十六 兄弟 一
十六
二人だけで、動いた方がいい。
心配性の千石も、今回は五稜の言うことを、おとなしく聞いた。自分と五稜だけの方がいざというときに動きやすいのは、わかりきっていることだからだ。
五稜と千石は空高くから、滝や湖、港を見下ろしていた。
数十人の死神が、ここから外倉の国へ向かった。ついさっきわかったことだったので、追っても間に合わない可能性の方が高い。
「最近、いろんなことが起きるな、千石」
「外倉のところに宮内をけしかけたのは、五稜さんが、自分でやったことです」
「思ったより、あっさり終わっちゃったけどな」
肩にしがみついていた五稜のりすが、肘のところまで這ってきて、顔を見上げる。
「私が先行しますから、絶対に前に出ないでください」
五稜が動こうとしたとき、前に千石が出て、そう言った。
五稜はわかってるよ、と一言だけ返し、千石の背中について高度を下げた。
巨大な崖。海岸に沿って、それがずっと向こうまで続いている。
誰かがまだいるのは、すでに把握している。
急に現れた世界だった。報告が入り、五稜たちはやってきた。
外倉の国から近いから、なにが起こるかはわからないが、危険なのは自分でも十分にわかっているつもりだ。千石が、一度様子をみてから近づけと言うので、はじめは五稜がそれに従い、待機した。
情報が少なすぎた。こういうとき、千石は確かなものは力だと思っているので、数ではなく強さで判断する。そういうところが五稜は好きだった。
千石は、元々沙灘のところで働いていた死神だった。
男として、沙灘のことを千石は好きだったと思う。そういうことを言葉として伝えたことは、一度もないらしい。沙灘は、千石の気持ちにはまったく気づいていなかった。
俺がそれを沙灘に伝えても、そんなことはない
と否定された。それ以上、首を突っ込むことはしなかった。自分がどうこういうことじゃないと、思ったからだ。後悔はない。
滝に近づくと空気が冷えていて、少しだけ風を感じた。しかし、海の匂いはしない。水の音だけが聞こえる。
湖面まで高度を下げる。港。千石が降り立って、五稜も続く。心配しているわりに、千石は迷いなく歩を進める。
森。五稜は歩きながら、見上げた。傾斜のゆるい大きな山。二人は、もう横に並んでいた。
登り始める。
「なあ、千石。お前の判断で、勝手に殺すなよ?」
前をみたまま、五稜は笑う。
「私は、そんなことはしません」
「嘘つけ。宮内のところで、二人殺したろ」
「あれは、どうみても殺していい死神だったからですよ」
千石は表情も変えず、抑揚のない声で返事をした。
木が少なくなる。
そこにいる、とわかっている。千石が相棒と一体化する。姿はみていないが、感覚でそれを認識することができる。五稜のりすは、肩にしがみついたままだ。
神の域に入ってしまえば、常に相棒と一体化し続けることも難しくない。だが、そこまでする必要を五稜は感じない。
男の死神と子どもの天子か。
二人が、平地の真ん中で横たわっている。子どもの天子を、死神が抱くような格好だ。
男の死神のみた目は、二十代のようだ。体の線が細く、顔の印象も薄い。天子の方は、髪が長く、顔はよくみえない。一度、五稜は視線をあげた。大破した木造の建物。木片が散乱している。
血も、死神が死ねば消える。それでも五稜にはわかった。ちぎられたり、なにか大きなものに踏まれた草の跡。木の幹の深い傷。それなりの規模の戦闘があったのだろう。戦う死神たちを、五稜は思い浮かべた。
千石が、二人のそばから動かない。
「なんだよ」
五稜も歩み寄り、二人をもう一度みた。のぞき込む。すると子どもの天子の髪の毛の中に、灰色のなにかがいた。どうやら、生き物らしい。いや、男の死神の相棒か。
「なんだ、これ」
「さあ」
五稜はしゃがみ込んだ。そこで初めて、自分のまちがいに気がついた。
「子どもの、死神。嘘だろ?」
「嘘じゃない。死神だよ、氷生は」
なにかが喋った。幼い子どもがふてくされたような、低い声だった。灰色の丸いものが、動く。髪をかき分けて、姿をはっきりと現した。やっぱり、死神の相棒だ。
「かくれてたわけじゃないぞ」
灰色の丸いものが喋った。
「お前、死神の相棒だろ。なんで、喋ってんの」
「グレイという名前だ」
「なぜ喋るのかと聞いているだろう、答えろ」
「あ、こらやめろ、千石」
千石が能力を使おうとしたので、五稜は腕をつかんだ。砂が、一瞬だけ舞い上がった。
「俺は、五稜という。グレイ、だったな。お前らはここでなにをやってるんだ?」
とりあえず、この死神の相棒がなぜ話すのかはあとにしようと、五稜は思った。頭はあまりよくないらしいとも考えた。
「五稜って、あの神さまの、五稜?」
「神さまっていうか、神だな」
答えると、急にグレイは慌て始めた。
「すいませんが、なにもみなかったことにして見逃してくれませんか。さっきまで色々大変だったんで。おかえりはこちらです」
そういってグレイは飛び上がり、自分で移動系統の能力を使い、扉のようなものを出した。
「いや、待て待て。そうはいかないだろ」
五稜は、片手でその扉を打ち消した。
死神や天子のように、やはり普通に喋る。しかもちょっとおもしろい。グレイは悔しそうな表情をしているようだが、目が小さいからか、なにを考えているのか読み取りにくい。
「なにもしないから、じゃあまず、ここでなにがあったのかを教えてくれないか、グレイ」
「殺さない?」
グレイが見上げたのは、千石の方だったので、五稜は思わず笑った。
「ああ、殺さない、殺さない。こいつは千石だ。いつもならもう殺してるだろうが、今日は大丈夫だ、安心してくれ」
五稜は手を伸ばした。
「そうですか、それならよかった」
グレイも手を出して、握手を交わした。触った感じは柔らかく、少し暖かい。
千石は不満そうな表情をしているだけで、なにも言わない。だが、相棒と一体化した状態は保っている。普段なら、触るなと言いそうだが、さすがに千石もこの薄汚れた毛玉に対して、脅威は感じないらしい。
「さっきあったことを、全部話すので、この二人の安全を保証してもらえますか」
グレイは続ける。
「二人が、外倉の国と関係がないなら」
「こいつは瀬木根といって、外倉の腕を斬り飛ばした馬鹿野郎ですから、大丈夫です。こっちは氷生です。自分の相棒をうまく扱えなくて、さっき、瀬木根がそれをおさえ込もうとして、戦争みたいになってました。
いまは力を使いすぎて、寝てます。氷生はグレイの能力で眠らせました」
一息で、グレイは話した。
「瀬木根。瀬木根か。あれ、みたことあるぞ」
「前に、宮内のところに」
千石が口をはさんだ。
「ああ、わかった。一回みたぞ。直接じゃないけど、みた。羽村と一緒にいたな。そうか、こいつか。で、外倉の腕をなんだって?」
「斬り飛ばしました」
五稜は千石の方をみて、笑う。とんでもないことを平然とグレイが答えるので、それがとても面白かった。
「へえ、主人も頭がおかしいのか。そりゃ、相棒も喋るよな、千石」
「そうですね」
五稜はそこで初めて、感知系統の能力を使った。目の前に対象がいれば、体力はほぼ使わない。
「元々が吸収系統で、炎と毒と、法則を無視するやつか。あとは、体が薄くなるのか?」
「五稜さん」
千石に言われ、上空をみる。自分が放った数十人の死神が戻ってきた。追うのを諦めたらしい。外倉の国の死神が出てくると面倒だから、すぐに戻ってこいとは言ってあった。
「なんで、あのときは分かんなかったのかな。グレイが喋るのが、原因か?」
「さあ、そうかもしれないですね」
「で、グレイ。この世界がいきなり現れたのは、能力でいままで、だれかが隠していたって感じか?」
「そうです。そいつらは外倉の国で生きたいそうで、出ていきました」
「ふうん。しかし、子どもの死神がいるなんてな」
「もう死にましたが、吉光という死神が、この世界を隠して、氷生を守っていました」
「なるほどなあ。なあ千石、俺はグレイから話を聞くから、連中の話はお前が聞いてくれ」
「わかりました」
千石は、戻ってきた死神たちの方へ向かった。
「グレイ、話を続けようか。お前らは元々宮内のところにいたはずだ。どうしてここにいる。しかも、この世界はいきなり現れた。お前らは、ついさっき、きたってわけじゃないだろう?」
「移動系統の能力で、この世界の中に入りました。宮内の国からは、追い出されました。瀬木根が外倉の腕を斬ったからです」
「どうして、それが悪い?」
「勝手にそれをやったからじゃないですか」
「宮内のいうことを、聞くようなやつじゃないのかな。この瀬木根ってやつは。あの春木に、とどめを刺したんだってな。それは本当だな?」
「グレイがすごかったので、勝ちました」
「グレイがすごかったのか、瀬木根じゃなく」
「はい、そうです、神さま」
「じゃあ、宮内のところを追い出されたあとは、どうする予定だったんだ」
「瀬木根は、旅をしようとしてました。特に目的地はないです」
「じゃあ、一回、俺の国に連れていこうか。ここで、外倉に殺されるのも惜しいしな。もう、次はないんだろう、瀬木根は」
「はい、そうです。次死んだら、瀬木根は本当に死にます。よかったです。ありがとうございます、神さま」
グレイは頭を下げたようだが、一頭身のため、ただ背中を丸めたような動きをしただけだった。
「千石。あの二人を運んでくれ。連れていく。ビルの中に、空き部屋は山ほどあるだろ。しばらく、世話をするやつも用意してくれ」
「どうして、そこまでする必要があるんですか。放っておいても、大丈夫じゃないんですか」
「冷たいやつだな。どうせ、グレイが苦手なんだろお前。それに、瀬木根をこのまま野放しになんて、できないだろ」
「それはわかってますよ。逆らったら、殺します」
「出たよ。すぐ殺そうとする」
五稜が肩をすくめて笑うと、グレイも足元で同じようなことをしていた。多分、自分がいなかったら、グレイはサッカーボールのように、千石に蹴り飛ばされていただろう。どうせ、相棒はそんなことをしても死んだりはしないのだ。
死神二人を、五稜は能力で触れることなく浮かせた。
「お前、子どもが好きだったよな。こっちは背負ってやれよ、千石」
「嫌です」
「お前、子どもだぞ。天子の子どもとは、いつもくっついて遊んでるくせに。俺はしってるんだぞ」
「子どもは好きですよ。わかりました、背負いますよ」
「なにを照れてんだよ、まったく」
千石がもう一人死神を呼び、宙に浮いている瀬木根を背負わせる。氷生は、千石が背負った。
「じゃあ、いくぞ。グレイ、お前はこっちにこい。まだ、話は終わってない」
「はい、わかりました、神さま」
グレイが体を浮かせてやってきた。全員で空を飛び、きた方向へ動く。この世界の中では、長い距離の移動の能力はうまくいかないので、一度、外へ出る必要がある。
とぼけた表情をしているが、グレイは、なんとか瀬木根を守ろうとしているのだろう。
もしかすると、自分のこの相棒も話すことができたとしたら、なにかしらの意志を、自分に示したりするのだろうか。
そんなことを思いながら、五稜は肩にいる相棒のりすをのぞき込む。いつもの感じで、顔をかきながら、相棒はみつめ返してくるだけだ。
宙。そこから、空へ高く昇る。
世界と世界の間。そこへ出る。まるで、宇宙にいるような感じがする。宇宙なんていったことは
ないが、ここを通ると、五稜は毎回そう思う。
眺めは悪くない。青白んでいるが、眩しくないし、近くの世界は丸みを帯びていて、空の色が、そのままきれいに映っている。ある程度強い移動系統の能力があれば、死神なら、誰でもみることのできる景色だ。それでも時々、五稜はこの世界をみたくなる。
人間だった頃は見上げたって、海の底にいるみたいで、空なんてみえなかった。みえていたのかもしれないが、自分を押しつぶすような存在でしかなかった。濁っていたのだ。
俺と似たようなことをやっていた連中なら、多分、そいつらも似た景色をみていたと思う。
闇をみたことがない死神は、それだけは、多分いないと思う。つまり、この子どもも。五稜は千石の背中に背負われている氷生の寝顔をみる。
小学生か、中学生。
人として生きていれば、まだそのくらいだ。それでも、この子どもは死んだ。そして、なにかしらの理由があって死神になった。
五稜は能力を使った。大きな穴。全員が体をそこへ入れた。五稜は最後尾につく。一度、遠くをみた。
「千石、あとはお前が連れていけ。大した距離じゃないだろ、もう」
千石が返事をする前に、五稜は完全に穴を消し去った。相棒のりすが、五稜の頭の上に駆けのぼった。二本足で立ち上がり、背中を伸ばしている。りすも遠くをみようとしている。
五稜は、自分から気配に近づいた。どうなるのかはわからないが、恐れや不安の感情はない。自分が自分をおさえられないということも絶対にない。
「なんだ、お前も一人か、外倉」
姿がはっきりとみてとれる距離。
五稜も外倉も、そこで止まった。
「いや、他にも連れてきてるよ」
「なにしにきたんだ、一体」
「そりゃ、こっちのせりふだろ。あんたこそ、こんなところでなにをやってるんだ」
「急に世界が現れちゃったから、みにきたんだよ。誰だって、みたくなるだろ、新しい世界なんだから」
「まあ、あんたのところからはずいぶん遠い場所だから、関係ないと思うけどね。あとからくるやつらに調べさせて、てきとうに移住させるよ」
「誰をだ?」
「天子だよ」
「いいかげんに飽きないのか、そんなことをして」
「天子も男だからな。俺に言わないでくれ。それで回ってる世界もあるんだよ、五稜さん。それより、子どもの死神がここにいるって聞いたから、俺はきたんだが、しってるか?」
「しってるよ。俺が預かったから」
「へえ、よりによって、あんたが?」
そう言って、外倉は口元だけで笑って、ため息をついた。
「渡せよ」
「奪ってみせろよ、死ぬ気でな」
「それがいやだから、頼んでるんだろ?」
「じゃあ、諦めるんだな」
外倉は、めんどくさそうに頭をかいた。
「わかった、わかった。今日は諦めるよ。でもそのうち、もらいにいくわ。子どもの死神なんて、聞いたことねえしな」
「お前、女を犯すこと以外に、なにもないのか、生きる目的は」
「女をやるのが、好きなだけだよ。俺をそんな、頭のおかしいやつみたいに言うなよ。いま、あんたとここでやり合う気はないからさ、おとなしく帰ってくれよ」
五稜は、外倉に背中を向けた。りすが頭の上で跳ねている。無視して、一人分の穴を空間に開けた。そこに体を入れる。もう、千石たちも国までたどりついた頃だ。
青い世界から、本当の空へ続く。穴はすぐに閉じて、消えた。五稜は空を飛んで、移動し始める。
久しぶりに外倉の顔をみた。
死神は老いたりしない。
もちろん、みためや肉体的な部分の話だ。心だけは変化し続けている。外倉に対する怒りが、いまはもうない。外倉とまともに話をしたのはいつだっただろう。昔のことすぎて、思い出せない。
調べればわかるが、二十年くらいは経つのかもしれない。
沙灘の弟のような感じだった外倉が、いつの間にか変わってしまっていた。自分にとっても、血のつながりはないが、弟のようだった。それも、遠い昔だ。
力が、外倉を変えてしまった。強い力があれば、死神は自由になれると外倉はしってしまった。
まだ、俺が神になる前。田沼という神がいた。この辺りを一人でおさめていた。みんな、じいちゃんと呼んでいた。外倉は、神の持つ力に憧れていた。
田沼はもう六十もすぎた男で、俺たちを孫のように扱ってくれた。
家族って言葉が好きだ。響きだけでいいものだと思うし、優しい気持ちになる。
沙灘も外倉もだ。家族みたいなものだった。血がつながっていないからじゃない。壊れてしまったから、家族みたいなものだと思うだけだ。
あの馬鹿は、いつか俺がなんとかしてやらないといけない。俺だけがそう思っているんだから、誰にも理解してもらえなくたっていい。
あいつは俺の弟でもある。馬鹿な弟だ。沙灘が生きていたら、俺と同じようなことを思うかもしれない。
田沼がつくった国はもうない。二つに分かれて、俺の国と外倉の国になった。
いつから、あいつは俺のことを五稜と呼ぶようになったんだろう。
みてくれも頭の中も、お前は、がきのまんまのくせによ。
また、五稜は穴を開ける。大きく世界を移動した。
灰色の道。視界は縦の方向に伸びる。街へ戻ってきた。
前から、千石が一人で歩いてきた。
「説明してください」
「喉が渇いたから、ちょっと先にコーヒー飲ませてくれ。お前もつき合えよ」
あからさまに声を荒げる千石に、五稜は笑顔で返した。