四一 舞姫
四一
「ねえ。どこまでいくの?」
氷生が尋ねる。
青い空間。羽村は氷生の手を引いていた。そのため、あまり速度を出せないでいる。
「安全なところまで」
羽村は、自分が本当に思ったことをそのまま口に出した。
「瀬木根さんが来るよ?」
不気味な感じがして、羽村は氷生の顔をみた。
加藤の言っていた状態。
「あなたの名前は?」
表情に変化はない。だが氷生の中で、なにかが蠢いているのがはっきりとわかった。
「名前はないよ。氷生のお姉さんかな」
羽村は、繋いでいた手を離した。
「瀬木根さんはなにをやってるんだか。言ったよね、守ってって」
氷生の視線を羽村は追った。そこに瀬木根がいた。
あれから、少しときは経ったと思う。だが、少しだけだ。自分のしらない表情をした瀬木根がいた。自分を哀れんでいるのか、蔑んでいるのか。いや、その両方だろう。自分はそう思われるようなことをしている。
羽村の体から、一瞬だけからすが離れた。からすの体に腕を突っ込んで取り出したのは、昔、ある死神が能力で自分に作ってくれた刀だ。鋼なのか、なんなのかわからない。自分の能力によく合った最高の刀であることは間違いない。
できれば、斬りたくない。
生唾を飲んだ。
「亡骸は、私が食べてあげる。春木さんも、あんたの中にいることだし」
それでも、吐いた言葉に嘘はなかった。瀬木根の返事はない。
瀬木根が、全身に炎をまとう。氷生は、瀬木根からも自分からも離れた。結末は一つしかない。羽村は瀬木根だけをみていた。
斬る。
羽村は決めた。
どん、という低い音。それとともに、羽村は前に飛んだ。
この刀なら、瀬木根が能力を使っていても斬れる。目前の顔。袈裟懸けに斬り下ろした。刀が、止まった。なにかで受けられた。そう思った瞬間、羽村は能力で短い距離を飛んだ。瀬木根の炎が膨れ上がった。
瀬木根も剣を手にしていた。そんな天子が作ったような普通の剣では、この刀は止められないはず。
剣と瀬木根の腕が、一体化していた。あの、体を薄くする能力なのか?
火の玉が向かってきたが、身のこなしだけで羽村は避けた。
近づけない。
それなら、刀を伸ばせばいい。
からすを出し、再び手を突っ込み、羽村はもう一本の刀を出した。
二つの刀を重ねる。溶けて一本になり、伸びた。大刀ではなく、長刀。持ち手は変わらず、四手半。刀身のみが二倍になった。だが、まだ伸ばせる。
四倍。
自分が扱える長さの限界まで達した。長い時間は耐えられない。
羽村は移動系統の能力を使った。縦に、振っているその最中。
そこから飛んだ。
瀬木根の側面。羽村の体は、横に倒れている。軌道を体勢のみで、真横に変えた。
瀬木根は赤羽の能力で、横に体を薄くした。まさに紙一重で、羽村の白刃を避ける。
「なんだよ、あの武器。聞いてないぞ」
赤羽の能力を解き、グレイが喚いた。
町谷と戦ったときは、この武器は使わなかったのだろう。それか、使えなかったか。そう思いながら、瀬木根は頰を手の甲で拭った。
かわしたと思ったが、斬れている。
あの能力を使ったあと、約四秒は飛べない。
瀬木根は羽村の方をみた。
「羽村さんは残り、何回死ねますか?」
羽村は口で息をして、肩を上下させていた。
瀬木根は待った。だが、返事はない。羽村が視界から消えた。
吉光の毒を撃ち込むことを、瀬木根は考えた。グレイが噛むか、自分が触れるか。どちらかをできればいい。だが、羽村はわかっている。加藤が喋ったと言っていた。あの短距離の移動が使えなくとも羽村の移動の速度は尋常でなく、触れるのは困難だと瀬木根は判断した。
炎を広げる。
温度。その感覚が触覚に変わる。瀬木根は、羽村の移動先をみなくとも認識できた。春木も、炎に対してこんな使い方はしていなかった。
羽村は遠いが、刀は、本当に目の先にあった。
突き。
瀬木根はただ、のけ反っただけだ。
目の上におかしな熱が走った。だが、かわした。
「羽村さん、あと何回死ねるんですか」
瀬木根は叫んだ。
血は出ない。吉光の能力で、固めたからだ。
「二回」
羽村は、そう言った。
そう言われただけで価値観が変わる。そんな男だ、自分は。
瀬木根は離れた。
「グレイ、吉光さんの能力をためろ。俺に撃て」
「了解。でも、これは何回もやると色々危ないぞ」
「いいよ」
次の呼吸で、羽村は消えると瀬木根は思った。それを耐えて、吉光の能力を自分に使う。
毒は、薬にもなった。意図的に覚醒させる方へ、毒を使う。
羽村が飛ばない。刀を振ってきた。赤羽の能力で作った剣で、それを受ける。だが、連続した。腕の動きや体の動きで、羽村の刀をさばくのには、限界があった。警戒して羽村が離れているから、まだ軌道がみえるのだった。
飛んだ。
刀が二本になって、しかも短い。斬られたら、駄目だ。瀬木根は苦しまぎれに、火を振りまいた。その火が、綺麗に斬られた。
「瀬木根」
「グレイ、撃て」
一体化していたグレイが半分顔を出し、瀬木根の肩に噛みついた。体になにかが走った。目の奥に、水のようなものの、流れを感じる。赤羽の能力を、手足に使った。瀬木根は肘から先で、二本の刀を受けた。
斬れない。
硬い、というより、向こうの方が鋭いようだ。こっちの刃が、押せば押すほど斬られているような感じがする。
力任せに、瀬木根が剣を振ってきた。
本当に金属がぶつかったような音がした。なにかの能力を使ったのか。二本の刀で受けたが、羽村の体は吹き飛んだ。
体勢を立て直す。
即座に刀をまとめた。一振りである。そう呼ぶのにふさわしい刀だった。自分の体力をつぎ込めば、その分、切れ味は増す。
何度も短い距離の跳躍を使った。体力が限界に近づいているのがわかる。
喰らった死神の数は、どう考えても自分の方が多い。
なぜ、ここまで瀬木根は戦えるのか。
羽村は宮内の国でみた瀬木根を、思い返した。
息を長く吐く。限界まで吐く。
忘れようとした。
息を吸う。
猫背になり、首を垂らす。
いままで順手だった一振りの刀を、逆手に持ちかえた。刀身が極端に短くなる。それを体の真ん中に置く。
みえる景色が色褪せる。集中した。
体に含んだ空気の重ささえ、煩わしく思うほど神経を尖らせた。
完全に、空間を跳んだ。
瀬木根とぶつかるほどの距離。刀の先の先が、瀬木根の胸にすでに届いている。
刺せる、と羽村は思った。




