第3話 もんじゃ焼きが食べたい!(3)
夜、暗くなると、大きな紙袋を提げた岡村がやって来た。
「香さーん、岡村君ですよー」
ボクが扉を開けると、岡村の能天気な声がアパートに響いた。
ったく、恥ずかしいヤツめ。
「岡村。ちゃんと、もんじゃ焼きの道具を持ってきたんだろうな」
「とーぜん。ここにありますからねぇ」
岡村は紙袋をボクに押し付けると、ボクを押し退けてそのまま香の元へ行きやがった。
「香さん、会いたかったぁ。香さんに会えない一週間が、こんっなに長いとは思いませんでしたよ」
そう言うと、岡村は香の隣りに正座して、香の手を取った。
さすがの香も、岡村の図々しさと強引さに呆気に取られて、固まっている。ざまーみろ。
「岡村君!」
当然の帰結として、美紀の鋭い声が岡村の行動を止める。
「…………」
岡村の顔が、ゆっくりと回って美紀を見る。傍目から見ると、まるで昔のギャグアニメだ。
「忘れ物は、ないでしょうね」
今、明らかに室温が二度下がった。
「あ、ああ。月島に渡した袋に、全部入ってるよ」
ボクは、敢えてゆっくりと美紀の隣りに座ると、紙袋を覗き込んだ。
「えーっと、ホットプレートにヘラとぉ……。って、電源コードがないじゃないか」
「えっ!? そんなはずはないぞ。ちゃんと入れたのを確認して持ってきたんだから」
岡村は驚いて、ボクに顔を向けた。けど、その手は香の手をしっかり握ったままだ。
無論、電源コードは入ってる。これはこの間、香のことを美紀にバラされたお返しだ。
「岡村くーん。何が全部入ってるよ。ホットプレートを使うのに、電源コードがなかったら、もんじゃ焼き出来ないじゃない」
美紀は腕捲りをするポーズを取ると、少し腰を浮かせて岡村に掴み掛かろうとしている。
まったく、美紀らしい。ボクはすぐ隣りに居るんだから、ちょっと紙袋を覗き込めば電源コードがあるのは判るはずなのに、まるで見ようともしない。まるっきりボクを疑わない。人がいいと言うか、単純と言うか……。
「岡村君、ホントに持ってきたの?」
それに比べて、香は結構冷静に訊ねている。
「勿論! なんたって、香さんのためですから」
「ほー。どれどれぇ」
ボクをそう言って、紙袋から一つ一つ出してちゃぶ台の上に置いた。
「ホットプレートだろー。ヘラだろー。ヘビのオモチャだろー」
「って、おい! 電源コードあるじゃないか」
ボクが黒い電源コードをちゃぶ台の上に出すと、岡村は声を荒げて言った。
「おお、これが電源コードか。こんな舌が突き出ているから、ボクはてっきりヘビのオモチャかと思ったよ」
そう言って、温度調整ツマミの付いている部分にある、金属棒の温度センサーを指した。
「ったく、驚かすなよなぁ。おい、月島。丼ぶり出せ丼ぶり」
岡村は額の脂汗を拭くと、ボクを指図するかのように急き立てた。
「ああ、待ってろ」
ボクはそう言うと、台所から丼ぶりを持って来て岡村に渡した。
「はいよ」
「一つじゃ足りないから、あるだけ持って来いよ」
岡村に言われて、ボクは残りの丼ぶり一個と、ラーメン丼ぶり二個を岡村の前に置いた。
「いや。確かにこれも丼ぶりだけど、ちょっとなぁ……」
岡村はラーメン丼ぶりを手にすると、言い淀んだ。
「いいじゃないか。それを使って食べる訳じゃないんだろ?」
「そりゃそうだけど。まっ、いいか。じゃあ、美紀ちゃん。キャベツを千切りにして。余ったら月島に食べさせればいいから、丸々一個千切りにしちゃっていいよ」
岡村は、そう言って指示を出す間もホットプレートを組み立てたりと、手際良く準備を進めた。
四個の丼ぶりにもんじゃ焼きの下準備を終えると、岡村はホットプレートの電気を入れた。
既にちゃぶ台には、ホットプレートともんじゃ焼きの入った丼ぶりの他に、缶ビールが載っている。
「これで準備完了。あとは、ホットプレートが温まったら、焼くだけだ。んじゃあ、温まるまでの間に、もんじゃ焼きの食べ方を教えておこう」
岡村はそう言うと、手元にあった小さなヘラをボク達に見せた。
「まず、もんじゃ焼きを食べる時の基本だけど、鉄板の上からこいつで掬って直接食べる。間違っても、小皿に取ってから食べるなんてことはしない。で、こいつのことは『はがし』と言う。要するに、鉄板からもんじゃ焼きを剥がすってのが、語源らしいんだ。ちなみにこのはがしは、工場から問屋までは『ヘラ』と呼ばれてて、小売店やもんじゃ焼き屋に行くと『はがし』と名前が変わるらしいんだ。どうして名前が変わるのかまでは判らないんだけどね。ついでに言うと、もんじゃ焼きって言うのは、初めは駄菓子だったんだ。今じゃ、駄菓子って感覚はまったくないけどさ」
「へえ。岡村君って、物知りなのねぇ」
得意げに話す岡村に対して、香が感心した様子で呟いた。
「そうかな? こんなの、たいしたことじゃないですよ。俺の知識って、広く浅くですから」
岡村は謙遜してるけど、香にいいトコ見せようとしているのは見え見えだ。美紀もそれが判るのか、笑いを堪えているように見える。
「ホント。お前の場合、知識だけじゃなく女の子に対しても、広く浅くだもんな」
「いや、それは違うぞ。香さんなら、深く深ーくお付き合いしたいぞ」
「くふ……。あははは……」
岡村のセリフに、美紀は堪え切れずにとうとう笑いだしてしまった。
ホットプレートが温まると、岡村が手際良くもんじゃ焼きを焼き始めた。その手際良さに、ボクも感心してしまう。
「岡村。お前、もんじゃ焼きって、何回ぐらい食べに行ってるんだ?」
「そうだなぁ。十回以上は行ってると思うけど、数えたことないからなぁ」
「岡村君が居て、ホントに助かったわぁ。貴司ったら、ホント頼りにならないんだもん。ね、美紀ちゃん」
「そうそう。揚げ玉も知らなかったんだから、これほど頼りにならない彼氏って、他に居ないわよ」
「うっ……」
二人とも、言いたいこと言いやがって。
そんなことを話しているうちにもんじゃ焼きは焼けて、みんなで食べ始めた。
「これがもんじゃ焼きなのねぇ。初めて食べたけど、ホント美味しいわねぇ」
「うん。私も初めて食べたけど、結構美味しいね」
香も美紀も、美味しそうにもんじゃ焼きを頬張っている。無論ボクも、負けじと頬張る。
「ところで香さん。香さんって、ホントに月島のお姉さんなんですか?」
岡村は、突然香の正体を暴きにかかった。そりゃそうだろ。人間誰しも、惚れた相手の正体は知りたいと思う。
しかし、香の返事は呆気ないものだった。
「そうよ」
「そうよって、まだそんなこと言ってるのかよ」
「あら、ホントのことなんだから、仕方ないじゃない」
ボクのツッコミに、香が反論する。
「でも、俺は月島と高校の頃からの付き合いだけど、お姉さんが居るなんて聞いたことないですよ」
「それは当然よ。だってあたし、幽霊だもん」
香はそう言うと、美味しそうにビールを飲んだ。
「はっーあ、ビールに良く合うわぁ」
「いや。でも、旨そうにビールを飲む幽霊なんて、居ないでしょう」
そう、岡村の言う通りだ。
こんなに旨そうにビールを飲む幽霊なんて、居る訳ないだろ!
「そんなことないわよぉ。現に、ここに居るじゃない」
はがしでもんじゃ焼きを口に運ぶ手を休めることなく、香は答えた。
「そりゃー、香さんがそう言うんなら、俺は信じますけど」
どうやら、岡村は折れたようだ。
この、根性なしが! 好きになった女性のことぐらい、ちゃんと知ろうとしろよなぁ。
「でも、そうすると香さんとのデートは、青山墓地みたいなお墓がいいってこと?」
なんか、話が変な方向に行ってるぞ。
「そんなことないわよ。デートなら、やっぱり映画を見に行ったりとか、ショッピングに行ったりとかの方がいいわよ。幽霊だからって、特別お墓が好きって訳じゃないんだから」
岡村の質問に、香が澄まして答える。
「あのさぁ。せっかく美味しいもんじゃ焼き食べてるんだから、お墓お墓って辛気臭い話はやめないか? せっかくのもんじゃ焼きが、不味くなる」
ボクが文句を言うと、岡村は良からぬことを言ってきた。
「じゃあどうするか。お前の高校時代の話でも、するか?」
「え? ボクの?」
岡村のヤツ、一体何を話すつもりなんだろう?
「美紀ちゃんも、しっかり聞いといた方がいいよ」
「え、なになに。岡村君、何話してくれるの?」
美紀は、岡村に話を振られて身を乗り出した。そんな、ボクの過去に、身を乗り出してまで聞くようなことはないはずだ。
「いやー、コイツッてさぁ。高校の頃は、意外とモテたんだよなぁ」
「?」
モテてたって、ボクが? そんなことはない。第一、バレンタインデーじゃ義理チョコすら貰えない、哀れな高校生だったんだぞ。
「貴司って、そんなにモテたの? 私には、全然モテなかったみたいなこと言ってたんだけど」
「なんたって、ファンクラブまであったからなぁ」
岡村は目を閉じると、しみじみと言った。
「ちょっと待て。そんな話、ボクは知らないぞ」
ボクが抗議すると、岡村はニパッといやらしい笑みを向けてきた。
「それは、お前が知らなかっただけ。放送部ってのがあったろ。あそこの女子部員を中心としたファンクラブがあって、文化祭の時には出展作品のネタにされてたくらいだもんな。お前を主人公に、題して『高校生の一年』だったかな?」
「なに、貴司にファンクラブなんかあったんだ」
香も目を丸くして聞いた。
「そうなんですよぉ。俺なんか、結構コイツを紹介して欲しいって頼まれて、後輩の女の子を何人も紹介したんですから」
「おい、出展作品のネタだなんて、それじゃ単なる晒し者じゃないか! それに、ボクは女の子なんか、紹介された覚えはないぞ」
そう、岡村と後輩の女の子のデートに、何故か付き合わされたことが何度かあったけど、紹介されたことはない。第一、デートのたびに女の子が違ってたんだから、モテたのは岡村の方だろ。
「いやー、コイツッて鈍感と言うか奥手と言うか面食いと言うか、全然手応えがなかったんだよなぁ。人がせっかく女の子とのデートをお膳立てしても、全然女の子と話さないし」
「ちょっと待て。あれって、お前と女の子のデートじゃなかったのか?」
「はぁ? 何言ってんだよ。あのデートは、全部女の子達に頼まれて、俺がお膳立てしてやったお前と女の子達のデートだったんだぞ」
「そんな……」
頭の中を、当時のことが駆け巡る。
ボクはてっきり岡村と女の子のデートだと思って、遠慮してたのに……。じゃあ、ボクが可愛くていい娘だなって思っても、岡村の彼女だと思って遠慮してたのは、全く意味がなかったってことなのか?
「だってあれは……」
「そんなもだってもないよ。あれは全部お前と女の子のデートだったの。それを、人の好意を全部無にしやがって。女の子達、皆お前に嫌われたんじゃないかって、悲しんでたぞ」
「それは女の子達、悲しむわぁ。弟ながら、とんだ鈍感野郎ねぇ」
意地悪そうに、香がニヤニヤ笑いながら言った。
「ち、違う! だって、女の子はみんな岡村と親しげに話しをしてたから、だから……」
「もしかして、私も貴司と出会う前に岡村君と知り合いになってたら、貴司の恋人にはなれなかったのかな?」
美紀までもが、ニヤニヤ笑いを浮かべて言ってきた。
「かもしれないなぁ。そう言う意味ではコイツ、自分がモテてたって自覚、全くなかったもんなぁ」
「ふーん。それじゃあ女の子達は、浮かばれないわねぇ。なんで振られたのか、女の子達は納得できないもんねぇ」
な、なんだよ皆して。ボクはモテた覚えはないし、告白された覚えもないぞ。
「そんなこと言ったって……。ボクは振られたことはあっても、女の子を振った覚えはないぞ」
これは事実だ。岡村は知らないけど、告白して振られたことはある。そんなボクが、モテるはずがない。
「だけど、貴司がそんなにモテてたなんて、意外だなぁ。もしかして、今でも貴司の知らないところでモテてるのかな?」
「だと思うぞ。大学じゃ、いつも美紀ちゃんと一緒に居るからそうでもないだろうけど、バイト先じゃ判らないな。もしかしたら、月島目当てに居酒屋に通ってる娘が居るかもな。で、たまにはそんな娘を、摘み食いしてたりして」
岡村は、とんでもないことを言いやがる。でも、大丈夫だ。美紀は、ボクのことを信じてくれているから。
だけど、その考えは甘かった。
「貴司、ホントなの?」
美紀が、不安そうな表情で聞いてきたんだ。
「んなことする訳ないだろ! 美紀はボクのこと、信じられないのかよ」
「そんなことないわよ。私は貴司のこと、信じているもの」
そう言った美紀の瞳は、やっぱりボクのことを疑っている。
だぁ――――――! どうしたら信じてもらえるんだ?
「まあ、摘み食いは冗談としても、高校時代は月島も、俺並みにモテたってことだよ」
岡村は、相変わらずニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。
そう言う、誤解を招くようなことを言うな!
「それじゃ私は、貴司の恋人になれたことを自慢してもいいのかな?」
美紀の瞳から不安の色が消え、ボクをからかうような笑みを浮かべて言った。
「うーん、どうかしらねぇ。貴司程度で、妥協したと言われる可能性もあるしねぇ」
「あっ、言える言える。乙女心も判らないヤツとくっついたなんて、失敗したかなぁ」
「当然よぉ。世の中には、貴司よりいい男はもっと沢山居るんだから」
「そうですよ。香さんはそんな失敗はせず、俺の彼女になりませんか?」
「えー。岡村君だって、ドングリの背比べよぉ。あたしを口説くには、十年早いわ」
結局この話題は、ボクと岡村の痛み分けで終わった。
高校時代の貴司の朴念仁振りに、ちょっと驚きです。
てか、お前、そんなにモテてたのか?




