第1話 朝、目が覚めたら姉が居た(4)
なんだかんだとトラブルはあったものの、香と名乗った女が出て行った後は、何事もなくいつものように美紀と楽しい時を過ごした。
食事も終え、六時少し前になったので、ボク達はアパートを出た。無論、美紀は帰るためで、ボクはアルバイトに行くためだ。
「戸締りは全部確認したから、もう大丈夫よね」
駅への道すがら、不安を拭えないのか、美紀が訊ねてきた。
「ああ、大丈夫。ピッキングの道具とかも持ってなかったから、もう部屋に入ることは出来ないよ」
「そうね。でも、たとえ勝手に入って来たとは言っても、二度と他の娘を部屋に入れるようなことはしないでね。私、貴司のこと、信じているんだから」
「判ってるって。心配するな」
美紀に言われるまでもなく、ボクは美紀以外の女の子を部屋に上げるつもりはない。
「だけど香さんって、本当に貴司の従姉じゃないの? もし従姉だったんなら、ちょっと悪いことしたかなって思って……」
「なんだよ急に」
さっきまで、二度と他の女を部屋に入れるなと言ってたのに、なんなんだ?
「だって、従姉だったら、貴司のことを頼って来たんじゃないの? それを追い返したかと思うと、ちょっと後味が悪いかなと思ってね」
はあー、そう言うこと。
「気にしなくていいよ。ボクには香って言う従姉は、天地神明に誓って居ないから」
ボクはおどけて言うと、気兼ねなどする必要がないことを美紀に教えてやった。
「今日は、ありがとな。飯、旨かったよ」
駅の改札前まで行くと、ボクは美紀の腰に腕を回して言った。
だけど、美紀はスルリとボクの腕から抜け出すと、頬笑んで答えた。
「どういたしまして。今度作る時までには、もう少しレパートリーを増やしとくからね」
「ああ、頼んだよ」
美紀はたいしたことないっていう風に答えたから、ボクもさりげなく応じた。
ボクは美紀が改札に入ったのを見届けると、踵を返してバイト先の居酒屋に向かった。
六時から一二時まで、いつものようにバイトをする。
さすがに土曜は混んで、バイトが終わった頃には昼間のトラブルのこともあって、精も根も尽きたって感じで、グッタリと疲れ果てていた。
ボクは、重い足取りで家路についた。
アパートの階段を、足をズルズル引き摺りながら昇り、玄関の前に立って始めて部屋に明りがついてることにボクは気がついた。
でも、そんなはずはない。電気にガス、それに窓や玄関の鍵だって、美紀と一緒に確認したんだ。だから、明りがついていたり、鍵が開いてるはずがない。
ボクはそう思いながらも、ノブに手を伸ばすと扉を開けた。
「お帰りぃ」
やっぱり……。
そこに居たのは、香と名乗った女だった。
ホントに、どうやって部屋に入ってるんだ? まさか、ピッキング? いや、夕方彼女を調べた時は、合鍵どころか何も持っていなかったんだ。ピッキングなんか、出来る訳がない。
「やっぱり君か。ボクは、本当に迷惑してるんだ。出て行ってくれないか」
疲れてるから、怒鳴る気力もない。
そんなボクを、彼女は上目使いでジッと見つめている。
「…………」
今度は、泣き落としか? でも、絶対に出て行ってもらうからな。
「とにかく、もうこれ以上のトラブルはごめんなんだ。だから、さっさと帰ってくれ」
「こんな夜中に、若い女性を追い出すなんて、酷いんじゃない? 暴漢にでも襲われたらどうするの。もう電車だって動いてないし、今追い出されたら、あたし、野宿するしかないじゃない」
返す言葉がなかった。
確かに、もう電車は動いてないし、近所にホテルがあるような所でもないから、今追い出したら野宿する以外にないよな。
「……判ったよ。追い出さないよ」
ボクの言葉を聞いた途端、彼女の顔はパッと明るくなった。
「ホント? 居てもいいのね」
「ああ。電車がないんじゃ、仕方ないからな。でも、だからと言って、君がボクの姉貴だと認めた訳じゃないんだからな」
「…………」
黙り込んだ彼女を無視して、ボクは重大なことに思いを巡らせていた。
「とは言っても、布団、一組しかないんだよなぁ」
こればっかは、仕方がない。布団は、普段ボクが使っているやつが一組しかないんだから。
「あたしなら、別にいいわよ」
え? 『別にいいわよ』って、布団がなくてもいいってことか?
「貴司と一緒に寝たって」
「!」
何かを考えるよりも先に、心臓が早鐘を打ち出した。
「な、な、な、何バカなこと言ってんだよ。そんなこと、出来る訳ないだろ!」
自分でも、顔が真っ赤になっているのが判る。
まったく、人をからかうのはやめて欲しい。
「あら、別にいいじゃない。姉弟なんだし。貴司は襲ったりしないって、あたし信じてるもん。それに、貴司には美紀ちゃんが居るもんね、そんなこと出来る訳ないもん」
なっ……。
「襲ったりする訳ないだろ! もういい。君は布団で寝ろ。ボクは座布団でも被って寝るから」
「ホント? ごめんねぇ」
腹が立つことに、彼女は悪びれもせず、ニコニコしながら謝った。