二一 兄弟 六
二一
怖いものしらずで闊達な母、そして、怖いものみたさの間抜けな父。二人は狂気じみたその性格で、あっさりと今回の決断を下した。
二人の間に生まれたのが、葎だった。中性的な顔立ちで体の線は細い。葎は髪の毛を短くしておきたかったが、周りが似合わないからやめろと言うので、いつも耳にかかる程度まで長くしていた。
天子。性別は男で、年齢が十二。
父が書いた紙を、葎は眺めていた。葎の身分を証明するものだ。自分一人でも正直なところ、この街に残りたかった。少ないけれど、友達だってちゃんといた。しかし、両親に従わなければいけないことは、わかっている。一人でそもそも生きていけるわけがないのだ。
葎は、何度も両親を説得しようとした。しかし、駄目だった。
友達なんて作ろうと思えば、いつでもどこでも作れる。一生向こうで暮らすわけじゃないし、大金が手に入れば欲しい本もたくさん手にはいる。両親には、そう言い返されてしまった。
読みたい本がたくさん読める。それは葎にとって、本当に魅力的だった。
世界の違うところへいくというのが、途方もない。いや、違う世界へいくのか。意味はわかる。感覚としては、まだうまくつかめなかった。
石炭や灯油。そういうものの、かわりになるもの。煉瓦のようだが、もっと自由に形を作ることができるなにか。家を、上に二十も積んだ高さの建物。それが並ぶ。そういう街だと言われていた。
集会は数回あり、興味を持った天子たちが五十人ぐらい参加して、死神からそういう説明をきいていた。街の中で、たった五十人だ。その中の三人が、両親と自分だったということになる。
出発の日になって、いまさら色々考えている。
ただ昨日、別れの挨拶を同じ学校出身のみんなにはした。悲しくはない。理由は自分でもわからない。しばらくしたら帰ってくる。帰ってこようと思えば、それができる。それは約束されている。もしくはみんなが、自分たちのいる場所にくる可能性もある。現実味はないが、葎の中でそこに不安はなかった。
真昼。
必要なものを葎は背負った。両親は手荷物もあったが、葎の両手は自由な状態だ。荷物はほぼ服と本だけだった。食料は向こうに山ほどあるから、不要と言われていた。
「これから、お父さんはどんな仕事をするの?」
葎たちは家を出て、三人で街の東にある、小さな公園を目指した。
「さあな。そんなのお父さんにもわからないよ」
「え、役場の死神さんといつも話してたよね、今回のこと」
「ああ、しかしな、難しい言葉が多くて、実はよくわからないんだな、これが」
あはは、と父は笑った。
「いや、あはは、じゃないよ。大丈夫なの?」
そう言う葎の心配をよそに、母は、仕事はあるから大丈夫、お母さんは工場で働くから大丈夫と返す。
母の仕事はなにか複雑な機械で、食料を長期保存できるように加工する仕事らしい。小麦の問屋だった両親だから、やっぱりそういうものを扱うのだろうか。
公園に向かう天子たちが、同じ道に集まってきた。
両親はお互いの知り合いに声をかけはじめ、葎は一人で歩くことになった。
ここらまでくることは、ほとんどない。街の中心から考えたら、家は公園と反対の方向になる。
天子たちが公園の中だけでなく、外にまであふれている。まだ時間には十分な余裕があるはずだが、それでもずいぶん集まった。すでに混んでいて、中へ進むことはできない状況である。大人たちの大きな背中だけが目の前に広がる。うしろを葎はみるが、どうやら自分たちが最後尾らしかった。父と母はまた近くのしらない大人と話し始める。
背負った荷物をおいて、ぼんやりとときをすごしていると、前に少しだけ空間ができた。大人たちが、戸惑いの声を上げながら、歩き出した。
「葎。なにをぼんやりしてるの、いくよ」
母が強く肩を叩き、葎の体はちょっとふらついた。葎は荷を背負いなおす。
街でなく、世界。これからそこへ向かう。
大人たちの頭の向こう。大きな、空洞。それか穴。葎にはそう映った。中は明るい。自分たちの順番が近づいてくる。向こうがみえる。葎は見上げながら抜け通った。周りからは、低いどよめきが聞こえる。
灰色の世界なのだろうか。やたらと光っている石でできた建物。いや、石なのかはわからない。崖を切り出したとしか考えられない高さの四角形が、ずっと向こうまで整列している。
足元の感覚に気づき、視線を下げる。それから葎はかがみこんで、地面に指の腹で触れた。
ざらついていて、硬い。
これはやっぱり石だろう。しかし、石をこれだけきれいに削って、すべて並べたのか。死神の能力なのか、技術なのか。
自分たちが百に満たない人数でしかない、と感覚が変わるほど、視界は伸びる。横にも、縦にも。
わけもわからなく、葎は楽しく思った。
風が、強く吹いた。
額に手を当てて、風から顔をそむけた。そこに死神が立っていた。三人。それぞれ、見慣れた黒っぽい服を着ている。首にも色の濃い布を巻いて、垂らしている。
スーツ、そしてネクタイ。名前はしっているが、なぜ死神がそれをよく着ているのかはわからない。
役所に二人だけいた死神たちも、毎日あれを着ている。そして、胸のところに、万年筆の金具を光らせている。だから似たような格好をみると天子は、死神みたい、と自然に思う。
自分たちがいままで住んでいた街が不意にみえなくなり、かわりにさらに奥まで、葎の視界は伸びる。
一人の死神だけを残して、二人はその瞬間に姿を消した。
残ったのは、一番頼りなさそうな死神だった。なにか喋っているが声が小さくて、まったく聞こえない。
「こっちですよ、こっち。天子のみなさん、ついてきてください、いきますよ」
灰色の丸いものが、空中を漂いながら近づいてきたと思うと、それが葎の真上あた
りで、大声を出した。
動物なのか。死神の相棒なのか。死神の相棒が喋っているのをみたことは、いままで一度もない。葎が見上げると、それは背中を向けて、死神の方へ戻っていった。
「あれについていけばいいのか。それじゃあ、よくわからんが、いくか」
父が今度は集団の先頭になって、歩き出した。葎もその背中につられて歩く。うしろをみると、みんなも同じようについてきた。
立ち並ぶ建物の高さはあまり変わらないが、質が変わった。
そこで一度止まる。
どこかから別の死神が数人現れ、いくつかの塊に集団を分けた。
「ここまでの天子さんたちは、この一つ目の建物に住んでもらいますので、案内に従って、部屋を確認してください。はい、それではそのうしろの天子さんたちは隣ですから、ついてきてくださいね」
また灰色の丸い動物が、大きな声で叫んだ。
葎たちは一つ目の建物に入るよう言われ、右に曲がった。天子たちが十人ぐらい、うしろからついてくる。木の扉を開け、中に入る。
みえるすべてが異質で新しい。思わず、葎はとまった。目の前の階段。死神だけはそちらへ向かう。
左手にはなにもない広い空間があり、床は白い。滑りそうなほど磨かれている。さらに、きた道に面した方の壁は、ほどんどがガラスだ。二枚、はめ込まれている。こんなに大きな一枚のガラスはみたことがない。風が強く吹いたりしても、割れたりしないのだろうか。
母に背中を押され、葎はそちらをみながらも、足を動かし、階段を登った。
「二階、一番奥の部屋を、これから使ってください」
「私たち三人ですか?」
父が死神に聞き返す。
「そうです。ここを真っ直ぐ進んでください。そして、これが鍵です」
そう言ってから、なにかに気がついて、死神は焦った表情をした。
「あ、すいません一個足りないので、ちょっと待ってください。いま作ります」
死神は懐に手を入れて、たくさんの鍵が輪につながれたようなものをとり出す。その中の二つを外した。一つをいきなり、死神は口に入れる。ばきん、という音。平然と噛んでいる。何度も音がする。葎も両親もただ、呆然とそれをみていた。
死神はそれを飲み下すと、髪の毛を一本抜くような仕草をした。抜いたと思い、その指先をみると、そこには鍵が二つあった。
「これで三つですね。はい、どうぞ」
それぞれ鍵を受けとった。驚きながらも、葎はこういう能力もあるのか、と納得することもできた。
三人は頭を下げて、奥へ進んだ。
左には、見慣れない、拳銃の引き金のような取っ手がついた扉が並ぶ。右には小さいが、光をとりこむには十分なガラスがはめこまれた窓がある。開閉はできないらしい。
「これで開くのか?」
突き当たり。父が荷物を床に置き、取っ手に顔を近づけ、そう言う。穴に鍵をさして、動かしていくと奥まで入り、回すとかちり、と鳴った。
隣りの扉の前でも、しらない家族が同じようなことをしている。母親は、赤ちゃんを抱いている。眠っているらしく、まったく動かない。
「小さい子がいると、大変だったでしょう、ここにくるのは」
母親が明るい声で、そう声をかけた。向こうはそれに気づいて、子どもの頭をなでながら、笑顔になった。
「ああ、引くのか」
床に置いた荷物が、扉にぶつかった。父は荷物を手にして、横に回り込みながら、扉を大きく開けた。
やはり、よくわからない。形は部屋なのだが、見慣れない。壁は茶色ではなく、白。床は薄い色の木だが、平面で日の光を反射している。
「ここで靴を脱ぐのかな」
「こんなきれいなところ、靴のまま踏めるわけないでしょ」
母が言いながら、踏み出そうとした父の背中を引っ張る。葎もそこで靴を脱いだ。それから奥へ進む。
部屋が二つが、続いている。家具はない。広いと思った。
「水道、で、お風呂。ここが台所ね」
母が一人で喋りながら、部屋の横にある狭い場所に体を入れている。父は、奥の窓の鍵を開けようとしていた。窓のガラスも、やはり大きな一枚のもので、枠にはまっている。それを、葎は手で叩いてみた。おもいきり石などを投げつけない限りは、まず割れそうもない。
父が、窓枠を横に動かした。外だ。二人は裸足で窓枠から身を乗り出して、景色を眺めた。二階なので高くはないが、道がまっすぐに伸び、遠くがみえる。
左はさっきの広場。
新しい集団だ。おそらく、本当に自分が会ったことのない天子だろう。自分はあの街から出たことはない。あの街しか、しらないのだから。
お湯が出た、という母の大声が聞こえた。どういうことなのだろうと思い、葎は首を引っ込めて、父と共に部屋の中に戻った。
「なあ、さっきの死神さん、禿げないのかな」
思い出したように、父は真剣な顔で振り返り、そう言った。




