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第2話 姉弟喧嘩(2)


 部屋の前まで行くと、やはり部屋の明りはついていた。やっぱり、まだ香のヤツは居るんだ。


 ボクがドアを開けると、香がニッコリ微笑んで「お帰り」と迎えるんだろうけど、今日はそんなことされたらプッツン切れてしまいそうだ。頼むから、何も考えていないような笑顔をするんじゃないぞ。


 しかし、ボクが無言で扉を開けると、思いがけない声がボクを迎えた。


「お帰り、貴司」


 そこに居たのは、香と笑顔の美紀だった。


 なんのつもりか、ちゃぶ台を挟んで、美紀と香がお茶してる。いや、正確にはコーヒーなんだけど……。


「美紀、なんでお前が居るんだよ」


「なんでってことはないでしょ。岡村君に頼まれて、香さんを紹介して上げたのよ」


 頬を膨らませる美紀に対して、香は『ニコッ』と擬音の描き文字が見えるんじゃないかと言うほど可愛い笑顔を向けてくる。そんな笑顔をしても、ボクは騙されない。そもそも、こんな遅い時間に美紀が居るってのも問題だ。そりゃ香が居ない時なら嬉しいけど、今日はマズイ。ったく、香さえ居なければ、何も問題はないんだよな。


「そんなくだらないことで、俺とのデートを断わったのかよ」


「それは、ごめんなさい。だからこうして、貴司が帰ってくるのを待ってたんじゃない」


 美紀は、ちょっと悄気しょげた顔で謝ったけど、全然誠意が感じられない。だから、許してやるつもりはない。


「あら、岡村君って、いい子じゃない。貴司にいい友達が居て、あたしも安心したわ」


 香は、腹が立つくらいのほほんとした顔で言った。


「そんなに岡村のことが気に入ったんなら、岡村の所に居候したらどうだ? あいつなら、お前と親しくなりたいって言ってたから、丁度いいじゃないか」


「そんな、岡村君の所に居候だなんて、岡村君に悪いわよ」


「じゃあ、ボクなら悪くないのか? ボクは、思いっきり迷惑してるんだぞ」


「姉弟なんだから、いいじゃない」


「そういう寝言は、寝ている時に言ってくれ」


 一体、どう言う理屈なんだ。ボクと香は姉弟じゃくて、赤の他人なんだぞ。


 そもそもボクの姉貴だったら、もっと清楚でお淑やかなはずだ。なのにコイツときたら、そんなものとは全く無縁なんだから。


 まったくの見ず知らずの男女が一つ屋根の下で暮らしてるだけでも異常なのに、男の恋人がそれを許しているのも異常だ。


 で、その困るもう一人。


「とにかく美紀、もう帰れよ。おばさんが心配してるぞ」


 そう言って、ボクは美紀を睨みつけた。


「それなら大丈夫。芳美の所に泊まるって、言ってきたから」


 美紀は、もうこれ以上はないって言うくらいの、極上の笑みを向けてきた。


「なっ……」


 今まで、滅多に泊まることなんてなかったのに、どういうつもりだ? 美紀がなにを考えているのか、全然判らない。


「貴司。いつまでも立ってないで、座りなさいよ」


 ボクが唖然としていると、香が座るように促してきた。


 そりゃそうだ。ここはボクの部屋なんだから、ボクが遠慮して立っている必要はない。二人が出て行けばいいんだから。


 ボクはわざとらしくジーンズのポケットから携帯電話を出すと、机の上の充電器に置いた。そしてちゃぶ台の前にドッカリと腰を降ろして、この部屋の主がボクであることを暗に主張した。


「美紀。とにかく、今日は帰れ」


「嫌よ。今日は、泊まる気で来たんだから」


 美紀はそう言って、傍らに置いてあるバッグを叩いた。


 泊まりに来る時に、着替えを入れて来るいつものバッグだ。


 そりゃ、美紀のパジャマ姿は見たいし、あーんなことやこーんなこともしたいさ。ボクだって美紀を泊めたいけど、おじゃま虫が居るからダメなんだ。


「んなこと出来る訳ないだろ。第一、布団だってないんだ。香のせいで、お前ん家から一組借りたの知ってるだろ?」


 そう、今香が使っている布団は、突然ボクの姉貴が上京して来たと嘘をついて、美紀の家から使っていないのを借りてきたんだ。おばさんは快く貸してくれたけど、ボクは凄い罪悪感に駆られた。だってそうだろ。娘の彼氏の部屋に、見ず知らずの女が居候するから、布団を貸してくれと言っているようなもんなんだから。美紀の提案で布団を借りることになったから、美紀に対して罪悪感は感じないけど、ボクのことを信じ切っているおばさんには、罪悪感を感じずにはいられない。


「いいわよ。私は、貴司と一緒に寝るから」


 美紀は何が嬉しいのか、ニコニコしながら言うと、カップを両手で持ってコーヒーを飲んだ。まったく、そういう可愛い顔して、危ないこと言うんじゃない。普段でさえ美紀が泊まった時は理性を保つのに苦労していると言うのに、余計我慢できなくなるじゃないか。


「ダメだ。帰れ」


 香のせいで、ただでさえ一週間も抜いてないんだ、同じ布団で美紀と寝たら、絶対に我慢できない。なのに、襖を隔てた隣りの部屋に香が寝てたら、何も出来ないじゃないか。そんなこと、絶対に出来っこない。


 美紀も美紀だ。一体、何考えてるんだ。


「どうしてダメなのよ。それともなに? 私が居たら困るようなこと、貴司はやってるの? まさか、香さんと……」


「バ、バカ! そんなことする訳ないだろ!」


「そうよね。貴司はそんなことしないって、私信じているもの」


 美紀が、ジッとボクを見つめてくる。


「…………」


「……だったら、泊めてくれてもいいじゃない」


「それでもダメなの! 何度言ったら判るんだよ」


「いいじゃない、美紀ちゃんを泊めて上げなさいよ。それに、今からじゃ終電に間に合わないわよ」


 香が口を挟んでくる。


 確かに、もう終電がなくなる時間だ。だけどここで美紀を泊めたら、ボクの理性は永遠に失われてしまう。香はそのことを、まったく判ってない!


 まったく、誰のせいで話が拗れていると思ってるんだ。


「うるさい! そもそも、お前が家に居るのが問題なんだ。誰のせいで、美紀を泊められないか判ってんのか?」


「…………」


 ボクの言ったことの意味が判ったのか、香は黙り込んだ。だけど美紀は、ボクの気持ちを逆撫でするようなことを、平気で言ってきた。


「いいわよ、私は気にしないから」


 ホントに、美紀が何考えてるんだか判んないよ。香が見ている前で、ボクと愛し合うとでも言うのか? それとも、ボクがそんなことをまるで考えていないとでも思っているのか? どっちにしたって、気分のいいもんじゃない。


「ボクは気にするの!」


 あー、どんどん苛々してくる。それもこれも、総て香のせいだ!


「とにかく、二人とも出て行け」


「何言ってるのよ。あたしはともかく、美紀ちゃんまで追い出すことないでしょ! こんな夜遅くに追い出すなんて、何考えてるのよ!」


 香は立ち上がると、ボクに喰ってかかってきた。けど、ボクだって退けない。ボクも立ち上がると、香を睨みつけた。


「うるさい! ボクがどれだけ迷惑してるか、少しは考えろ」


 自分でも、この怒りを抑えられない。


「だからって、美紀ちゃんをこんな時間に追い出して、襲われでもしたらどうするのよ。貴司、あんたそれでも男? 小さなことでウジウジしちゃって、心が狭いわよ」


 香が怒った顔をボクに近付けて、睨みつけてきた。


 パチン!


 右掌に、痺れるような痛みが走る。


 気がついたら、ボクは香の頬をひっぱたいていた。


「…………」


 香はひっぱたかれた頬を手で押さえると、ボクを見つめたままジワリと瞳を潤ませた。


 ヤバイ。香のヤツ、泣くかもしれない。


「どうせあたしが幽霊だと思って、言うこと聴かないんでしょ。いいわよ、あたしが出て行くわよ! そうすれば、貴司は美紀ちゃんを泊めて上げられるんでしょ」


 香はそう言い放つと、部屋を飛び出して行った。


 タンタンタンタンタン……。


 香が階段を駆け降りて行く音が、真夜中のアパートに木霊こだました。


「貴司! 香さん、出て行っちゃったわよ。止めなくていいの?」


 自分でも、どうかしていると思う。女性に手を上げたのは、初めてだ。


 ボクは、女性を殴るほど暴力的だったのか?


「ちょっと、どうしたのよ。女の子に手を上げるなんて、貴司らしくないわよ」


 そりゃ、確かに手を上げたのは悪かったと思うけど、そうさせたのは香なんだ。香さえ家に居候をしなければ、こんなことにはならなかったんだ。香が居なければ、ボクはもっと平穏に暮らせたんだ。美紀だって、今日のデートを断わることはなかったはずだし……。


「ちょっと貴司、香さんを連れ戻して来なさいよ。それこそ、香さんが襲われたらどうするのよ」


 確かにそうだ。もう一時近いから、電車もないし、物騒だよな。


 美紀が怒って、ボクの肩を掴んで揺さぶってくる。


「貴司! 呆けてないで、香さんを迎えに行きなさい」


「つっ! 美紀はここで待ってろ、香を連れ戻してくる」


 ボクは舌打ちをすると、部屋を飛び出した。


 アパートを出ると、左右に視線を走らせる。でも、人影は何処にもない。


 ちっ。香のヤツ、意外と足が速いな。


 何処に行ったんだ? 香の行きそうな所なんて、ボクは知らないぞ。そもそも、あいつが外を歩いているところを見たのは、最初に家に上がり込んできた朝、追い出した時だけだもんな。こんな時間じゃ、電車もバスも走ってないし、喫茶店だって開いてない。第一香のヤツ、お金を持っているのか?


 アパートの前でウダウダと考えていても埒があかないんで、とにかく駅に向かって走り出した。


 今は考えるよりも、行動が先だ。


 途中、小さな児童公園があったんで、その中も隈なく捜してみる。


 ブランコや滑り台、それに直径一メートルぐらいの大きな土管を十字に繋ぎ合わせたような遊具。隠れるなら、この土管なんか絶好の場所だ。ボクは四つん這いになって土管の中に入っていく。だけど、香は居なかった。


 あと、腰の高さまでの植木があるから、その影も捜す。考えたくはないけど、もし事件に捲き込まれていたら、こういう所に居る可能性もある。


 植木の影を、一つ一つ覗き込んで行く。


 ふう、安心した。ここでは、事件に捲き込まれていないようだ。


 一通り公園の中を捜しても香は居なかったので、再び駅に向かった。


 駅前は、そこそこの商店街になっているとはいえ、終電のなくなった夜中の一時ともなれば、数件の飲み屋を除いて総て戸を閉ざしている。街灯に照らされた薄暗い道も、裏路地に入ってしまえば星明りしか届かない。そんな所に隠れられたら、見つけたくても見つけようがないぞ。


 それでもボクは、丁寧に一つ一つ路地を覗き込んで、香が居ないことを確認していく。


 だけど駅に至るまで、何処にも香は居なかった。


 額に浮かぶ汗を、手の甲で拭う。


「はぁ……。何処に行ったんだよ。まったく、居れば居たで迷惑かけるし、居なきゃ居ないで迷惑かける。ボクの姉貴を名乗るんなら、もう少しちゃんとして欲しいよな」


 ぼやいてはみるものの、それで香が見つかる訳もなく、ボクはアパートまで戻るとそのまま駅とは反対側の小学校に向かった。


 深夜の住宅地は人気もなく、聞こえるのは遠くの国道を走る車の音だけだ。とは言っても、今のボクの耳に一番大きく聞こえるのは、ボク自身の呼吸音だ。


 実家のある住宅地は、回りにまだ田圃が沢山残っているから、この時期になるとカエルの鳴き声がうるさかったなぁ。香は、そんな家のことも知らないんだろうな。第一、火事があってから新潟に越したって聞いてるから、例え香が幽霊だとしても知る訳ないか。だいたいボクは、香が幽霊だなんて信じてないんだ。幽霊だろうが宇宙人だろうが、居る訳がない。


 ボクだって、夢やロマンがない訳じゃない。だけど、幽霊なんてマンガやドラマの中だけで、現実に居るなんて思っちゃいない。それに、幽霊って言うのは、実体がないんじゃないのか? 少なくとも、香の頬をひっぱたいた感触は、ボクのこの手にまだ残ってるんだ。人間が幽霊をひっぱたいたなんて話、聞いたことないぞ。


「…………」


 そうなんだよな。ボク、香をひっぱたいたんだよな。いくら虫の居所が悪かったとはいえ、悪いことしたな。


 自分の掌を見つめると、香をひっぱたいた時の痛みが蘇ってきた。


 香が泣くのも、当たり前か。それに、美紀にも嫌われたかな? 女の子に手を上げるなんて、男のすることじゃないもんな。


「はぁ……」


 溜息を一つすると、ボクは香を捜すために再び走った。


 夜中なんで、声を上げて捜す訳にもいかず、ボクは闇雲に走り回った。


 ったく、何処へ行ったんだ? まさか、事件に捲き込まれたってことはないよな。最近は物騒だから、夜中に歩いてて、いきなり後ろから見ず知らずの人間に刺されるってこともあるし、香もあれでなかなか可愛いから、襲われている可能性だってある。


 ボクは走るスピードを上げて、小学校に向かった。


 小学校の門は閉まっていたけど、門を乗り越えると学校の中に入った。


 無論、校舎の中に入れる訳もなく、だけど学校は広い。ボクは息を切らせて走り回ると、校舎の回りや遊具の回りを丹念に調べた。


 最初に捜したのは、昇降口の周辺だ。もしかしたら、開いている扉があるかもしれないし、人目が避けられる場所があるかもしれないからだ。


 校門に近い昇降口から順に、一つ一つ確認していく。けど、扉は開いていないし、人の気配どころか猫の子一匹居やしない。


 次に捜したのは体育館。こっちも校舎と同じ様に、ぐるりと一周捜してみる。無論、扉が開いていないかの確認も忘れない。だけど、やはりここもダメだった。体育館裏なんて、結構期待したんだけど、薄暗いだけで香は居なかった。


 その次に捜したのは、プール。


 プールの周囲を捜して誰も居ないのを確認すると、プールの中に入って更衣室を確認しようかとも思った。けど、フェンスの上には有刺鉄線が三列もあるから、いくらなんでもそれを乗り越えて中に入るとは思えなかったので、諦めた。


 それから校庭を横断すると、古ぼけた体育用具置場を捜した。だけど、ここも扉はしっかりと鍵が掛かっているし、その他の窓といったら、手の届かない高さにある小さな窓だけで、とても中に入れるようなもんじゃない。


 最後に捜したのは、校舎裏だ。ボクが小学生の頃は、校舎裏にある非常階段とかで『刑ドロ』なんていう鬼ごっこをよくしたもんだ。この小学校に非常階段があるかどうかは知らないけど、あればあそこほど野宿するのに都合のいい場所はないからな。


 校舎の裏に回ると、隠れる余地がないほど何もなく、整然としていた。そう、非常階段さえない。これじゃ、香が隠れているとは思えない。それでも、『もしかしたら』と思い、端から端まで捜してみる。けど、やっぱり香は居なかった。


「ハァハァハァ……。まったく、何処に行ったんだよ」


 ボクは息を切らせると、正面玄関前に座り込んだ。


 顎から汗が、ポタポタと雫になって落ちていく。


 コンクリートの上に落ちた汗は、黒いシミとなって広がっていった。


 バイト以外でこんなに汗を掻いたのは、本当に久し振りだ。胸や腋の下を、汗が流れ落ちていくのが判る。背中は汗でシャツが張り付いて、気持ちが悪い。


 バイトで長時間立っているとはいえ、運動不足であることは確かな訳で、もう脚がパンパンだ。もっと走れと言われても、一歩たりとも走れない。


 まったく、一体香は何処に行ったんだ?


 溜息をつくと、ボクは空を見上げた。


 さすがに都内、それも電車で一〇分も行けばターミナル駅だけあって、星の数が少ないな。上京してからこっち、こんなにじっくり夜空を見上げたことなんてなかったな。


 実家だったら、住宅地とはいえ回りが田圃だから、もっと沢山の星が見えるんだけど、東京はホントに星がまばらにしかないんだな。


 香も今頃、この星を一人で見ているんだろうか。それとも一人で、膝を抱えて泣きながら震えているんだろうか。それとも香のことだから、何処かの家に上がり込んでいるかもしれない。でも、岡村の所には居候は出来ないって言ってたから、そんなことする訳ないか。


 時計を見ると、午前二時を回っていた。


 もう、電車は動いてないな。野宿できるような場所は全部捜したし、この辺には深夜喫茶もマンガ喫茶もないし、ましてやインターネットカフェもない。あいつのことだから、行く当てがなくて、アパートに戻ってるかもしれない。


 ボクは力なく立ち上がると、アパートに戻った。



色々悩むコトはあったけど、当初の通りの文章でアップしました。本当は、変えた方がいいのかもしれないけど、多分自分自身は参考にならないだろうからなぁ。



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