「なっ」


「それで、雇われている者たちが、自分の村に圧力をかけているようです。上杉方に半手を申し込めと」

「まさか、それで村が上杉方に半手を」


 進行役が、おもしろくないといった風情で口を一文字に閉じ、首を縦に振った。


「なんと、げに恐ろしきは銭の力。いや、欲か」

「このままでは、上杉方に与する村や半手に応じる村が増えることは必至。これを止めねば、北条は遠くない日に上杉の軍門に下ることになりましょう。各々方、よき策はありませぬか」


 村とは人である。人とはすなわち戦力。ゆえに村を失うということは戦力を失うこととなる。


「噂では、次は江戸湊の普請が始まるとの事です。さらに江戸に人が集まることになりましょう」


 進行役が言った通り、このままでは、北条は武蔵で力を失う。


 策はないかと問われた評定衆は、皆、苦虫を噛みつぶしたような顔をする。


 上杉方を攻めて武蔵の民に北条の力を見せつければよいと言いたいところであるが、これまでの合戦では上杉方にことごとく敗けている。


 相手が少数であることと、逃げ込める城が近く北条勢の引き際がよいことで大敗けには至っておらぬだけ。

 憎々しいほどに上杉政虎の率いる上杉軍は強い。勝ち手が見えぬ。

 その上、このように上杉政虎が武の力だけでなく商の力で北条に戦いを挑んでくるとは誰が予想しただろうか。


 絶えず江戸湊に入ってくる大きな南蛮船といい、湯水のように銭を使って江戸城を普請することといい、政虎の背後には越後商人の巨大な力があるに違いない。

 京の都から、堺の町から、越後商人の羽振りのよさが小田原まで聞こえてきている。


 いや、裏を返せば、いまだ政虎は力攻めできぬのだ。昨年のような六万を超える軍勢を集め、小田原を攻めたような力はない。だから、商の力で我らを弱らせようとしている。


 まだまだ、我らの攻め手だ。何ぞ、よい策はないものか。


「すぐに、皆もよい策は浮かばぬだろう。次の議事を進めよ」

「はっ」


 声が出なくなった評定衆を見て、氏政が次を進行役に促した。


「では、次は報告でございます。先日は一戦もせず会津に引き上げた蘆名勢についてでしたが、本日は越中での合戦の結果についてでございます」


「して」

「越中での、一向衆勢と上杉勢の合戦は、一向衆勢の勝ちでございます。上杉勢は、越中から兵を退いたとのこと。越中の椎名家もいっしょに越後に逃げたようにございます」


「おお、それはよい知らせだ」

「そうよのう。勝った一向衆勢が、そのまま越後に雪崩れ込めば、上杉政虎も越後に戻らざる得まい」

「これはよい。これはよい」


「大殿、殿、どうされました。よき知らせではありませぬか。そのような浮かぬ顔ということは、これも江戸の話のような裏があるのですな」


 この一言で、一向衆勢の戦勝を喜んでいた評定衆が静まり、儂と氏政の顔を読もうとする。

 氏政が、先を続けよと進行役に目配せをする。


「上杉勢に勝った一向衆勢は、能登攻めの触れを出しているとのこと。そして、能登を落とした次は…」


「しばし待たれよ。能登だと」

「能登の前に、越後であろう」

「坊主どもが、まさか、そのようなことを考えているとは」


「能登の次は、越前の朝倉家を攻めると一向衆の坊主どもは言っております」


「馬鹿な」

「越後を後回しにするだと」


「神保長職が、越後攻めを先にすべきだと一向衆の坊主に主張したようですが、上杉政虎のいない上杉勢は弱い、いかようにもなる。先に能登と越前を喰らい、北陸に一向衆の王国を造るのだと息巻いたそうにございます」


「有り得ぬ」

「越中から上杉勢を追い出したとは言え、上杉政虎が戦に敗けた訳ではない。能登や越前を攻めている間に上杉方は立て直すぞ」

「正に、やはり坊主。戦ことは疎い」

「いや、加賀を治めているぐらいだ。そのくらいはわかっていよう」


「我らを利用する気か。我らが上杉政虎と対峙している間に、一向衆の領地を拡げ、大きくなって上杉を喰らうと」

「越前まで喰らったならば、次は京を押さえることもできよう。そうなれば、畿内は一向衆の領土となる」

「それこそが、狙いか」

「坊主どもめ、我らを利用しよったな」


「いや、そうではあるまい。一向衆の考えが変わったのは、おそらく、越中で上杉勢に勝ってからだと思うのだが」

「誰かが、一向衆の坊主たちに知恵をつけたのかも知れぬと言われるのか」


「まさか、上杉方が? 一向衆をそう仕向けるように上杉勢が、わざと敗けた訳ではあるまい」


 そのまさかであろう。


 包囲戦で一戦もせず、一兵も失わず切り抜けることなどあり得ない。始めから、そのような策を仕掛けていたのだろう。


 蘆名勢に仕掛けた奇策。奇策のお陰で阿賀北衆が帰郷する時が稼げた。

 そして、今回の一向衆勢に仕掛けた奇策。一向衆の目を一時的に越後から反らすことができた。


 越後の知恵のある者が、そのような結果を狙って仕掛けたのだ。


 江戸といい、越中といい、相手があるということは、ままならぬというものよ。


「越中での一向衆勢と上杉勢の合戦の子細を皆に伝えよ」

「はっ」

 氏政が、進行役に命じた。


次回、城代返上と答え合わせ



上杉の奇策に翻弄される北条。

しかし、このままというわけではありません。

反撃の手を考え、そして、仕掛けて行きます。

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