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「海がいい、海が見たい」
次に逃げる先に彼女が選んだ場所は、海だった。
「ハノーファーでは見れなかったから」
京都銘茶店の前で、俺は思った。
良かった、ほぼ帰宅方面だ……!
いやいや、もうこれ以上、余分にチャリ漕げないとか、そんなんじゃないんですけどね。
なんたって、彼女も俺に会いたいと思ってくれてたんだよ?
「よーし!GO!」
再び俺の後ろに腰かけた彼女の口から、号令が発せられた。
先程の告白のような発言を聞いた後では、腰に沿えらえた手のぬくもりに何か特別な意味があるように感じてしまう。
「行くぞーっ」
一番力を入れなければならないペダルの一漕ぎ目に、想いを乗せる。
「GO!GO~!」
あぁ、彼女は紛れもなく、そこにいる。
「ってか、そこはドイツ語じゃないのかよーっ」
街中をぐんぐん進むにつれて存在感を増してゆく風が、俺と彼女を運んでゆく。
「ロスゲーツなんて言って、誰が分かるのよーっ」
彼女の声が、そんな風に負けないように、俺の耳たぶをつかむ。
「分かんねーよーっ」
こんな平日の真昼間から、制服姿の俺たちは。
「分かんねーからさーっ、これからも教えてよーっ」
一体チャリにどんな夢を乗せて。
「理沙のことーっ、教えてよーっ、全部ーっ」
どこに向かっているというのだろう。
景色は流れに流れ、車道の両側に緑が生い茂るような坂を、俺は気合を入れて立ち漕ぎする。
ここを越えれば、ここを越えれば。
理沙、俺ができることを、今、精一杯、君に。
「わああ」
坂を上りきれば、眼下に広がるのは。
「海だ―っ、海、海、海ーっ」
日の光を広大な水面に反射させて、まるでこの世界のありとあらゆる輝きを集めて弾けさせたかのような景色だ。
「きれいーっ」
シャーッと音をたてて下る俺たちの体を縁どるのは、海面のきらめきとこの上ない幸福感だった。
キキ―ッ…
潮の香りが鼻をくすぐる信号待ち。
俺らの目に入ってきたのは、ケーキ屋さんの前ではためく『春のシュト―レン』という旗を片付けている店員の姿だった。
「シュト―レンかぁ……懐かしいな」
口に出さずにはいられない、それほどにシュト―レンには俺なりの思いがあった。
バケットをぎゅっと縮めて太くしたような形に、ドライフルーツやナッツが練り込まれ、粉砂糖をこれでもかという程にまぶされているパン菓子のようなケーキ、それがシュト―レン。
最後に食べたのは……。
ふと、何も返事のない後方を振り返る。
俺の目に映るのは、青い目を閉じている彼女の姿。
それはまるで、音、景色、香り、それらすべてを遮断して。
何も、誰も、寄せ付けない、彼女の内側の世界。
光り輝く海と平行線上にいる俺らを包んでいるものは。
「理沙……?」
本当に幸福感なのだろうか?