第8話 Next Generation!
あれから二ヶ月が経つ頃には、色々な事が落ち着きを取り始めていた。
「私達が居ない間にそんなことがねえ……」
冬音さんは一応笑顔を張り付けているものの、大事件の渦中から外れていた事に不満を抱いているようだった。
オレの部屋で茶をすする彼女は横へ目をやり、居間で味噌汁をすする死神とナイトメアの姿を眺めた。
ナイトメア消滅の一件の後、冬音さんとナイトメアは二人で海外へバカンスに出掛けていた。惨劇の宴はその間に起こり、冬音さん達は滞在先(どうやら南米あたり)でデーモンさんの部下に引っ張られてアメリカ支部の手伝いに連れて行かれたそうな。
彼女の愚痴る内容から考えてかなりこき使われたらしく、アメリカ支部での出来事はなかなか面白く聞かせて貰った。
まず水着姿で茫然とアメリカ支部の地獄門前に立たされた時はかなり恥ずかしかったらしい。メアちゃんも浮輪片手に口をあんぐり開けていたという。
次に状況の説明にやってきたデーモンさんとアヌビスさんへ、出会い頭にダブルアックスボンバーを決め、チョークスリーパーでアヌビスさんを20分ほど気絶させた冬音さん。彼女はしばらく暴れた末にアメリカ支部三幹部によって取り押さえられ、丁重に中へ誘われた。
彼女はその際に、アヌビスさんが召喚したという死軍という連中を五分の一ほど使い物にならなくしたようで、その分だけ働かされる羽目になったそうだ。
「結局状況が落ち着くまで離してくれなくてさ。やんなっちゃうよな」
ぼやきながら冬音さんは近くにあったチラシを一枚取って紙飛行機を折り始める。
「まあなんにせよ、みんな無事で良かったよ。まさかあの惨劇が怪物になって暴れるとは思わなかったなあ」
「怪物……か」
「……お前の裏に居た時から怪物じみてたけどな。なんとなくだけど、こうなるような気がしてたようにも思える。本当に今更だけどね」
あいつのやったことは暴力的で、迷惑を掛ける行いばかりだった。他の人達にとっては本当に関係の無い理由で害を被ったわけだから、あいつは非難されて然るべきだと思う。
でもオレだけは、あいつに感謝する。オレを育ててくれた奴なんだから。
「いいんじゃないの? 閻魔も言ってたけど、惨劇はきっかけに過ぎなかったんだしさ。あいつが暴れなくってもいつか狩魔は地獄を襲っていただろうし天国も裏切ってたよ。世界を壊されちゃたまんないけど」
そう言って紙を折る冬音さんは苦笑した。
「私らも巻き込まれただけさ。過去の因縁にね。準だって幼かったんだし、惨劇や大人の事情に振り回されるがままだったんだ。そう気負う事なんてないよ。結果的に狩魔も天国も地獄も惨劇達も、自分達で過去にけじめをつけた。そんでもって、狩魔も政府も壊滅。惨劇達だってこの世界から消えた。もう責める相手も居ないんだし、どうしようもない。お前だってわかってるだろ? 全部終わったんだから未来を見据えないと」
できた、と呟いて冬音さんは紙飛行機を高々と持ち上げた。
それを投げると、直線的な軌道で部屋を横断し――死神の頭に直撃した。
「いてーーーー!」
「わははははははは!」
紙飛行機の当たった箇所を手で押さえて声を上げた死神に、冬音さんは涙を浮かべて大爆笑。
紙飛行機を握ってしばらく周囲を見回していた死神だったが、再び味噌汁に意識を戻した。
が、死神の前にあった筈の味噌汁の入ったお椀がいつの間にかなくなっており、それはナイトメアの口に運ばれていた。
「ずずー」
「飲むなー!」
忙しい奴だ……。
ところで惨劇の因縁といえば死神の父ギルスカルヴァライザーさん。
一時は再起不能だと思われたほど惨劇に重傷を負わされたギルさんだったが、命に別状はなく今ではピンピンしている。
しかし惨劇のプレスキャノンを全身に絶え間なく食らったからにはやはり無事とはいかず、二度と戦闘は行えない身体になってしまった。
あれからギルさんにも会ったが、彼曰く『まさか生きていられるとは思わなかった』だそうだ。惨劇がギルさんへ向けた殺意は凄まじかったと聞いたし、あいつが何を思ったのかはオレにもわからない。
オレの実父、御標九郎は惨劇の語ったことが真実ならばギルさんの策謀に嵌められて死んだとも考えられる。でも別にオレはギルさんを憎んだりとかはしない。それは、憎んだりとかする役目は、惨劇が代わりに担ってくれたのだから。
そういった過去の事情なんて、さっき冬音さんが言ったように覚えていないし成るべくして成ったことなんだから。
オレや死神みたいな何も知らない子供の世代は、当時から続く大人同士のやりとりに巻き込まれただけだ。
ギルさんは死神の父親。九郎はオレの父親。
それだけしか、オレにはわかんないよなー。
「うわーん! メアが全部飲んだー!」
「良い味です。さすが準くん」
「それ私が言いたかったのにチクショー!」
「こ、これなら毎朝飲んでも、私は飽きませんよ準くん」
「言いやがった! 遂に決めゼリフまで奪いやがったー!」
味噌汁でそんなに騒ぐな。まだあるから。
「おかわり! おかわりだぜ準くん!」
死神はナイトメアからお椀をひったくり、オレの所まで駆けてきた。
二杯目の味噌汁を受け取った死神は満面の笑みで居間に戻り、今度は奪われないようにと牽制しながらすすり始めた。
お前どんだけ味噌汁好きなんだよ。初耳だぞ。
ナイトメアも死神から味噌汁を奪うつもりはないらしく、赤味噌のダシがどうのこうの呟いている死神をよそに、オレと冬音さんの居る台所のテーブルへやってきた。
「バンプと彩花さんはどこに行ったんですかー?」
首を傾げて訊いてくる。
「ああ。たしか地獄に行ってる筈だぞ。あの二人はしばらく病院に居たからな、閻魔さんに改めて挨拶しに行ったんだろ」
「律儀だねえ。私ももう一度デーモンとアヌビスに挨拶しようかねえ」
ギシィと口元を歪ませて嗤う冬音さんからは、挨拶しようなどという気は微塵も感じられない。もっと暴力的な挨拶をしようとしているに違いない。
オレはアヌビスさんに直接会った事は無い。閻魔さんの話では、支部長候補生時代からの優等生で、昔から気に食わない奴だと聞いた。その一方、時折耳にした噂では、支部長の誰よりも死神達を溺愛しているとも。ムッツリアヌビスなんて呼ばれていた事もあったな。
「久しぶりに会ったのに、いきなり説教が始まるんですもん」
「泣きながらね。今思い出しても笑いが込み上げてくる」
一時は消えかけた子に、もう一度会えたから。嬉しかったんだろう。
なんとなくアヌビスさんがどんな支部長なのか、把握できた気がする。
冬音さんとナイトメアの口から放たれるアメリカ支部での笑い話に聞き入っていると、居間で味噌汁を堪能していた死神の方で異変が起きた。
「何奴ー!」
いきなりの大声に、オレ達は一斉に死神の方を見た。
居間にはゲートが開き、その中から伸びた手(黒革製のグローブを嵌めている)が、死神のお椀を奪い取っていた。
『ギャハハハハ! はいよデストロイこんにちは。ってなァ!』
ゲートの暗闇の奥に光る眼光。
その中で味噌汁を勢いよく飲む喉の音が聞こえた。
酒じゃねえんだから……。
『……あれ……うめえ。これは……うめえ。神楽の兄貴とは思えねえ。デストロイ羨ましい』
もはやその口癖と口調で、そいつが誰なのかは明らかだった。
空のお椀が死神の方へ投げ返され、ヘルメットを被りなおした頭部がぬっと露わになる。
破壊業者。破壊愛好家の、ベルゼルガ・B・バーストだった。
『デストロイお邪魔すんぞっと』
大柄な身体が居間に現れる。
他の破壊業者連中の姿が見えないから、きっと一人で来たのだろう。
「侵入者じゃー!」
「侵入者ですー!」
実は面識のない冬音さんとナイトメア。
二人は同時にベルゼルガへと飛び掛かった。
いや、飛び掛かんなよ。
『あん?』
ナイトメアの創り出した黒い球体攻撃を、いともあっさりとはね退けるところはさすが破壊業者のエースといったところか。
しかし直後、ベルゼルガのヘルメットには見事なまでに冬音さんの回し蹴りが決まっていた。
「しゃあああ!」
『ぶへえ!』
衝撃で首が曲がるも、ベルゼルガは体勢を維持していた。普通ならガラスとベランダ突き破って外へ飛び出ていてもおかしくは無い。
冬音さんは強靭な侵入者に驚いて間合いを取り、腕を組んだ。どこの仁王様だ。
「誰だお前!」
それ蹴る前に言えよ。
ダメージゼロの男は頭を押さえながら首を回している。
『ああ? いきなりの御挨拶だな。俺の名は――』
「私は佐久間冬音だ!」
人の話聞けよ。
『ああそう、佐久間冬音ね。俺の名は――』
「そしてこいつはナイトメア!」
「むんっ」
あんたら……。
『ナイトメアね。把握。そんじゃ俺の――』
「二人は仲良し!」
わかったから。
『………』
ああ、この気迫はイライラしている気迫だ……。
そして案の定、ベルゼルガは腰のホルスターから拳銃を二丁引き抜いた。
冬音さんとナイトメアの眉間にそれぞれ銃口を突き付けて、ヘルメットを近づける。
『破壊業者所属。ベルゼルガ・B・バーストだ。よろしく』
「……」
「……」
腕を組んでふんぞり返っていた冬音さんの顔には、冷や汗が滝のように流れていた。
彼女は視線をオレの方に移し、「銃は駄目だろ聞いてないよ」と助けを求めるような顔をしている。ナイトメアに至っては失神寸前だ。
冬音さんでも相手が悪い。この男は味方だったから良いものの、敵に回したらきっと厄介どころか全滅の可能性もあっただろう。
一方のベルゼルガは二人のリアクションを面白がり、死神の頭を叩いたりしつつ居間に座った。
というかコイツがオレの部屋に来るのは実はこれが初めてだ。
なのにこの居座り様。構わないけどさ。
『そっか。此処がお前らが過ごしていた物語の舞台、か。まあ座れや里原! ギャハハハ!』
オレの部屋だっつってんだろ。
茶を出しながら全員が居間に座したところで、なかなか賑やかな光景になる。
冬音さんとナイトメアは、ベルゼルガが魔導社攻防戦の際に戦った韋駄天の仲間と聞くや否や目を輝かせていた。
「神楽は一緒じゃないのー?」
と死神。
『あいつは地獄旅館で正式な宿の手配をしてるとこだ。どうやらしばらくこっちに居付く方向みたいでな』
「……とはいえオレに全然顔を見せてくれないのは何でだ」
『それは本人をとっ捕まえて訊けよ。まあアイツはアイツで何か思うところがあるんじゃねえか? 俺や韋駄天、タイタンなんかは一度お前らと派手にドンパチやって面識がある。が、アイツはこの――お前らの日常には介入するきっかけが無い。そんなもんは里原の妹って肩書きがあるから気にする事でもないが、それでも惨劇の宴がきっかけでお前と近づくのは嫌なんだろうよ』
「よくわかんねえ奴だな。礼くらい言わせてくれても良いのにな」
『ギャハ。女心ってのはフクザツなんだってよ。ああ、礼といえば……神楽はこの後、天国の方へ顔を出すとか言ってたな』
えーっと……天国の幹部、ガーディアだったか? クロスキーパーという戦艦での戦いの話は聞いていたので、なんとなくわかる。
神楽とベルゼルガはクロスキーパー脱出の際に、そのガーディアとかいう二人組の聖騎士に助けてもらったとか。ヴァルさんの他にも聖騎士が居たとは驚きだ。
ということはつまりベルゼルガもこの後、天国に出向くってことだろ。オレ達の所で油を売っていて良いのか?
『で――本題だ』
ただ寛ぎに来たのではなく、やっぱり目的があったらしい。
彼は指を立てて口を開いた。
『天国の件に繋がるが、お前らも知っての通り地獄アジア支部、アフリカ支部、ヨーロッパ支部の施設復旧は何とか終わった。これでアメリカ支部に一旦ぶち込まれていた転生待ちの魂は再び分担されるわけだが……人員が足りねえ。デストロイ足りねえ』
どうして破壊業者であるベルゼルガが嘆くのか。
『そりゃお前、あまりの人員不足に立て直したばかりの俺達破壊業者にまで救援要請が来てんだよ勘弁してくれよ』
マジか。破壊と全く関係ないじゃねえか。
『純粋な人手不足にも困っているが、更に困った事に……上に立つ人間の人事異動がありそうなんだとよ』
「……ヴァルさんの件か」
ベルゼルガは頷き、冬音さんも目を細めて腕を組んだ。
死神とナイトメアは哀しげな表情だ。
『いやデストロイ勘違いすんなよ、ヴァルキュリアは地獄から追放ってわけじゃねえからな。天国も結構大変な状態なんだよ。クロスキーパーは二隻沈んだ上にオーディンも失った。あいつらは新たな統治方針を一から立て直さなきゃいけなくなってるんだ。そこにSt.4knightsのヴァルキュリアは必要だろう』
「つまり、地獄ヨーロッパ支部の支部長席が空いてしまう。ということか」
「そりゃあ一大事だね」
『そこで、地獄の支部長会議が急遽開かれた。人事異動に関してだ。〈ヨーロッパ支部へは現アジア支部長の閻魔が配属。アジア支部長を現幹部の夜叉が引き継ぐ〉という結論に至った』
さらさらと述べたベルゼルガはそこで一旦口を閉ざした。
聞いていたオレ達が、あからさまに驚愕の表情を浮かべたからだろう。
ナイトメアと死神がパクパクと口を開き閉じさせながら言葉を紡いだ。
「閻魔さんがヨーロッパ支部長に……?」
「夜叉さんが、アジア支部長に……?」
『まあ。夜叉という男は昇進って形になるな』
ということは……当然だが……。
「え、閻魔はあっちに行っちまうってことかよ!」
冬音さんの言う通り、そういうことになる。
『だな。さて人事異動の話は続くぞ。アジア支部長に夜叉が就任、となると今度は幹部が一人欠ける。その任に就くのは――元狩魔衆、飛沫と鈴女蜂って二人組だ。だから今後アジア支部の幹部は四人になる』
元狩魔衆……? ああ、彩花さんの言っていた、病院を襲撃したとかいう連中か。
いやいやいやいや、それはまずくないか? そりゃ大丈夫だと支部長さん達が判断したからそういう結果になったんだろうけどさ。
ベルゼルガ含むこの場の全員も、狩魔衆の経緯を知っているのでオレと考えは同じのようだ。
『惨劇の宴事件に関与していた俺達でさえ、ちょっと不安になるくらいだ。アジア支部――地獄旅館の多くは狩魔衆だった二人が幹部となる事に不安絶大なのは間違いねえ。だから緩衝材が必要になる』
そう言ってベルゼルガは、オレと、冬音さんと、死神と、ナイトメアを、順番に指差した。
「オレらが、緩衝材……?」
彼は首肯した。
『元狩魔の二人は仮幹部だ。なにせ事が急なもんで、夜叉もおそらく支部長に成りたてで勝手がわからず苦労するだろう。だから上からのフォローは難しい。だから支部長連中はこう考えた。〈ロシュケンプライメーダ、ナイトメア、ヴァンパイア。及び可能であればその保護者陣を、一部仕事のフォローにあてる〉ってな。ようは里原達ってよりそこの死神達への上からの指示だ。俺はそれを伝えにきた』
な、なるほど。
ついに死神達にも死神業者としての仕事が与えられるという事か。
『一部ってのは治安維持課の仕事だろうな。あそこが最も魂や旅館住人との触れ合いが多い』
死神とナイトメアは突然の事に呆けた顔をしていた。
オレと冬音さんは顔を見合わせ、互いに微笑を浮かべ合う。
そう。こいつらも成長し、それが認められたってことだ。
喜ばしい事じゃないか。
どんどん前に進んでゆく。誰も留まりはしない。
日常の大きな変化は、再び起きようとしていた。