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【長編ダークファンタジー・完結済み】煙だけを食べる  作者: 佐藤さくや
第二章 流離
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二十 兄弟 五


 二十


「キャンプみたいだね」


 氷生が言う。そんな気もするが、やはり不自然な感じは強い。なにせ、周りはすべて人工物だ。少なくとも、キャンプではないだろう。


 夜。


 ビルを出て、氷生と瀬木根は、広場の真ん中まできた。そして仰向けに寝そべり、空をみていた。星のような輝きは無数にある。しかし、おそらくはまったく別のもの、それか星を模して作られたものだろうと、瀬木根は思う。


 星なら星でいいが、それだと思ったものが、この世界では違うものであることが多いので、自然にそう考えるようになっていた。


 グレイもそばにいるが、もう半分は眠っていて、てきとうに漂っているだけだ。


 五稜たちは、自分たちが元々いた世界へ帰ってしまった。町谷は朝になったらまたくるとは言っていた。


 自分たちから、こんなに簡単に目を離していいと思っているのが、不思議だ。


 五稜にいたっては、しばらくしたら様子をみにくる、ここは他の国から遠いから安全だ、と言っていた。さらに、自分は人をみる目だけはあるとも言っていた。町谷もその判断に納得しているらしく、氷生は、また明日、と言って、手を振った。


 千石だけが、渋々それに従うような感じだったが、千石の判断の方がまともだと思う。


「土がない場所にはなんとなく慣れない」


 見上げたまま、瀬木根は呟く。


「私も。死んでからはずっとあの山と湖だけだったから、変な感じ」


 氷生がそんな話をしたのは、出会ってから初めてのことだった。


「カップ麺も久しぶりだ」


「お金も払わないで、自動販売機から好きなだけ食べられるんだよ、凄いよね」


「昼に出された料理との差がひどいよ」


「ああ、あれね」


 氷生が笑い出した。


「あれ、町谷さんが能力で出したらしいんだけどね。虎ちゃんから引っ張って出すから、勢いで何回も皿ごとひっくり返って、失敗したって言ってたよ」


 なんとなくだが、その光景は想像できた。


「千石さんに頼まれたんだってさ」

「そうなのか。引っ張って出すのに向いた食べ物だったら、楽だったな」

「たとえば、なに?」

「伸びるやつ」

「チーズとか?」


 自分で言って、氷生はまた笑って足をばたつかせた。


 五稜が帰っていく前に、最初に自分がいたビルを、簡単に案内してくれた。


 五稜の移動系統の能力で、部屋からいきなり広場を超えて、ビルへ入った。やはり中には扉の類はなく、移動系統の能力を持った死神が使う前提だった。


 これから、そういう死神だけがここを使う。ものがなにもないので、瀬木根はそれをうまく想像することができなかった。


 どの階も部屋の大きさが違うだけで、自分がいたという部屋にもいったが、すでにベッドはなくなっていた。最後に二階に降りて、給湯室のような場所と自動販売機でアイスやカップ麺、飲み物もパンも買えると五稜は教えてくれた。無限に出てくるから心配するな、ポットでお湯も作れるぞ、と言っていた。


「ずいぶん急な話で悪いが、都会の生活だと思って、少し我慢してくれ」


 そうも言われたが、都会という認識が少し自分とは違う気がした。もしかすると五稜は冗談を言ったのかもしれない。


「風が出てきたな。戻るか」

「うん。あれ、シャワーって何階?」

「二、三、四だな」

「ここのビルって、まだ作ってる途中なんでしょ」


「そうだな、工事中だ。そういう能力を持った死神が細かいところをなおしていくんだって、五稜さんが言っていた」


 ビルの中の明かりはすべて消えている。それぞれの壁にスイッチがあり、手動ではあるが、簡単に一部の明かりだけをつけることができる。


 ドアを押して、手探りで壁を探る。スイッチに触れて、押すと一階の天井の四分の一が白く光り、茶色いソファーが照らされる。それで十分だった。火の明るさに慣れてしまっている。


 出入り口の近くにあるソファーの上に、町谷が帰る前に残していった大量の衣服がある。それらをたたみはしたが、まだ片付けていない。とりあえず、ソファーの上に放置していた。


 ビルを丸ごと好きに使っていいと言われていたが、さすがに気がひけるし、広すぎてそうもいかない。


 氷生が裸足になってタオルと着替えを持ち、二階へ上がっていった。その間に瀬木根は積まれた衣服を床に移動させ、自分たちが眠ることができるぐらいの範囲を確保した。ソファーの座面は自分が横になれるほどだから、氷生もせまいとは言わないだろう。


 こんなビルの一階で寝るというのは、いくらか乱暴な感じがするが、二階に寝具はない。


 明日からどうなるかはまだわからない。町谷と千石が再びここへくるとは言っていたが、千石にあまり自分は信用されていないという感じがある。


「あ、私も手伝ったのに。一人でやらないでよ、瀬木根さん」


 非常階段から、頭にタオルを巻いた氷生が降りてきた。


「ドライヤーもあった。これ、コンセントにさしたら使えるよね。なんか爆発とかしたら怖いから、持ってきた」


「爆発なんかしないよ」


 受け取って瀬木根はそう返したが、氷生の気持ちはわかった。足元にあるコンセントにドライヤーをつないで、スイッチを入れる。風が吹いた。それから温風にしてみる。風を手のひらに当てると、確かに熱を感じた。


「うわ、あったかい」


 氷生にドライヤーを渡すと、風に手を当てて、声を上げた。それから、ソファーの上で眠っているグレイに風を当てる。グレイの灰色の体毛が揺れた。グレイはちょっとだけ口元を動かしたが、起きる気配はない。


「じゃあ、俺もシャワー、浴びてくる」


 上着を無造作にソファーの背もたれへ放り、かわりに瀬木根はタオルを手にした。出入り口は手動で鍵をかけたし、裏口も確かめた。普通なら、上の階を拠点とした方が落ちつくはずだが、あまり奥に入りたくないという気持ちの方が強い。


 二階。窓に面して続く、長い廊下に出る。


 氷生は、明かりをつけたままにしていた。うっすらと石鹸の匂いがした。


 窓が湯気で白んでいる。その向こう。外は真っ暗だ。ここ以外に光を放っている建物はやはりない。この街には誰もいないし、隣り街もない。そもそもまだこの世界には、誰もいないのだ。瀬木根の頭に、吉光の作った世界がよぎる。


 扉を開けると、一人が立てるぐらいの広さの脱衣場だった。空気がまだ暖かい。横には湯船のある風呂場。


 トイレがいくつもあるんだから、風呂も大きくつくってくれたらいいのに。

 まるで人間の生活。さっき氷生にそういうことを言いそうになったが、口には出さなかった。扉を閉めて、瀬木根は服を脱いだ。


 四十ニ度。そこから、さらに少しだけ温度をあげる。シャワーからぬるいお湯が出る。それを手のひらで受けた。


 はじめて自転車に乗る。しかし、なぜかうまく前に進む。自分のしていることが、そういうふうに思えた。


 湯気で視界がくもりはじめる。

 瀬木根は頭から熱い湯を浴び、目を閉じた。




 不安に思い、瀬木根は目を開けた。


 朝。自分がどこにいるのかわからなかったのだ。


 しかし、対角線上に並ぶソファーで体を丸くしている氷生をみて、杞憂だとわかった。体を起こすと、深く沈み込んでしまい、瀬木根は座りなおした。


 神経を刺すような感覚。さっきのはまさにそれだ。しかし、誰の気配もないし、五稜の言うように、ここはどこからも遠い場所だ。


 背もたれに乗せるように置いておいたYシャツに、手を伸ばす。立ち上がり、肌着の上から袖を通す。のりがついているのがはっきりわかる。


 衣食住に関するものを引っ張り出す能力なのだろう、と町谷は自信なく言っていた。出せるものと出せないものの違いが、自分でも明確にはわからないらしい。


「あ、おはよう」


 氷生が呟きながら、体を起こす。腕の中にはグレイがいた。どうやら、抱いて眠ったらしい。


「寒いな」

「そうかも」


 氷生は手ぐしで髪を整えながら、素足で二階へ向かった。


 すぐに戻ってきて、入れかわりで瀬木根が二階へあがる。水洗のトイレ。男用と女用にちゃんとわかれていて、公共のもののように五つ同じものが横にならぶ。


 

 口をゆすいで一階へ降りると、町谷がいた。隣りには千石も立っている。


「殺し屋は、どうしてかそういう黒いスーツを好むな?」


 Tシャツと少し大きめの短パン。腕を組んで、千石は口元だけで笑った。


「普通のサラリーマンにみえるからじゃない?」


 返事に困っていると、氷生がそう答える。


「さて、食事を出しますね」


 町谷が瀬木根と千石の間に割って入る。


「町谷さん、なんか伸びるやつでいいよ。その方が楽なんでしょ」


「楽といえば楽ですけど、伸びるやつってどんなものです?」


「バナナ」


 氷生が考えていると、漂っていたグレイが虎の顔の目の前にきて、そう言った。虎は、鼻先をグレイにこすりつけた。


「バナナですか、やったことないなあ」


 町谷が頭をかきながら、虎の首のうしろあたりをつかみ、勢いよく手を動かす。虎は一瞬だけ薄くなる。


「うん、おしい」


 グレイの言う通りだった。町谷の手には、大きな葉が一枚あった。おそらく、バナナの木の葉っぱの方だろう。


 もう一度、町谷は虎の皮を引いた。


「なんでだ」


 確かに、と瀬木根も思った。町谷が尻もちをつく。手にしていたのは葉と木の幹の折れたようなものだった。バナナの木の上部だろう。しかも、バナナ自体は実っていない。


「お前が一番得意なもので、十分だろう」


 いままで黙ってみていた千石が、しびれを切らしたように言う。


「あ、はい、じゃあ」


 今度は力みなく、町谷は虎からなにかを取り出す。


「なんでだ」


 グレイが言った。


 出てきたのは赤と白の薄い紙箱で、それはよくしっている、宅配ピザそのものだった。瀬木根もグレイと同じことを言いそうになった。


 氷生が顔を近づけて箱を開くと、できたてのピザが本当に入っていた。


 香ばしい小麦とチーズが、ふんわりと香った。


 町谷が出した数枚のピザを全員で囲んだ。


 どうやら、五稜が何度も注文してくるので、次第に慣れてしまったらしい。


 千石だけは立ったままで気を緩めず、警戒心を保っていたが、瀬木根たちはかたい床にあぐらをかいて、熱いピザをほおばった。


 町谷が街をみせると言うので、瀬木根と氷生だけがビルを出た。千石はビルに残り、これから他の死神たちがきて、内装を整えたりすると言っていた。


 そんなに新しい状態のものを使ったりしてよかったのだろうか。五稜が言うので、きっと千石は渋々了承したのだろう。しかもソファーには、自分たちの生活の痕跡が残ったままだ。


 きれいに晴れていたが、日だけ暖かく、漂う空気は冷たい。


 氷生には一枚、上着を羽織らせた。白っぽい現代的なカーディガンだ。それも町谷が虎から引っ張り出したものだ。それを着て走り回る氷生は、本当にただの小さな子どもにみえる。


 あのときのことはまるでなかったかのように、瀬木根はふるまっている。


 氷生は、瀬木根を殺そうとした。

 もう一人の人格がやったこと。


 あの世界で起きたのは、吉光が死んだということだけ。


 瀬木根はそれでいいと思う。グレイさえ、そういう態度で氷生に接しているのだ。


 広場。その石畳を抜ける。中央を右に曲がった。瀬木根たちの歩く道は細くなり、踏みかためられたような濃い灰色の平面になった。左右には街路樹が植えられている。それの外側にはまた道があり、その向こうがビル群。信号すらある。まだ光は灯っていない。


「車も走るんですか、この世界」


「らしいですね、まだずっと先の話になると思いますが」


「すごいですね」


「五稜さんは再現したいんだと思います。昔、自分が生きていた世界を。いまは、死神と天子は別々に生活していますが、それぞれ、混ざりあって、普通に仕事をして、普通にお金を稼いで生活するっていう、そういう感じを作りたいんですよ、きっと」


「うまくいくんでしょうか」


 宮内の国が、まさにそれだった。


 五稜は、このままやっても、うまくいかないということは、わかっているのだろう。だから、別々に暮らしている。


「さあ、でも五稜さんがうまくいくと思っているんなら、うまくいくんじゃないですかね」


 町谷は大きく二回、頷いた。

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