第5話 最期のショッピング(2)
朝、目覚めは爽やかだった。……訳がない!
香がボクの布団に入って来てからは、緊張してなかなか寝つけなかったんだ。その上、眠りも浅くて、まったく寝た気がしない。まだ美紀と寝た方が、グッスリ眠れる。そもそも寝入り際の、香のキスがいけないんだ。香がキスなんかしてくるから、変に意識しちゃって眠れなかったんだ。世間一般では、たとえ頬であっても姉が弟にキスなんてしない。それを……。
確かに、香が本当に姉貴だったらって、思わないでもない。でも、キスなんてしてくるから、姉貴として見ることが出来なくなってる。1人の女性としか、見れないじゃないかよぉ。
あ―――――――――っ!
なんかボーッとすると言うか、モヤモヤすると言うか、スッキリしない!
そのモヤモヤの原因である香は、まだボクの隣りで眠っている。
無防備と言うか何と言うか、香は安心しきった顔でグッスリ眠っている。並みの男だったら、絶対に襲っている。いや、襲われても文句の言える状況じゃないんだ。なんたって、自分から一緒に寝たいと言って布団に入って来たんだから。ボクがどれだけ苦労して理性を保っているのか、香は判ってない!
まったく、幸せそうに寝やがって。
ボクは香の顔を覗き込むと、顔を近付けた。距離にして20センチ。美紀の顔だって、キスをするとき以外でこんなに近くで見たことは滅多にない。
香のつやつやした唇に、見入ってしまう。
1センチ、2センチと、更に近付けていく。
『私は貴司のこと、信じているから』
一瞬、美紀の顔が脳裏を過ぎる。
「は――――ぁ」
ボクはキスをしたい衝動をなんとか押えつけると、布団から抜け出した。
シャワーを浴びて、気分をスッキリさせよう。このままじゃ、ホントに間違いを犯してしまいそうだ。
風呂場に入って裸になると、この悶々とした気分を洗い流すように、シャワーを頭から浴びる。
しばらくして、汗と悶々とした気分を洗い流して風呂場を出ると、布団は上げられ、香は台所に立って朝食を作っていた。
「貴司、おはよう。早かったのね」
香はいつもの普段着で、振り向きもせずにお玉でナベを掻き回している。
「別に。行く前に、シャワーを浴びたかっただけだよ」
ボクが素っ気なく答えると、香は振り向いて、何が楽しいのかニコニコしながら言った。
「ホント?」
「本当です。こんなこと嘘ついて、何かメリットがあると思う?」
ヤバイヤバイ。ボクが香に女を感じてしまっただなんて、絶対知られちゃマズイからな。
「ま、そう言うことに、しといてあげる」
うっ! ボクが香に女を感じてしまったことが、バレたのか?
いや、香自身がボクを挑発してきたんだから、気づいてないってことはないはずだ。美紀という恋人が居ると言うのに、ヤバイなぁ。
結局、その場ではそれ以上詮索されることもなく、朝食になった。
駅の改札口で待ち合わせをしていた美紀と落ち合うと、ボク達3人は池袋に向かった。
香はいつもと同じジーンズに赤のシャツブラウスに対して、美紀はノースリーブのサマーセーターにデニムのスカートだ。腕を組む時、ノースリーブって言うのはポイント高いし、目を凝らせばブラジャーが透けて見えそうでグッドだ。
「うわー。人が多いわねぇ」
改札口を抜けて池袋駅の東口に出ると、香が子供みたいに歓声を上げた。まったく、恥ずかしいヤツだ。
「別に、このくらいはいつものことじゃないか」
「え、ホント? こんなに沢山の人、一体何処から来てるの?」
「何処からってねぇ」
呆れてモノも言えない。
「香さんって、ホントにこういう所に来たことがないのね」
「うん、初めて」
美紀も呆れてる。そりゃそうさ、東京に住んでる20歳すぎが、都会に来たのが初めてなんて、天然記念ものだもんな。
香も香だ。あんなに嬉しそうにはしゃいで、ホント子供なんだから。
「ねえねえ。まずは何処へ行くの?」
香は腰を折ると、ボクの顔を覗き込んできた。
「そうだなぁ。ボクと美紀の行動範囲としては駅の向こう側なんだけど、買い物するにはこっち側の方が何かと店が多いからな。取り敢えず、ぶらっとその辺を歩いてみるか。香も、街の様子を見たいだろ?」
「うん。でも、貴司が美紀ちゃんのプレゼントを買うのが目的なんだから、それは忘れないでよね」
「忘れる訳ないだろ!」
はぁ。まったく、どっちが歳上なんだか……。って、香の方が歳上なんだっけ。子供っぽいことばかり言うから、歳上だってこと、すっかり忘れてた。
ボク達は、信号が青に変わるのを待って横断歩道を渡ると、サンシャインに向かった。
やっぱり日影から出ると、滅茶苦茶暑い。夏の太陽が照りつけて、アスファルトも灼かれているから、オーブンのように上と下から灼かれて、アッと言う間に汗が吹き出してくる。
遠くを見ると、灼かれたアスファルトからの熱気と、自動車が吐き出す熱気とで、陽炎が立ち昇っている。そのせいか、街路樹の緑を見ると、なんだか心が休まる。
平日の午前中とはいえ、もう夏休みに入っているから、子供連れの親子やカップルが多い。無論、サラリーマンの姿もあるけど、断然サラリーマン以外の方が多い。特にサンシャイン通りは、サラリーマンの姿は皆無と言っていいほどだ。
なんか、こうして歩くのも、両手に花って感じでいいな。
歩きながらの会話は、もっぱらボクと美紀が他愛ない話をして、香はそれを聞いている。と言うよりも、香は物珍しそうにキョロキョロとあちこちを見回してて、会話どころではないみたいだ。ホントに恥ずかしいヤツだ。
「わー、凄い」
サンシャインのショッピング街に着くと、香はまたしても歓声を上げた。
頼むから、大きな声で歓声を上げるのはやめてくれ。恥ずかしい。
「さーて、美紀に似合う服を探すかな」
ボクとしては滅多に来ないサンシャインなんで、探すと言っても何処の店がいいのか判らない。仕方ないから、片っ端から店のショーウインドを見て回って、良さそうな服が置いてある店に入るしかない。
だけど、ボクが考えるよりも先に、美紀と香の2人は行動していた。
「ねえねえ。これなんか、美紀ちゃんに似合うんじゃない?」
「そうかなぁ? 私より、香さんの方が似合いそう」
2人は、早速手近な店に入ると、服を見て回り始めたんだ。
で、ボクはと言うと、店の前でぶらぶらしてる。だって、女物の洋服しか置いてない店に男が入るのって、凄く恥ずかしいじゃないか。
でも、そんなことはすぐに言ってられなくなった。
「貴司ぃ。そんな所に居ないで、こっちに来なさいよ。プレゼントを買う本人が居なくちゃ、話にならないでしょ」
香が大きな声で、店の中からボクを呼んだんだ。
そんな大きな声で呼ぶなよ。恥ずかしいじゃないか。
「ほら、何してるの! 早くしなさい」
店に入るのを躊躇っていると、またしても香が大声で呼んだ。
「はいはい。判りましたよ」
ボクは諦めると、コソコソと店に入って2人の元へ行った。
「で、何かいい服があったの?」
「これなんかどうかなぁ? 美紀ちゃんに、似合うと思うんだけど」
香はハンガーに吊されていた1着を手にすると、ボクに見せた。
それは白のブラウスで、いかにも清楚って感じの服だ。
「うーん、どうかなぁ? 美紀はどうなんだ?」
ハッキリ言って、ボクには服のセンスなんかまるでない。だから、その服を着る本人に聞くしかなかったんだ。
「どうって言われても……。買ってくれるのは貴司なんだから、貴司がいいと思った物を選んで欲しいな」
美紀がニコニコしながら、甘えるように言った。
「そんなこと言ったって、ボクにセンスがないのは知ってるだろ」
「それはそうだけど……。でも、貴司に選んで欲しいの」
「…………」
ニッコリ頬笑む美紀に、ボクは声を失った。こういう時、やっぱりボクは美紀が好きなんだなと実感する。
「ボクが変なの選んでも、絶対文句言わない?」
一応、予防線を張っておく。結局、文句を言われるのはボクなんだから。
「うーん。判らない」
ガク。
そりゃないよぉ。
「じゃあ、美紀が、ちゃんと選んで欲しいな」
「でも、それじゃあ、貴司に買ってもらう意味がないんだけどなぁ」
うーん。そう来たか。ならば。
「それじゃこうしよう。美紀とボクの意見が一致した物を買う。美紀が選んで、それをボクが気に入ったら、それを買うことにしよう」
「判った。じゃあ、ちゃんと私の側に居てよね。貴司が側に居なかったら、貴司の意見が聞けないんだから」
「えっ」
しまった! これじゃ、店の中まで付いて行かないといけないじゃないか。
美紀を見ると、ニッコリ笑ってる。
香はと言うと、こっちもニコニコしてる。
2人して、填めやがったな。
「じゃあ、次の店に行きましょ」
香がそう言うと、2人は楽しそうに店を出て行った。
ボクは仕方なく、2人の後を付いて行く。
香は姉弟でショッピングを楽しみたいと言っていたけど、これじゃ姉妹でショッピングを楽しんでいるように見える。
その後、何軒かブティックを見て回ったけど、美紀の気に入る服はなかった。それでも美紀と香は、楽しそうに服を見て回っていた。無論、ボクも渋々2人の後に付いて、店の中に入って行く。
ところが、2人は何を思ったのか、とんでもない店に入ったんだ。そう、そこは男が入ることを拒絶している店、ランジェリーショップだ。
「ちょっと待て! 服を買ってやるとは言ったけど、下着を買うとは言ってないぞ」
ボクの抗議は届いているはずだけど、2人は知らん顔でそのまま店の奥へと行ってしまった。
どうしよう。ブティックなら、まだ入れる。けど、ランジェリーショップはさすがに入れない。
仕方ないから、ボクは店から少し離れた所で待つことにした。
だけど、それでも恥ずかしいことに変わりはない。2人とはぐれてはいけないから、チラチラと店の入り口を見ているんだけど、これはこれで傍目から見ると変質者に見えると思う。
しばらくすると、見終わったのか香が出てきた。店の前でキョロキョロしているところを見ると、ボクを捜してるのかな?
「おい、香」
声を掛けると、香はボクに気がついて小走りにやってきた。
「なんだ、こんな所に居たの?」
「ああ。ところで、美紀は?」
そう、香は店から出てきたけど、美紀は出てくる様子がなかったんだ。
「美紀ちゃんは、貴司が来るのを待ってるのよ」
ニコニコしながら言う香の顔は、もう大人の女性の顔じゃない。悪戯っ子の顔だ。ボクが困った顔をするのを、楽しみにしているとしか思えない。絶対、2人の悪巧みには乗らないぞ。
「待たなくていいよ。第一、洋服は買ってやるけど、下着は買うつもりないんだから」
「なに言ってるのよ。美紀ちゃんは、貴司のために自分でセクシーな下着を買うって言ってるのよ。だから、貴司が行って上げないとダメなの」
そう言うと、香はボクの腕を掴んで、強引に引っ張った。
突然引っ張られたんで、ボクはバランスを崩してグイグイと香に引き摺られるようにして店の前まで行ってしまった。
「いい加減にしろよ。そんな恥ずかしい所、入れるかよ」
ボクは店の前でどうにか踏み止まると、香に怒鳴った。
「なによ。こんな所で怒鳴る方が、よっぽど恥ずかしいじゃない」
「うっ……」
確かに、香の言う通りだ。こんな所で押し問答してる方が、よっぽど恥ずかしい。と言うより、回りの視線が痛い。
「判ったよ。行くから、この手を放してくれよ」
「ホント? じゃあ放して上げるから、逃げないでね」
香は腕を放すと、ニッコリ頬笑んで店の中に入って行った。仕方なく、ボクもその後に続く。
店の中は、気のせいかピンク1色に染まっていた。
ピンクや赤、水色や黒といった下着が、所狭しと並んでいる。意外と、白の下着は少ないようだ。店全体がピンク色に染まっているように見えるのは、ピンク色の下着が多いからなんだろう。もっとも、中には豹柄のものやエナメルの銀色のものまであって、下着なんだかコスプレの衣装なんだか判らない物まである。
店の奥まで行くと、美紀が何着かの下着を見比べていた。
「美紀ちゃん、貴司を連れてきたわよ」
「あ、貴司。どこ行ってたのよぉ」
「ごめんごめん」
ボクは美紀に謝ったものの、殆ど上の空。こんな所、男が入る場所じゃない。
確かに色々な下着があって、どれもこれも美紀に着せてみたいと思う。けど、だからと言って、ジロジロ見れるもんでもない。でも、妄想だけは膨れ上がる。
「……で、どれがいいと思う?」
「?」
マズイ、聞いてなかった。何がいいと思うなんだ?
「えっと……」
「なによ。貴司ったら、聞いてなかったの?」
美紀が、少しむくれて言った。
「仕方ないわよ。一応は、若くて元気な男の子なんだから。落ち着きがなくなっても、許して上げなくっちゃ」
今度は、香が今にも笑い出しそうな声で言った。
「そうね。なんたって、貴司は元気な男の子だもんね」
美紀がそこまで言うと、2人はクスクス笑い出した。
「まったく、何が男の子だよ」
「まあ、いいじゃない。そもそも、貴司がちゃんと聞いていなかったのが悪いんだから」
笑いすぎて、目に涙を浮かべながら香が言った。
「ったくなぁ。で、何だって、美紀」
「あは、あは、あは……。えっと、これとこれとこれの3着、私が着るとしたら、どれがいいと思う?」
「うーん」
見せられたのは、ピンクと赤と黒の、それぞれ微妙にデザインの違う下着だ。
はっきり言って、どれもいい。どれか1つを選べなんて、出来る訳ない。
「どれがいいかなんて、選べないよぉ。ボクとしては、どれも美紀に着て欲しいし……」
何も着せないって言う、選択肢もあるんだよな。
「じゃあ、何色を私に着せたい?」
「うーん。ピンクも可愛いし、赤も情熱的だけど、ここは色っぽく黒かな」
「うん。じゃあ、これにするね」
美紀は嬉しそうに頷くと、黒の下着を持ってレジに向かった。
う――――――ん。あの下着を着た美紀を見るのが、今から凄く楽しみだ。
美紀がレジから戻ると、ボクはやっとランジェリーショップから開放された。
いきなり朝から始まるなんて、隆司のヘタレは確定ですね。
でも、ヘタレだけど、香さんを襲おうとしたのは事実だよね。美紀ちゃんと言う恋人が居るのに、いけないなぁ。
それから、ランジェリーショップに男が入るのは非常に恥ずかしいから、開放されて良かったな。




