十 こぼれる
十
宮内が集めた死神は、二百ぐらいまで達した。
自分と羽村が声をかけたのは二十人ぐらいだったが、その十倍近い死神が、宮内の住む街の広場に集結していた。
さすがに街に住む天子たちも、その見慣れない状況に怯えているらしく、街はおかしな雰囲気に包まれている。
広場だった。二百人もいるが、指揮をとるような死神はいない。
それでも、死神たちはそこに静かに立っている。宮内がここにくるのをただ待っているのである。その中に、羽村と瀬木根はまぎれていた。
羽村は、余計な混乱が起きる可能性があるからと言い、そばにずっといた。
ただ、いまここににいる死神たちがそんなことを考えているようには、まったく思えなかった。
しばらくすると、遠くの方で声がした。
宮内が歩いてくる。
それぞれの声がざわめきになり、広がった。
宮内が、ふわりと体を浮かせた。
瀬木根も羽村も、そして、他の死神もみんなが見上げている。
「俺たちの国の住民が、外倉にさらわれた。しっている通り、三日前だ。もう、こんなことが起きないようにしたい。
伏せようかと思っていたが、管理をしていた死神の一人が、一度死んでいる。最後の死ではないので、生きてはいる。だが、そんなことはどうでもいい。
俺たちの国に住んでいた人間を連れ去る行為、外倉のやっていること、考え、国の形、それらを俺は許していない。お前たちを前に出して、全面的に戦うことを望んでいるわけではない。
ただ、この国の力がどれほどなのかをみせる必要がある。
しかし当然、向こうの出方次第では、そのまま戦闘になる可能性もある。覚悟のあるやつだけがここにいる。だからもう、これ以上は言わなくていいはずだ」
また、はじめてみせる、宮内の姿だった。冷たくも燃えている。そういう目をしている。
この死神たちと宮内のつながりについて、瀬木根は一つもしらない。
ただなんとなくそれぞれが、なにか共通のものを心の中に持っているのはわかる。
人として、宮内の期待にこたえようとしている。みんな、見上げたままでいる。
「いこう」
宮内が、背中を向ける。両の手のひらを、空にかざす。
瀬木根は我に返った。目だけを動かして、周りを盗むようにみた。多分、自分もこういう表情をしていた。
崇めるような、むしろ崇めたいような気持ちが、確かにある。
宮内という男は、そういう不思議な魅力があった。それも含めて神なのかもしれない。
重々しい巨大な扉が、宮内の前に現れた。
「いこう」
もう一度、宮内は静かに言う。
不意に、瀬木根は震えを感じた。死神たちが雄叫びを上げたのだ。全身を、声の響きが打ってくる。その迫力に圧倒された。
死神たちのかたまりが、動き出した。瀬木根も体を浮かせる。流れが生じた。
次々に大きな扉をくぐり抜けていく。先頭には宮内がいる。いや、みえはしない。
宮内についていくのだと思っただけだ。扉をくぐる。違う空の下に出た。
地上を歩いたりはしないらしい。速度は緩やかなものだ。列は乱れない。それぞれが、一定の速度を保って動いている。
青い空の向こうがみえた。
巨大な扉。
次は夜らしい。それか暗い世界。
近いのか。わからないが、前の死神たちの動きが次々に止まっていく。それにならって、瀬木根も宙にとどまった。
上空に白くて長い線が、いきなり走った。布でもかぶっていたかのように、夜空が二つに割れていく。夜空は左右にずり下がっていき、真ん中からは、青い空が現れた。
眩しく感じた。いや、本当に眩しい。
夜空はどこかへ流れ去っていった。別の世界が、そこには広がっていた。
視界は上下にのびた。
高いところは崖のような感じの場所で、その上に建物が並んでいる。斜面はほぼ垂直になっていて、その最も低い部分から、また街が広がっている。
空を飛んだまま、その崖に近づく。崖が壁のように感じられた。とてつもない大きさの壁だ。その下にある建物は、すべて平面にみえる。
崖の端に、誰かが一人で立っている。背中を向けて、奥の方へ走り去っていった。
ここはどういう街なのだろうか。
さすがに二百ほどがかたまっていると、妙な安心感がある。グレイと一体化はしているが、ほとんど体力を使っていない。
前方で音がした。だが、大きな音だったにもかかわらず、手を叩いたような軽い感じに聞こえた。
「ここにいて。みてくるから」
「わかった」
すぐに羽村の姿は、みえなくなった。
宮内の動きはわからない。奥へ入っていったのかどうかもみえない。
羽村が戻ってきた。
「宮内さんは、一人でこの先に入った。私たちはここで待機する」
不服そうな顔で、羽村は横に並んだ。
自分たちはここまでやる。そういうことをみせるために、宮内はこれだけの人数を連れてきた。しかもこの死神たちはみんな、戦闘系統の能力を持っている。
「グレイ、勝手に離れるな」
グレイが肩のあたりから、顔を半分だけ出していた。
瀬木根はグレイの頭をおさえ込んだ。
「だって、暇なんだもん」
「いつなにがあるか、わからないだろ。ここは敵の領地なんだぞ」
「じゃあ、早く戦いたい。殺して、新しい能力がほしい」
瀬木根は思わず、グレイの頭を叩いた。幸い、羽村や周りの死神には聞こえていないようだ。
「痛い」
「グレイ。いいかげんにしろ。殺すなんて簡単に言うな。怒るぞ」
「だって、新しい能力欲しいんだもん」
「能力を奪うってことは、その死神は本当に死ぬってことだぞ」
「そうだよ」
「お前な。死神を殺すってことは、悪いことなんだぞ」
グレイの声は、半分は一体化しているので、瀬木根にしか聞こえない。瀬木根の声もグレイにだけ届いていた。
グレイには、説明しても無駄だとはわかっている。それでも瀬木根は言いたかった。
自分がしたことを正しいと思うことは、多分死ぬまでないと思う。
なにが起きているのかわからない状況だが、勝手に動こうとする死神は一人もいない。
「宮内さんだ、戻ってきたぞ」
大きな声が響いた。
「助け出したぞ」
大きな声。宮内の声だった。
歓声が上がる。死神たちが広がって、瀬木根にも宮内の姿がみえるようになった。そばに、三人の男がいた。
「誰か、手をかしてやってくれ。こいつらは、空を飛べないんだ」
宮内が言うと、近くにいた数人が崖の方まで近づいた。
崖の奥。建物の屋根の上に、誰かが一人で立っていることに瀬木根は気づいた。
消えた。
「離れろ」
宮内がそう叫んだ瞬間、宮内のそばにいた死神たちがいきなり燃えた。
男が、体を浮かせていた。
「騒がしいからきてみたけど、なんの用だよ。久しぶりだな、宮内」
「外倉、お前」
「どうせ生き返るんだから、そんなに怒るなよ。どうせ、まだ何回かあるんだろ?」
「殺すぞ、外倉」
「やってみろよ。俺もこいつら全員、ここで殺しちゃうぞ?」
「させないよ」
宮内がそう言うと同時に、不意に大きなものに包まれた。
「これでお前の能力は、もう使えない。消えろ、外倉。俺がまだ冷静なうちにな」
「はいはい、わかりました、わかりました。こっちは人手が足りないんだから、三人ぐらいもらっても、問題ないだろ」
「お前が働けばいいだろ」
「やだよ」
この男が外倉。さっきの三人は大丈夫なのか。
「なあ、宮内。この能力ってさ。外からなら、簡単に壊せるよね」
外倉の体が燃えて、消えた。
春木の能力と同じものなのか。
みえない、なにか膜のようなものが割れた。
「ちょうど女も足りなかったんだよ。器量のいいのがさあ」
気づくと外倉は、瀬木根のそばにいた羽村の首に腕を回して、体を触っていた。一瞬で、移動した。
「触るな」
羽村が、振りほどこうとした。
「生意気だなお前。燃やすぞ、くそ女」
外倉の右手が、不意に炎を帯びた。
赤羽の能力を、瀬木根は使った。思わず、体が動いた。
瀬木根は剣を出し、外倉のその右手を斬り飛ばした。もう、グレイは完全に一体化している。
「なにしてんの」
確かに斬ったはずの右手が、そこにある。外倉は手を握ったり、開いたりしている。
「お前も死ぬか?」
外倉が腕を伸ばしてくる。いきなり、宮内がそこに現れた。外倉の腕をつかむ。なにかが折れたような音がした。
「羽村、大丈夫か」
「はい、私はなにも」
宮内は、白いものを持っていた。よくみると腕だった。凍った腕だ。
「なんだよ、さっきから。腕斬られて、今度は氷漬けかよ、痛えな、馬鹿」
少し離れたところで外倉が笑いながら、右手をおさえていた。肘から先がない。
「それぐらいで、お前は死なないだろ」
「わかったよ。帰るよ、もう」
外倉の手が一瞬、燃えた。すると炎は腕の形に変化した。
消えた。完全にそこからいなくなったのではなく、崖の奥に一瞬だけ、背中がみえた。そのまま、気配もなにも感じなくなった。
その場が、しんと静まりかえった。
「三人は、転生している」
大きな声で宮内が言った。
「もう、新しい天子の体を手に入れているだろう。場所は、こちらで把握している。特に問題はない。外倉がここまで出てくるということを、予想していなかった。
俺の油断だ。そのせいで三人は一度死んだ。三人とも最後の死ではないが、これは俺の責任だ。すまない」
宮内はみんなの前で、深く頭を下げた。
宮内のすぐそばにいた瀬木根は、どうしたらいいのかわからず、周りを見回した。
しかし、他の死神たちもお互いの顔を見合うばかりで、なにも言葉を発しない。
「宮内さんが見慣れないことをするから、みんなどうしていいかわからなくて、困ってますよ、ほら」
羽村が言うと、宮内は顔を上げて、周りにいた死神たちの眼をゆっくりと見回した。
「俺たちは、宮内さんに頼ってばっかりだから。こういうとき、宮内さんがなにか言ってくれないと、どうすることもできないんです」
「そうですよ、宮内さん。宮内さんはなにも悪くない。外倉が、あんな国を作ってしまったのが悪いんですよ」
「死んだやつらだって、絶対に宮内さんを悪く言ったりしてないはずです」
口々に、死神たちが喋り出した。瀬木根は、ただそれをみていた。
宮内が、小さく頷く。
「ありがとう。その言葉に、未熟な俺は救われるよ、本当に」
瀬木根も助け出そうとした死神が、外倉に殺されてしまったことに関して、宮内が悪いとは思わない。
集まった二百が再び動き出す。二つに分かれて、死んでしまった三人の死神を迎えにいくことになった。
その死神たちは、まだ三回生きられる。宮内を責めることはないはずだ。
瀬木根は、羽村とも宮内とも離れた。移動系統の能力がいらない、すぐ近くに、一人はいるとのことだった。
「なあ、あんた」
目的の街について、歩いていると、一人の死神が話しかけてきた。体が小さい死神だった。
「俺は、小沢っていうんだけど、あんたは瀬木根さんであってるか」
「ああ、そうだ」
「春木さんと戦って、勝ったんだろ。そして、春木さんの能力はあんたが持ってるって話だが、そうなのか」
「炎の能力は俺が持ってる。ほしくて、手に入れたわけじゃないが」
「いろんな噂が流れてたからな。俺は、本当のことがしりたいんだ」
「どういうことだ」
「あんたが、春木さんと戦った理由だよ」
小沢にどういう意図があって聞いてきたのか、瀬木根にはわからなかった。
「小沢、だったな。お前と春木さんは親しかったのか?」
「いや。ほとんど話したこともないよ。でも春木さんは、この国では有名だった。宮内さんの右腕だったからな」
「そうなのか。俺はただ、春木さんが俺たちの国を襲ってくるから、自分たちの街を守るために、戦ってただけだ。
それに、春木さんは俺の仲間を一人、焼き殺した。話をしたことは一回もない」
「そうか、そうなんだな。やっぱり、おかしなことなんてないんだな」
「おかしなことっていうのは?」
「いや、なんでもないんだ。俺は元々、外倉の国にいた。でも、あいつらとは合わなかった。それで逃げ出したんだ」
「外倉っていうあの男も、神なのか」
「あんた、なに言ってんだ。そりゃそうだろ」
小沢が驚いているが、自分が無知であることはよくわかっていたので、瀬木根はおかしいとは思わなかった。
目的の建物についた。
瀬木根たちは二十人程度で、他の死神たちはみんな、羽村と宮内の方へいった。あの街と同じだ。
瀬木根たちがたどりついたのは、刑務所だった。やはり、罪を犯した天子の体を使うのは、ここでも同じらしい。
瀬木根や小沢たちは、門の前で待つことになった。
天子たちは、そこまで珍しいものではないらしく、遠くの方からこちらを眺めているだけだ。
小沢とグレイがよくわからない、どうでもいいような話をしていると、中に入った死神たちが出てきた。
連れ去られた死神は、確かにそこにいた。小沢がその死神を背負い、宮内の街まで運ぶことになった。
「俺の能力は、風を操ることだから、誰かを背負って移動するなんてのは、簡単なことなんだ」
確かに、小沢の表情には十分な余裕がある。小沢の相棒は、手のひらに乗るほどの小鳥で、小沢のすぐそばで羽ばたいている。
宮内の街の広場でしばらく待っていると、宮内、そして羽村たちが戻ってきた。他の二人の死神も、そこにいた。
三人が宮内の住む館へ連れていかれ、他の死神たちは散会となった。ただ、瀬木根はあとから呼びにいくと言われていて、広場の長椅子に腰を降ろし、宮内を待っていた。
街の中にいればいいと言われていたが、一番自分をみつけやすいのはここだろうと、瀬木根は思い、そこを動かなかった。
水路があり、広場の真ん中の広がりに少しだけたまって、また流れていく。水は、綺麗だった。なんの匂いもない。そして透きとおっている。
池のようなところの端には、石の囲いがあり、そこに腰を降ろして休んでいる天子がいる。
もう、喧騒の気配はこの街にはない。
「すまない、瀬木根。待たせたな」
顔を上げると、宮内がそこに一人で立っていた。
「いえ、大丈夫です」
「話というのはな、率直に言うと、お前をこの国においておけないから、出ていってもらいたいっていう、お願いだ」
「荷物の中で、必要なものはありません。もし、いますぐに出ていかないといけないなら、部屋にあるものは、全部捨ててしまってかまいません」
「理由もなにも聞かないのか、瀬木根」
「予想はつきます。だから、言わないでください。俺は一度でもここにおいてもらって、本当に助かりました。ありがとうございました」
グレイも黙ったまま、漂っている。もう、ここに未練はないというような感じで、宮内の方すらみていない。瀬木根と同じように、きっとここにはもう、いられないとわかっているのだ。
宮内は驚きを隠さず、そして、明らかに瀬木根の態度に戸惑った。
「これはせんべつだ。外倉の国や、そして五稜の国がここから近い。もし向かうなら、五稜の国がいいと思う」
沈黙のあと、宮内は続ける。
「これは、その五稜という神がいる国のお金ですか?」
「そうだな」
「助かります。ありがとうございます」
紙幣の束を瀬木根は受け取り、立ち上がった。グレイに声をかけると、ふわふわと浮き上がった。
瀬木根は、スマートフォンを取り出し、宮内に渡した。それから頭を下げ、その場をあとにした。
「すまない」
小さな声で、宮内は言った。瀬木根の背中に、確かにその言葉は届いた。
広場を出ると、羽村がいた。
「こっち」
街を出るための案内をしてくれるのだろう。
「俺は旅をするよ。五稜っていう神がいる国への近道を作ってくれるんだろ。俺はいかないから、大丈夫」
羽村は黙ったまま、なにも言わない。
「助けてくれてありがとう。あのとき」
うん、と瀬木根は呟き、首を少し動かした。
歩いて街の外れまできた。羽村も、黙ってうしろをついてくる。
「じゃあ、さよなら」
そう言って、瀬木根は手を上げる。グレイはまったく喋らず、空を漂っている。
勝手なことをしたのは、自分だ。だが、後悔も未練もない。
少し進むと、道が、砂利混じりに変わった。