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願い事は口に出すと叶いやすいと言うのなら。

口にも出したくない願い事は叶うはずもない。

叶うはずもない。


叶うはずもない、のに。


「リサーっ」


私が通いだして数ヶ月経つ、ドイツの学校ギムナジウム。

赤い屋根に薄橙(うすだいだい)色のレンガ造りの校舎を中心に、カフェテリア、校庭、通学路には十一歳の子供から十八歳の若者という広い年齢層の人間が混在している。


その大勢いの人間の中、あなたは。


「おーいっ、リサ―っ」


孤独な時に限って、私を見つけるのよ。


「はいはーい、何よー、ルカ」


あのシュニッツェル小事件が起こったカフェで、いつでも呼んでよ、なんて恥ずかしいことを言ってのけたヤツ。


あ、今、ヤツなんて心の中で呼んじゃったものの、向こうは十五歳だから二つ上の先輩なんだけどさ。


なんとなく、女の子に慣れている気がする。


「何でもないよ」


私の名を呼び傍まで来て、微笑みながら事も無げにそんなことを言うの。


彼は背が高いから、そう告げる大きな口、筋の通った鼻、真ん中で綺麗に分かれた前髪……まで私は見上げた後に、青い目に視点を合わせる。


私と同じ、青い目。


「あ、今度はいつシュニッツェル食べるの?」


何よ、それ。


私がアニカと一緒にいる時だってそうよ。


アニカの幼なじみのくせに、私にもアニカに話しかけるのと同じくらい話しかけてくるんだから。


何よ、何よ。


どうして私のところに来てくれるの?


私があなたの「いつでも呼んでよ」に対して、「来て欲しい」なんて言ったことある?


そんな願い事、口にも出したくないのに。


どうして叶うの?






「あの、さ、ルカって、やっぱアビトュ―アの勉強で忙しいのかな?」


パール感のあるコーラルピンクの口紅を塗り直すアニカは、突然そんな話を切り出した私をトイレの鏡越しに見た。


ドイツに来てから季節が三度巡ったけれど、私の口からルカの話題を出したのは初めてだった。


だって、ずっと、我慢していたから。


私がルカのことを気にしているなんて思われたくなくて。


「あー、そうね、プレゼンテーションもあるからねー」


アビトュ―アとは、ギムナジウムの卒業試験のこと。日本とは違い、ドイツではアビトュ―アをパスすると、医学系など特殊な入学制限がある学部以外であれば、基本的にどの大学でも入学することができる。その分、筆記試験だけでなく質疑応答を含むプレゼンテーションもあるアビトュ―アは、なかなか難しいテストだ。


「そっか、最近なかなか見ないものね」


自然に、ごく自然に、何の違和感も感じさせないように話題に出したつもりだけど、少しどきどきしている。


そう、ルカは、ギムナジウムを卒業してしまう。


そう、ルカは。


「ねぇ、リサももっとメイクしたら?」


気づけば目の前で、アニカはオレンジ色のマニキュアが映える綺麗な指先で私の頬をつねっていた。


ニッと笑むピンクの唇だけがやけに浮かび上がる。


私だけ、まるで置いてけぼりみたい。


私だけ、あのカフェで赤いパラソルが音をたててなびいた日から、動けない。


心が、動けない。






ルカは、あっさり卒業してしまった。


最後の日、いつものように笑んで、こう言ったの。


「結局、俺を呼んでくれなかったね」


上手く言葉を返すことができなかった。


口にもしたくなかった私の願い。


ただただ一喜一憂に明け暮れた四年間。


ねえ、本当に彼は、私の人生から泡のように弾けていなくなってしまったの。






その日は、突然訪れた。


普段とは違う、いろんなことが重なった夏の終わり。


少し遠いアニカの祖母のお家に初めて招かれて、アニカと共に紅茶と手作りのアップルパイをいただいた。

ルカがいなくなってから数ヶ月。ぽっかり穴が開いていた私の心を、香る湯気とシナモンの風味が、例えその瞬間だけだとしても、ぼんやり埋めてくれているかのようで。


私とアニカは、微笑み合っていた。


「この辺りにはマンハイム・ルイーゼ公園があるのよ」


アニカの祖母の何気ない言葉に、私たちは吸い込まれるように玄関の扉を開けた。


緑の木々がふんだんに広がり囲む静かな湖。

人間には分からない音に瞬時に(くちばし)を向け、翼を羽ばたかせる鳥の群れ。

上の方でぽってり膨らんだ部分をも越えて、天にも伸びそうな真っ白なテレビ塔。


「ボートでも乗りましょうよ」


誘われるままに微笑みを持って、不安定な二人乗りボートに足を踏み入れる。


こんな自然の中でアニカと時を過ごすなんて、なんだか久しぶり。


きっと、心が洗われるってこういうことを言うのね。


アニカがオールで漕いでくれるボートの揺れに身をまかせて、湖面に自分という存在を溶かしてゆく。


気持ち良さに目を閉じそうになった、その時。


「ねえ、リサ」


青い目を、再び開けた。


「私、ルカと付き合うことになったの」


ここは、ただ揺れている世界。


視界にいた鳥の群れが羽ばたく音さえも、私の耳には届かなくなった。


願い事は口に出すと叶いやすいと言うのなら。

口にも出したくない願い事は叶うはずもない。

叶うはずもない。


だって私が心にさえも浮かべたくなかった本当の願い事は。


どうかアニカとルカが恋仲になりませんように……だったから。

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