二七 猫 一
二七
千石と話した翌日、会議の時間を早めて、五稜はやるべきことをすべて終わらせた。それから、自分一人だけで地下へ降りて、いつものようにアイスコーヒーを買った。
天子の店員には、ここで飲んでいくから、と説明をした。
ガラスのコップに注いでもらい、五稜はそれを持って奥の方の席に座った。
そもそも、自分が五稜であることを、ここらの天子も死神もわからない。向こうからみえる姿は、別人だった。
本当に違う顔をしている。ここを出るときは、また顔を変えるつもりだった。久しぶりに使う能力だったので、念のため、試しておきたかった。
この世界で死神が行なっていることを、別の世界で、天子たちが行うようになる。死神が天子を管理するという部分は、まだ完全には抜けない。だが、確実に天子たちは新しいことを学んでいる。
アイスコーヒーの味が変わるより早く、五稜は店を出た。
思い出したように、店のすぐ前で五稜はスマートフォンを出す。千石から、必ず明日の昼前までには帰ってきてください、と文面がきていた。返事はせず、スマートフォンの電源を五稜は切った。
それから五稜は、いき交う天子と死神たちに交じって、自分の足で地下の通路を歩いた。
五稜は、公衆トイレのある道へ入った。もう、そばには誰もいない。そこで能力を二つ使った。移動系統の能力、そして姿を変える能力だった。
青い空間へ、移動している。あとはただ進むだけだ。外倉の国からも十分に離れている。なにも気にせず、目的の場所を目指せばいい。ただ、少しだけ急ぐ必要がある。
風が始まり、五稜の全身を包み込んだ。
一応急いではみたが、汗をかかず、息も乱れる前に宮内の管理する街に着いてしまった。
顔や髪の毛の感じは、別人になっている。トイレで、一応鏡はみたし、能力を使っているという認識も、確かにある。
宮内がいる場所からは、かなり近いと言っていい。ただ、五稜がきただけでわかるようなことはない。姿だけでなく、すべてがいまは五稜ではない。
まず、左手に山があり、それが目に入ってきた。
近代化されている街らしい。自動販売機に、コインランドリー。天子たちが明るい表情で歩いている。五稜も歩き始める。電気も、ガスもあるのか。上空の電線と、家の横にあるガスボンベをみて、そう思った。瀬木根からきいた話とは、違っている。
天子たちが、五稜を気にする様子はない。それは当然のことで、姿を変えるだけでなく、そもそも天子たちから、姿は完全にみえないのである。たとえなにかのまちがいでみつかっても、問題にならないように、姿を変えただけだった。
しかし、五稜は天子に話しかけるつもりでいる。それはある程度、街をみてから。そのときは姿を現す。
川が、あるはずだった。それがこの街の終わりを意味している。そこまでは、このまま姿を完全に消した状態を維持する。だから、誰かにぶつかったり、大きな音を鳴らしたり、死神に近づいたりしないようにしなければならない。
治安は、悪くないのだろうな。天子たちの表情や、お互いの距離の近さで、五稜はそう考えた。
大きな道の端を、ゆっくりと進んでいく。
まだ、昼前で日は登りきってはいない。
一応、奥の方をみておくか。そう思い、五稜は方向を変え、路地に入った。さらに歩き進み、そのままいくつかの道を横切った。天子の数も、声も少なくなっていく。山を背にしているから、川の流れに沿っているはずだ。
天子たちの家。誰の気配もしない。
学校がある。
洗濯物を干している、女。
猫にひもをつけて、一緒に歩いている老いた天子。
かなりの距離を進んだが、五稜がみたのはそんな感じの日常だけだった。
左に曲がって、川を目指した。
この世界でも、やはり勘が鋭いらしい。一瞬だけ猫は動きをとめて、自分の方をみた。しかし、すぐにそっぽを向いて、そのまま去っていった。その老いた天子が、振り返ることはなかった。前にもあったことなので、そこまで驚きはなかったが、匂いなどは隠せないらしく、近寄ると犬も吠えたりはする。
水面。それがみえた。
一歩踏み出したままで、五稜はとまる。
そして、考えた。いや考えるまでもないことで、離れたほうがいいのは間違いなかった。死神が二人、近くにいるのだ。それだけなら、五稜は迷わなかった。女の天子も二人いて、会話が聞こえてしまった。五稜は能力で、無意識のうちに聴力を上げてしまっていた。
二人の死神は、とんでもないことを言っている。その天子たちを外倉の国に売って、なにか見返りをもらうというのだ。
しかも、慣れたような感じがする。
瀬木根の後任か?
かわいそうに、宮内、お前は外れを引いたらしいな。




