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【長編ダークファンタジー・完結済み】煙だけを食べる  作者: 佐藤さくや
第一章 原風景
7/46

七 煙草


 七 


 近くの公園。


 そこを抜けて今度は路地だった。


 建物を通って、また道に出た。そういうことを何回か繰り返し、たどりついたのは、青い空を壁一面に貼りつけたような丸い空間だった。


渡部わたべっていうおじいちゃんが、この能力を持ってる死神。で、ここにいつもいる」


 その空間の一部が、くり抜かれたようになった。

 老人が出てきた。


 頭のうしろで縛られた髪、眉もひげも全部が白い。


 鼻筋がきれいに通っていて、目の彫りは深い。


「初めまして」


 瀬木根は頭を下げる。


「初めまして」


 かすれて低い、落ちつきのある声で渡部は言い、頭をゆっくり下げた。


 言葉は通じる。そもそも、そういう分類の仕方はこの世界にはない。


 自分がどんな言語を話しているのかも、正直、定かではないのだ。しかし、その言葉の意味を理解している。


 電話の着信音が急に鳴った。


 すると渡部は、ポケットから真っ赤なスマートフォンを出して、返事をした。


 この世界でこういうものが普通にあることが、いまでもおかしいと思う。


 誰が金を払ってるんだとか、通信制限はかからないのかだとか、どう考えても不似合いな光景だ。


 ただ、それでも色んな常識を数段飛ばして成り立っているのが、この世界だ。


 スマートフォンを使う死神の老人がいる。


 もう、そういうものとして受け入れるしかないとは思う。違和感があるのはまだ、自分が慣れていないからだろう。


「わかりました、はい。では、このまま二人を向かわせます」


 渡部は画面を触って、電話を切った。


「お会いして早々ですが、仕事だそうです。お名前は宮内さんから聞いていますよ、瀬木根さん。私は渡部です」


「仕事、ですか」

「はい。ただ、心配はいりません。今回は初めてですし、しばらくは羽村さんと一緒に動いてもらいますから」


「私まだ、なんの報告も入れてないんですけど」

「その件は、もういいそうです。現に、瀬木根さんはここにいて、元気そうです」


 渡部は、さっきの腕試しのことを言っているのだろう。


「ただの鎮圧作業です。あそこから、向かってください。輩が暴れているので、殺してください。それから奪えたら能力も奪ってください」


「相手が三回死んでいたらの場合、ですよね」


「はい。四回で、ほんとうに死にますから、その状態でないと死神の能力は通常、奪えません」


「それを俺がやるんですね」

「はい、なにか?」

「いえ、なんでもないです、大丈夫です」


 ついさっきまで敵だった死神だ、俺は。

 こんなにあっさり受け入れていいのか。


 そう思ったのだが、瀬木根は言葉にはしなかった。


 いまは言われた通りに動く方がいい。青い空間を、渡部が指差す。そこにまた扉が現れて、開いた。向こうの風景が、少しだけみえる。


「じゃあ、いきます」

「いやちょっと、勝手に動かないでよ」


 扉をくぐろうとすると、羽村が小走りで追いかけてきた。


「すぐ戻りますけど、渡部さん、扉は開けたままにしてもらえるんですよね」


「ああ、通れるようにはしておく。終わったら戻ってきなさい」


「わかりました。ほら、どうぞ。いって」


 羽村が、手で払うような仕草をした。


 瀬木根は踏み入れた。


 そのまま、前に体が倒れた。地面がない。風が吹いたように感じた。それは下から上。瀬木根は落下した。


 街。その上空。


「まったく、グレイがそばにいなかったら、お前死んでたぞ、瀬木根」

「悪かったよ」


 油断した。しかし、瀬木根は空中でしっかりととどまっている。


 グレイがそばにいなかったら、能力を引き出せなくて、落ちて死んでいた。多分、グレイが気がついて飛んできても、間に合わなかった気がする。


「ここら辺で暴れるような馬鹿は、大したことないから、安心して」


 羽村が横に並んだ。街を見下ろす。


 今まできたことがないのは確かだが、特に変わった場所という印象は受けない。


「じゃあ、大したやつっていうのはどこにいるんだ」


「渡部さんの能力でも、すぐにはいけない場所」

「そういう勢力はいるんだな?」


「そりゃ、いるでしょ。あと、天子に迷惑をかける死神がいるから、連絡が入ってそこにいって、殺すこと、鎮圧業務とか鎮圧作業っていうから」


「それって、さっきみたいにスマートフォンで連絡がくるのか」


「そう」


「俺にも、スマートフォンって与えられるのか」


「いずれね」


 羽村は腰のポケットからスマートフォンを抜き出して、耳に当てた。


「渡部さん以外は、世界をまたいで通話したりなんてできないから、気をつけて」


 羽村が地上へ降り立ち、誰かと話し始める。


 体が震えた。風がとても冷たいのだ。昼だと思う。それでも、肌に触れてくる風は、確かに冷えている。


「私がやるから、今度はみててよ」

「ああ。みてるだけか」


 羽村に続いて、下に降りる。


「つまんないなあ」

「おとなしくしてろ。あと、俺から離れるな」

「はいはいはい」


 建物の中を覗き込んでいたグレイが戻ってきて、瀬木根の頭の上に乗っかった。


「さがってて」


 しばらく歩き、そこでなにかを感じたのか、羽村は前をみたまま、そう言った。


いつも羽村のそばにいるからすの姿は、すでにない。瀬木根はふわりと体を浮かせて、建物の屋根まで飛びあがった。


 敵の姿はみえない。人数もわからない。死神の気配がないのだ。


 進んでいく。家が並ぶが、天子の姿もない。

 大きな通りに出た。そこで建物がなくなったので、瀬木根も地面に再び降りた。


 公園。噴水のようなものがある。


 そこに一人、腰掛けていた。そばにはなにか、黒くて丸い生き物がたくさんいて、地面をつついているようにみえる。


 羽村が立ち止まった。


 男。派手な柄物のシャツを羽織っている。


「おだやかじゃないな」


 男がゆっくりと立ち上がって、笑いながら言う。あまり背は高くない。三十代かそこら。自分よりは年上だと思う。


 周りにいる丸い生き物は、鳥なのかもしれない。微妙にくちばしのようなものがある。それらが急に地面を滑るようにして走り出し、きれいな列をなして、路地の奥へ消えていった。


「お前、こんなところまでなにをしにきたんだ、五稜ごりょう


 羽村が身構えた。


 グレイが静かだな、と思った。瀬木根はグレイを無意識に取り込んで、一体化していた。この男を、恐れた。


「欲しいものがあって」

「なに?」

「もう手に入れたから、いい。あとはついでにお前の死体も」


 五稜と呼ばれた男が、立ち上がる。


「冗談。いま、宮内と刺し違えるつもりで戦うなんてこと、するつもりはないよ」


 男が笑い声をあげた。


 男のそばの空間が、四角くゆがんだ。自分たちが使っていたものと同じ。それは扉だった。


「じゃあ、俺は帰るから。宮内によろしく言っといて」


 男はそう言い残して、扉の向こうに消えた。完全に気配は消えていて、そこからもういなくなったのだと、瀬木根は認識した。


 羽村の体からからすが出てきた。グレイも、瀬木根の体から離れた。


「危ねえ、死ぬところだったなあ、瀬木根」

「耳元でいきなり叫ぶなよ、グレイ」


 瀬木根は、グレイの顔を手のひらで押しのけた。

「さっきのは死神じゃないよな、なんだあれ」


 グレイが続ける。

「五稜。ほんの少し前までは、死神だった。いまは宮内さんと同じ、神」


 羽村は辺りを見回した。


「なるほどね、少し前まで死神ね」


 グレイが、納得したという感じで頷いた。


「死神が、神になるのか」


 答えるかわりに羽村は肩を動かして、小さく息を吐いた。それから、スマートフォンを出す。


「もしもし、いま、五稜がいた」


 相手の声は大きく、瀬木根も聞き取ることができるほどだった。相手の声は、かなり驚いているようだった。


 しかも、街の中で暴れていた死神は、五稜の仲間らしき別の死神が、すでに殺したと言う。


 しばらく、やり取りは続いた。


 結局、自分たちのやることはなく、戻ることになった。


 黙ったまま羽村は体を浮かせて、上空を目指す。渡部の扉のあった方向。


「ちょっと」

「戻ってから、説明する。多分、長くなる」


 神になりたての男。

 自分はまだ、死神になったばかりだ。

 瀬木根は、そんなことを考えた。


 話しかけても、無駄だと思った。


 落ちるのは一瞬だったが、空を登るのには時間がかかる。


 どうでもいいようなことを考えていたら、また青くて丸い空間についていた。


 羽村が宮内のところに戻ると言うので、ついていこうとしたが、ここで待てと言われてしまった。羽村が出ていって、渡部と二人にされた。しかし、居心地が悪いとは思わなかった。


「あの、渡部さん、聞いてもいいですか」


 目を開けたまま眠っているグレイを、瀬木根は片手で抱えていた。


 こっちに来てから、聞いてばかりだなと思った。


「私がしっていることなら。ここにいるのも退屈ですから、散歩でもしませんか、瀬木根さん」


 なにかに触れるように、渡部が手を動かす。すると、そこに扉が現れた。


「ここは安全です。扉は開いたままにしますから、問題ないですよ」


 自分の言いたいことを察したように、渡部は言葉を足して、それから扉の中に体を入れた。渡部に続いて、瀬木根も扉をくぐった。


 雲のない青空と足の長い草原が、視界いっぱいに広がる。そして、一本の道。それがずっと続いている。上下にうねっていて、果てはみえない。


「散歩ですから、歩きましょう」


 そう言うので、グレイを抱えたまま瀬木根は歩いた。渡部の歩幅は自分が歩く半分ぐらいのもので、足の運びもひどく遅かった。


「死神って、神になれるんですか。むしろ、死神が神になるんですか」


「さあ、わからないですね。そういう難しいことは」


「渡部さんは、死神になってから、長いですか」


「長い。長いこと死神をやっている。それはまちがいないですね」


 なぜか渡部は笑っていた。特におもしろいことを言ったつもりはない。渡部が言ったことも、おもしろいとは思わなかった。


「いや、私も死神になったときはそんなふうでした。死んで、死神になって、この世界で生きて、何度も危ない目にあって、本当に死んで、逃げて、ときどきは戦ったりもして、それから宮内さんに出会いました。そのときはまだ宮内さんは死神で、しばらくして神になりましたよ。まだ、神になったばかりの宮内さんをしっているのは私ぐらいでしょう」


「神になったばかりの?」


「そうですね」


「宮内さんも、じゃあ、元々は死神だったんですよね」


「そういうことになりますね」


「さっき、難しいことはわからないって言ったじゃないですか」


「そうですね。ただ、私は嘘はつきたくないんです」


「どういう意味です」


「死神が神になれるのか。絶対にそうなのか、私にはわかりませんから。ですが、死神として生きていた宮内さんが、神になったのは確かだと思います」


「ほとんど、同じ意味だと思いますが」


「すいません、瀬木根さん。どうも私は細かいことが気になる、偏屈な男なのですよ」


「じゃあ、どうやったら死神は神になれるんですか」


「それは宮内さんに聞いてください。もしくは羽村さんに。申し訳ない」


 わざわざ渡部は立ちどまって、頭を下げた。なんだか悪い気がして、瀬木根もその場で頭を下げた。


 坂を登り始めていた。とてもゆるい長い坂だ。それがずっと続いていて、空まで届いているように見える。


「こちらの世界にきて、文字を読んだことはありますか」


「文字ですか。はい、あります」


「死神になるまで、その文字は読めなかったし、しらなかったはずです。しかし、私も含めてあなたもその文字が読めた。まったく不思議だと思います。それと似ています。死神から神になるということは」


 渡部が一度見上げてから、振り返った。扉は小さくみえた。それなりに歩いたらしい。扉は開いていて、そこに羽村の姿があった。


「実はこの世界、経つ時間がとても早く感じるという、特殊な世界なのです」


 渡部は笑っていた。


「私はのんびり歩いて帰りますから、かまわずに先にいってください」


「あ、じいさん。おはよう。じゃあ飛ぶか、瀬木根」


 腹のあたりで、ぐるりとグレイが動いた。


「失礼なことを言うな、グレイ」


「もうずっと、私はじいさんですよ、瀬木根さん」


 手を伸ばしてグレイの頭を撫で、渡部は笑っていた。


 瀬木根はグレイから能力を引き出して、空をはねるように走った。


 扉。


 坂の真ん中あたりにあったらしい。一度くだって、また登ぼりになっている。道は、一度も曲がることなく、反対と同じように、空まで伸びていた。


 どれくらいの時間が経ったのかわからないが、腹が減ったのは間違いない。


 しばらく、空腹も感じなかった。

 緊張していたのか。


 しかし、冷静だった。


 いや、冷静でいようとつとめていた。所詮、この体は天子の体で、生身といえば生身だ。


 扉の前で降り立つと、グレイが口を開いて宮内のところにいきたいと言った。


「宮内さんには会えない」


「じゃあ、しばらくなにも食べてないから、なにか食べるものをもらえないか?」


「はい、これ」


 紙幣だった。かなり厚い束をポケットから出し、無造作に羽村は渡してきた。


「街の中で使えるから、自分の食事はこれでなんとかして」


「どこで、眠ったらいいんだ?」


「ああ、えっと。スマートフォンがあれば、この世界以外にいてもいいけど、いまはないから、街の中にいて。宿は任せるから」


「任せるって言ったって」


「私、やることがあるから。いまちょっと色々忙しくて、あんたにかまってる場合じゃないの」


 ずいぶん急だな。そう思った。建物を一緒に出た。羽村は、空を飛んでどこかへいってしまった。


「せっかちだなあ」


 ふわふわと空を漂いながら、グレイは見上げていた。そうだなあ、と思わず瀬木根も呟いた。


 改めて、おかしなことになったなと感じた。

 ただ一つだけ、変わらない部分もある。


 自分は春木を殺したという自覚だ。


 でも、この世界では自分は死神だ。

 死神が死神を殺した。


 それだけのこと。


 長くここにいたら、自分もそれだけを思うようになってしまうのだろうか。


 もしくは、それすら思わないのかもしれない。


 少なくとも人を殺したという認識が消えないうちは、自分はまだ人だ。人としてここにいる。


 重たいなにかが、自分の体の中にある。


「なあ、この街ってなんかこう、うまいものとかあんの?」


「しらないよ、まだ」


「グレイはこんなに堂々としても、大丈夫なのかなあ」


「そうだな、お前は大丈夫だ、グレイ。お前はどうせ、死なないんだろ」


 まともに会話をするのが、面倒だった。


 瀬木根は、街の中心を目指して歩いた。天子の数は多い。


 みんな、抱えているグレイを横目でみて、通りすぎていく。しかし、話しかけてくる天子はいない。子どもの天子も近づいてきて、興味は示しているようだが、やはり声はかけてこない。


 食欲を刺激する匂いが、漂っている。


 前にいたあの街では、毛が真っ白な牛の肉がよく食べられてた。肉自体は赤く、油は少なかったが、しっかりとした味がした。山の近くにはたくさん牧場があった。


「グレイ、肉だぞ」

「肉か、久しぶりだな」


 煙の向こうに、飯屋がみえる。


「そういえば瀬木根、煙草、吸わないな」

「煙草?」

「匂いが全然しない」

「そうだな」


 グレイに言われて、瀬木根は気がついた。春木は吸わなかったんだろうな、と瀬木根は思った。


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