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【長編ダークファンタジー・完結済み】煙だけを食べる  作者: 佐藤さくや
第一章 原風景
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九 欲


 九 


 音声と文字のやりとりには使えるが、さすがにインターネットは無理だった。それでも、充電する必要がないということは便利だった。

 すでにそのスマートフォンは、瀬木根の行動を管理するものの、一つとなっている。


 瀬木根の認識は、大きく変わっていた。瀬木根も、もうそれが当たり前になっていた。街と暮らしに慣れたということだ。


 ログアウトしない。


 ログインもしない。


 そもそもそんなものは、存在しない。存在しなかったものを、そうだと認識していた。あの街で自分が世界だと思っていたものは世界ではなく、能力で巧妙に作られたものだった。いや、世界という言葉の認識から、もはや間違っている。


 あれはただの規則だ。自分は規則に縛られていて、それを世界だと感じていた。


 宮内のところに来てから、より生活は現実味を増したと瀬木根は思う。


 宮内に小さなノートとペンを渡された。気づいたことはここに書き記せと言われた。つまり、業務日誌らしい。それはみせなくとも、宮内にはわかるというものだった。宮内の持つ能力の一つだ。


 少なくともこの世界には、季節はないらしい。ただ、他の世界にいってみて、季節というものの存在は認識した。


 壊れたように季節が回る世界があった。いくたびにその世界は季節が違った。雪が降っていたり、いきなり乾季になったりする。


 そういう世界にも生き物はいた。天子ではなかった。骨だけの生き物だった。犬のような形だったり、牛などの家畜のような感じのものもいた。死神の能力かと思ったが、そうではなかった。骨だけで生き、群れをなして走り回っていたりして、上空からみていると、なかなか面白いものがあった。




 持ち場をみて回り、ノートにその記録を残す。他にはなにをしても自由だった。


 少し前から羽村の元を離れて、一人で行動していた。宮内がそれでいいと言ったのだが、羽村はまだ早いと反対していた。だが夜には必ず、宮内のいる世界に戻る。


 宿はずっと同じ場所を使っている。


 街の中にある料理屋の二階だった。二階は一部屋しかなく、要は、物置を借りているだけだったので、気兼ねなく使うことができた。


 料理屋は夜になると酒を出す。街の中央にあるせいもあって、常に誰かの声が聞こえてくる部屋だった。


 静かだと余計なことをまた考えてしまいそうなので、都合がいいと瀬木根は思っていた。


 変わらず、いつも話し相手はグレイだが、渡部と話をすることも多かった。


 世界をつなぐ能力を持ち、他の死神の移動を助けているのは渡部だけではない。ただ、いまのところ、瀬木根は渡部が管理している世界にしかいかないので、自然と渡部との会話も増えていた。


 赤羽たちとの時間を忘れたというわけではなかった。


 そういう半端なところは、相変わらずだ。




 渡部が、先に春木のことを切り出した。


 自分が迷っているということに、渡部は気がついていた。


 渡部が自分を責めるつもりがないことは、十分わかっていた。渡部は、春木の話をしないようにしていた。


 自分と春木が戦ったことはしっていたが、どういう理由でそうなったのか、渡部はしらない。自分もしらないが、渡部は一度も聞いてきたことはない。


 このまま忘れた方がいい。


 渡部は、そう言う。その方が心は楽だと思う。しかし、自分の意志でどうにかなるものでもなかった。時間が経てば、影は薄れていく。それに任せるしかないと思う。


 それでも、いつか正太郎という存在と巡り会う。それは、ほとんど確信だった。それまでに、自分は完全に影を忘れることはできない。ここにいる限り、誰かの中にいる春木をみてしまう。


 当然、渡部の中にも春木はいた。




 薄暗くなった街に、瀬木根は戻ってきていた。 


 火の明かりにいき交う天子たちが照らされて、いくつもの影ができている。それをみると、瀬木根は今日が終わったんだなと思う。


 夜は眠った。移動距離がかなりあるので、毎日、グレイから能力を引き出して使う。すると、回復はしっかりしたものでなければならない。疲れると眠たくなるというより、意識が遠のく。そして、座り込んでしまう。


 いまは、自分の能力の器のようなものを把握しているので、どこかで動けなくなるということはない。初め、数回そんなふうになり、羽村が自分を探しにきたこともあった。それがあったので羽村は、自分の一人立ちのときに強く反対したのだった。でも、子ども扱いされるのはもういいと思った。


 一階の店の中へ、瀬木根は入っていく。グレイは頭上でふわふわと漂っているが、天子たちはもう慣れているので、驚きはしない。


 店は空いている席が、数えるほどしかない。天子の店員たちは忙しそうにしている。


「瀬木根さん、なににするの」


 店員の一人が、遠くから顔だけをこちらに向けて、大きな声で言った。


「定食で」


「なに、もう一回。聞こえないってば」


「定食大盛りで三人前」


 グレイが、大きな声を出した。


「二人分でいいです」


 瀬木根は慌てて、指を二本だけ立てて、頭上に伸ばした。


 半丈の作業着のようなものを着た天子たちが、笑い声をあげる。みんな体格がよく、腕の太さがあきらかに普通の天子とは違う。


「毎回、定食しか頼まないんだから、そろそろ覚えてくれてもいいんじゃないかな」


 小さな声で瀬木根は言う。


 グレイは近くの席で酒を飲んでいる天子から、なにか料理を食わせてもらっている。犬か、猫のような感じで扱われている。


 奥にある壁の方を向いた細い席で、料理を待った。


 この店はしばらくしたら、移転するらしい。客が増えたからだという。確かに、毎日夜になるとほぼ席は埋まる。


 定食が二つ運ばれてきた。その場で先に金を払う。グレイが飛んできて、隣の席に座る。定食の盆を椅子の上に降ろしてやると、グレイは顔を器に突っ込んで食べ始める。


 飯を食ったあと、瀬木根はグレイを連れて、風呂屋にいった。グレイは湯を張った桶に入れておけば、おとなしく浸かっていた。


 部屋に帰り、窓を開けて通りを見降ろしていると、いつも自然と眠くなる。天子たちの騒ぐ声も、特にうるさいとは感じない。




 朝。目を覚まして、建物の裏を抜けたところにある井戸で顔を洗う。


 出勤の報告。それはスマートフォンで行う。


 宮内は、死神がむやみに能力を使って、天子たちの生活が大きく変化することを望んでいない。


 天子の生活から死神は、ある程度距離をおく。それが、前にあった五稜という神のやり方だという。宮内はむしろ天子の生活の中に、死神たちを溶け込ませようとしている。ここはあくまでもみんなの生活の場だった。


 グレイを連れて、いつも通りに歩いて、渡部のところまで向かう。


「もう少しで花火大会ってのがあるらしいぞ、瀬木根」


「へえ、この世界にも花火なんてあるのか」 


「宮内が作るとか言ってたぞ」


「ああ、そうだよな。宮内さんなら花火も作れるのか」


 建物に入る。青く丸い空間。


「おはようございます」


 椅子に座っていた、渡部が立ち上がる。


「おはようございます、瀬木根さん」


 渡部の隣りに宮内の姿があった。同じように椅子に座って、退屈そうな表情をしている。久しぶりに会う。いや、宮内は、いつもこんな表情をしていたような気がする。


「宮内さん、どうしたんですか」


「お前にちょっと話があってさあ」


 宮内が手を動かすとそこに扉が現れ、開いた。


「こい」


 言われるまま宮内のうしろについて、扉をくぐる。


 背の低い草だけが生えた、丘の上だった。同じようなものが、向こうにもいくつかある。


「ここが、どこだかわかるか」


「いえ。初めてきた場所だと思います」


「そうだな。渡部でも、いきなりここに来ることはできない。遠い場所だ。羽村が管

理している場所の一つだな」


「そうなんですか」


「昨日、あの街が他の国の死神に襲われて、ただ生活していただけの死神が、数人連れ去られた」


 二つの丘の間にある街を、瀬木根は見下ろす。


「連れ去られたというのは」


「能力の盗賊みたいなやつらがいる。そいつらがさらったんだ。で、いまから取り返しにいくからお前もこい。お前の本当の仕事はこれだからな」


「わかりました」


「素直でいいな。羽村がもう、追いかけてる。俺たちもそろそろいくぞ」


 すでに、宮内は体を宙へ浮かせていた。


 グレイに触れ、能力を引き出す。


「ついてこいよ、瀬木根」


 飛ぶ。そして、追いかける。


 さすがに宮内の移動速度は、並ではなかった。瀬木根はグレイと一体化した。それで、速度を楽に上げられる。


 急ぐとは言ったが、宮内がそうしているようにはみえない。ただ、速いのだった。


 丘がずっと続いている。常に下は緑色だ。


 宮内には、なんとかついていった。


 額におかしな汗をかいて、それが流れたとき、宮内は止まった。


 その空中に宮内は扉を出した。なにも言わず、そこに体を入れる。瀬木根も続く。


 今度は青かった。久しぶりにみた。


 海だ。遠くまでみても、陸は目に入らない。ずっと続いている。


 また、宮内が移動し始める。


 前方に、他の死神の背中がみえた。二十人くらいいる。


「追いついたな、瀬木根。よくついてきたな、お前」


「あれは味方ですか」


「ああ、うちの死神だ。俺が呼んでおいた」


 宮内は速度を落として、横に並んできた。


「飛ばしすぎたな。でも、もうつくぞ」


 宮内は自分の頭から流れる汗をみて、心配したようだ。


「大丈夫です、これぐらいは」


 手のひらで額の汗をぬぐい、瀬木根は答える。


 前にいた死神たちが戻ってくる。宮内に呼ばれたと言っていたが、しっている顔は

一つもない。みんな、若い男だった。


「こいつが瀬木根だ。今日は暇そうにしてたから、ついでに連れてきた」


 宮内は笑いながらそう言ったが、集まったその死神たちは誰も笑っていない。むしろ、表情はこわばってしまっている。


 宮内が手を動かす。そこに扉が現れる。


「もう、ここならいけるはずだ。近道しよう」


 宮内が扉をくぐる。他の死神も無言で続く。誰も瀬木根の方をみない。


 瀬木根は最後尾についた。


 瀬木根が扉をくぐると、すぐに扉は消えた。


 光がほとんど感じられない。


 夜なのか。瀬木根は上をみた。空らしい。星が確かにあり、光っている。


 ちゃんとした夜がある世界なのだろうか。前をみると、遠くに小さな光があった。また宮内が扉を出していた。次々に先行していた死神が体をそこへ入れていく。気づかない間に離されていたらしい。


 瀬木根は速度を上げる。


 前の死神のすぐうしろまで、近づいた。その死神が、一瞬だけ瀬木根の方へ目線を向けた。しかし、すぐに前を向き直った。




 扉を抜けると、また明るくなっていた。


 今度は地上だった。道は土でなく黒っぽい小石がきれいに敷かれたような感じになっている。建物が並んでいる。街なのか。


 宮内が動かないので、みんながその場に小さくかたまっている。


「電話は無理かな。いや、一回してみよう」


 スマートフォンを取り出して、宮内は呟く。


「あ、羽村。いま大丈夫?」


 二、三回、宮内が返事をして、電話は終わった。


「すぐ近くに羽村がいる。捕まった住人も、まだ遠くへはいっていない」


 そう言って宮内は歩き出した。能力を使う気はないらしい。


 宮内は、捕まった住人と言った。


 天子たちが、普通に道を歩いている。自分たちが死神だと気づいていないようだ。いままではそんなことはなかった。なんとなくだが、死神だとわかると、街の天子たちは言っていた。


 世界が変わると、自分たちが当たり前だと思っていたことは、簡単に否定される。


 大きな看板がある。隣りの街に入ったらしい。


 誰かが争うような気配はない。


 宮内がどんどん進んでいくので、そのうしろをみんなで並んでついていく。


 横の道から、ふらっと羽村が現れた。


「どういう状況?」


 宮内が首をかしげる。


 不意に、世界が崩れた。


「ああ、失敗した。みんな聞け。これは向こうのやつの能力だから、落ちつけよ」


 宮内の声。能力?


 すべてが揺れている。自分がいる場所が、よくわからない。地震などではない。世界そのものが揺れている。


「相手を移動させてつかまえる、網みたいな能力だから、気をつけろよ。くるぞ」


 宮内は大きな声で言うわけでもなく、いつものように喋っているだけだ。ぐるぐると回る視界。誰かの叫び声が聞こえる。


 砂。黒っぽい、砂だった。辺りがそれで覆われている。揺れがとまった。地平線だ。青い空が上にある。そして下は黒っぽい砂漠。みんな、そこに立っている。


 ずっと一体化していたグレイがなにかに反応して、暴れている。


 黒い砂が、大きく盛り上がった。それを見上げていた。家よりも大きななにかが現れた。黒い四つ足のなにか。


「これ、幻獣って呼んでる、そういう生き物ね。能力で出すけど、向こうの死神が死んでも、こいつら自身が死なない限りは暴れまくるから、厄介」


 のんきに宮内は自分たちの方を向いて、説明をしている。その間にも、その幻獣とやらは、次々に黒い砂の下から現れる。


 囲まれていた。数は十以上だった。


「外倉の国には、こういう能力の奴らが多いんだよなあ」


 幻獣と宮内は言ったが、二本足で立っている人のようなのもいる。


「宮内さん、どうしたらいいんですか」


 誰かが大きな声を出す。


「ここで、派手に暴れてろ」


 そう言うと、宮内の姿は透明になった。そして、その場から気配も消えた。


 地鳴りがした。


 幻獣が一斉に、突っ込んできた。


「散って」


 羽村の声。ほとんどそれと同時に、瀬木根は空を飛んでいた。


 下をみる。それぞれ、その場所から散っていた。


 あの生き物たちは、どうやったら死ぬんだろうか。やっぱり生き物だから、首を飛ばしたり、心臓を刺したり、とにかく急所を狙えばいいのか。


 こちらを見上げている一匹。その幻獣が浮いた。四つ足の獣。それが瀬木根に向かって口を開けながら、飛んできた。真横に動いて避ける。しかし、その幻獣も、直角に曲がって追いかけてきた。グレイが、なにかわめいている。


「わかってるよ」


 振り返り、幻獣の正面に立つ。瀬木根は剣を出した。剣だが、赤羽の能力をまとっ

た薄い剣だった。刃の長さはあまりない。長くしすぎると、不安定になって、実体を保てなくなってしまうのだ。


 胴を払うようにして、剣を振った。あまり手ごたえはないが、斬ったとは感じた。剣は、真ん中あたりから折れている。振り返ると、上下に幻獣は分かれていた。そのまま、落ちていった。


 上。


 思わず、瀬木根は折れたままの剣でその攻撃を受けた。


 剣。鎧を着たような二本足の巨人だった。


 勢いで、瀬木根の体は吹き飛んだ。


 態勢を立てなおして、周りをみると、幻獣の数があきらかにさっきよりも増えていた。小さくてやたら素早い犬みたいなものもいる。距離をとり、巨人と向かい合う。


 もう一度、新しい剣をかまえる。


 下。


 犬みたいなのが数匹、空へ駆け上がってくる。


「前、前。きてるぞ」


 グレイが叫んだ。


 数匹。犬ではなく狼だと、瀬木根は思った。


「燃やしちまえ」


 瀬木根の体が炎に包まれる。しかし、瀬木根は剣をかまえ、飛びかかってきた狼を斬った。


「グレイ、勝手に能力を出すな」


 数匹、まとわりつくようにして追いかけてくる。動きながら、剣であしらう。


 大きく距離を取った。そこで初めて、手のひらを狼に向けた。さっきの巨人の姿がない。


 小さくかたまった狼に、炎を浴びせる。すると、炎を剣で斬りながら、そこから巨人が出てきた。


「なんだ、こいつら」


「グレイ。どっちが本当の姿なんだ?」


「わかんないよ。とりあえず、どっちも殺せば」


 グレイは軽い口調で言うが、目の前の巨人はなかなか手強い。もはや家ぐらいの大

きさのくせに、自分と同等の速さなのだ。押してくる力も尋常じゃない。


 それでも剣と剣がぶつかって、止まった。巨人がいきなり狼になって、弾ける。目前の牙を、瀬木根はなんとかかわした。


 一匹ずつ殺していくか。


「瀬木根、まとめて、焼き殺せよ」


「速すぎて、無理だ」


 空中で、全方位から狼が襲ってくる。


 一匹。


 そいつだけ、常に後ろの方にいる。それに気がついて、瀬木根は狙いを定めた。その狼の方に炎を放つ。他の狼の動きが一瞬、遅くなった。瀬木根は包囲を抜けた。


 同じことを数回くり返す。狙った狼が、一匹だけで距離をとって逃げた。


「グレイ」


 壁を作り、全力で蹴る。逃げる狼の後方から追いついた。炎を飛ばす。曲がって狼が避けた。そこを狙って斬り捨てた。狼は二つになった。


 うしろをみると、他の狼は消えていた。


 やっと周りの様子をみる余裕ができた。大方が片づいたようだった。散っていた死神たちが、集まってくる。


 瀬木根も地上に降り立った。


 不意に黒い砂が巻き上がった。それぞれがその方向をみた。


 黒い巨体が現れた。しかし、今回のは異様だ。大きすぎる。さっきまでのやつの十倍以上はある。大きすぎて形がよくわからない。端から端まで瀬木根はその巨体を目で追った。多分、さそりのような格好をしている。それを瀬木根は見上げていた。


「グレイ、これは無限に出てくるんじゃないのか」


「出てくるんじゃない?」


 羽村が、その巨体を囲むように声を出している。


 ふと、自分たちと巨体の間に宮内が現れた。


「凍らせたら、こいつは完璧に死ぬ。もう死んでるよ」


 宮内は、自分の手に息をかける仕草をした。


 吐いた息は白んでいる。巨体が音を立てて、崩れ落ちた。


「とりあえず、俺らを移動させた死神と、幻獣を呼び出してた死神はみつけた。すぐにここから、元の場所に飛ばされるはずだ」


「宮内さん。連れ去られた死神たちは、どうなったんですか」


「ああ、みつけたよ。でも届かなかった。もう遠くに飛ばされて、俺でも無理だった」


 宮内と羽村の表情は、対照的だった。


「でも、いくよ。外倉の国まで」


 なにか羽村が言おうとしたが、宮内はそう続けた。


 宮内の表情は変わっていた。笑っていない。


 膜が破れるように、辺りの風景は変わった。さっきの街に戻ったらしい。


「今回は囮として、お前らにはついてきてもらった。でも、次は戦闘になるかもしれない。外倉がおとなしくうちの死神を返せば、いって、戻ってくるだけで終わる。それで済まない場合もあると、頭に入れておいてほしい」


 見慣れない表情で、宮内は続ける。


「一度、戻ろうか」


 そう言うと宮内の表情は、いつもの感じに戻っていた。それをみて、みんな気が抜けたのがよくわかった。こういうことにあまり慣れていないのだ。みんなさっきまで、死ぬ思いで戦っていたんだ。




 宮内は多分、自分たちが戦っている間にかなり遠くまで移動したのだろう。囮と宮内は言ったが、悪い気分にはならなかった。


 瀬木根は、むしろ役に立ててよかったとさえ思った。


 誰も自分に話しかけてこないのは、自分が春木を殺した死神だとわかっているからだ。当たり前の反応だと思う。宮内がどういう説明をしたとしても、自分たちの仲間を殺した死神に対して、警戒しない方がおかしい。


 空を飛んで扉を開けて、再び瀬木根は自分が住む街まで戻ってきた。他の死神たちは、ついてきたということになる。しかし、渡部のいる空間からは出なかった。


「家族がいる者は一度、自分の世界に戻って、これから自分がなにをするのか、わかった上で戻ってきてほしい。捕まった死神は殺されたりしない。能力を利用されるだけだ。だから、安心してくれ」


 四回死んだら、もう生き返れない。


 みんなは残りどれだけ、死ぬことができるのだろうか。もし、あと一回だとしたら戻ってくるのだろうか。


「先に教えておいてやる。この瀬木根は、あと一回で完全に死ぬ。もし、春木の仇をとりたかったら、いまが最後の機会だ。いまだけ、俺が許可する」


 並んで立っていた死神たちが、ざわついた。


 すぐ近くに立っていた死神を、思わず瀬木根はみてしまった。


「逃げろ、瀬木根。逃げろ」


 頭の上で、グレイが急に暴れながら叫ぶ。


「喋ってるぞ、こいつ」


 みんなの注目が、グレイに集まる。


「春木と瀬木根は戦った。そして、春木は負けた。そもそも、俺が殺せと言ったのは

こいつじゃない。こいつらを操っていた、神だ」


 まだ、ざわめきはおさまらない。


「駄目」


 羽村が歩いてきた。


「羽村、どいてろ。これは、はっきりさせておく必要があることだ。こいつらは自分を育てた春木という人間を、殺されたんだからな」


「私たちはもう、昔みたいに生きているわけじゃない。もう人間じゃない。死神です。死神の生き方があります」


 強い口調で、羽村は言う。


「でも、生きてるよ。死神も人間のうちに入るだろ。で、いますぐ瀬木根をぶっ殺したいやつはいるか。あと一回でこいつは死ぬぞ」


 宮内はいつもの口調で続ける。


 気がつくと、瀬木根は目を閉じていた。


 まだ、グレイは逃げろと言っている。この世界で生きるということは、こういうことなんだと、瀬木根は思った。


「春木さんはいい人だった。でも瀬木根さんを受け入れると決めたのは、宮内さんだ。詳しいことはしらない。でも、この国のためにこの人を受け入れたなら、俺もこの人を受け入れる努力をこれからする。春木さんも、最初はそうだったんでしょ。昔、春木さんから俺は聞いた」


 誰かがいきなり、そう叫んだ。瀬木根はまだ目を閉じていた。若い声だった。他のざわめきがなくなった。


「いいのか。殺さなくて。他のやつはどうだ」


 無音が続く。本当に誰の声もしない。


「それなら、この話は終わりだ。準備に取りかかってもらいたい。お前らは、まだ一回も死んでいない。だからこそこれから、しっかり働いてもらいたい」


 宮内が言い終わると、はい、という返事があった。さっきの声だ。続けて、他の死神たちの返事があった。


「いつまでそうやってるんだ、瀬木根。目を開けろ。お前にもやってもらいたいことはあるんだ」


 その言葉で、瀬木根は目を開けた。


「ここにいるのは、俺が選んだ、若くて優秀な死神たちだ。他の連中もこれから声をかける。三日後、ここに集まるように動いてもらうぞ、瀬木根」


「わかりました」

 瀬木根はそこにいる死神たちの顔を、しっかりと覚えようと思った。それから、瀬木根は羽村と一緒に動けと言われた。



 

 それぞれが自分のしなければならいないことを、遂行した。


 本当はたかが死神三人くらい、と思っていたところもあった。だが、瀬木根は思いなおした。


 宮内の言っていることは正しい。死神も人間。そう考えていいと自分も思う。それから天子だって人間だ。


 あのとき、羽村の姿をみたのは久しぶりだった。顔を合わせても、特にかわす言葉がみつからない。それはお互いに話す理由がないから、話さないというだけのことだ。


 羽村は、渡部のような移動系統の能力を一つ持っていた。それを使っても遠い場所まで、瀬木根たちはきていた。羽村が普段管理を任されているのが、ここらということになる。


 小さなその街の中に、交番のようなものが一つあり、死神がいた。


 羽村は今回の流れを、簡単に話した。


 それから、三日後に宮内が住む街に集まってほしいと伝えた。その死神は、平然と承諾した。


 四十代くらいの男だった。声が小さくて目も伏せがちな、頼りない印象を受けた。それでも、この男は移動系統は当然として、いくつかの戦闘系統の能力を持ち合わせているのだと、羽村は言っていた。だからこの男はここにいて、宮内の声がかかった。


 自分もそうだったように。


 この男は二回死んでいる。羽村から聞かなかったとしても、自分にはそれがわかっただろう。三日後に、この男はくる。それを瀬木根は確信した。


 無駄な話を羽村はしなかった。


 空を飛んで、二人は山を越えた。


 街の中で、能力を使ってはいけないという規則は厳格なものではないらしい。羽村は、街の上も空を飛んで移動する。


 山を越えたところにある街には、三人の死神がいた。やはり三人とも、年はそれなりだった。宮内の街に近いところには若い死神が置かれていて、しかも街をいくつかかけ持って管理をしている。それだけ、安全ということなのだろう。


 三人とも、その場で宮内の要請に応じた。


 正直、自分だったらこんなふうにすぐ返事をすることはできない。あと一回で本当に死ぬということだけでなく、そんなことで戦争みたいなことをわざわざする必要があるのかと思うだろう。大した説明も聞かず、どうして即答できるのか不思議だ。





 その街で、昼食をとることになった。


 席は店の外のものを羽村が指定して、向かい合って座った。


 店員が、品書きを持ってきた。


「グレイ、騒ぐなよ。みんながびっくりするからな」


 そう言ってから、椅子に乗っているグレイにもみえるように品書きを傾けた。


 グレイのそばには、羽村のからすがいる。グレイのように話したりは一切しないが、それでも動くしぐさでちゃんと生きているのだとわかる。


「わかってる、わかってる」


 テーブルに頭をのせようとして、グレイは体勢を変える。


「あんたさ、外倉のこと、宮内さんから聞いてるの?」


「いや、一つも」


「なんで、あんたもついてきたの」


「宮内さんが」


「他の死神に恨まれてるって、わかってる?」


「春木さんを殺したからだろ、わかってるよ」


「みんなが宮内さんや私みたいに、あんたのことを扱うわけじゃない」


「春木さんは、みんなに慕われてたんだな」


 瀬木根は、品書きに視線を落とす。


 羽村が、大きなため息をついた。


「わかってるのに、どうして逃げなかったの」


「覚悟は、もうしてるから」


「あっそ。じゃあ私に殺されても、文句は言わないってことね?」


「言わないよ」


 瀬木根は顔を上げた。羽村は、こっちをみていた。


「注文していいの。瀬木根」


「いいよ、グレイ」


 羽村をみたまま、瀬木根は答える。


「そんなことは考えてない」


 羽村が手を上げる。店員が気づいて、歩み寄ってきた。


「わかった。でも俺はそういう理由で殺されるなら、誰に対しても文句は言わない」


「そう。じゃあ殺さないから、早く決めて?」


 冷たい表情のまま、羽村は品書きを閉じた。

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