金剛、死す
「ハァ……ハァ……ハァ……」
男は苦しそうに顔をゆがめて喘いでいた。
「先生! もう無理です! お願いですからこのおにぎりを食べて下さい!」
もう一人の男がおにぎりを手に、必死の形相で説得をしていた。
「黙れ! もう少しで筋肉が完成するんだ!」
そう言って、男は大きな手を上げ、もう一人の男を振り払った。
「先生! もうギリっすよ!」
しかし、男はその言葉を無視し、眼前の空間を睨んでいた。
男の名は『金剛 金太郎』。職業ボディビルダー。
身長195㎝ 体重130㎏。体肪率3パーセント。年齢26歳。
筋肉の一つ一つの部位がハッキリとわかる程、盛り上がっている。
髪は短く刈り上げ、眼光は鋭い。
筋力トレーニングの他、あらゆる格闘技、スポーツをする事によって得た筋肉は人類史上最高の筋肉という評判を得て、『至高の彫像』『究極の機能美』と称された。
一般的にボディビルダーは身長が低いほど有利だと言われる。
なぜなら、相対的に筋肉が太く見えるからだ。
しかし、この男の筋肉はそんな不利をものともせず、ただただ美しかった。
むしろ、高身長が彼の魅力を引き立てた。
ボディビルの大会では、まるで猫の群れの中に一匹のライオンが紛れ込んだかのような圧倒的な存在感を放ち、他の選手が可哀想になるほどだった。
更に言うなら、ボディビルダーは動きがぎこちないと揶揄されることが多いが、彼は違った。
あまりに俊敏、あまりに強靭。
彼の前ではどんなプロのアスリートもアマチュアに成り下がった。
そして彼は今、己の限界に挑戦していたのだ。
「脂肪を極限まで減らしたら、どんな肉体になるのか興味があるな」
そう言って始めた肉体改造だった。
傍らには弟子がおにぎりを握って、待機していた。
「先生! もう死ぬっすよ!」
「まだ大丈夫だ……」
「ギリ大丈夫っすか!?」
「ギリ大丈夫だ……」
そうは言うものの、金剛自身限界が近付いている事を感じていた。
そして次第に意識が遠のき―――。
「先生!? 先生!! ギリ死んじゃったんすか!?」
それが、金剛金太郎がこの世で聞いた最後の言葉だった。
「……きなさい……」
誰かが語りかけてくる。
「起きなさい……」
それは、とても美しい声だった。
「起きなさい!!」
横たわる男に向かって声が飛ぶ。
「う……う~ん……しまった! プロテインを飲み忘れ……ここはどこだ……?」
横たわっていた金剛が勢いよく起き上がった。
目の前には、今まで見たことも無いような目鼻立ちの整った美少女がいた。
気の強そうな表情で目はパッチリと開いている。
ややお転婆な雰囲気を纏った少女は言った。
「ここは簡単に言うと“あの世”です」
「あの世!? そうか、俺はギリ死んでしまったのか……」
「そう、あなたはギリ死んだのよ」
「あんたは?」
「私の名前はエリン。神の使いよ」
「俺の名前は金剛。体脂肪率は3%だ」
「聞いてないわ。それよりこれからの事を説明するわね」
「これからの事?」
金剛が眉根を寄せた。
「そうよ。あなたがこれから行く先の事」
「ふん……。天国や地獄が本当にあるとはな」
「何言ってるの?」
エリンが両手の平を上に向けやれやれといったポーズをとった。
「あなたには異世界に行ってもらうのよ」
「異世界? ニートや引きこもりが行く小説は読んだことがあるが……」
「何言ってるの?」
エリンが二度目のやれやれを見せた。
「前世でウダウダやってた奴連れてきてもあっという間に殺されちゃうわよ。転生させるにしても誰でもいいってわけじゃないんだから!」
「というと?」
「つーまーり! 前世で何かを成し遂げたり極めたりした人物を選んで、転生させるの」
「ほう」
「理解してもらえたようね。じゃあ異世界に行くにあたってスキルを用意するわね」
「スキル?」
「そう。神さまからの贈り物よ。うまく使えば無双できるわよ!」
「…………」
「さて色々あるけど何にする? 魔力の素質マックス? 伝説の剣術? 心を読むなんてのもあるわよ」
「…………」
「あ、そうそう。無限の所持金なら買い物し放題……グヒヒ」
「……いらん!!」
「は?」
「スキルなどいらん!」
「な……何言ってるのよあなた! あのねぇ異世界は魔法を使う魔族もいるし、話の通じない蛮族もいるのよ。そもそも右も左もわからない場所なんだからね!」
エリンは大慌てで腕を振り回して力説した。
しかし、金剛は首を横に振る。
「あんた、スキル無しなんてすぐに死んじゃうわよ!」
「これを見ろ。エリン」
そう言って金剛は腕を曲げ、力こぶを指さした。
「な……なによ。力こぶ?」
「馬鹿者!! これは上腕二頭筋だ!!!!」
「ひっ……! 怖っ……!」
「俺には筋肉がある」
「はぁ!? いやいや筋肉で魔物に勝てますか?って話なのよ」
「いらんものはいらん」
「そんな事言わないでお願い! 私の為にも何かスキル選んでよぉ。選んでくれたら良い事してあ・げ・る」
「あ、それは本当にいらん」
「ぶっ殺すぞ!!!」
「俺はもう、死んでいる」
「あ、そっか。……じゃなくて本当に生きぬいて欲しいのよ」
「……俺が死ぬと何か都合が悪いのか?」
金剛が質問すると、一瞬の間が空いた。
「え~と。はいはいスキルは無しね。オッケー」
「………」
「じゃあ。これは形式的な質問なんだけど~異世界に行くとき、始めからやり直す? もちろん知識や記憶は持ったままよ」
「それは赤子からやり直すという事か?」
「そーそー」
「無論、このままの状態で行く」
「はーい。このままね……って、えっ!?」
「この筋肉を纏ったまま行くと言っている」
「いやいやいや、赤ちゃんに生まれ変わった方が絶対有利よ! だって2周目の人生がスタートできるのよ!?」
「エリン、これはなんだ?」
金剛が指を指す。
エリンはため息をついて答えた。
「…………上腕二頭筋」
「馬鹿者! これは三角筋だ!!!!」
「ひっ……! 怖っ……!」
「ふん……わかったか? ちなみにこれは僧坊……」
「うるせー! もうさっさと行っちゃえ!!」
エリンの絶叫と共に、金剛の姿が消えた。
異世界へと旅立ったのだ。
金剛は地面に降り立った。
目の前には草原が広がっている。
草の香りが鼻をくすぐった。
「ほう、自然がいっぱいという感じだな」
そう言って金剛が振り返ると、人相の悪い男達がこちらをじっと見ていた。
「なんだぁコイツぁ!!」
「突然現れたぞ!!」
「……悪党もいっぱいだな。こいつらも魔法というのを使うのか?……ん?」
集団の中に一人地面に座り込んでいる若者の姿があった。
顔からは涙と血を流している。
「た……助けてくださぁい……」
「ほう……よかろう!!」
金剛は両手を広げた。
「やる気か!? やっちまえ!!」
ガラの悪い男達が一斉に向かってきた。