第9話 未来
――ずぞぞぞぞぞ。ずぞ、ずぞぞぞぞ。
「うん、僕も聞いたよ。閻魔さんの事」
「そうか。あんまり驚いてないみたいだな」
――ずぞぞぞ、ぞるぞるぞる。
バンプは特に動揺した様子もなく、いつも通りの母性本能くすぐる表情で話す。
こっちは大慌てで地獄旅館まで探しに来たってのに、随分と余裕な態度でこっちが拍子抜けだ。とはいえどうせ閻魔さん本人の口から聞かされたのだろうと思うと、既に散々狼狽した後なのだということが容易に想像できた。
「あの人の事だから、あっちに腰を落ち着ける気なんてさらさら無いと思うよ。準くんもそう思うでしょ?」
「だろうな。閻魔さんの事も驚いたが、もっと驚いたのはお前らが本格的に仕事を請け負うって事だぞ」
「あはは」
――ぞるぞるぞるズバッ、ズゾンゾゾゾゾゾ。
「ところでさっきから凄まじい音を出して飲んでるそれは何だ」
この珍妙な音はバンプの口元から発生していた。
「トマトジュースだよ?」
「もはや液体じゃないだろ……」
「美味しいよ?」
「とてもそうは見えん」
吸血鬼が血を飲まずトマトジュースを好むのもおかしな話だが、血を飲んだらそれはそれで怖いので黙っておく事にした。
「そういえばロシュ達は?」
「あいつらなら閻魔さんの所に行ってる。そうそう、オレはバンプを呼びに来たんだよ。死神業者の正規登録があるらしいから」
「そっかあ……」
バンプはオレから目を逸らした。
「僕、やだなあ」
ストローをくわえた口から漏れたのは、意外な言葉。
「なんだかね……嫌なんだ」
嫌って。一人前に認められたって事じゃないか。
何をそんなに拒絶する。
「彩花さんや準くん。冬音さん達に出会って、僕は新しい世界と生活を見て、その中に居てさ。でも結局、死神業者として本来の形に収まっちゃうのが嫌なんだ」
「なんだお前、オレらの世界で生きていたいのか?」
「んっと……勿論地獄も好きだよ。でも、なんていうか、その……」
ははぁん。
「彩花さんと離れる事になるのが嫌なんだろお前」
「なんでわかったの!? って、あ」
解り易い奴だった。
「うん。まあ、ぶっちゃけるとそう。彩花さんは自分の生き方があるでしょ? 冬音さんはメアと一緒に居ないといけない身体になっちゃったから地獄側に来るみたいだけどさ。彩花さんには彩花さんのやりたい事があるし、僕がどうこう言えるものじゃないし……」
そっか。バンプは本来の死神業者という形に属すると、彩花さんと離れ離れになる。彩花さんは大学へ通っている以上、こっちに来ることはまず無いだろうからな。研究で一度は海外へ赴いた程だし。
それがバンプの後ろ髪を引いている理由……か。
「難しいな……」
「やっぱりそうだよね。僕、どうしたら――」
「難しいのは状況を変える事がだ」
「え?」
「お前が死神業者になるというのはもはや決定事項。そうでなければ人事異動の件が成り立たずに多大な迷惑が掛かる。どうせお前はどうしたら死神業者をやらずに済むかな、なんて考えてたんだろ」
「……うん」
「どうにもならねえよ。お前が悩むのはそこじゃねえだろ。それを踏まえて、お前はどうしたいのかだ」
「僕は――」
少年は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
ストローもいつの間にか噛みつぶされている。
「僕はそうなっても彩花さんと居たい。それは彩花さんをこっちに引っ張って来る事になる。それは僕のわがままなんだ!」
「だな。でもそいつがお前の希望だ。俺に叩きつけても仕方ない」
「むう……」
「男だろバンプ。腹をくくれ」
彩花さんを大事に想うなら、これは一人だけで考え込む事じゃない。
そう。彼女と一緒に、答えを導き出すべき問題だ。
相手はどう思っているのか。自分がどう思っているのか。気が済むまで腹を割って、そんで互いに納得する結論を見いだせ。
こんなところをうろつきながら、うだうだと一人で悩んでても仕方ない。
「ぬぬぬぬぬ」
「自分の気持ちをぶつけておかないと後悔するぞ!」
「うううう……!」
「わがままだろうが何だろうが、離れたくないんだろ!」
「そうだよ!」
「好きだと伝えなきゃ始まらねえ!」
「っしゃああああ!」
「オラァ行ってこい!!」
「男バンプ、出撃します!!」
顔を真っ赤にしながらそう叫ぶと、トマトジュースのパックを握ったままバンプは猛ダッシュで廊下の彼方へ駆けて行った。
ふう。
オレとしたことが、ついつい燃えてしまったようだ。
そもそも閻魔さんの所へ行くようにと伝える筈が、彩花さんへ告白しに行けと背中を押す結果になったのだがまあいいや。
それにしても視線が痛い。
地獄旅館の、廊下のド真ん中であんなやりとりをした挙句に一人だけ取り残されたんだから当然だな。うん。
熱気にドン引きした魂や旅館従業員に避けられるのも、たまには悪くない……。
もはや開き直りの心情で清々しい表情をしているオレに、どこからか大きな笑い声が向けられた。
『あっははははは! いいねぇ、熱いねぇ。青春だねぇ』
それは廊下に面している茶店からだった。
横長の椅子に座り、とてつもなく巨大なノコギリが立て掛けられている傍らで、団子を片手に大爆笑する女が居た。
何者だこのヘンテコな女は。
『兄さんいいねぇ、素敵だよぉ。ちょっと一緒にお茶しようじゃないか』
すごく断りたい。
が、この女の誘いを断るのは危険だと本能が囁きかけた。
まず目が危ない。
眠たそうにとろけた形をしてはいるものの、その奥に潜む眼光は殺気に満ち満ちている。殺気だぞ? こんな廊下の真ん中で。戦場でも無いというのに。これじゃあまるで通り魔の類じゃねえか。
しかも団子と一緒に啜っている飲み物はお茶ではなくトマトジュースってお前もかコノヤロー。
なんだトマトジュースが流行なのか? いや、妙な流行には敏感な死神がトマトジュースを飲んでいる姿は見ていない。
つーか本当にノコギリでけえええええ。
なんかもう全体的に危ない。総合的に危ない。
『どうしたの早く来なって。トマトティーが冷めちゃうだろぉ?』
「トォマトティー!?」
『良い反応。物静かな仲間に囲まれて生きてきた私にはとても新鮮だね』
言われるままに席に座り、俯き気味に女の顔を窺ってみる。
怖い。その一言に尽きる。
回転するチェーンソーを顔の前に持って来られているような感覚だ……。
挙動次第では恐ろしい結末が待っている事だろう。
「オレに、何の用で……」
『別にぃ。一人でお茶するより二人で飲みたい気分でさあ』
「いやもっと他の奴を……」
『うるさいねえ殺すよ』
「すみません黙ります」
『……』
「……」
『……』
「……」
『何か喋りなよぉ!』
「ええええええ」
いいよこういう無茶苦茶な奴には慣れてるから。
耐性ってのは怖いね。
「じゃあまず――」
『私の名前は飛沫。昔は人斬り飛沫って呼ばれてたよ』
おい誰か支離滅裂なこの女をなんとかしろ。
飛沫といえば地獄旅館の幹部を任されることになる二人のうちの一人じゃねえか。大丈夫かよ。いや大丈夫なわけがねえよ。自分で人斬り飛沫とか言っちゃう奴が大丈夫であってたまるか。
外見内面どっちも危険極まりないだろうこいつは。ノコギリ携えて元人斬りだよぉとか垂れやがって何食わぬ顔でトマトティーなんか飲んでんだぜ。トマトティーだぞ? そもそもトマトの茶って何なんだ、説明を求める。いや説明はいらないのでさっさとオレを此処から解放してください。
『うるさいねえ殺すよ』
「喋ってすらいねえよ!」
『シャウヴェッテ・スライ・ヌェイヨ? どこの言葉だい?』
「誰かあああああああああ!」
『ところでお兄さん、名前は?』
「え? あ、ああ。オレは……さ、さと……」
『さと……?』
……まさかとは思うが。
「オレは、サトゥーハ・ラ・ジュゥン」
『里原準っていうのかい』
通じたよどうなってんだこいつの頭は!
飛沫とかいう女はオレの名前を何度も呟いている。どういうわけか一回一回呟くにつれて目が見開かれていき、興奮と殺意の入り混じったますます危険な色を帯び始めていた。
うわあ、やはり関わるべきじゃなかったな。人の名前一つで感情が激しく起伏している。情緒不安定な奴だ。
『お兄さん、里原準っていうのかい。惨劇に勝った、里原準なのかい……?』
眉間を釣り上げ、口元を緩ませ、えぐるように飛沫はオレを見つめてきた。
惨劇と因縁あり……か?
『あたしはね、昔、一度だけ惨劇と戦った事がある。奴に挑んだ他の者同様、斬れない無敵の身体を前に傷一つ付けられず負けた苦い思い出さぁ。そして惨劇の宴事件に於いて、奴を打ち負かした奴が居ると聞いた。里原準……あんたの名だよぉ!』
飛沫の行動は予測できた。
奴が自分のノコギリに手を伸ばす前に、オレはそれを蹴り飛ばして遠くに離していた。
武器を掴み損ねた飛沫は迷うことなくオレの顔に拳をぶつけようと席を立ち、その様子をオレは見ているだけだった。
『あんたに勝てば惨劇より上!』
「――なわけねえだろ」
呟きを耳にした女は、顔の前で拳を止めた。
「惨劇に勝ったのは、オレと死神の二人掛かりでだ。それに力では最初から勝負にすらなっていなかった」
『……ふぅん』
飛沫は拳を開き、腕を引いて大人しく再び席に座る。
『じゃあ、惨劇は異界最強のままで勝ち逃げしたってことかい』
「逃げたというより、次に進んだだけだろうな」
『気に入らないねぇ』
「あんたの事はオレも知ってる。元狩魔衆で、夜叉さんの部下になったんだろ。惨劇はあんたと同じだ。過去を礎に、前に歩み始めたんだ」
惨劇だって完全無欠じゃない。後悔した過去や苦い思い出だってある。でもいつまでもそれにしがみついてなんかいられないから、それも受け入れて奴は奴の未来へ向かったまで。
飛沫もそうだろう。狩魔衆と夜叉さんの間に宴でどんなやりとりがあったのか、オレはよく知らないけどさ。結果的に今、飛沫は夜叉さんと生きる事に決めたからこの地獄旅館に居る。狩魔という過去を捨てたわけでなく、それを糧に未来へ向かっているんだろう。
オレだってそうさ。今みたく惨劇の過去の因縁がこちらに降りかかることもあるだろうけど、それはそれで惨劇と生きた証。戦った証なんだから喜んで受け入れる。
『じゃ、仕方ないかねぇ』
言うなり飛沫は元の落ち着いた様相に戻り、トマトティーに口を付けた。
『あたしもさぁ、此処へ来て改めて感じたんだけど。過去を清算する宴が終わった今、みんな一気に未来を意識し始めてるよねぇ。さっきのお兄さんと少年のやりとりみたいにさぁ』
「……」
『お兄さんは、どうなんだい?』
心を覗き見るように彼女は尋ねてきた。
『あたしもあんたのことは夜叉兄ぃから軽く聞いてはいるよ。さっきの吸血鬼の子供との会話も、悪いけどちょいと聞き耳立てさせてもらった。だから訊きたいなぁ。あんたも別世界の人間。この異界と密接でありながらも、本来はあっちの者だろう? さあ、お兄さんは自分の未来、ちゃんと見えているのかい?』
「当然だろ」
そう言ってオレは席を立った。
◇ ◇ ◇
……これから、どうするのか。
死神は死神業者として働く。
あいつは当然、二人で地獄旅館で生きるのだと考えているだろう。つまりオレも、此処で生きるのだと。
オレ自信はどうだ。死神といっしょに生きたいのは勿論だ。しかしそれだけだと、オレには何かが足りない。例えば死神を抜きにして考えてみたとする。するとどうだろう、異界でも、あっちの世界でも、オレという存在はひどくモヤがかった印象に捉えられても仕方ない。今の飛沫のように。
だから皆はオレに問うだろう。
――里原準は、どんな未来を描いているのだ? と。
正直に言うと、オレは高校三年生の時――あの、保健の高坂先生に進路を尋ねられた時。未来なんて描いていなかった。
死神との共同生活に隠れていた里原準本来の進路は、全く以て闇に包まれてしまっていたのだ。
ただあの時。大学進学に掛かる費用と義理の両親への負担しか頭に無く、ならば選ぶ道は卒業後の就職だという、消去法的な選択で済ませた。
オレには夢ってものが無かった。
やりたいことも無かった。
声優志望の同級生、渡瀬由良をとても羨ましく思い、秘かに尊敬していたのも事実だ。
もしも死神と出会う事無く、惨劇と出会う事なく、亡き父と母が尚も生きていて人並みの生活をしていたとしても、やっぱり夢については悩んだと思う。
そして、その時の自分が礎とした過去を受け入れ、その時に置かれている状況を受け入れ、未来へ踏み出すと思う。
夢を描くのは自由だ。
描かなかったとしても、夢が無かったとしても、それを重荷に感じる必要は無いと、オレは思う。
夢抱く事は、義務じゃないから。
それでも、何歳になっても、夢ってなんだろうと考えるのは大切じゃないかな。
“これがやりたい!”と思える夢があればそれに向かって突き進めるから幸せ。なら夢が無いのは不幸かといえば、そうじゃないって事さ。
焦らず夢を探し求めることもまた、楽しく期待感溢れる素敵なものだ。
――オレには、夢にも思わなかった貴重な出会いがあった。
だからそれを大切にしたい。
オレの目的はもう決まっている。目標だって決まっている。
憧れた存在が、居た。
「オレも、異界を旅して回りたいな」




