三七 猫 十一
三七
「最近の仕事は、気を失うことかな」
グレイのふざけた声。そして目の前に、ふざけた顔があった。
瀬木根はどこかの部屋にいた。蛍光灯がついている。
「グレイ、氷生のところへいくぞ」
言って、そこで初めて瀬木根は自分が手足を縛られて、座り込んでいることに気がついた。砂。それが輪になって、完全に自分の自由を奪っている。
「まあ、落ちつけ、瀬木根」
瀬木根は、春木の能力を使おうとした。だが、炎が出ない。
「落ちつけって」
「グレイ」
「グレイが吉光の毒を、お前に打った。こんな能力もあるなんてな」
千石が、いきなりその場に現れた。
「俺はいますぐ、氷生を助けにいくんだ。離してくれ。氷生がさらわれたんだ」
「さらわれたのは、わかっている。だが、いかせない。これは、もうお前一人の問題じゃない。ここは、国だ。五稜さんに話は通してある」
「俺は、二人に約束したんだ。グレイ、扉を出せ」
手足を縛られたまま、瀬木根は叫んだ。
千石が、瀬木根の腹をいきなり蹴りつけた。
「約束を守れるだけの、身の丈じゃなかったお前の無力さを恨め。お前は、俺一人にひねられる程度の、どこにでもいる死神だ」
千石が言う。
「あ、瀬木根お前」
グレイが慌てる。
赤羽の能力。それは使えた。
体が平らになり、砂の枷を瀬木根は抜けようとした。
「グレイ、眠らせろ。いま、こいつに構っている暇はない。俺は忙しい」
「あ、はい」
グレイが、瀬木根に噛みついた。なにかが、体に入ってくる感覚がある。
「町谷を呼んでくる。どうせ、ここから外へは出られないが、暴れて死なれても、面倒だ。目を覚ますたび、眠らせてやれ」
ふざけるな。
俺は、氷生を。
「千石」
移動系統の能力を使って、部屋に五稜が現れた。町谷も連れていた。五稜は一瞬だ
け瀬木根に目をやったが、すぐにこちらに視線を戻し、小さく頷いた。
千石は、青い空間に出た。町谷を置いて、五稜も現れる。
「加藤の姿もみえません」
「なんなんだ、一体。羽村が向かった先は、結局、外倉の国じゃないか。あいつは、宮内の国に長くいる死神だろ? 宮内を、切ったのか」
「それは、いま調べています。外倉の国に取り入るつもりかもしれませんし、すでに外倉の国の死神なのかもしれません」
「瀬木根に、悪いことをしたな」
残念そうな顔をして、急に五稜は言った。
町谷の言った、羽村ともう一人、という話ではなかった。
何人もの渡し屋がいて、氷生と羽村をどこかへ通して、それぞればらばらに散って消えた。移動系統の能力に特化した死神の中には、あの青い空間にさえ扉を出し、さらに距離を縮めることができる者がいる。それをやるには相当な体力が必要で、一定の期間に一度切りという制限もある。そういう死神が何人も用意されていた。
計画は、ずいぶんと綿密だった。あんな、子ども一人をさらうのに。
「俺の弟が、瀬木根に悪いことをしたな」
「五稜さん、今回は駄目です、やめてください」
「お前は、口を出すな、千石。あいつは俺の弟で、家族だ」
五稜が、珍しく大声を出した。
こうなってしまっては、もう自分ではどうしようもない。五稜の怒りを鎮める術など、自分にはない。千石はそう思った。
「いまから、乗り込む」
「一人でいってください」
それぐらいしか、言えない。
「わかってる」
「氷生を助け出したら、すぐに戻ってきてくださいね。あくまでも、五稜さんは、瀬木根のために」
「ここは国だ。沙灘に顔向けできないようなことを、俺はしない」
五稜が背中を向けた。そして遠くなり、みえなくなった。
外倉を殺しはしない。そう、言ったのだろう。
五稜が、沙灘と口にしたのは、本当に久しい。いつも、その名前はあえて言わなかった。
自分が口を出すべきことでもないとは、思ってきた。だが、そろそろこの兄弟も、お互いにぶつかってみるべきなのかもしれない。
殴り合えばいい。そしたら、自然と自分の言いたい言葉も出るだろう。そんなことは、口が裂けても言えなかった。
ずっと、千石は五稜をみてきた。
沙灘が死に、そして、弟として接してきた外倉が、自分の元を去った。
五稜は一人になった。
言葉がなかった。
自分でさえ、五稜に対してなにも言えなかったのに、外倉と和解しろなどと、誰が言えるだろう。
そういうものなのか。いや、そうだとも、言い切れない。全部、自分で決めたことだろう?
誰に問いかけたのか、千石は迷った。
国同士の関係。新しい世界の構築。
「馬鹿が」
呟く。
視線の先に、瀬木根がいた。
グレイが毒を解いたか、もしくは、町谷がなにかをしたのだろう。
だがもう、五稜が外倉の国へ向かった。
「事情が、変わった。だがどちらにしても、お前をいかせはしない」
瀬木根がこちらを向いた。
血走った目。
すでにグレイと一体化しているのだろう。
低い、燃える音がした。炎が、瀬木根の体を包み込んだ。




